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野口 健2015年春 ヒマラヤ遠征時
ネパールで大地震に遭遇
認定 NPO 法人ピーク・エイド 理事長 野口健
2015 年 5 月 22 日「ヒマラヤ大震災」記者会見資料
資料の画像データは、全て野口健の公式 WEB や Facebook などからご活用ください。
スライドで使用した画像につきましては、以下の URL よりダウンロードが 可能です。
http://www.noguchi-ken.com/DL/photo_20150522.zip ID:himalaya パスワード:earthquake
2015.04.25
ネパール大地震発生時から
今日までの活動記録
及び、被害状況調査報告野口健が現地にてこの大地震に遭遇してから、約1ヶ月。
現地に留まり、村々を歩いて回り、被害状況を調査しました。
これをもとに、今後の復興支援を的確に行っていきます。
■ 4 月 26 日 被災地の支援を行います
ネパール国内で甚大な被害が起きています。カトマンズ市内の被害が大きく報道されておりますが、エベレスト街道沿いの村々
やマナスル地域のサマ村でも大きな被害が出ています。当団体は、昨年「エベレスト・富士山姉妹山の提携」を行い、交流を
重ねていた、エベレスト街道沿いの村、また、マナスル地域のサマ村の支援を行っていくことと致しました。物資の支援に関
しましては、受け入れ態勢が整っておらず、現状は受け付けていません。
■ 4 月 25 日 ヒマラヤ滞在中、ネパールにて大地震が発生
ゴーキョピークからロブチェピークへ移動している時、昨日のお昼 12 時前、4500m の斜面を横に移動している最中に地震
が起きました。その時は、吹雪で視界がほとんどなく足元が揺らいだんですが、その時は土砂崩れかなと思いました。揺れが
30 秒くらい続いたんですが、横揺れが始まった直後に、まわりの斜面のいたるところから雪崩と落石の音がこだまして、ま
るで爆音で、どこで何が起きているのかわかりませんでした。僕とシェルパは、しゃがんでじっとしていました。真っ白な中、
落石が落ちてくるので、10 分くらい、岩陰などに隠れてじっとしていました。何が起きているのか、全くわかりませんでした。
シェルパが言うには、こんな大きな地震は経験したことないと言っていました。ただ、山の中だったので、状況がわからず、
とにかく、3800m くらいにポルツェという村まで降りてきました。村に降りてきたときに、あちこちのシェルパの家が壊れ
ていて、大きな地震が起きたんだなとわかりました。僕たちが泊まったロッジも 3 分の1くらいは屋根が壊れていて、部屋や
廊下に石が散乱している状況でした。村について、いろんなシェルパに話しを聞いて、今、雄一の情報はネパールのラジオで、
カトマンズでも大きな被害が起きているとかわかりました。
ナムチェバザールというシェルパの大きな村があるのですが、そこも、被害が大きいとか。ラジオの情報では、エベレストの
隣にプモリという山があるのですが、そこの氷河が崩れて大きな雪崩がベースキャンプを襲い、登山隊、シェルパ11人が犠
牲になったと報道されています。
ポルツェ村の上空もヘリがかなり飛んでいて、エベレスト方面にレスキューに行っているのだと思います。
一緒に同行しているシェルパの家がクムジュンにあるのですが、そこの被害も大きいというので、これから、シェルパの家族
の確認にクムジュンに行きます。
■ 4 月 27 日 地震後、村に降りてきました
クムジュン村まで降りてきましたが・・・。多くの家が崩壊
しています。今日も 13 時に大きな余震があり、私がいた小屋
の壁が崩れました。余震が続き家は危ないと村人の大半はテ
ント生活。ナムチェバザール村の被害はさらに深刻とのこと。
しばらくここクムジュンに待機する予定です。
■ 4 月 28 日 陸路が断たれ、輸送用の大型ヘリが必要
輸送用の大型ヘリが数機しかないネパール。陸路は土砂崩れにより至る所が寸断されている。特に山岳地帯でのレスキューや
救援物資の輸送にはヘリが欠かせない。ネパールの大半は山岳地帯であり、被災地の多くが山間部でもある。自衛隊がネパー
ル入りするとの情報がありましたが、自衛隊の大型ヘリをネパールに持ってくるのは無理なのだろうか。
■ 4 月 27 日
余震が続き、常に恐怖がつきまとう
余震も続き、今日の 13 時には最大級の余震が。僕が休憩中のロッジは音をたてて
