5
CREATOR'S FILE biz.toppan.co.jp/gainfo クリエーターズファイル 1 40 ©2009 TOPPAN/GAC vol.46 Feb.27, 2009 大溝 裕 OHMIZO HIROSHI 23 No. 1 デザイナーとしてきるということ 不況をものともせず集客力るイベントである美術展その数々美術展のプロモーションをは じめ幅広分野仕事けているアートディレクターが大溝裕氏これまでののりをお きしてみると紆余曲折あるでもらの理想実現するためにまさにをデザインしてきたと いう印象GA info. / CREATOR'S FILE vol.46 Feb.27, 2009 おおみぞひろし グラフィックデザイナー 1963 年奈良県生まれ京都精華大学卒業後水谷事務所などを1998 にフリーとして独立2001 Glanz設立した展覧会美術展のアートディレクションで有名最近仕事、「巨匠ピカソ」(国立新美術館サントリー美術館朝日新聞社 テレビ朝日)、「青春のロシアアヴァンギャルド」(Bunkamura)、「バウハウスデッサウ」(東京藝術大学大学美術館産経新 聞社)、 MOT アニュアル 2008きほぐすとき」(東京都現代美術館)、「ルーブル美術館展」(東京都美術館朝日新聞社)、「アンコー ナスカ」(国立科学博物館TBSなどJAGDA 会員www.glanz-web.com/index.html

cf 23 090227 fix - 凸版印刷2 方面でとがっている連中なわけで、非常に大きな ショックを受けました。 予備校だから、デッサンとか勉強もしなければ

  • Upload
    others

  • View
    1

  • Download
    0

Embed Size (px)

Citation preview

  • CREATOR'S FILE

    b i z . t o p p a n . c o . j p / g a i n f o

    クリエーターズファイル

    1

    自然の中でのびのびと育った子どもの頃

     

    奈良の田舎、周囲は山と田んぼという中で生ま

    れ育ちました。夏休みともなれば、40日間、ほぼ

    毎日クワガタ獲りをしたり、冬は冬で稲刈り後の

    田んぼでサッカーをしたり、のびのびと遊んでい

    ましたね。小さい頃にはマンガを描いたりしてい

    たけど、それも小学校の低学年まで。それ以降は

    サッカーが好きで、少年団のチームにも入り、海

    外のサッカーに憧れ、将来はドイツに行ってプロ

    サッカー選手になることを真剣に考えていました。

    高校も、高校サッカー選手権に出場することしか

    考えてなくて、それで進学先を選んだくらいです。

     

    でも高校3年になって、将来サッカーで食べて

    いけるかといったら、そんな才能があるわけでも

    なく…どうしようとなった時に、絵を描くことも

    好きだったなと思い出して。その延長でデザイン

    という仕事があるらしい、そっちに行ってみよう

    と、それくらいの軽い感じで美大を目指すことに

    しました。もちろん、デザインがどんなことをす

    る仕事なのか、まったくわかっていませんでした。

     

    とはいえ、すぐに美大に行けるわけもなく、1

    年浪人して、大阪の予備校に通いました。そこで

    生活ががらっと変わりました。

     

    それまでは本当にサッカー一色の生活で、映

    画や音楽といった文化的なものに触れながら高校

    生活を送っていたわけでもなく、服にしても1年

    365日ジャージという感じ。

     

    でも予備校の友人は当然ながら、絵を描いてい

    たり、映画やファッションにも敏感な、そういう

    © 2 0 0 9 T O P PA N / G A C

    vol.46 Feb.27, 2009

    大溝 裕O H M I Z O H I R O S H I

    23 No.

    第 1 話 「デザイナーとして生きるということ」不況をものともせず、高い集客力を誇るイベントである美術展。その数々の美術展のプロモーションをはじめ、幅広い分野で質の高い仕事を続けているアートディレクターが大溝裕氏だ。これまでの道のりをお聞きしてみると、紆余曲折ある中でも自らの理想を実現するために、まさに生き方をデザインしてきたという印象が強い。

