11
本文はカーマガジン社の許可により Car-Magagine No,191より抜粋し たものです。 A d v a n c e d H o n d a 1962年、S360、S500、T360を発表し4輪メーカーとして名乗りを上げたホンダは、 次々と革新的なメカニズムを持ったモデルを送り出す。小さなボディに高精度DOHC ニットを積みライトウェイト・スポーツの楽しさを教えてくれた"エス″の原点、 S500。得意の二輪最新技術をふんだんに注ぎ込み、軽自動車とは思えぬ高性能と低価格を 両立したN360。斬新なDDAC機構を採用し、徹底した空冷エンジンへの拘りから生まれた 1300。'60年代、ホンダは常に新しいクルマ造りに情熱を燃やしていた。独創的かつ精緻な "作品″を検証することにより、当時のホンタイズム、すなわち本田宗一郎氏の目指した世界を覗く。 p h o t o : H i d e n o b u - T A N A K A(田中秀宣) /K e i s u k a - M A E D A(前田恵介) /H i r o h i k o - M O C H I Z U K I (望月浩彦) 車両協力:ガレージイワサ (S 5 0 0 )/田口勝己(N 3 6 0 )/佐伯隆夫(1300 77) 技術革新への創造と挑戦。

橡 Car-Magazine No,191Title 橡 Car-Magazine No,191 Author 橡 カーマガジン社 Created Date 3/18/2001 10:15:04 PM

  • Upload
    others

  • View
    0

  • Download
    0

Embed Size (px)

Citation preview

Page 1: 橡 Car-Magazine No,191Title 橡 Car-Magazine No,191 Author 橡 カーマガジン社 Created Date 3/18/2001 10:15:04 PM

本文はカーマガジン社の許可によりCar-Magagine No,191 より抜粋したものです。

A d v a n c e dH o n d a1962年、S360、S500、T360を発表し4輪メーカーとして名乗りを上げたホンダは、

次々と革新的なメカニズムを持ったモデルを送り出す。小さなボディに高精度DOHC

ニットを積みライトウェイト・スポーツの楽しさを教えてくれた"エス″の原点、

S500。得意の二輪最新技術をふんだんに注ぎ込み、軽自動車とは思えぬ高性能と低価格を

両立したN360。斬新なDDAC機構を採用し、徹底した空冷エンジンへの拘りから生まれた

1300。'60年代、ホンダは常に新しいクルマ造りに情熱を燃やしていた。独創的かつ精緻な

"作品″を検証することにより、当時のホンタイズム、すなわち本田宗一郎氏の目指した世界を覗く。

p h o t o : H i d e n o b u - T A N A KA(田中秀宣)/K e i s u k a - M A E DA(前田恵介)/H i r o h i k o - M O C H I Z U KI(望月浩彦)

車両協力:ガレージイワサ(S 5 0 0)/田口勝己(N 3 6 0)/佐伯隆夫(1300 77)

技術革新への創造と挑戦。

Page 2: 橡 Car-Magazine No,191Title 橡 Car-Magazine No,191 Author 橡 カーマガジン社 Created Date 3/18/2001 10:15:04 PM

精緻なツインカム・ユニットと、徹底して拘り続けた空冷エンジン搭載モデルに、ホンダイズムの神髄を感じる。

1962年、S360、S500、T360を発表し4輪メーカーとして名乗りを上げたホンダは、

次々と革新的なメカニズムを持ったモデルを送り出す。小さなボディに高精度DOHC

ニットを積みライトウェイト・スポーツの楽しさを教えてくれた"エス″の原点、

S500。得意の二輪最新技術をふんだんに注ぎ込み、軽自動車とは思えぬ高性能と低価格を

両立したN360。斬新なDDAC機構を採用し、徹底した空冷エンジンへの拘りから生まれた

1300。'60年代、ホンダは常に新しいクルマ造りに情熱を燃やしていた。独創的かつ精緻な

"作品″を検証することにより、当時のホンタイズム、すなわち本田宗一郎氏の目指した世界を覗く。

p h o t o : H i d e n o b u - T A N A KA(田中秀宣)/K e i s u k a - M A E DA(前田恵介)/H i r o h i k o - M O C H I Z U KI(望月浩彦)

車両協力:ガレージイワサ(S 5 0 0)/田口勝己(N 3 6 0)/佐伯隆夫(1300 77)

技術革新への創造と挑戦。

Page 3: 橡 Car-Magazine No,191Title 橡 Car-Magazine No,191 Author 橡 カーマガジン社 Created Date 3/18/2001 10:15:04 PM
Page 4: 橡 Car-Magazine No,191Title 橡 Car-Magazine No,191 Author 橡 カーマガジン社 Created Date 3/18/2001 10:15:04 PM

無頼漢の乗り物?

