7
´ ´ ´ ´ ´ ´ ´ ´ ´ ¨ ・. ・一 廿 -25-

IMG 0028 · 2020. 6. 22. · Title: IMG_0028 Author: annog Created Date: 6/22/2020 3:59:49 PM

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Page 1: IMG 0028 · 2020. 6. 22. · Title: IMG_0028 Author: annog Created Date: 6/22/2020 3:59:49 PM

う、 一」  )   一ゝ (一^´ 』 ・r ・3 ・(・   一  ・ .  一・ヽ  一 ヽ´ ・^

, 一‘ デ」一ノ一

t、 三一環一ズ一Fこ〓一事・.,こ言だ■姜こt」要 二、はヽら

ませんこ御次の間でお接待をなきるか、三献

の終

るまで待たせておいて、御肴を下さり、九献

(酒)

を給うがよ

い。うこ

(供御?)

の時は御相伴なさ

るのもよろし

い。また御菓子は当然出すがよ

い。

三通ヽ了■t●よう下ある

.な

せ女性

にあてた文言が

「候

べく候」と

いう表現にな

って

いるのか、

いつ頃こ

ういう文章形式が発生したのか、不敏にして私にはわ

からぬのである。左の例は、信長発信

の代表的なも

と思われる。

返す

だ\

ねんごろの事、よろこび入り候。文、くは

しく見ま

いらせ候。まづ

ノヽ

かたびら

二、まことに

めでたく祝

ひいり候。ことぶきかたかヽ

けさんのお

りふし申し候

べく候。めでたく、又

々、かしく

ふもじ               のぶ

御返事

桑田忠親先生

の書には、

「ふもじ」という女性は誰

かわからな

い。多分妻か妾であろうと記しておられる。

信長

の妻として知られている濃姫

は、父斉藤道三の死

後、弘治

二年

(一五五六)間もなく死んだと

いわれて

いる。

女性に宛てた手紙であるから、漢字が少なくてひら

がなが多くもち

いられ、用語も

やさしく記されてわか

りやす

い。公式の文でなくうちわの文であるから、宛

名も

「ふもじ」とある。

「もじ」と

いうのは、名前

二三遺 )一三二天一三二.最〓■■一長、 三≡一云.■〓、 一青 一″景ニシ一

テ∵っのオ杢一言夕一一二一ミギニ・一∵)て八スンと、 まこ>■に一兵殊量」☆

たうtのがあるc幻庵覚書

のように

「候

べく候」とい

う型式の文は、す

べて女性にあてた書簡文である。各

武将にあてた公式

の文ではこの形式のも

のは

一書もな

い。信長には筆者

のしら

べでは、女性あての手紙は三、

下音を略し、その下に碁えた

女房訂てi三

卜を、

■そ

らく

「ふみ」とか

「ふさ」とかいう名

の略語であろうこ

この女性が手紙と共に

「かたびら」を送

ってくれたの

を非常に喜んで

いる様子が文面にあふれている。文言

から見て相当親

しい間柄

であることがわかる。けざん

(見参)

のときに話をした

いといっている。

信長

の手紙でめずらしいのは木下藤吉郎秀吉

の妻

ねに宛てたかながき

のも

のがある。

せのごとく、こんどは、この地

へ初めて越し、見

参に入り、祝著に候。殊に上産色

々う

つくしさ、中

中目にもあまり、筆

にも尽しがたく候。祝儀ば

かり

に、此

の方よりも、何やらんと思ひ候

へば、其の方

より見事なる物もたせ候間、別に心ざしなくのま

ゝ、

まづノヽ

此のたびは、とどめま

いらせ候。かさねて

るの時、それに従ふべく候。中んづく、それの眉

目ぶり、かたちまで、

いつぞや見ま

いらせ候折ふし

よりは、十のも

の廿ほども、見あげ

候。藤吉郎連

不こ

の旨申す

のよし、言語道断、曲事に候か。何方

をたづね候とも、それさまほどのは、叉二たび、か

の負け鼠、相もとめがたき間、これより以後は、身

-25-

Page 2: IMG 0028 · 2020. 6. 22. · Title: IMG_0028 Author: annog Created Date: 6/22/2020 3:59:49 PM