壁が崩壊。慌てて手表に飛び出した。それ以外にも多くの住宅がこの余震により崩
れた。
この春のシーズンは例年よりはるかに雪が降り続けてた。上部では雪が積もりに積
もり、3000M 以下では連日の雨。そんな最悪なタイミングで巨大地震。上部では
雪崩や氷河の崩壊による被害。それだけではない。標高が低ければ雨によって緩ん
だ斜面からの土砂崩れによる被害。この度の地震は実に様々な被害を引き起こした。
あの中から潜り抜けクムジュン村まで下ってきましたが、変わり果てたクムジュ
ン村の姿に心が引き裂かれるような。ガックリさせられた。もう登山どころではない。
僕は明日からしばらくここクムジュンをベースに周辺の村々を訪ねて歩こうと思う。
どれだけの被害がでてしまったのか。この目で確かめたい。
これからしばらく余震が続くでしょう。これまでにも散々揺さぶれれ続けてきたわ
けで、もう十分過ぎるほど氷河も土壌も緩みきっているはずである。ちょっとした
揺れにも素直に反応してしまうだろう。しばらくは登山活動は考えられない。また、
今はそんな状況でもない。それにしても、疲れました。本当に。
明日からは気持ちを切り替えて自身に与えられた役割に向かってやるべきことをや
りたい。
2015 年 4 月 25 日、ネパールにおいてマグニチュード 7.8 の大きな地震が発生し、甚大な被害がもたらされております。
当団体は、昨年に行った「エベレスト・富士山姉妹山の提携」により深く交流のあるエベレスト街道沿いの村、及び、日
本隊が初登頂をしたマナスル峰ふもとのサマ村の支援に尽力すべく、基金を募っております。地震により発生した雪崩や
落石、土砂崩れにより多くのシェルパたち(登山ガイド)や村人たちが犠牲となりました。またエベレスト街道では多く
のロッジや民家が倒壊しました。エベレスト街道はネパールでもっとも有名な観光地です。ネパールにとって観光業は経
済的に大きなウエートを占めています。ネパールの復興のためにもエベレスト街道などの復興はとても大切です。「野口健
ヒマラヤ大震災基金」ではネパール山岳協会と連携しながら被害にあった村々の青年会や婦人会に直接届く支援をしてい
きます。東日本大震災ではネパールから多くのご支援を頂きました。今度は私たちの番です。どうか、日本の皆さんのお
力をお貸しください。必ず、目に見えた支援を全身全霊を傾けて行います。復興まで、長い長い活動になります。ネパー
ルを助けるため、ご支援のほど、どうかどうか宜しくお願いいたします。
私が直接現地に訪れ、現場の方々の声を聞き、皆さんからいただいたご支援を必ずお届けいたします。
野口健は使命を持って、この活動を全ういたします。
● 銀行、郵便振替をご利用の方に領収書をお送りいたします。銀行の場合、氏名・住所・電話番号をメール又はお電話にてご連絡ください。郵便振替の場合は、通信欄に氏名・住所・ヒマラヤ大地震とご記入ください。Yahoo! ネット募金の場合、システム上の理由により領収書をお出しできません。 ● 振込手数料はご自身にてご負担願います。 ● 物資の支援は、受け入れ態勢が整っていないので受け付けておりません。 ● 掲載内容は 2015 年 5 月1日現在のものです。
2015.4.25
野口健ヒマラヤ大震災基金
ご寄付はこちらよりお願いいたします
認定NPO法人ピーク・エイド / PEAK AID〒102-0093 東京都千代田区平河町 2-7-5 砂防会館本館 2 階 TEL. 03-5213-4403 Mail. [email protected] Web. http://www.peak-aid.or.jp
■ 郵便振替
口座番号 00100-2-777583加入者名 NPO 法人ピーク・エイド
( 旧 NPO 法人セブンサミッツ持続社会機構 )■ 銀行口座
みずほ銀行 市ヶ谷支店普通 8035335NPO 法人ピーク・エイド
( エヌピーオーホウジンピークエイド )
■ Yahoo! ネット募金
クレジットカード、T ポイントご利用donation.yahoo.co.jp/detail/3123003/
ネパールの被災地へ どうかあたたかいご支援を
アルピニスト 野口 健
■ 4 月 29 日 「野口健 ヒマラヤ大震災基金」を立ち上げました
■ 4 月 30 日 クムジュン村の被害状況を 2 日かけて調査
クムジュン村での家屋の被害調査、2 日かけて全ての家を回りました。約 170 軒ありますが、被害を受けたのは 141 軒。今
日の調査結果は A が1軒、B が 13 件、C が 23 件、D が 23 件。