シックなブルーグレーのボディに、赤いシート

とドア・ライナーをコーディネイトした、このS 5 0 0

のセンスの良さに思わず見惚れてしまった。

こういう贅ぜい

を地味で包み込むような色味のコ

ーディネイトが、果して当時のホンダ・カタログ

に用意されていたものか詳つまび

らかでないず、万一これ

がオリジナルだとすると、あの頃の平均的日本人

の色感覚とはとてつもなくかけ離れた完璧なヨー

ロッパ嗜好の大人のセンスの持ち主力が、ホンダ

には存在していたことになる。

もっとも、いくら小粋なボディに抜群のコーデ

ィネイトを決めていたとはいえ、庶民の目にはま

だ贅沢に映る2座スポーツ・カー自体が、どれだ

け持ち主の人生の素直な自己主張として傍目は た め

に理

解されたものか? とにかくS 5 0 0が発売された

1 9 6 3年、すなわち昭和3 8年の日本とは、庶民が

日頃の努力の報いとして手にする豊かさとて、そ

奴を人前であからさまにすることを自ら恥じてい

た、まだそんな慎ましい時代だったのである。

そんな時代の背景を述べるための例えとして、

ここで少々個人的な逸話を挿むことをお許し頂

きたい・・・・・・ポクの目黒の実家は、その頃2階をす

べて慶応大学に学生の下宿として提供していた。

S 5 00との出会いは、それ自体が強烈であった一方、

頑固ー徹な教育者であった親父にから痛烈な顰蹙ひんしゅく

をかったクルマという点で、幼い記憶に鮮明に焼

きついている。話は、下宿に居た学生がある日、

発売されたばかりの赤いS 5 00を、わが家の私道に

颯爽と乗りつけてきたことから始まった。

当時の慶大生は今から考えると相当の破天荒で、

その出来事の前には早朝に馬術部の学生が日吉か

ら馬に乗って参上し、私道に滝のような小便と盛

大な馬糞の山を築いて、一家仰天させられたこと

もあった。S 5 0 0の時は、たしか冬の或る日の夕方

に、親父が私道の糸杉の生け垣の前で落ち葉焚き

をしている最中だった。そこへ、二十歳やそこい

らの下宿生が分不相応にも、幌を下ろした真っ赤

なS 5 0 0で盛大な爆音をまき散らしながら登場した

のだから、親父はさぞや日を点にしたことだろう。

そのクルマはきっと、裕福な里の親を騙くらか

してせしめた、戦利品に違いなかった。4 5万9千

円という当時のS 5 0 0の売値は、今でこそ低価格に

思えるものの、なんせ一室4畳半の月極め下宿賃

が数千円、ラーメン一杯8 0円という時代だ。そん

なもん学生の分際で買えようはずもない。S 5 0 0は、

それからしばらく、私道を都合のいい駐車場にし

ていたし、小学校3年のポクも助手席に乗せても

らって近所をひと回りした記憶がある。

けれど、おそらくそんな状況にたまりかねた親

父が、その学生に説教でもたれたのだろう、或る

日ボクが学校から帰ると、赤いS 5 0 0の姿はもうど

こにも無かった。それからしばらくの問、親父は

夕餉の食卓で"あんなもん乗り回す奴は無頼漢(こ

の言葉自体、もはや死語化しているけれど)だ、

ろくな死に方はしない !″と、何度も何度も家族

に言い続けていた。まさか、自分の息子が将来そ

んなもんに乗って文章を書く仕事に就こうとは、

あの頃親父も想像だにしなかったろう。

当時、S 5 0 0の印象で何より強烈だったのは、低

く、しかもボディ側面が異様に薄く観えるスタイル

だった。東京の山の手とはいえ、住宅地の裏路

地にはまだ未舗装路も多く、幹線道路も戦前の荒

れたコンクリート舗装や質の悪いうねったアスフ

ァルト道路が混在していた時代だ。郊外に出れば、

砂利引き泥道の国道とて珍しくはなかった。Sの

比較的高く取られた地上高設定は、そうした時代

の道の悪さを反映するものだが、それに比べて側

面からみる車体が、明らかに当時のどのクルマよ

り薄く感じられたのは素敵だった。

そして、このクルマの高性能を、少年のボクは

後方2本出しのエグゾースト・エンドと、盛大な

排気音で察している。そんなものは、身の回りを

走っていたどのクルマにも当てはまらなかったか

らだ。しかも、そのエンジンがまさか白バイ(メ

グロ)と同じ5 0 0 ccしかないなんて、あの頃は到底

想いもしなかった。S 5 0 0のエンジンは、何も知ら

ない少年の日には非常に複雑複怪奇で大きく感じら

れたし、それまで見たことのあるルノ一やオース

チンの4気筒 O H Vより、そ奴の外観はよっぽ偉

' 6 2年の全日本自動車ショーでお披露目されたS 3 60とS 5 0 0。S 3 6 0はプロトタイプで終わるが、

S500はホンダ初の四輪自動車として翌年に発売される。当時の国産車の常識を遙かに越える

パワー・ユニットを得たこのスモール2シーター。スポーツのドライブ・フィールを、

本誌の連載"リバイバル・インプレッション"でもお馴染みの鈴木誠男氏がレポートする。

" 3 0 年 前 に 造 ら れ た な ん て 思 え な い " と ノ ブ さ ん 。 ど こ か 

ら 調 達 し た の か ホ ン ダ の 作 業 帽 を 被 り 雰 囲 気 を 盛 り 上 げ る 。 

技術革新への創造と挑戦

t e x t : N o b u o - S U Z U K I(鈴木誠男)

タ イト ・ コ ー ナ ーを駆け抜ける S 5 0 0 。 一直線のバ ン パ ー とそれ に合わ せ た形状のグリ ル に よる表情に は 、 簡潔な美しさが感じられる 。 

Advanced Honda

PRECISIONM A C H I N E

Page 5: 橡 Car-Magazine No,191Title 橡 Car-Magazine No,191 Author 橡 カーマガジン社 Created Date 3/18/2001 10:15:04 PM

