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JAMSTEC犀簡 研 究 第11 号 奥尻海嶺北部における海洋地殻層序 宮下 純夫1‘ 徳山 鼾一一*2 垣*S 竹内 章゛4 石井 次郎゛S 仲 二郎“ 嵯峨山 積*7 ● 足 海嶺 北 侮 に お け る rし ん か いs 岶 』 に よ る 第 恥 冷 航 及 び 第137 檐航 矚 査 に より , 水・ U7cm 付 近 か ら 氣411m の閠|ご少な く と もs 枚a 塊 状 玄 氏 岩 屬 の露 頭 が圃 暉 さ れた 。 塊 状 玄武 岩|まシ ル ト 岩 中 ヘ シ ート 状 に 貫 入 し た・, のと み ら れる 。 そ の 互屬 部 より・i 諏 郎 と上 部に は シル ト 岩 が主 に 耀 出 し て い る が , こ れら は 創 面 と 調 和的 な 西膩 斜 の層 圃 を示 し てお り, 上 部か ら重 力 漕 勦 し て き た ものa 考 え ら れる 。 一 方 , 塊 状 玄氏 岩 とシ ル・ 岩 と は シ ャ ープ に接 し ,シ ルト 轡 は そ の境 界 部 に 汾・ て 灰 色 に 変 色 L , 幼 界 椰 の走 向 はほ ぽ 南北 に 近い が柬 へ 鑁 く 傾 斜し てい る点 で, 握 力 欖 勸 し たと み ら れる シ ル1 岩 と|ま禺 な・l た構 造 を示 廴てい る。 今翩 の 繊 皋と これ ま で の rし ん かいs 韓o 』 やド レ・ ク な ど の 結 果 に 基 づけ ぱ , 奥尻 海 嶺jヒ 部 の西 側急 斜ii に は , 上郎諡埼賢年代で少なくとも13Ma から3.7M ● にわ たる厚い堆 積宕,その下位に枕状油 岩と ハ イ ア ロ ダ ラ スタ イト , 最 下 耶 に 匁 状 玄 武 岩 と 堆積 岩 との 互1 餌 か らな・ てい る蝗 毅断 面 が童 状 に 顛 を だ し てい るa 考 え ら れる 。 この 地 裁 噺 面に お いて ,T 郎 と・ 部 の 鵑に 断 層 が ない と仮 定す ると, 約lks 顫r 篌 の地 殻 の断 面 が折 4 に 羣 状 に 黷を だ して い るこ とに な る。 キーワード=日本胤 奥尻海嶺,曹醤海童玄武岩,海津地鹽 *1 新進大学理学部 寸盲大学海洋研究所 大学騷学部 富山大学齏学部 故人 海津科学技術セyター *7 北海遭地下資葎喟査听 *8 Faculty of Science, Niigata Univ 酊sity 9 Ocean Reselrchl衂litutl ,Uaiver sity ofTokyo *10 Fa 心ulty of Seieno 氛Kyushu Ui vlrsity *11 Faculty of Science, Toya脯a University *12 Died *13 De ≪p Sea 146eaxch Depsrtment Japan Marine Science 4 Technology ど`おiter * 14 Ge01091cal Survey ofHokkaix1 J M ST EC J ,D ●●p S ●● RU・, 10 (1994 4杤

奥尻海嶺北部における海洋地殻層序 - Japan Agency …...JAMSTEC犀簡研究 第11号 奥尻海嶺北部における海洋地殻層序 宮下 純夫1‘ 徳山 鼾 一一*2