ンロ尊¥76F⑫マツタ9以マニツ認⊇R

彰ヽ

⑫ユ狩

コ⑦‘●認醐立)山早部ユημ

烈窪¥76F

⑫マン2

o,こψ烈割7X覇oユoキ剰◇)●76寺認・黎膨ヾ

ou7)6)「7⊇準ユ

こ賃争認軍Tをγ♀>7

o,

29留烈6F

●7利よ撃日立7ヨンツ

ヽゝ

こを烈6F6●認啓立ユ●鎌η♀認

「ヽマ」⑫

⑫導轟

o97よ章

⑫早墾

⑫♀二F以η軍

o,マよ⑫

,9>ュコン

,撃重)¥

⑫写表ココ♀

c)留

⑦ツ

マヽ

ッ77

,7昇認暑下ツ甲目

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,烈鯛子■2軍

◇α争

烈鯛撃瑠ユη尋用鋼Y

o6留剰W7

ヽヾ●準9

)利27⊇⑫勇狩770ユ767烈彩Y

⑫里“〓+T

て)ψ主αQ利

(〓7I

一)↓

IIY)早墜

利響士

ヽ)9●ユ2♀霞・7υ賃ヾ9ヾ7⊇⑫駒U脅ヾ●7

主■翌.】日ぎ考

コ爾γ田普

。9留よ⑫2●よγヾcコ

ン>7認醗

,キ菫号

⑫尊

。2・ユコマ7

,7

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曹争言コ■⑫争

⑫+剰6F■Ψ掛コ■9

●準百キン

●」

o●羊‘)7・2ユ2鉢認Y

を中コ普ヨ到υツ

o687

699よ⑫

,7■劫臆以●c●87●Fa)普ヨ

留ょコン響

一υ⊇利⑫99ユ・卍マ

「をニンココ」

〉?η⑫W

og望よ童雄利⑫2●ユ79」

,7‘一Y

誰ツコ

コ」マ羊

ヽ「⑫9留よ影単よ影⑫

「当」剰ソー

シ〃イ〓⑫早墜

烈マン

o9留よ⑫

,7コ留ユと留

ヽよ

⑫99より士身薫喜

ユ■7⑫

,7ユ留到「尊)普ヨ)

●7コよ¥窪塁γ6

●7

「り>

シヨ」剰烈響士

⑫⊇

o2●

こ留7ヾ●7ロユ⑦マ

こマaT彗

⑫摯「革音

●■コ

コ⑫》畔

⑫当溜

コ針コ‘

●7晋ヨ田製利W

o9留よ⑫

υγ留9以η‘P利7星軍

⑦碁コマツ♀ヾ縁翼辛2簸

⑫ン滅7⑫ツ

ヽ297尋

77

・副認章

ユ・7翌6

)認■26烈型鼻

⑫薔準写筆7コ醤ギ筆

(団■I

一)

↓IIY

ヽ6V測>ヽイ

マ⊇脅Y旦塚士静壬尊キ諄則

ュη財野認尋髯⑫申嬉

(一■I

一)↓〓写7)?⊇

,P7γ稼‘脅亀♀淑

(出半)8⑫

・67⑫?Ψ醐確⊇Y軍利烈滸k

ヽ烈嗜γ

ヽ%ン

ヽコ>

ヽ9ンη7ユ争

ヽ烈67υ♀申

ヽ⑫ゝ

手申

]ヽヨ主F諺

⑫ンγ認

ヽ■

ヽマ

oヨニ

,ヾ〉9

ヽ利ニヨ7ラ・7不到コン」卦

ヽ>ηヽ/

争鉢

ヽ到

67重

Y■1

7)】

争ヽ烈ヾ●

ヽη身烈静箭尋彗

F1 6

Page 3: IMG 0028 · 2020. 6. 22. · Title: IMG_0028 Author: annog Created Date: 6/22/2020 3:59:49 PM