大な感じがしたからである。

ボクがSの実態をもう少し詳しく知るようになる

のは、' 6 5年以降にオートスポーツ誌やカーマガジ

ン誌を定期講読するようになってからのことだ。

もちろん、あのS 5 0 0が' 6 3年1 0月から翌年9月まで

の1年間に、たったの1 3 6 3台しか造られなかった

ことも、当時は知る由もなかった。

S 5 00との再会

箱根の山中でデートを楽しむ事になった今回の

クルマは、ご存じの通りガレージ・イワサの手で、

つい最近素晴らしい状態にレストアされたばかり

の、珠玉の1台だ。

まあ、たしかに近くで注意深く観察すれば、時

のつけた垢あか

が意図的に残されている部分も幾らか

あるのだが、それを除けばまったく新車のS 5 00と

みまごうばかりの仕上がりに驚かされた。

この取材の後日、鈴鹿においてホンダがコレク

ション・ホール展示用にレストアした2台のS 5 0 0

にも触れるチャンスがあった(S 6 00とS 8 0 0には試

乗できたが、S 5 00だけは当日点火系の調子が芳し

くなく、希望は適わなかった)のだが、仕上がり

は双方で甲乙が付けがたい。目で観み

える範囲内の

重箱の隅的評価を言えば、むしろこちらの方がオ

リジナルを尊重している部分(エアクリーナー・

ボックスなど)があり、歴史の生き証人として今

後も貴重な存在だと思われる。

ロータス・エリートを参考(模写? )をにしたと

いうアルミ板張りのインパネに対峙た い じ

し、深いフッ

トボックスに足を入れてタイト・コクピットに収

まると、不思議なことに、にわかにやる気が漲みなぎ

て来るから可笑お か し

い。と同時に、乗り手の心をそそ

るこの手の仕事場の設えが、なぜか近頃のクルマ

にとんとみられなくなってしまった点にも気づい

て、何となく寂しい気持ちがした。

もちろん、このスペースには最新の安全装備な

と皆無に等しい。が、その代わりに握りの細いス

テアリングや、押せばシナリそうに華奢きゃしゃ

なシフト・

レバーなど、乗り手の官能をくすぐる演出が幾つ

も散りばめられていて、それらが最新のクルマに

求めようのない喜びを損なってている。

真のスポーツ・カ―を造れるメーカーは、今で

も世界中にそうザラには無いのだが、この当時二

輪車しか造っていなかったホンダが、例え模範を

ロータスに求めたとしても、よくこれだけの雰囲

気を設えられたものだと、改めて感心した。

シートは後日、各時代毎のSを乗り比べて感じ

たのだが、シリーズの中でも一番この5 0 0が贅沢に

できている。座面やシートバックのエッジの張り

が効いていて、サポート感などS 8 0 0の座布団より

かなりまともな感じがした。

久々に眺めるA S 2 8 0 Eエンジンは、やはり子供の

4段 M/ T は ス ト ロ ー ク が 短 く 、 コ ク 

コ ク と 小 気 味 良 く キ マ ル 。 S 6 0 0

や S 8 0 0と較 べ る と 、 シ フ ト ・ レ 

バ ー が若干低くそ し て 太 い の が特徴。 

Page 6: 橡 Car-Magazine No,191Title 橡 Car-Magazine No,191 Author 橡 カーマガジン社 Created Date 3/18/2001 10:15:04 PM

頃に感じた印象がそのままで、相変わらず排気量

のわりに大柄だと思った。後の7 9 1 c cのA S 8 0 0Eま

で発展するこのユニットは、もともと3 5 6 ccのA S 2 5 0

Eと5 3 1 c cのA S 2 8 0 Eの共用を考えて設計されたも

のだ。ただし、"鋳鍛造のホンダ″の異名を持つ彼

らにとっても、ほとんど量産初になる水冷エンジ

ンの設計に、これ以上のコンパクトネスは望めな

かったのだろう。

A S 2 8 0 Eの機関整備重量は、トランスミットを含

んで1 1 8 kgにも達するが、これは今日のホンタのB 1 6

A型1 . 6㍑V T ECとほぼ同等の重さだ。排気量差を

度外視すれば、エンジンの単位重量と容積あたり

の機械効率は、この3 1年間に随分と進歩した。し

かしだ、排気量当たりの発生出力は驚くべきことに

大差が無い。B 1 6 A型は1 0 6 . 2 5 P S/㍑を発生す

回転部分に試された潤滑精度はもはや極限レベル

と言うほかあるまい。これらの数値は、当時のホ

ンダのF - 1/F - 2エンジンの数字に肉薄するばかり

か、場合によって(レーシングSなど)は上回る

ことさえ稀ではなかった。

今日のインテグラに積まれるB 1 8 A型V T E Cは、

最新の F - 1技術のフィードバックによるオリエンテ

ッド・クリスタルベアリング・メタルの採用によ

って、8 7 . 2 k m mのロングストロークで8 0 0 0 r . p .mを許

容し、実に2 3 . 2 5 m/秒を実現するが、3 1年前はそ

れを許す平メタルなど何処にも存在しなかった。

だからホンダは当時、回転褶動部の軸受けに二輪

で経験と実績のあるローラーベアリングをことご

とく採用し、対処している。

A Sエンジンの重さは余剰強度を十二分にとった

るものの、たった5 3 1 c cに過ぎないA S 2 8 0 E型も8 1 .