明日は隣のクンデ村の調査に取り掛かかります。クンデ村は約 70 軒。
クムジュン村とクンデ村ですが、エベレスト街道の上部(ナムチェバザール村よりも上部でカラパタール方面とゴーキョ方面)
の村々のロッジの多くがこの二つの村人によって経営されています。したがってクムジュン村とクンデ村の支援はエベレスト
街道の多くをサポートすることになります。クンデでの調査を終了したら、エベレスト街道の上部の状況を調べに行きます。
半壊した家を訪ね、ノックしても反応なく、誰もいないのかと、二階に上がったら
台所でじっと座っている少年が・・・。よほど怖かったのだろう。
壁と床の一部が崩壊し、
両方が見える。
■ 5 月1日
「家も壊れ主人も亡くなった。子どもはどうすればいいの」
雪崩により亡くなったシェルパのご家族。家も倒壊。
今日、エベレストのベースキャンプで雪崩により犠牲となったミラン・ライさん(43)の葬儀に出席しました。幼い子供が二
人残され。妻のダワドマさんが泣き叫びながら「これからどうしたらいいのか分からない。家も壊れ主人も亡くなった。子ど
もはどうすればいいの」と。13 歳の息子、6 歳の娘のお二人は「シェルパ基金」によって支援していくことに。被害のあった
自宅に関しては「ヒマラヤ大震災基金」によってサポートします。
明日はクンデ村でやはりエベレストで亡くなったシェルパの自宅を訪問します。亡くなったのは、以前、よくヒマラヤに登っ
ていたペンバドルジ・シェルパの妹のご主人でした。昨年のエベレスト大遭難で「シェルパ基金」の枠を大幅に広げましたが、
今年もそうなりそうです。
この度のエベレストで亡くなったシェルパが何人なのか、情報が混乱して誰も把握できていません。また、ヒマラヤ全体では
果たしてどれだけのシェルパたちが犠牲になったのか・・・。これも把握できていません。今回、いつもと大きく違うのは司
令塔となるカトマンズがやられたことです。毎日、毎日、新たな展開がありますが、その一つ一つを受け入れながら、ではど
うするのかと、試行錯誤の連続ですが、ネパールにいる以上は現場で精一杯やれることは何でもやりたい。
■ 4 月 30 日 産経新聞に野口健連載が掲載されました
ヒマラヤで遭遇したネパール大地震後に現地より原稿を送ったものです。
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2015 年 4 月 30 日産経新聞 野口健連載「直球&曲球」
4 月 25 日、エベレスト方面を目指し、4500M の斜面をトラバース ( 横に移動 ) していた。その日も朝から雪が降り、標高を
上げるにつれガスに覆われ、視界が悪くなっていった。そしてシェルパのデェンディーと「今年のヒマラヤはよく雪が降るな」
と話していたその時だった。
足元がグラグラと左右に振られていく。不安定な足場ゆえ、気のせいかと次の一歩を出そうとした瞬間、グワッと体が下から
持ち上がったような、そして見えている全ての世界が横に流れていった。背中がゾクッとし、意識より先に「地震だ!」と叫
んでいた。体が 3・11( 東日本大震災 ) を記憶していたのだ。
同時にまるで空爆されたような爆音が周囲の山々を覆い尽くした。「ドゥオン ゴオン ドドド」と今まで聞いたこともないよ
うな不吉な重低音。複数の岩が音を立てながら落ちていく。雪崩の音も覆いかぶさる。辺り一面の斜面で多発する大崩壊・・・。
何も見えない真っ白な世界に突如、黒い点が現れ、ヒューと空気を切り裂きながら一瞬にして消えた。落石だった。岩陰に身
を隠し、じっと耐えるほかなかった。
頭を過ったのはエベレスト。エベレストには長年ぼくを支えてくれたシェルパ達がいる。その日はシェルパの村まで下ったが、
目にしたのは倒壊した数々の家屋。翌日、エベレストから何人ものシェルパ達が降りてきた。
ハクパ・ヌル・シェルパの言葉に凍りついた。地震直後に発生した雪崩がベースキャンプまで到達したという。最も安全なは
ずのベースキャンプが雪崩と爆風によってテントが人ごと吹き飛ばされた。爆風で窒息し、無念にも死んでいった人々。ベー
スキャンプはお椀の底のような場所にあり周囲を山々に囲まれている。両サイドから雪崩に襲われ逃げ場がなかったのだと。
一瞬にして奪われた多数の命。つくづく感じたことがある。運命とは命を運ぶというが、自分の努力によって築いていく運命
もあれば、人間の力には到底避けられない運命もあるのだろう。時に運命とは酷であるが、それが生きとし生けるものの定め