一t

,´ンこ

の手紙には

一候

べく候」と

いう文言形式ではな

が信長が女性にあてたも

のとして貴重な手紙であるの

で、あえて掲げたも

のである。それに秀吉

ニックネ

ームは

「猿」

の名で有名であるのに、また

「はげねず

み」とも

いわれているのは初耳である。私のしら

べで

ずねられるも

のではな

いcであるから、

これから以後

は応揚

に大名の奥方らしく

かまえて倍気などを

おこす

べきではな

い。この事は藤吉郎

にも申すがよ

い、と妻

たる道、大名夫人としての道をさとして

いる。このこ

とは秀吉

のみならず、ねねに対してもある程度の

コミ

ュニケーションが公的

には無論

のこと、私的にも通

ていたことがわかり、君臣相和

の美し

い間柄が形成さ

れて

いたも

のと思われ、秀吉が身命を賭して信長に仕

えた気持もうなづけるのである。

次に、秀吉

の女性にあてた

「候

べく候」式

の文であ

るが、これは叉信長、家康

の文に比して、きわだ

って

多く枚挙に違がな

い。

しかも、

「女中」であろう

「いわ、こほ、ちくこや」

等にあてゝさしだして、大政所や政所にその当時

の自

分の心境や周囲の情勢、戦争

の進捗状況などを事

こま

かに報告している。しかも大政所、政所、鶴松

(実子)

秀頼等

に対する愛情

のこまやかさは、到底他

の信長

家康

の比ではな

い。秀吉は幼少

の時

から市井にまじわ

り下情に通じている。人情味

の深さ

。豊かさは多くの

武将中群を

ぬいて

いるのである。家康なども幼少のと

(・ン一rいゝ一か一ズドしおい一、不匡にか二Lフよメ■

,一ヽなっ一、モ、

あながち不思議

ではな

いように思われるこ

たくさんな土産をもら

ってまことにありがた

い。何

か御返しをやりた

いが今はやめて今度来た時にゆず

る。

そなたのような美形に対して藤吉郎が不服を

いうのは

以ての外、どこをたずねてもそなたのような美女はた

き人質などとな

って大分苦労をかさねて

,I・■

F・ダ}

いっても城主の作として多くの家臣にかしずかれてい

るような身分

であ

った。秀吉とは苦労といってもその

質や深さが異

るのである。

これは正妻である政所にあて

た手紙である。女性にあ

てた手紙

であるから、例によ

って漢字が

少なく仮名が

多く、用語もやわらかである。

返す

ぐヽ、こなたの事、心やすく候べく候。はや御

座所の城も石蔵でき申し候間、台所でき申し、やが

て広間、天守たて申す

べく候。

いづれの道にも、今

の内には隙を明け申す

べく候。心やすく候べく候。

必らず年

の内に参り候て、御目にかゝり、積

る御物

語り申す

べく候。せ

っかく御待ち候。

いよ

/\

若ぎ

み御

一人寝候

べく候。めでたくかしく

ねんごろに文給はり候。御見参

の心持してねんごろ

に見ま

いらせ候。

いよ

ノヽ

小田原堀ぎ

一町

の内そ

とに仕寄申し

つけ侯により、 一段と迷惑

いたし、わ

びごと申し、違ひのこと是非なく候

へども、千殺し

に申

しつけ候はでは叶はざる事にて候ま

ゝ、取合ひ

申さず、はやだヽ

出羽

・奥州まで、この表

へ出仕

―-27-―

Page 4: IMG 0028 · 2020. 6. 22. · Title: IMG_0028 Author: annog Created Date: 6/22/2020 3:59:49 PM

―-8Z――

 

一一一

一一一一

・・ヽ一  ・

・ヽ´ヽ´・ 

一・一

一一 

4・一一・、「

´一一一・一十一・二ヽ一一一

4・一一 ヽヽ´

.ヽ

一 

一一

^ 

一二 一    ヽ・     一(´

^ヽ一一 ^、・  ・   ・ )´

・・´  一一ヽ  一一・一  一 一

Ⅵユジキ

ヽ♀よつ鱈早

%ヽ0■⊇よヨン

,聯⑦堕ヨ膨

o●■9F以η骨¥コ童

⑫77⊇

ヽ利到

(2●ユ■躍

認νPRコヽ●ユ

6●7ニカ利烈Wチ

⑫ユ留「4ユ2

)マ♀喜PコF)♀)