    G A i n f o . / C R E AT O R ' S F I L E v o l . 4 6 F e b . 2 7 , 2 0 0 9

    おおみぞひろしグラフィックデザイナー1963年奈良県生まれ。京都精華大学卒業後、水谷事務所などを経て 1998年にフリーとして独立、2001年に「Glanz」を設立した。特に展覧会・美術展のアートディレクションで有名。最近の仕事は、「巨匠ピカソ展」(国立新美術館/サントリー美術館/朝日新聞社/テレビ朝日)、「青春のロシア・アヴァンギャルド」(Bunkamura)、「バウハウス・デッサウ展」(東京藝術大学大学美術館/産経新聞社)、MOTアニュアル 2008「解きほぐすとき」(東京都現代美術館)、「ルーブル美術館展」(東京都美術館/朝日新聞社)、「アンコール・ナスカ展」(国立科学博物館/ TBS)など。JAGDA 会員。www.glanz-web.com/index.html

    デザイナーとして

    生きるということ

  • 2

    方面でとがっている連中なわけで、非常に大きな

    ショックを受けました。

     

    予備校だから、デッサンとか勉強もしなければ

    ならないんだけど、みんなの話していることにつ

    いていくことからだと(笑)。

    自由で楽しかった美大時代

     

    1年浪人して、ろくに勉強もせずに、ひたすら

    仲間と遊んでいたにもかかわらず、運良く京都精

    華大学に進学できました。

     

    ここは一風変わった学校でしたね。デザイン科と

    いってもいわゆるデザインの実習のようなものは

    ほとんどなかった。たとえば3回生の時のゼミでは

    映画を1本作りなさいというものが課題でした。映

    画制作の中で僕は美術監督を担当して、ゼミの仲間

    や後輩に声をかけてセットを手作りし、そんな中で

    人と一緒にモノを作る難しさと楽しさを学んだり、

    今となっては、すごく良かったなと思います。その

    かわり就職の時にはすごく困ったんですけど(笑)。

     

    僕が大学生の頃は日比野克彦さんやタナカノリ

    ユキさんが出てきた頃で、「日本グラフィック展」

    がすごく盛り上がっていた時代。僕らの間でも、

    そこに応募して評価されることが登竜門のように

    なっていて、ひとつの大きな目標でした。そこに

    向けて、ひたすら絵を描いていた時期でもあります。

     

    描いていたのは、黒いフチドリに、赤、黄、グリー

    ン、ブルー、蛍光ピンクなど原色だけの有機的な色面

    構成というか、今、露出している「アーツ&クラフツ展」

    のメインビジュアルにどことなく近い感じもあります。

     

    最近よく思うのは、根っこの部分はいつまで経っ

    ても変わらないなと。自分の育った環境とかそう

    いったものが自然と出てくるんだなと思います。

    あとは、そういう部分と有機的な線とビビッドな

    色のミスマッチ感がもしかしたらウケるかなとい

    う計算も入っていたりします。

     

    そういえば小さい頃から赤が好きで、この頃は

    とにかく自分がグッとくる赤を作り出すのが楽し

    くて、絵の具のこの赤とこの赤とこの赤を、これ

    くらいの割合で混ぜたらすごくきれい!とか、理

    想とする赤を見つけるためにあれこれ試行錯誤し

    て、うまくできるとすごく興奮したりしていました。

    あきらめたらそこで道は閉ざされる

     

    3回生までは楽しくやっていたんだけど、4回

    生になって、将来どうしようかという時に、デザ

    イン科にいるのだからデザインだろうくらいの感

    じで、でも相変わらずデザインとか業界のことに

    は疎いままでしたね。

     

    今でもお世話になっている先生に、大溝は東京

    へ行けと言われました。というのも大阪のビジネ

    スの世界は義理人情の部分が強いので、僕にはそ

    こでうまく立ち回るような真似はできないだろう

    と。でも東京ならおもしろがってくれる人がいる

    はずだから、そういう人が見つかるまでガマンし

    てやってこいと言われて、自分ではその意味もよ

    くわからないままに、就職活動をはじめました。

     

    ADC年鑑を見て、名前を調べて電話をして

    「ちょっと作品を見てください」というような感じで、

    大溝 裕 第 1 話no.23

    © 2 0 0 9 T O P PA N / G A CG A i n f o . / C R E AT O R ' S F I L E v o l . 4 6 F e b . 2 7 , 2 0 0 9