なのかもしれないと。
■ 5 月 2 日 長年 付き合いのあるシェルパ達も被災
今日はクムジュン村の隣のクンデ村の調査を行いました。クムジュン村よりかは小さい村ですが、しかし、全壊した家屋はク
ムジュン村より多かった。約 70 軒ありますが、ダメージを受けたのが 38 件。そのうち、全壊は 12 件。半壊が 8 件。亀裂が入っ
たが住める家が 18 件。
そしてとても悲しかったのはディンボチェ村のママの家が全壊。僕が 19 の時に始めてヒマラヤに来てからずっとお世話になっ
ているヒマラヤのママ。彼女の家はクンデ村にあり、ロッジをディンボチェ村で経営しています。幸いな事にディンボチェ村
のロッジは軽傷とのことですが・・・。長年付き合ってきたシェルパたちの家の大半は被害にあっています。
三日間でクムジュン村とクンデ村の全ての家の調査が終わりました。一軒一軒、悲しみと向き合わなければならずさすがに堪
えました。
明日からエベレスト街道上部を約 10 日かけて回ってきます。降りてくるシェルパの話ではやはり深刻な状況との事。明日で
震災から一週間。とてつもなく長く感じ、また、バタバタと一瞬にして過ぎていったような、なんとも言えない一週間でした。
本当に。
全壊した自宅の前で茫然と。ディンボチェの父
彼もエベレスト清掃隊の時のシェルパ。自宅は全壊。
■ 5 月 3 日 「野口健 ヒマラヤ大震災基金」 ヤフーネット募金受け付け始めました
http://donation.yahoo.co.jp/detail/3123003/
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150430-00000021-rbb-ent
■ 5 月 5 日 報道の全てが正確ではない
パンボチェ村からディンボチェ村を経由しロブチェ村へ。ディンボチェ村の
被害はほぼなし。家屋はどの村々も基本的には同じような作りなのでこれだ
け被害状況が異なるということは地盤の問題かもしれません。いずれにせよ、
無傷の村が残されていたということは大きな救いです。
ロブチェ村もロッジがそれぞれダメージを受けていますが、宿泊可能なロッ
ジが大半。ここは「村」といってもロッジやレストランといった施設のみ。
エベレスト BC から撤退してくる登山隊のヤクが次から次へと降りてくる。
一部の報道によれば「800 人ほどがエベレスト登山続行」とありましたが、
ヤクの降りてくるその数を数えただけでもそのような状況でもないのだろう
と感じていた。
■ 5 月 4 日 「生きてさえいてくれれば・・・」亡きシェルパの遺族の嘆き
パンボチェ村は全壊 2 軒。それ以外の家屋はそれほど目立った被害なし。
しかし、その全壊した一軒はこの度の震災によりエベレストのベースキャ
ンプで氷河の崩壊による爆風で犠牲となったシェルパの家が含まれていま
した。犠牲となったパサンテンバ・シェルパ(63)はヘンリートッド隊
のクックでした。奥様と三人の娘さんにお会いしてきましたが、ご主人が
犠牲と自宅の倒壊のダブル被害に愕然とされている様子でした。「ヒマラ
ヤ大震災基金」と「シェルパ基金」で対応させて頂きます。が、クムジュ
ンやクンデものこうしたダブル被害のご遺族にお会いしてきましたが、な
んともいやはや。「生きてさえいてくれれば、これから一緒に頑張ってい
けたのに・・・」と妻の一言が胸に響いた
■ 5 月 6 日 ② 無事なところもあり、少しの安堵。
エベレストBC手前のゴラクシェプはほぼ無傷。フェリチェは建設中のロッジが半壊。それ以外のロッ
ジもそれぞれ被害を受けていますが、営業中のロッジで全壊はなかった。エベレスト街道の「カラパ
タール方面」よりも「ゴーキョピーク方面」の方が被害が大きい。
■ 5 月 6 日 ① 氷河崩壊による爆風の脅威
18 人が犠牲となったエベレストのベースキャンプの状況です。この光
景にしばし声もでなかった。辺り一面に散乱したテントや食料。表現が
適切であるか分かりませんが、まるで飛行機の墜落現場のような破壊力。
デブリ(雪崩の跡)の後が全くありませんで、雪崩による被害ではなく、
氷河の崩壊による爆風によるものだと推測されます。ベースキャンプに
いたシェルパたちとその時の状況について色々とお話を聞きましたが、
あの頑丈な発電機でさえ石ころのように木端微塵となっていたそうな。
テントの中で休んでいたシェルパたちは寝袋から出る間もなくテントご
と吹っ飛ばされ死亡。また、テントから逃れ外に出たものの爆風により