ヽ/

鎌7⑫⊇烈早墜)曇\/

o9●2q躍7●7

●9ゝユq爾薬

ヽ/

手準

o9●

ュ■習製「7⊇準利⑦9マよχ〓「¥ヽマンツ烈νツ

X■畢⑫早墜よ飾

⑫堕迎⑫T)ψ塁塁◇

ヽ(平畢⑫早

墜よ聾留準副

⑫髯陛田軍)群畜一 ヽ(マン害羊)瓢堕γ

準Y

ヽ星絆議

o●qロユη骨鴻賃ヾ9oユ

‘竃コ茶争

⑫>多

ヽ■

(2●以■彰ヨユη望

烈早墜)9当迎署

‘ツ

⑦γT

当ヽ童)2●ユ用q申尋彰ヨユ♀烈町⑫⊇

よ準早

⑫歓M

・k用ユ●嘉「縫¥

⑫早墾

o9留よ⑦●

を9↓6竃ユ

‘87●7♀よ噺喜コ球手「

(ワマユ沼

⑫翼膨

⑦早墜

ヽ軟箪鳳晋)η嶺士

ヽヽ

RυコンツY

■申認撃畦

ヽ■群燿「単辛コ軍型

o2●ユ■準苺を認

・)⊇●繁以羊珈

一9、♀髯利

ヽ準当田ψ、/

F●

o699よ早

ヽΨ』η⑫99Υ争「コ皐キ望ヨ⑫早墜コ嘗r

>ヽ■

γ

ヽマ

を藁尋

嘗,

o‘

7)

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O啓界

⑫マ■彰

ロユ■

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,η⑫静)尊利童

⑫鯛》ユ

ηユソコ■哲

o2)ユ♀

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●7鯛¥茅鯛ア泌コマコ

羊和⑫2●ユa酵烈畔理こ翠烈■尊警認PをM■⑫珈

箪当田ψむ者漁跳口9●ユ79影到雑I

oヾ●軍9留

利よ⑫●76利⑦争2●以η997「準♀賃ヾ留争

η

ヽ「よコ稼当

⑦厳¥爾量Pコ早墜よ魚6

⑦射軍国聯

o2●以7997「話騨)■壽2●2γ量

ユ■数溜

「革

孝以⑦7●冒)漁彰誓中劇7

,酵脅ぐ

「マツ」9留よ

廷I

o6

●マ堕コ⑫畔瑠「¥I

o6

●認Y¥⑫甲凶利

(堕コ)

ワ⊇Pγ羊

。2)こヾ9断コマコツ)こW

⑫賃ぐ中劇当田ψ

(OγI

一)寺Y+IYユ)qヾ

▽M

ヽ)●7ユη醒・口各寺

o,

7よ菌

一⑫亀‘⑦要〓

以留抱ロツ7以η島部「洒物革猾韓凛彰コ型士⑫⊇

章璽

ぐγュ           翻ワ⊇Pγ羊

日団gI

響>

シヨ

T畢膨\/

F●

ヽ■申習製■T⑦χ〓

o軍♀Ql2

塁ヽ今

ヽOC%I

寵ヽワ⊇Pγ準¥

ヽ)F畢

oヨ>

〉ョ>■をコ

ヽヽ羊ヨ6竃釜>多

ン獲苺利

oコ■7

Page 5: IMG 0028 · 2020. 6. 22. · Title: IMG_0028 Author: annog Created Date: 6/22/2020 3:59:49 PM