3 P S/㍑(3 5 6 c cのA S 2 5 0 Eでは、9 2 . 7 P Sに達す

る)をものにしているからだ。

その秘密はひと言で言って、当時としては驚異

的な高回転。高出力型のエンジン設計にあった。

驚異のピストン・スピード

4 4 P S/8 0 0 0 r . p .mと4 . 6 k g - m/4 5 0 0 r . p .mとい

う数字は、排気量を聞かずに発生値だけを評価す

ると驚きにはならない。が、その発生回転はあの

頃の量産型自動車エンジンの常識を逸脱するもの

だった。二輪の小排気量G P用エンジン開発によっ

て築きあげられた、ム一ビング部におけるホンダ

独白の低褶動回転技術が無くて、これは実現でき

なかったろう。φ54×5 8 m mのボア×ストロークを

持つA S 2 8 0 E型のピストン速度は、9 5 0 0 r . p .mリミ

ット時に何と1 8 . 3 m /秒。実許容上限域と言われ

る1 0 0 0 r . p . mでは、実に1 9 . 3 3 m/秒にまで達する

のだから、ブッたまげてしまう。

因みに、Sシリーズのエンジンで指定リミット

時に最高のピストン速度を発揮したのは、S 6 0 0用

のA S 2 8 5 E型(2 0 . 5 8 m/秒)。そして、完成度の

究められたS 8 0 0用A S 8 0 0 E型もリミット時にはこ

れに肉薄するピストン速度(1 9 . 8 3 m/秒)を実現

した。さらに、1 2 5 0 0 r . p .mも回ったとされしるレー

シングS 6 0 0のそれは、実に2 7 . 1 m/秒というから、

アルミ鋳造ユニットの容積だけではなく、この超

高回転を達成するための構造上、どうしても免れ

ないものだった。A Sエンジンの最大の魅力は、当

時の1 . 5㍑F -1と同じ高次の排気脈動をフルに利用

して、驚くべきパワーを実現すると共に、前述の

ロングストローク/高ピストン速度化を併せるこ

とで、高回転エンジンとしては異例なフラット・

トルクを達成していた点だ。ロングストローク特

有の、明確な燃焼ビート音、機械放射音と同時に、

各気筒のへダーを集合部まで極めて長く取った独

特のエグゾースト・システムにより、いかなる量

産自動車用エンジンとも異なる耳堪えのあるカン

高い独特の高周波ノートを発生した。

超音速の魔味

組み直されたばかりの、試乗車のA S 2 8 0 E 1 0 4 1 0

ユニットは、さすがにまだ上昇回転感に幾分の硬

さが残っていた。それでも、ポイント式燃料ポン

ブの燃圧の低さに起因する冷間時アイドルの持続

性の悪さを除けば、キャブ・シンクロや点火調整

自体はバッチリ。暖機を終えた後は、右足に呼応

してバラつきの無いレブ・レスポンスを披露する

と共に、周囲の空気を切り裂くような勇猛果敢な

雄叫びを、山間に粘一杯轟かせてくれた。

S 5 0 0のシフト・レバーは、その後のSに比べる

と約3 0 m mほど足が短い。そのためだろう、スナッ

プ・シフト自体はより小気味良いものの、小さい

レバー比の相乗で操作カは他のSより幾分大きめ

になっている。この点は、後日鈴鹿でS 5 00とS 6 0 0

のシフト感をそれぞれ試して一応確認してるから、

単なる個体差ではないと思う。

軽く、短いエンゲージ・ストロークのクラッチ

を、約3 0 0 0 r . p . m付近のエンジン・レブで丁重に解

き放すと、後輪のトレーリング・アームケースに

2次減速用チェーン駆動システムを封じ込めてい

るS 5 00は、特有の尻上げ動作を残して、なかなか

スムーズに加速態勢へと入っていった。

エンジンは、レストア後の現在では現役時代と

同じ9 5 0 0 r . p . mリミットまで充分回るという話だっ

たが、今回は7 0 0 0 r . p . m程度に上限を自主規制して

走っている。このS 5 0 0の心臓、仮にリミットまで

回せば、オリジナルの5 . 2 0 - 1 2ダンロップ・ダンセ

ーフ・タイヤで1速が約 4 4 k m/h、2速では約 7 7

k m/h、3速は約1 1 8 k m/hに達し、1 3 0 k m/hと

発表されていたマキシマムは4速7 9 5 0 r . p . mで達成

できる計算になる。

ただし、勾配変化の大きい箱根のいつもの山間

路では、少なくとも自主規制したレブ・ゾーンで

確認することのできるS 5 0 0の実力も、はっきり言

って現在のあらゆる国産車より格段に遅い、とい

う現実を拭えなかった。この次元の実力は、せい

ぜいカニ目のスプライトとどっこいだ。しかしそ

の乗り味には、常に乗り手の心を昂らせて止むこ

とのない"逆音速の魔味?″が潜んでおり、これ

が好事家の心にはかなりの救いになる。S 6 00の経

験からすれば、今回試せなかった7 0 0 0 r . p . m以上に

エンジン本来の境地はあり、このクルマもそこか

らいよいよ桃源郷になるなのだろうが、それ以前

の域でもサウンドだけはすこぶる絶品で、嬉しい。

スロットルを踏み込んだ途端、とにかくあらゆ

る場面で目に見えないホンダ1 . 5㍑F - 1 ( R A 2 7 1 )

が、まるで自分の真横を一気に駆け抜けて行くよ

うな錯覚に浸り切れるのは素敵だ。小さなピスト

ンを、今精一杯上下させてブン回るエンジンの熱

い脈動を感じとれば、その走りに緩慢などという

言葉を、到底当てはめられなくなる。そして、そ

の時乗り手を追い越して常に先へ先へ抜けて行こ

うとする痛快極まりないエンジン・サウンドだけ

で、心はもう充分にとろけてしまいそうだ。

シフト・ワークの感触は、今あるビートのそれ

を確実に上回っていよう。なかでも、エンジン・

レブとばっちりシンクロした時のダウンシフトの

小気味良さは、快感そのもの。ただしノン・シン

クロの1速ギアだけは、停車時でも場合によって、

2速ギアのシンクロと合わせてやらねばシフトを

受け付けない場合が、ままみられた。

惜しむらくは、件の7 0 0 0 r . p . mシフト。これだと、

どうしてもピーク・パワーの持続性が悪くなる。

山間べントの立ち上がりで上り勾配がきつい時な

ど、スピードが乗り切れず走りのリズムが巧くと

り切れないのはひどく辛かった。しかし勾配の少

ないステージでは、粘り強いトップ・スローを発

揮した。2 5 0 0~9 0 0 0 r . p .mの広範囲にわたり、ほぼ

4 k g - m台の有効トルクを均しているエンジンは、

2 0 0 0 r . p . m、約3 0 k m/hからでもスロットルを柔軟

に受け付ける。新車当時には、おそらくそのまま

各部のディティールには初期モデルならではのシンプルさが伺える。テール・ランプは赤色の丸形1灯のみで、ウインカーも兼ねている。

Page 7: 橡 Car-Magazine No,191Title 橡 Car-Magazine No,191 Author 橡 カーマガジン社 Created Date 3/18/2001 10:15:04 PM