もがき苦しみながら窒息死していった人々。果たしてどっちがよかった
のだろうかと。その場に居合わしたシェルパからそう尋ねられましたが
答えようもなく。
昨年の大量遭難に続き、悲運の地となったエベレスト。何人ものシェル
パ達の「これは神の暗示だ。もうしばらくエベレストに登ってはいけな
い。来年、私たちはエベレストにはいかない」との声を聞いた。
ベースキャンプの世界を眺めながら漠然的ではあるが、しかし、確かに
何かが起きているのだと感じとっていた。
■ 5 月 9 日 ゴーキョピークサイドは、さらに大きな被害
先ほど、ゴーキョ村に着きました。ロブチェ村からポルツェ村に向かい、ポルツェ村の報告は、家が十数軒ダメになって、そ
のうちの2軒が全壊でした。ポルツェ村からマッチェルモ、ゴーキョピークサイドに入ってからの方が、被害がとても大きい
です。ドーレ村、僕が、震災前に泊まったロッジがありますが、⒐軒がほぼ全壊に近い状況、ルザ村はロッジが⒉軒あって、
1軒がほぼ全壊に近い半壊です。マッチェルモ、ここも非常に被害が大きく村がほぼ壊滅的です。11 軒の内、⒐軒が壊滅です。
僕が今いるのが、ゴーキョ村です。
このゴーキョは、地盤が固いのでしょうか、揺れはとても大きかったようなのですが、幸いなことに、ここゴーキョのダメー
ジは非常に少ないです。ところどころ、亀裂がはいっていますが、大丈夫な状態です。
震災が起きてから、カラパタール方面、ゴーキョ方面にやってきましたが、今日は 5 月⒐日で、本来ならトレッキングシーズ
ンど真ん中です。震災後は、登山隊もトレッカーも撤退していきましたから、ほぼ、誰にも会う事がありません。泊まってい
るロッジも、ほぼ僕一人です。本来なら、登山でもトレッキングでも有名なところなので、人がわーっといるところなのですが、
人影が全くないです。しーんと静まり返って、とってもさびしい状況です。
震災で家が壊れたり、大変な状況にありますが、やはり、生活、経済がとても大切です。今年の3月も大雪で、トレッカーが
来なくて、雪が解けてきたかなというこのタイミングで地震だったので、かなり経済的なダメージが大きいです。
僕たちがとても気にしているのが、次の登山シーズンは秋なんですね。秋のシーズンに観光客(登山隊、トレッカー)がどれ
くらい戻ってくるかが、大事なポイントだと思っています。エベレスト街道は、家もロッジもかなり被害があるので、秋のト
レッキングのシーズンまでに、どれだけ、ロッジを直すことができるか、要するに 6 月・7 月・8 月の 3 か月でエベレスト街道、
特にゴーキョピーク街道沿いをどれだけ、立て直すことができるかが、大きな大きなポイントになってくると思います。
明日、一日、ゴーキョに滞在し、明後日、峠を越えて、さらに、レンジョパスという峠も越えて、ターメという村に入ります。
ターメは、まだわかりませんが、いろんなシェルパによると、エベレスト街道のなかで、最も被害が酷いと言われています。
覚悟にしてターメに向かいたいと思います。
■ 5 月 6 日 ③ エベレスト街道 上部の村々の被害状況を確認
クムジュンからタンボチェ、ディンボチェ、ロブチェからエベレスト BC(ベースキャンプ)に行き、先ほど、ロブチェに戻っ
てきました。
上部の方の被害状況は、タンボチェ 2 件がほぼ全壊、それ以外は被害なし。2 件の内、1 件は、エベレストで亡くなったシェ
ルパの家でした。ヒマラヤ大震災基金とシェルパ基金の両方で、サポートしていきます。ディンボチェは幸いな事に被害なし。
ロブチェはロッジが 1 件壊れています。ゴラクシェプは被害なし。
BC は、奥の方のアイスフォールが相当激しくやられた形跡あり。BC はハチャメチャで、あらゆるものが四方八方に飛び散っ
ている状況です。かなり大変な状況です。BC に残っていたシェルパに話を聞いたのですが、登山隊のほぼ全てが撤退済み。
がらんとしていました。
一部の報道で、登山隊 800 名ほどが残っていて、エベレスト登山続行というのがありましたが、そんな事はなくて、ほぼ全部
が撤退済みです。一部、南アフリカの隊員 4 名が残って、エベレスト登山を希望しているようですが、アイスフォールのルー
ト工作をする SPCC(サガルマータ地域環境保護委員会)がすでに BC にはいませんので、登山続行は不可能でしょう
エベレストの雪崩という表現をしていますが、デブリ(雪崩の跡)がどこにも無いのです。雪崩の被害というより、プモリの