,かこJttヤつヽてニエに・一つ・bわ・)一、いメγしヽ

一【ンヽヽ‐一・一ヽ

,二」

あるま

いか

)^叉現

に行

われ

いる政治衣

馨た

,日原攻

の状況な

どを婦

女子にま

で詳細

に報

じて

いるのはま

ことに解放的楽

天的

いう

べき

である。男

はえ

てし

て公的

の事は女小供

のしると

ころ

ではな

いと

口を

とざ

関や天守閣もたてるつもりでいるこ

いずれにしても今

年中に城を落

して北条氏を降参させて年の内に帰京し

てお目にかゝり積

る話をす

る積

であるから鶴松君を大

切に育てて待

って

いてほし

いといって、もはや北条氏

の抵抗など顔中になく、戦なども忘れ、早く若君にあ

いたくて、帰心矢

の如しと

いった体

である。

「てんか」は

「天下」である。大正十八年

の段階

は秀吉はまだ奥州平定などを

のこしているので、実質

には天下統

一したとは

いえな

いが、すでに天正十三

年七月十

一日に関白となり、同四年十

二月には太政大

臣に任ぜられているので、天下の名称を手紙

に署名す

るようにな

ったも

のであろうし、まず秀吉にと

っては

このところ得意

の絶頂にあり、旭日昇天

の勢とは正に

このことを

いうのであろう。

次は側室おち

ゃつまり淀君

へあてた

「候

べく候」式

の手紙である。

返す

´\

ひろ

いに乳をよく

ノヽ

のませ候てひとね候

べく候。ち

ゝ足り候やう飯をもま

いり候べく候。す

こしも、も

の気にかけ候まじく候。以上

の鳥

つ、蜜村

の髯籠

つ、進じ候

F一■.ますノヽ

一貢生してご)ら

い」ヽいと菱して●〓■

・、冬

おノ\書

(秀吉はこのなおノヽ

がきがよほど好きと入

えて女性あての手紙

には必ずと

いっていゝほどこれを

記している)には、こなたの事は安心してよろし

い。

御座所

の城も石垣でこしらえ、台所も

でき、やがて広

一日は文給はり候

)返事申し候はんところに、

いそ

がしき事候て、返事申さず候。おひろ

い、なほ

ノヽ

けなげ

に候や、ち

ゝもま

いり候や、やが

ても参り候

はんが 札明を

いたし候て、参り申す

べく候。そな

へわが身こし候はゞ、業腹立ち候はんまゝ、まづ

こなたにて聞きとゞけ候て、すまし候て、参り申す

べく候、かしく

伏見より

おち

ゃノヽ

へ 

 

 

 

 

 

 

 

大かう

この文はおち

ゃノヽ

への返事である。早く羹場

をだ

したか

ったが急用が

できてはたせなか

った。ひろいに

乳をよくのませて育てるように、乳がたりぬと大変だ

から飯をよくたべるようにと、事

こまかく注意を与え

ている。天下様が事もあろうに母親に対し、乳が多く

でるように飯を多くたべよとさとしているのである。

このような事は到底信長、家康のよくす

るところでは

ない。鷹五羽と蜜柑

の髯籠を三

つ送

ったと記

して

いる

が、髯籠と

いうのは竹で

つく

った籠で、あみのこりが

髯のように出て

いるのでそういうのだそうである。さ

きにもうけた鶴松に先立たれ、もはや自分には子宝は

-29-

Page 6: IMG 0028 · 2020. 6. 22. · Title: IMG_0028 Author: annog Created Date: 6/22/2020 3:59:49 PM

―-08-―

一.ユ一一一

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一一一一一・〓

一・ 

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一一二二・り一一一一一一一ヽ一・

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¨ 一一 一 ・ ¨・卍」一硫一

一.一´

 

一一

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堪 ・■一寵¨一 ・7・

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,Pγ●マ碁》

。99よ⑫

97マヾ

,P鎌マcW士⑦碁四7■※フ認回

⑦留∠童

芸)νr

o992⑫ゝ

⑦タリ

ン葺

o2●ユ

yWマ烈6

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羊や¥賃cマ

‘ン>Υ7、/

♀羊)7

ι9二9認

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ヽρ⊇ワF認鬱獅写望⑫W涎

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,7Z賃ヾ99よ寺認γZ⑦当とWY●

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o6●7⑫争7ユ留引

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■魚」尊尋

⑫聾

去⑦数多当髯

(¥

一¥

一)寺

〓唯7)●7利日ビ寺

¨. 