    美大時代に制作した映画のセット(右も同様)

  • 3

    単なる田舎者が憧れだけで当たって砕けてを繰り

    返しているうちに、卒業式を迎えることになって。

    最終的に先輩の知り合いのつてを頼って、ある制

    作会社に入ることができ、東京に出てきたのです。

     

    今、僕の事務所にも、当時の僕みたいな若い人

    が問い合わせてくることがありますが、募集の予

    定はないと言うと、10人のうち9人は簡単にあき

    らめてしまう。それが僕には不思議です。

     

    残りの1人はそれでも作品を見てくださいとか、

    会うだけでも会ってくださいとか、あきらめずに

    食い下がってくる。そういう人には時間を取って

    会うようにしています。かつて、大御所の人たち

    が僕にしてくれたように。最近の若い人たちはい

    い意味で大人なのかなと思うけれど、自分の目指

    す道なんだから、もっとしつこくなってもいいん

    じゃないかと思います。

    転職、挫折、そして天職へ

     

    最初に入った会社は小さな制作会社で、東レの

    仕事をメインにやっていました。そこでの初仕事

    は段ボール箱のデザイン。デザインというより、

    文字情報を適当な位置に配置するだけのもので、

    デザインとは言えないくらいのものでした。

     

    とにかく、早くステップアップしたい、おも

    しろい仕事がしたいと焦りながら、入稿の方法と

    か指定紙の作り方のような、実務的なことだけは

    しっかり覚えようと思っていました。

     

    でも、そんな中で、写植文字を切り貼りして文字

    詰めをしていく作業や、モンセン(欧文書体見本帳)

    を切り貼りしてロゴを作ったりしながら、ちょっとし

    たことで文字の表情が変わってしまうことがわかっ

    てくると、それがおもしろくなってきたりもしました。

     

    そうこうしているうちに、ちょっとした縁が

    あって清水正己さんの事務所でお手伝いさせても

    らうことになりました。華やかな仕事をしている

    憧れの世界でしたが、いざ入ってみると現実は想

    像以上に厳しくて。毎日怒られてばっかりだし、

    あれほど楽しそうに見えていた仕事が、全然楽し

    めなくて、心身ともに疲れ果てて4ヶ月ほどでク

    ビになりました。この時は本当に自分の力の無さ

    や才能の無さを実感し、デザインそのものを辞め

    ようと真剣に考えました。

     

    でも、他に何ができるわけでもないし、もう一

    度思い直し、それで今度はわりと大手の制作会社

    に入ったら、そこでは変なストレスはないけど仕

    事は全然おもしろくない。

     

    どうにかしないと、と悶々としている時に、や

    はり縁があって、水谷孝次さんの事務所に呼ばれ

    ることになったのです。やっていけるのか不安も

    ありましたが、逆に、苦い思いをしたことは身体

    で覚えていたので、それを踏まえてやればできる

    かなと、飛び込んでいくことにしました。

    仕事は自分から獲りに行け

     

    水谷事務所での初仕事は、当時、大阪の弁天町

    にオープンするという西武系のアミューズメント

    施設のロゴマーク制作です。

     

    その頃、僕は水谷事務所に移ることを決めては

    第 1 話大溝 裕no.23

    © 2 0 0 9 T O P PA N / G A CG A i n f o . / C R E AT O R ' S F I L E v o l . 4 6 F e b . 2 7 , 2 0 0 9

    『Warhol Polaroid Portraits』Miyake Fine Art 2007

    「TCK」 ポスター水谷事務所にいたときの仕事

  • 4

    いたものの、まだ制作会社に所属していました。

     

    会社の仕事が終わったら、夜、水谷事務所に行っ

    て、もうその時間には誰もいないんだけど、ロゴ

    を作って水谷さんのデスクに置いておく、という

    ようなことを毎晩のようにやっていました。最終

    的に僕の案が採用され、それがカタチになったの

    で、それは本当に嬉しかったですね。

     

    で、そんな掛け持ちをしたというのも、清水事

    務所の頃に、待っていたら絶対にダメということ

    を学んだからでした。仕事というのは自分から獲

    りに行くくらいじゃないとダメなんです。

     

    制作会社で仕事をしていると、夕方になると水

    谷さんから毎日のように電話が来るんです。「今

    日は来ないの? 