氷河が崩壊して、それによる爆風による被害だと思われます。シェルパの話だと、大きなテントが 50m ほど飛ばされたり、
発電機がバラバラになって、吹き飛ばされたりしています。
明日から、フェリチェを経由して、ポルツェに降りて、ゴーキョピークに降りたいと思います
■ 5 月 11 日 秋の観光シーズンまでの復興を目指す
「カラパタール方面」から「ゴーキョ方面」と移動しましたが、ドーレ村、ルザ村、マッチャルモ村、パンガ村の被害が極めて深刻。
ドーレ村には 9 件のロッジがあり 6 件に大きな被害あり。ルザ村は二軒のロッジのうち一軒が半壊。マッチャルモ村は 9 件の
ロッジのうち 8 軒に大きな被害。パンガは二軒のロッジとも半壊または全壊。
震災直前にこの村々を訪ね宿泊し、知人のシェルパ達と再会し一緒にチャンを飲みながらエベレスト清掃の時の思い出話など
盛り上がっていたばかりなのに・・・。僕が今回お世話になった全てのロッジが壊滅的なダメージ。また一昨年、泊まったマッ
チャルモ村のロッジも原型を留めていなかった。
このあたりの村々のロッジの大半がクムジュン村とクンデ村のシェルパ達によって経営されています。つまり自宅(クムジュン・
クンデ)と収入源であるロッジの両方を失ったシェルパ達が多いということ。住む場所と仕事が何よりも大切です。
春のシーズンは事実上終わり、次は秋ですが、秋の観光シーズンまでにどれだけ修復できるのかが「野口健 ヒマラヤ大震災基金」
の最大のテーマです。
明日はレンジョ峠を越えターメ村方面へ。シェルパたちからの情報によればターメ村はエベレスト街道の中で最も酷い状況と
のことです。覚悟して向かいます。
■ 5 月 10 日 神聖な寺院にも大きな被害
今日はゴーキョ村に滞在しています。クムジュンからスタートし
エベレスト街道をカラパタール方面、ゴーキョピーク方面と歩き
ました。
写真はタンボチェ村の状況です。この村は寺院で有名ですが、お
寺やその周辺施設はご覧の通り震災被害があります。ただし、ロッ
ジに関しては外壁の一部が壊れているものの、宿泊出来ないほど
のダメージではありませんでした。
■ 5 月 12 日 M7.3 の余震。強烈な揺れを感じた
エベレスト街道沿いでもっともダメージが大きかったターメ村での調査中に地震が発生し
ました。2 週間前の地震はグラグラと横揺れでしたが、今回は下から突き上げられたよう
なショックと共にすでに半壊状態だった家屋が爆音とともに崩壊。今回の地震の余震では、
最大級でないかと思われる。砂煙で辺りは薄暗くなり、村人の悲鳴と泣き叫ぶ声が響く・・・。
ターメは、これまでの村の中で、一番ひどい状況です。壊滅的です。全部で 64 軒、家が
あるのですが、全て、半壊・全壊状態です。
4 月 25 日当日の地震と、翌日の大きな余震、そして、この余震でかなり家が崩壊しました。
地面にも亀裂が入りました。
余震の直前まで、家の中に入らせてもらって、写真を撮っていたが、ちょうど出てきたと
ころで、余震があったので、助かりました。そのまま家の中に居たら、危なかったです。
本当に、このターメ村は壊滅的です。ひどいです。
ネパールの政府の人も調査に来ているようですが、支援金は1軒当たり、5000 ルピー(日
本円で約 5000 円)と言われているようです。5000 ルピーでは、コメを1表、買った
ら終わってしまう金額です。これでは、全然、お話しにならないです。この余震は、震源
地がターメ村から 30 キロ(マグニチュード 7.3)と前回よりかなり近く強烈でした。
■ 5 月 13 日 半壊が全壊に、絶望の上に絶望・・・。
本日のターメ村の様子です。これでエベレスト街道のほぼ全ての村々を訪れてきましたが、ターメ村が最も酷い状況です。そ
して更に昨日の余震で壊滅的に。そして強烈な揺れが 5 ~ 6 回ほど短時間に続き、ただでさえもろくなっていた家屋がガラガ
ラと崩壊。
今朝 8 時にモンラ村を出発しターメ村~ナムチェバザール村を通り 19 時半にクムジュン村に到着。特にターメ村からターモ
村の間は落石の跡だらけで、崖の下を通るルートであり緊張させられた。
2 週間前の地震よりも今回の方が家屋のダメージが大きかったか。ナムチェバザール村も村人の大半が村の表でテント生活を
おくっていて村の中心部はシーンと静まり返っていた。クムジュン村に到着した時は既に暗く村の様子は分かりませんでした
が、そのあと、村人とミーティングを行いそこで聞かされたのは、前回の調査で B(半壊)だった家の多くが全壊したとのこと。