 

 

一耐

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´一 記■ L

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7⊇⑫者目当髯

ヽヽ●尋章

⑦y普以

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)靭q申 コ

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〉ヨqαqコ鉢>準キ妙

ヽヽ準剛ユ9●準

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ヽ■Tコ

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ヽワ⊇7ヨ■賃●準のヽ鎌

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ヽ⊇妙

ヽ6和準マコ6

ヽ■Tヨν♀7●9二9膨

和ユマ

ロヽニ利コ■9●羊q申争ユ烈)Ψ膨>q》

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〉ヨ6

ヽヾ「α膨

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2>、/

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ヽ利♀留

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ヽ〓)⑦

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‘7「七聯争

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ヾ利W士マ

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ヽ)9留よ辮士

⑦当とロン

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●渤9準ぶ烈●9つ⑦早墜

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72⑫7

‘ぐ二♀尋g藁76T⑫Iユη「閣昇⑫率升

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ヽヽ

,コフ7ヽ●ユ

‘♀α賃♀留マ⑫争υ賃マニマ

世 幅|

Page 7: IMG 0028 · 2020. 6. 22. · Title: IMG_0028 Author: annog Created Date: 6/22/2020 3:59:49 PM

いらせ候ま

ゝ、御やすくおぼしめし候

べく候c

大ふ

ょば 申し給

大ふは

「大府」で幕府

の事を

いゝ、家康自身のこと

いたフ。

王、L木氏

(振越氏)

の系譜と高源院

「尊卑分脈その他による」

今川

 

今川

足利義氏―

長氏―

四郎国氏―

基氏―

国範

(範国)

後義滝と多おず、読書と著道

‐こ■

三を

■ 

遠江国周智郡堀越邑より起ると大田亮氏は記してr

るが、堀越氏を称したのは、崎姫

の前夫貞基

の父の貞

延かららしい。今川記には

「享和

五年

(一五三二)遠

江国の横地

・勝間田蜂越し小夜中山口に合戦し

一族堀

越陸奥守討死す」と記されている。そしてその子が

郎貞基である。幻庵覚書にも氏朝が吉良氏を継ぐ際、

引き

つれて来た家臣を堀越

の果と記している。しかし

大田氏は貞基

(堀越六郎YI

六郎氏延と次第している

が、

いずれも山木氏とは記していな

い。けれども高源

院崎姫は声艮氏に嫁す前に山木六郎貞基に嫁して二男

一女をもうけているのは事実

である。ところが山木氏

に言及していな

いのは博識

の太田氏にしても、

これに

い及ばなか

ったのであろう。たゞ太田氏は山木氏

項に

「伊豆修繕寺奥院正覚院は弘治中小田原殿の

一族

山木夫人

の再建と

いふ」と記しているが、この山木夫

人と

いうのが高源院な

のである。

高源院の前夫、山木貞基

の事蹟に

ついては前述した

通り今

のところ私は

一切知

るところがな

い、しかし高

源院崎姫

については、新編相模国風土記稿に左

のよう

陸奥守

堀越六郎

貞延

山木氏は本姓清和源氏で足利氏流であり、世田谷吉

良氏とも祖を同じうして

いる。三河国幡豆郡今川庄を

していた国氏を今川四郎

とも称す

る。今川氏のうち

最も世に知られているのは今川貞世である。貞世は今

川了俊

の名で世に喧伝されている人物である。冷泉流

の歌学者として自由な歌風を鼓吹したと伝えられるが、

武将としても活躍し、足利

二代義詮三代義満

に仕え、

九州探題とな

って九州地方

に幕府

の勢力を確立したが

(了俊)

川貞世

堀越六郎

山木貞基

北條崎姫

山木、大方、高源院

六郎氏延

氏朝

含口良七岱頼康養子)

香沼姫

左京大夫

貞臣

――貞相

――範将