    まだ来ないの?」って(笑)。

     

    そこで、ある時こっちから電話してやろうと。

    そうすると向こうも「あ、いや、今日は適当でい

    いから」と、少しトーンが下がったりする。

     

    かけ引きというのか、やはりこちらが引いてし

    まうと、押されてしまうものなんですね。だから

    引かないというのか、待っているのではなく、自

    分から主体的に動かないといけないということは

    清水事務所時代の教訓でもあります。そうするこ

    とで仕事はどんどん楽しくなっていきます。

    さらなるステップアップのために

     

    そうこうしているうちに、気づいたら7年も居

    着いていました。独立してから約10年、「G

    lanz

    という個人事務所を立ち上げて8年が経ちました。

     「Glanz

    」はドイツ語で「艶」という意味です。

    第 1 話大溝 裕no.23

    © 2 0 0 9 T O P PA N / G A CG A i n f o . / C R E AT O R ' S F I L E v o l . 4 6 F e b . 2 7 , 2 0 0 9

    「生活と芸術-アーツ&クラフツ展」東京都美術館/朝日新聞社 2008~2009

    「バウハウス・デッサウ展」東京藝術大学大学美術館/宇都宮美術館/産経新聞社 2008~2009

  • interview:2009.1

    C R E AT O R ' S F I L E vol.462009年2月27日発行

    発行・企画・編集

    凸版印刷株式会社情報コミュニケーション事業本部

    グラフィック・アーツ・センター

    〒112-8531東京都文京区水道1-3-3TEL.03-5840-4058http://biz.toppan.co.jp/gainfo

    取材:中村仁美 野崎優彦 田中一也

    撮影:西村 広

    文:野崎優彦

    編集:中村仁美 野崎優彦

    5

    僕は艶っぽいものが好きなのですが、それは単純

    に表面がツヤツヤしているというだけでなく、世

    の中に対して色鮮やかにデザインを提示していき

    たいという想いがこもっています。

     

    今はたまたま美術展の仕事などでいい評価をい

    ただいていますが、この先、もうひとつ上のステー

    ジに行くためには、何をどうすればいいのかとい

    うことが最近のテーマです。

     

    思えば、水谷事務所にいた頃は、またひとつで

    きるようになった、ステップアップしたという感

    覚が何度かありました。それはやはりバックにボ

    スがいてくれるという安心感の中で、デザインに

    集中でき、学ぶことも多かったため、リアルに感

    じることができたのかもしれません。

     

    でも独立してからはそんな悠長なことは言って

    いられなくて、日々半歩ずつ進んで、ここまで来

    られたというのが実感なんですね。で、半歩ずつ

    の歩みで到達できるところまでは来てしまった、

    そこからは半歩でなくジャンプアップが必要とい

    うところに自分がいるような気がしています。

     

    今の状況が続くのか、さらに上に行けるかの分

    岐点といえる時期で、ジャンプアップのために、

    何が必要なのか、今まさに考えているところです。

     

    たとえば大きな企業でも小さな会社でもいいん

    だけど、そこに丸ごと関われるブランディングの

    仕事がしたいとか、そんな当り前のことではなく、

    もっとはっきりしたもの、もっとリアルに「自分

    はこれ!」と言えるものを見つけたい。

     

    それが僕にとって本当に転機となる仕事、胸を

    張って代表作だと言えるような仕事になるんじゃ

    ないかと予感しています。

    第 1 話大溝 裕no.23

    © 2 0 0 9 T O P PA N / G A CG A i n f o . / C R E AT O R ' S F I L E v o l . 4 6 F e b . 2 7 , 2 0 0 9

    「インシデンタル・アフェアーズ」サントリーミュージアム[天保山] 2009

    用紙はアルグラス。タイポグラフィの太字のみ紙地を生かし、その他の文字にはオペークホワイトをひいている。背景にはオペークホワイトと偏光パールインキを、テキストには特色マゼンダを使用。シルクスクリーン印刷。

    (左)MOTアニュアル2008 「解きほぐすとき」東京都現代美術館 2008

    クラフト紙にオペークホワイトを刷り、紙地を生かしたデザインとなっている。