明日、再び、村の状況を調査しますが、作成してきたリストの大幅な書き換えは避けられそうにもありません。
余震の際にいた場所
ターメ村
★
★
震源地
■ 5 月 12 日の余震
野口が滞在していたターメ村から、震源地はわずか 30 キロほどの距離である。
約 30Km ターメ村
■ 5 月 13 日
「もう ここには住めないのかもしれない」
村人の悲痛な声
あの巨大地震から約 2 週間がたち、余震も感じなくなり、村人も少
しづつ生活リズムを取り戻しつつあったタイミングで再び巨大地震。
しかも前回以上の凄まじい破壊力。「またきた!」と建物やテントの
中から飛び出す村人たち。あの時の恐怖がよみがえりパニック状態
に。「もうネパールはダメかもしれない」と泣け叫ぶ女性たち。2 週
間前の震災で傷んだ家屋の多くが今回の余震で倒壊しました。その
被害も大きいのですが、それ以上に被災者の受けた精神的なダメー
ジの方が大きかった。「もうここには住めないのかもしれない」とい
う絶望感。
またネパール政府に対する不満が蓄積されています。最初の震災か
ら 2 週間以上たちますが、私が滞在している現場では政府から何一
つ救援物資が届いていない状態。村人たちから「世界中からネパー
ルに援助が届いているはずなのに私たちの元には何も届かない」と。
政府に対する長年の不信からか、またはぶつけようのない苛立ちか
らか「ネパールはインドの一部になったほうがいい。イギリス人が
インドでやったようにインド人にネパールの国を建てなおしてもら
いたい」といった声までも聞こえてきました。
そういう状況の中において、途方に暮れる瞬間も確かにありますが、
しかし、前へ前へと進まなければならない。多くの震災を経験しな
がら復興を遂げてきた、また、まさにその最中にもある日本社会が
その経験の中からネパールに対してサポートできることがあるはず
だと感じています。まずは自分に出来ることは「ヒマラヤ大震災基金」
「シェルパ基金」による支援です。諦めたらそれこそ終わるので、一
歩ずつやれる事をやっていきたい。
■ 5 月 13 日 登山道の崩壊。 モンスーン(雨季)には 土砂崩れが多発か・・・?
ナムチェバザール村は一部の民家にダメージがあったもののロッジの大半はそ
れほどの被害は確認できず。しかし、問題はモンジョ村からパクディン村の間
の登山道の至る所が崩れ寸断されていた。また地盤が弱まっているために余震
が起こらない時にも落石多発。落石といっても中には車ほどの大きな岩によっ
て押しつぶされている家も。モンジョ~パクディンの間の家屋の倒壊が目立っ
た。
また至る所に亀裂がはいっているため、これから本格的なモンスーン(雨期)
がスタートしますので、大規模な土砂崩れが多発するのではないだろうか。特
にモンジョからパクディンの間はかなりかなり緊張させられた。まさに命がけ。
これらの被害の大半が 5 月 12 日の余震によるものです。
秋のトレッキングシーズンまでにどれだけ登山道の整備が可能か?ここの補修
工事が秋までに間に合わなければエベレスト街道のトレッキングは極めて厳し
い状況に追い込まれる。
村人の大半が避難したため無人となったナムチェバザールナムチェバザール村の外れにテントを張る村人たち
モンジョ~パクディンの間。土台が崩れわずかな骨組みのみが残る
地滑りで完全に登山道が寸断されている
この家も時間の問題で川に落ちるでしょう斜面側に建ててある小屋の多くがこの状態に
登山道の至る所に亀裂が。
右側は崖となっており、
雨季が始まれば登山道の多くが
失われるのではないだろうか
■ 5 月 13 日
2 週間後に迫るモンスーン(雨季)。それまでに大型テントが必要不可欠
5 月 12 日の余震でさらに多くの家屋が崩壊し、この 2 週間エベレスト街道の村々の大半を回り、被害状況を調査しリスト化
してきましたが・・・。しかし、一回目の地震よりも余震の方が破壊力が強く被害が大きかった。したがって支援内容の変更
も出てきました。民家やロッジの修復を最大限の目的にしていましたが、しかし、その前にまずは被災者の方々が安心して生
活できる環境を整えなければならない。
まずはテントです。しかも、1~ 2 年間は続くであろうテント生活に耐えられるものです。ネパールには日本のように行政が
用意してくれる仮設住宅というものがありません。したがって家を失った方々たちの大半はテント生活以外、選択肢がないです。
そしてもう間もなくモンスーン(雨季)が始まります。毎日が大雨となりますが、その環境下で一家が安心して過ごすために