ヘ ッ ド ラ ン プ と そ の 下側を囲む よ う に 付く 

ス モ ー ル ・ ラン プは 、 カ バ ー で覆われる。 

S 5 0 0 は S 6 0 0 や S 8 0 0 に較べ てド 

ア の厚さが若手薄 い 。 プ ッ シ ュ ・ ポタ ン に

備わるキ ー ・ シリ ン ダ ー は右ド ア の み。 

フロント・ウインドー中央に位置するテンション・ロッドを支柱とするミラーはS 8 00と異なる形状。

着座位置の低い小振りなシートは、その後のエスよりもサイドのエッジがしっかりしているのが特徴。

低いエンジン・ルームの中に左へ傾けて搭載される総アルミ合金製のツインカム・ユニット。S 5 0 0用のA S 2 8 0

E型エンジンは 5 3 l c c、9 . 5 : 1の圧縮比により 4 4 P S、4 . 5 k g - mを発揮。独立した吸気マニフォールドには4器

の京浜製 C Vキャブレターが備わる。エアクリーナー・ボックスの形状が他のエスと異なる。

S P E C I F I C A T I O N S

l 9 6 4/ホンダS5 0 0

●全長×全幅×全高 : 3300×1 4 3 0×1 2 0 0 m m

●ホイ―ルベース : 2000mm

●トレッド (F/R) : 1150/1 1 2 8 m m

●車両重量 : 675kg

●エンジン型式 : AS280E

●エンジン形式 : 水冷直列4気筒D O H C 2バルブ

●ボア×ストローク : φ 5 4 . 0×5 8 . 0 m m

●総排気量 : 531cc

●圧縮比 : 9.5:1

●燃料共給 : 京浜 C V型キャブレター×4

●最高出力 : 44PS/8000r.p.m

●最大トルク : 4.6kg-m/4 5 0 0 r . p . m

●トランスミッション形式 : 4段M/T

●変速比 : 4.07.2.29.1.49.1.14

●減速比 : 一次 3 . 1 5、二次1 . 8 7

●ステアリング形式 : ラック・アンド・ピ二オン

●サスべンション : Fダブル・ウィッシュボーン+

縦置きトーション・バー

/スタビライザー

Rトレーリング・アーム+

コイル

●ブレーキ : Fドラム

Rドラム

●ホイール+タイヤ : F4J×l 3 + 5 . 2 0 - 1 3 - 4 P R

R 4 J×l 3 + 5 . 2 0 - l 3 - 4 P R

淀みない加速を維持して、1 3 0 k m/hのマキシマム

を実現したのだろう。

驚きついでのもうひとつは、全輪アルフィン・

ドラムのL/Tブレーキが、山間路でもかなり信

頼できた点だ。この時代のクルマに乗る度に、ま

ず大きな不満になる制動性能が、S 5 0 0ではそれほ

ど気にならなかった。その理由はおそらく、充分

な容量設定に加え、6 7 5 kgという軽量が功を奏して

いるのだろう。試乗中、上りコースのきつさと回

せないエンジンに業を煮やして、惰性の活かせる

下りは結構クルマなりに走り込んでみたのだけれ

ど、一度たりともブレーキに不安を抱くようなこ

との無かった点は、改めて感心した。

フットワークの方は、一番S 5 0 0の時代を感じさ

せる部分だと思う。このクルマは新品のダンロッ

プS P3を装着しているが、この足のレベルなら、む

しろ純正だったダンセーフ・クロスプライ級のグ

リップが、より相応だろう。浮きロール側の制御

に甘さの否めない低次元の安定サイド旋回だし、

今のクルマの感覚であまり粘らせると手痛いオツ

リに悩まされそうな雰囲気だ。

それにしても、これだけのクルマを今から3 1年

も前に、手探りで一から造り上げてしまったホン

ダの気合は、凄い。今回は、それを知った収穫と

ともに、彼らに本当に脱幅したい感じである。

レブ・カウンターのレッド・ゾーン表示は9 5 0 0 r . p . mから、スピード・メーターは1 6 0 k m/hまで。ダッシュポードにはパッドが入る。

精密なエンジンと数々の斬新なメカニズム。四輪へ進出したホンダが エ゙ス″に託した高い理想と強い意気込みが読み取れる。

Page 8: 橡 Car-Magazine No,191Title 橡 Car-Magazine No,191 Author 橡 カーマガジン社 Created Date 3/18/2001 10:15:04 PM

技術革新への創造と挑戦

t e x t : M a s a y u k i - M O R I G U C HI(森口将之)

p h o t o : H i r o s h i - U C H I DA(内田 寛)

協力 :GARAGE IWASA(ガレージ・イワサ P h o n e : 0 4 8 - 4 7 2 - 0 6 0 2)

Advanced Honda

ボディは塗装を終え、一方エンジン/

シャシーのオ―バーホールも終えたシャシ

ーN o . A S 2 8 0 - 6 4 - 1 0 3 72の1 9 6 4年式ホ

ンダS 5 00。いよいよあとは内外装のパー

ツや補器類の取り付けと、ポディとシャ

シーの合体、エンジン/トランスミッション

の搭載を残すのみとなった。

作業はまず、ポディに細かパーツを

装着していくことから始められた。最初

にフェンダーの峰を走る細いモールを取

り付け、次にワイヤ・ハ―ネス、ヒュー

ズ・ポックス、レギュレーダーといった

電装関係と、電気によって作動するスタ

ーター・スイッチ、ホーン、ワイパー・

モーター/リンクなどを組み込んでいく。

ワイヤ・ハーネスはレストア時には交

換することが望ましいが、例によってこ

こも、S 6 0 0前期型までとそれ以降のモデ

ルとでは違っている。しかし、幸いにし

てガレージ・イワサにストックがあった

ので、それに換えることにした。ヒュー

ズ・ポックスも同様に交換している。ま

た、このワイヤ・ハーネスをポディに固

定するときに使用するサポーター・ラバ

ー(筒状のゴム)は、S 6 0 0後期型以降に

は存在しないパーツだ。ただしこちらは

在庫がないため、磨いて再利用した。

電装関係が済んだら、今度はフューエ

ル・タンク/キャップ、ブレーキ・パイ

プ、マスター・シリンダー、ペダルを装

着する。この部分では、パイプとマスタ

ー・シリンダーを新品に取り替えた。一

方、ペダルはスムーズに動くように錆を

取って表面を整えたが、マスター・シリ

ンダーとの接続のピンが入る穴は、広が

ってしまっていたために一度溶接で穴を

埋め、しかる後に開け直すという方法を

採っている。パイプ同士をつなぐジョイ

ントは磨き、メッキを施した後に再使用

することになった。

次は外へ回って、ヘッドランプ、フロ

ント・グリル、テール・ランプなどを付

けていく番である。これらはポディ修復

の際に一度合わせてあったので、スンナ

リ付くかと思いきや、ガレージ・イワサ

にストックしてあった新品を慎用したへ

ッドランプについてだけはそうはいかな

かった。これは、仮合わせの時には裏の

パネル(第1回参照)がまだ装着されて

いなかったからだという。そこでライト・

ボディに多少の加工を施して、組み付け

ることにした。なお、グリルの取り付け

に関しては、ボディとの間に薄いラバー

を挟んだ。これはオリジナルでは持在し

ないが、そのままだとポディに傷か付く

ので入れたという。これも岩佐氏の、こ

のS500に対する気遣いと言えよう。

外回りがひと通り済んだら、次に室内

に移る。装着はダッシュ・ボ―ド、メー

ター・パネル、スイッチ・パネル、内張

り類、ミッション・カバー、リア・トレ

イ、シート・ベルトとそのホルダーとい

う順序で行われた。

ダッシュ・ボ―ドには割れがあったの

で、その部分を修復し、張り替えている。

ちなみにこのS 5 00とS 6 00の前期型は、ダ

ッシュ・ボ―ドにパッドが入っているが、

S 6 00の後期型とS 8 00では中身はプ1ラス

ティック・パネルだけになり、最終型のS 8 0 0

Mで再びパッド内蔵となっているのが興味

深い。リア・トレイもS600前期型までは、

それ以降のプラスティック製ではなく、

発泡ウレタンにビニールを被せた独自の

構造であり、多少痛みはあったが、S 5 0 0

特有の雰囲気を保つためにもそのまま使

った。メーターも同じ理由により、清掃

した上で再使用している。一方新たに製

作した箇所としては、足元の壁面を覆う

ハード・カバーが挙げられる。

その次に装着したのがウインド・スク

リーンで、これについては、フレームは

腐食部分を切り継ぎするなどして再使用

し、新品のガラスと組み合わせている。

続いて、そのスクリーンの中央付近に位

置するテンション・ロッド、さらにロッ

ドを支点とするルーム・ミラーを取り付

け、合わせてサイド・ウインドーとレギ

ュレーダー・ハンドルも組み付けた。

ソフトトップを装着するのはその後だ

が、こちらはさすがに流用は利かないい状

態であり、新製した。もちろん、リア・

クォーター・ウインドーを持たないこと

や、リア・ウインドーがジッパーで開閉

可能である点といった特徴は、そのまま

受け継いでいる。一方幌骨は、錆落とし

なでの清掃を行った後シルバー塗装を施

して使った。

こうしてキャビン周りがカ仕上がったら、

フェンダー・ミラー、エンプレムを付け、

トランク・ルーム内にS 5 0 0独自の装備で

あるツール・ポックスを固定し、最後に

シートを装着して終わりとなる。シート

は、フレームは細かいクラックが入って

いたので溶接するとともに、背中の部分

に補強板を入れ、スポンジも形を取り直

した後補強を施した。表面のビニール・

レザーの色は、オリジナルに近く、しか

も雰田気的に良いものを選んだという。

なおエンブレムは、現在もパーツが供給

されてはいるが、岩佐氏は敢えてストッ

クしてあった昔のパーツを用いた。本来

はアンチモニー製のクローム・メッキ仕

上げなのだが、現在のパーツはアルミ製

なのである。

外観や室内におけるS 5 00の特徴につい

ては、今回は別のページで解説してい

るので、そちらをご覧いただきたい。

さて、ポディへのパーツの装着がひと

通り完了したら、いよいよシャシーとの

合体である。まずシャシー側にフューエ

ハーネス、外装関係

.エンジン・ルーム向かって右側に張り巡らされたワイヤ・ハーネス。もちろん新品を使用した。 .フィーズ・ボックスは、S500とS600の前期モデルでは、ケースが透明アクリルとなっている。それ以降は黒いプラスティック製。 .フューエル・フィラー・キャップは、S 8 0 0のものと比べると高さが低い。 .ブレーキとクラッチのマスター・シリンダー。S 6 0 0前期型まではキャップが金属製、それ以降のモデルはプラスティック製となる。 .グリル、ヘッドランプ、ウインカー・レンズを取り付けたフロント・エンド。他のホンダ・スポーツとはひと味違った、S 5 0 0ならではの顔だ。 .同じく、テール・ランプとライセンス・ランプを装着後のリア・エンド。この後バンパーを取り付ければこの部分は完成だ。

本誌が1 8 8号から連載を続けてきたホンダS 5 00のレストレーション記事も、

今号で最終回を迎えることになった。前のページで詳しく触れた、

あの素晴らしいコンディションの エ゙スゴ″も、

ここで紹介する念入り仕上げ作業がなければ生まれ得なかったのである。

FINISH OFR E S TO R AT I O N

ガラス細工の結晶。

6

5

5 6

2 3

1

4

43

21

Page 9: 橡 Car-Magazine No,191Title 橡 Car-Magazine No,191 Author 橡 カーマガジン社 Created Date 3/18/2001 10:15:04 PM

熟達の技と拘りの心によって1 9 6 0年代の香りもそのままに蘇ったシャシーN o . A S 2 80‐6 4 - 1 0 3 7 2。

Page 10: 橡 Car-Magazine No,191Title 橡 Car-Magazine No,191 Author 橡 カーマガジン社 Created Date 3/18/2001 10:15:04 PM