は大型テントが必要となります。丈夫で長持ちする大型テント。
ルクラでドイツの赤十字から寄付されたテントを見つけましたが、まさにこういうレベルのテントです。
僕のルクラ滞在中、クムジュン村では大雨によりテントの中に水が入り込み大変だったそうです。家を失いテント生活を送っ
ている方々にとってテントは最後の砦です。そこをやられると精神的なダメージも大きい。12 日の大きな余震以降、自殺をほ
のめかすシェルパ達もでてきました。エベレストから生還したシェルパの一人が「こんなことならエベレストで死ねばよかった。
そうしたら保険がでて家族を助けられたのに」と。
今日、インドのテントメーカにドイツの赤十字並みのテントを作れるか確認しました。近日中に返事がきますが、3 週間後に
は本格的なモンスーン(雨季)が始まります。時間との戦いが始まりました。
「野口健 ヒマラヤ大震災基金」に関して認定 NPO 法人ピーク・エイド
理事長 野口健
2015 年 4 月 25 日、ネパールにおいてマグニチュード 7.8 の大きな地震が発生し、甚大な被害がもたらされてお
ります。
カトマンズ市内やエベレストベースキャンプでの被害は新聞、テレビで多く報道されておりますが、山間部の村々で
も大変大きな被害が出ております。
野口が地震に遭遇した、エベレスト街道沿いの村々では多くのロッジや民家が倒壊しました。エベレスト街道はネパー
ルでもっとも有名な観光地でもあります。ネパールにとって観光業は経済的に大きなウエートを占めています。ネパー
ルの復興のためにもエベレスト街道などの復興はとても大切です。
エベレスト街道沿いの村々には、約 200 ほどの全壊・半壊となっておりますが、政府からの支援のめどは全く立っ
ておらず、村人は、皆、途方に暮れています。また、以前より、私どもが支援し建てたサマ村の学校も崩壊してしまっ
ており、再建しなくてはいけません。
「野口健ヒマラヤ大震災基金」では、被害にあった村々の青年会や婦人会に直接届く支援をしていきます。エベレス
ト街道沿いの村々をいち早く復興させることにより、ネパールの観光産業を復活させ、国全体の復興に導かせていき
たいと思っています。
基金立ち上げ当初より、大変多くの方々にご協力いただき、約 6000 万円のご寄附が集まり、大変感謝しております。
しかしながら、この支援には約1億円ほどの予算がかかる見込みです。
私どもは、必ず、目に見えた支援を全身全霊を傾けて行う所存です。
復興まで、長い長い活動になりますが、野口健は使命を持って、この活動を全うします。
■ 支援方法
野口健が、エベレスト街道沿いの村々を回り、被害状況を全て記録。
被害の大きさを A、B、C、D に区分けし、各々に適した支援を行う。
【 A 】全壊 【 B 】半壊 【 C 】半壊に満たないが住める状況でない 【 D 】一部破壊
これをもとに、個別の支援を行っていく。
■ ご寄付はこちらよりお願い致します
【 銀行口座 】
みずほ銀行 市ヶ谷支店
普通 8035335
名義 NPO 法人ピーク・エイド(エヌピーオーホウジン ピーク・エイド)
【 郵便振替 】
口座番号 00100-2-777583
加入者名 NPO 法人ピーク・エイド ( 旧 NPO 法人セブンサミッツ持続社会機構 )
エベレスト街道 ほぼ全ての村の被害状況を確認
パンガ
ターモ
現状調査状況:右表参照(2015 年 5 月 12 日の余震前)
A: 全壊 B: 半壊 C:半壊に満たないが住めない D: 一部破壊
・空欄は現在調整中
・大きな余震などの影響により、変動あり
サマ村への支援
・学校修復
・家屋損壊修復
「野口健 ヒマラヤ大震災基金」に、多くの方からの多大なご支援をいただ
きました。しかし、サマ村はまだ被害状況が直接確認ができていないこと
や、これからも続くであろう余震による影響で、さらなる支援が必要になっ
てくることが多いに予想されます。
現地は、まだ、皆さまのご協力を必要としています。
どうか、皆さまのお力をお貸しください。
村 A B C Dゴラクシェプ 0 0 0 0ロブチェ 1 0 0 0ディンボチェ 0 0 0 0フェリチェ 0 1 0 0パンボチェ 2 0 0 0
ポルチェタンボチェ 2 0 0 0ゴーキョバンガ 1 1 0 0マッチェルモ 8 1 0 0ルザ 1 0 0 0ドーレ 6 3 0 0モンラターモクムジュン 11 37 51 42クンデ 12 8 0 18ターメ 40 24 0 0ナムチェパクディンルクラ