シート、その他

.シートの装着は内装まわりでは最後に行った。写真はドライバーズ・シートを装着中のカットで、

手前の助手席側はすでに設置されている。 .一見単なる新品にしか見えないシート。しかしその中身

は、フレームとクッションの補強など、かなり手が加えられている。表面のビニール・レザーの色は、

オリジナルに近いことを条件に雰囲気重視で選んだという。 .シート裏側に付くスライド調節用レバ

ー。 .エンブレムはガレージ・イワサに昔からストックしてあったアンチモニー製のものを使用。ち

なみにこのパーツは今でも供給されているが、そち

らは材質がアルミとなってしまうという。 .トラン

ク・ルームに装着されるツール・ボックスも、この

ようにきれいに仕上がった。 .塗装が終わり、あと

はタイヤの取り付けを待りばかりのホイ―ル。内装、メーター類

.メーター類や内装を仕上げる前に、ドアにサイド・

ウインドーを取り付けている。 .メーター・パネル。

トリップ・メーターの備えがなく、しかも目盛りが1 6 0 k m

/hまでのスピード・メーターなど、S 5 0 0ならでは

の特徴が発見できる。ちなみにパネル表面は、S 8 00か

ら黒色仕上げとなった。 .ペダル、メーター・パネル、

スイッチ・パネル、センター・コンソールなどを取り

付けたところ。 .シートの間に位置するシート・べル

トのホルダーはS 5 00のみに付く装備。なぜS 6 0 0以降で

は消滅してしまったのだろうか。

ル・パイプを取り付け、マウント・ラバ

ー/ボルトを所定の位置に備える。そし

て、リフトにボディを乗せ、位置決めを

入念に行い、傷が付かないように注意し

ながらボディを下ろしていく。この時に、

先ほど付けたフュ―エル・パイプはボデ

ィ側の所定の穴に通している。その後ボ

ディとシャシーが完全に接合したら、今

度は一緒に持ち上げ、マウント・ボルト

を締めて完了となった。

続いてエンジン/トランスミッション

を、これもポディとの接触に注意しなが

ら積み込み、同時にミッションとプロペ

ラシャフトをつなぐ。正確な位置に収ま

ったところで計4カ所のマウントを固定

した後、マフラーや補器類を装着し、パ

イプやホース類を接続。そして各オイル、

冷却水を入れて漏れをチェックし、スイ

ッチ類の作動を点検するとともに、ブレ

ーキの利き具合も確認していく。特に問

題は見られず、これで完成となった。

幸いにしてテスト始動/走行での異常

も見られなかったが、作業が終了したの

はニューイヤーミーティングの前の晩、

1 0時頃だった。しかし、今まで多くのエ

スを手掛けてきたガレージ・イワサの技

と、岩佐氏の拘りによって、このS 5 00

は素晴らしい1台に仕上がったと言える。

別のページの写真によって、皆さんにも

それはお分かりいただけるだろう。

鈴鹿は私にと っ て特別な意味を持つサ

ーキ ッ トである゛とは 、 一昨年に A ・ セナ

が語 っ た名台詞だが 、 それは私にと っ ても

ある いは全世界の

エ ス ・ フリーク゛にと 

っ ても、 思 い入れのプ ロ セ ス こそ違えど結

論は多分セナと同じ言葉にな っ て しまうで

あろう 。 それほど鈴鹿サ ーキ ッ トと エ ス の

関係は切 っ ても切れな いもの であるが 、 昨

年秋に私が こ のサ ーキ ッ トで体験した こと

は、 今更ながらやはり

鈴鹿ではなくては

と思わ せ る に十分な出来事だ っ た。 

今、 こ の原稿を書 い て い る私の住む札幌

は数十年振りの大雪に見舞われ 、 窓の外に

は3メ ー ト ル程まで に積み上げられた雪の

壁。 それを眺めながら昨年の10月30、 31日

の貴重な体験を思 い起こ して い る のだが 、 

いまだに現実感が湧かず夢の中の出来事

だ っ た ような意識か ら抜け出せ な い で い る 。 

それは昨年で14回を数える

ホ ン ダ ・ エ ス゛

の全国ミーテ ィ ングである

オールジ ャ パ 

ン ・ ホ ン ダ ・ ス ポ ー ツ ・ ミ ー テ ィ ン グ゛に

参加したときの ことであ っ た。 

はるばる東京から誘 っ てくださ っ た のは

ガ レ ージ ・ イワサを営む岩佐氏で、 岩佐氏

が レ ス ト アを手掛けたS500を鈴鹿に持

ち込む際にご一緒できると いう願 っ てもな 

い チ ャ ン ス であ っ た。 

実は こ こ数年、 仕事の関係で年に数回上

京する機会があり 、 その度にガ レ ージ ・ イ

ワサ へ 立ち寄りS500の レ ス ト ア の様子

を拝見した経緯があ っ た。 こ のS500に

関しては段階を経て つ ぶさ に レ ス ト ア作業

の流れを観察させ てもら い 、 その都度撮影

した写真もかなりの量にな っ て い て、 貴重

な資料として大切に保管してある。 

それ故に 、 レ ス ト アを最後まで見届ける

意味でも今回の ような機会が あれ ばと思 っ 

て いた のだが 、 まさか サ ーキ ッ ト走行、 そ

れもパ レ ー ドのみならずス ポ ー ツ走行もさ

せ て頂けるとは予想して いなか っ たため、 

心の準備もままならな い状態で S 5 0 0を

走らせ る ことにな っ た。 

レ ス ト アが仕上が っ たばか りのS500

は 、 機関関係も含め慣らしすら終えて いな 

い新車と変わらな い コ ン デ ィ シ ョ ン 。 前日

の雨が嘘のように晴れ上が っ た鈴鹿サ ーキ 

ッ トのピ ッ ト ロ ー ドに置かれたネ イ ビ ープ 

ル ー のボデ ィ は 、 魅力的な輝きを発散させ

周囲の注目を一身に浴び て いた。 

こ の岩佐氏のS500が レ ス ト アされる

以前の ことは知る術もな いが 、 か つ てこ の

サ ーキ ッ トを い っ た い何台の エ スがテ ス ト

走行、 ある い は レ ー ス等で駆け抜けて い っ 

た ことか ・ ・ ・ ・ ・ ・ 

そ して ニ ュ ー ・ カ ー ・ コ ン 

デ ィ シ ョ ン のS500が鈴鹿を走る機会な

ど今後はほとんどな い であろうことを考え

ると、 何か感慨深 い思 い にとらわれた。 

チ ェ ー ン ・ ドラ イブ ・ クラブを主催する 、 

フ ェ ラ ー リ レ ッ ド 、 レ フト ハ ン ダ ー の エ ス 

ロ クのオ ー ナ ー である角田氏からブ レ ゼ ン 

トされたと いう岩佐氏のA ・ セナ仕様、 ブ

ラジル ・ カラ ー ・ ヘ ル メ ッ トを借り受け 、 

胸ときめ か せ て サ ー キ ッ トを数周ド ラ イ ブ 。 

ほとんど気持ちが舞 い上が っ た状態であ っ 

たが 、 意外やま っ たく不安なく鈴鹿の各 コ 

ー ナ ーを結構なス ピ ー ドでクリア できた こ

とは 、 正直なところ驚きであ っ た。 

ダン パ ーをはじめま っ たくス タン ダ ー ド

な状態でありながら 、 現在の ス ポ ー ツ ・ カ 

ー の水準と比較しても遜色のな い フ ィ ー リ

ン グを持 っ て いたが 、 これは エ ンジン やシ 

ャ シ ー 、 ポデ ィ がバ ラン ス良くまとま っ た

上での微妙な相乗効果よるものだろう 。 

これまで にそう多くはな いが 、 いちおう

私自身が所有するS600を含めて、 様々

な エ ス で レ ー ス に出場したりワ イ ン デ ィ ン 

グ ・ ロ ー ドを走り込んだり したが 、 その度

に単なるス ペ ッ クでは語れな い

何か゛に

魅せられて エ ス の虜にな っ て い る。 そ して

今回のS500と鈴鹿サ ーキ ッ トの組み合

わ せ は 、 その究極の体験であ っ たと言 い切

る ことが できる。 

エ ス の原点、 すなわちグラン プリ ・ エ ン

ジ ン並の構成を持ちそ のまま ス ケ ー ル ダ ウ

ン した超精密模型の如き内燃機関を コ ン パ 

クトなボデ ィ で包み込んだ エ ス ・ シリーズ 

の原点が 、 S500である ことは頭ではあ

る程度納得して いたが 、 違 いが これほどま

で に体感できるとは思 っ て いなか っ た。 例

えるならば箱庭、 茶室などの日本独特の凝

縮さ れ た空間 に お け る宇宙的拡が りを演出

させ る手法に何か近 いものすら感じ 、 また

その辺りの強烈な印象に於 い ては S 6 0 0

やS800の比ではな いと思う 。 

今にして思えば、 私のそう長くな い エ ス

とのク ル マ趣味生活の中で最高の ひと時だ 

っ たと実感し 、 貴重な体験を得る にあた っ 

て骨を折 っ て いただ いた岩佐氏と、 こ のイ

べ ン トを毎年精力的に盛り上げてくれて い 

る谷村氏をはじめとした大阪ホ ン ダ ・ ツ イ 

ン カム ・ クラブの方々 に誌面を通じて お礼

を申し上げた い気持ちで一杯です 。 

S 5 00スズカを走るこのS 5 0 0は昨年のニューイヤー・ミーティングでお

露目された後、第1 4回オールジャパン・ホンダ・

スポーツ・ミーティングで、鈴鹿サーキット走ってい

る。その際、ステアリングを握ったホンダ・ツインカ

ム。クラブ北海道支部の堺 正周さんに、Sのサー

キットでの印象をレポートしていただいた。

r e p o r t : M a s a c h i k a - S A K AI (堺 正周)

7

8

9

10

10

987

1 1

1 2

1 31 4

1 5

1 6

1 1

1 2

1 3 1 4 1 5 1 6

Page 11: 橡 Car-Magazine No,191Title 橡 Car-Magazine No,191 Author 橡 カーマガジン社 Created Date 3/18/2001 10:15:04 PM

ボディ/シャシーの合体

.シャシーとの合体作業の前に、ボディ下側にブレーキ・パイプを装着する。 .こちらはフ

レームに取り付けられたフューエル・パイプ。 .ボディをリフトに載せ、ホイ―ル/タイヤを

装着したシャシーはしっかり位置決めし、リフトを下ろしていく。 .ここから先が正念場。ボ

ディに傷が付かないように、少しずつ確認しながらリフトを動かしていく。 .無事にボデ

ィとシャシーが合体した。これはエンジン・ルーム内部で、パイピングが整備された後の状態。 .

最後に合計2 4本のマウント・ボルトを締めて、合体は完了。

1 7 1 8

1 92 0

2 12 2

1 7

2 0

2 2

2 1

1 8

1 9

完成後の各部

.下から見たエンジンとフロント・サスペンション周辺。 .やはり下から覗いたプロペラ・シャフト。奥にディファレンシャル・ケースが見える。 .芸術的な曲線を描くエグゾースト・マ二フォールドはこのように2本にまとめられ、 .サイレンサーを通過した後左右に振り分けられ、 .リア・エンド左右に突き出す。

2 72 8

2 9

3 0

3 1

3 1

3 0

2 82 7

2 9

エンジン搭載

.まずはチェーン・ブロックでエンジン/トランスミッションを吊り上げる。第1回で紹介した取り出しの時と同じような状況だが、コンディションは全く正反対だ。 .トランスミッションの先端をセンター・トンネルに入れ、押し込むようにしながら下ろしていく。 .ボディ/シャシーの合体の時と同様、ボディに傷が付かないように最新の注意を払いながら作業は進められた。ミッションとプロペラ・シャフトを接続後、最終的な位量決めを行う。 .積み込み完了直後の写真。

2 3

2 42 5

2 6

2 3

2 4

2 5

2 6

長い眠りから覚めた瞬間。

精密機械のツインカム・エンジン、曲線美を誇るエグゾースト、すべてが新車の匂いを取り戻した。