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JAMSTEC犀簡研 究 第11 号

奥尻海嶺北部における海洋地殻層序

宮下 純夫1‘ 徳山 鼾 一一*2 徐   垣*S 竹内  章゛4

石井 次郎゛S 仲  二郎“ 嵯峨山 積*7

●足 海嶺 北 侮に おけ る rし んかいs 岶』に よ る第恥冷 航及び第137 檐航 矚査に より ,水・

U7cm 付近 から氣411m の閠|ご少な く と もs枚a 塊状 玄氏岩屬 の露頭 が圃暉 された。塊状 玄武

岩|まシルト岩中ヘシ ート状に貫入し た・,のとみ られる。その互屬 部より・i諏郎と上 部には シル

ト岩 が主に 耀出しているが, これらは創面と調 和的な 西膩斜 の層 圃を示 しており, 上部か ら重

力 漕 勦してき たものa 考えら れる。一方,塊状 玄氏岩 とシル・岩 とはシャープに接 し,シ ルト

轡は その境 界部に汾・ て灰色に変色L,幼界椰 の走向 はほぽ南北 に近い が柬へ鑁く傾斜し てい

る点 で,握力 欖勸し たとみら れる シル1岩と|ま禺な・l た構 造を示 廴てい る。今翩 の繊皋と これ

ま での rしん かいs 韓o』 やド レ・ クなどの結果に基 づけぱ ,奥尻 海嶺jヒ部の西 側急斜iiには,

t 上郎諡埼 賢年代で少なくと も13Ma から3.7M ● にわ たる厚い堆 積宕,その下位に枕状油 岩と

ハ イアロダラ スタ イト,最下耶に匁状玄武岩と 堆積岩 との互1 餌 からな・ てい る蝗毅断面 が童

状に顛を だし ているa 考えら れる。 この地裁噺 面にお いて,T 郎と・ 部の鵑に断層がない と仮

定す ると, 約lks 顫r篌 の地殻 の断面 が折4 に羣状に黷を だして いるこ とになる。

キーワード =日本胤 奥尻海嶺,曹醤海童玄武岩,海津地鹽

* 1 新 進 大 学 理 学 部

* 2 寸盲 大 学 海 洋 研 究 所

* 3 幼 大 学 騷 学 部

* 4 富山 大 学 齏 学 部

* 5 故 人

* 6 海 津 科 学 技 術 セy タ ー

* 7 北 海 遭 地 下 資 葎 喟 査 听

*8 Faculty of Science, Niigata Univ酊sity

* 9 Ocean Reselrchl衂litutl,Uaiversity of Tokyo

*10 Fa 心ulty of Seieno 氛Kyushu Ui vlrsity

*11 Faculty of Science, Toya脯a University

*12 Died

* 13 De ≪p Sea 146eaxch Depsrtment Japan Marine Science 節 4 Technology

ど`おiter

* 14 Ge01091cal Survey of Hokkaix10

J A MSTEC J, D●●p S ●● RU・, 10 (1994 ) 4杤

Oceanic Crust Section Exposed at the Northern

Okushiri Ridge, North-Eastern Margin

of the Japan Basin

Sumio MIYASH1TA*8 Hidekazu TOKUYAMA*9 Wotm $OH*10Akira TAKBUCBl*" Jlro lSHn*liJiro NAKA*13

Tsumotu $AGAYAMA*H

Submersible dives between 3,040 to 2,264m in water depth were made by "Shlnkai&OO"

at northern Okushiri Ridge located at north-eastern margin of the Japan Basin. Three

massive basalt Cor dolerite) sheets were found between 2

£70 to 2.410m in water depth.

Deeper and shallower places ar? mainly covered by siltstones and debrk deposits. The

beddings oI thesiltstone commonly exhibit a westward dip concordant with the direction

of slops, suggesting that the siltstones were gravitationally slided blocks from the upper

part On (he ether hind, the sHts&tts ini&1jytrt>d with the missive basalts bsv*

eastward dips. On the basis of these observation and previous studies, a crust section

about 1km thick. Is locally exposed as window along the western slope of the northern

Okushiri Ridge. The crust section consists of alternation of dolerite and siltstoce. thick

pillow Uva and hyaloclastlte, and sediments ranging at (east from 1$ lo S.TMa. in

ascending order. This crust section probably corresponds to the oceanic crust of the

Japan Sea.

Key words: Japan Sea. Okushiri Ridge, Back-arc basin basalt. Ocean cruel

1.は C め に

日本海北東縁の奥尻海隹齔喰部,北緯仙 付゚近から大

量の玄武岩質枕 状溶岩 がド レ・ ジされ(宮下11 か,

1987),「しんかい2000」の潜航調査|こようても玄武岩か

らなるsI●が確認 された(宮下磋か,1999; 徳山ほか,

19a9)。本論文ではこれらの玄氏岩類を奥尻海鵬玄武岩

と呼ぷ。また,すイスミ。クプoフフ・4ルの検討も行わ

れており,これらの結果から,当埔域には日本海海津汕

黻が大観擯に上昇していると考えられている(宮下・土

谷。1988; 嗇t 1988; 徳山ほか。196S ; Tokuyama et

al., 菖992)。日本海東縁部はプレート境界のジ●ンプや

斬生海溝問爾などから注目を集めていたが(玉木,1984

など),日本海海洋地般の岩石字的実体を解明するうえ

でも,極めて重要な紬瀘と考えられる。ドレ7ジで得ら

れた玄武岩類の岩石学的性格は。宮下・土谷(1988)に

よ・sてその概要が報告されているが,その氛 さらに大

量の岩石試料がドレ。ジによ。て探取されるとともに,

「しんかい-11」による潜航調査が引き毓き行なわれて

おり,さらに1的1-e2年度には『しんかい6500』による

4郤

潜航 調査も行 われ た(宮下ほか,1992 ; 竹内ほか,

1992)。

本論文では,「しんかい6500 」による第50潜航綢軣及

び第137 潜航綢査の結巣について報告するとともに,こ

れまでの調査結果をあわせて奥尻海嶺北郷における海洋

地般屆彫について検討してみる。また,年代学的な問皿

や今後の検討霏麺についてもふれる。

2.これまでの圃重と第9及び揶13? 潜航■査の

位置

奥尻海嶺|ま日本海盆の柬縁に,ほぽ南北30{}k●にわ

たりて連続する皿耆性の海嗷である( Tamaki.196S)。

北から北部( 海洋海山),中邸, 陶鄒( 奥尻島) の9つ

のセグメントからなり,これらが雁行狄に配列している

(図 1)。 海洋海山は纜都 が水海約1.0eOm で, 西側は

2μOm ほどの落差をもつ急斜面を経て, 日本海忿の濛

誨暖となりている。 東側は謖やかな傾斜で濠度をまして

ゆく。

圜21 こドレッジと「 しλ かい匐00」,「 しんかい650e」

JAMSTEC J. Doep $・●R●&,10 (1994)

圀 1 実 麦 域 の位 皿 図 。 図 2の 位 置 が 示 され てい る。

Fig. 1 Index map of the survy area. T M 10catjon afFig・

2 is shown.

による潜航調査が行われた場所を示す。奥尻海嶺北部に

おけるこれまでの闃査・・ を以下4こ要約する。1986 年,

淘洋海山西側斜面(86KS )から大量の玄武岩質枕状溶

岩が東海大学里屋丸によ。てドレ。ジされ(岩下llか。

1987 ;宮下ほか,1987 )。翌年5月には東京大学海洋研

の泱青丸によ・て。数km 北側の地点(87KT )から再

び類似した岩石が採取された(Taiuki etal. ,1988D 。

1988年には望星丸によ・3て S地点でのFレッジがなさ

れ。2か所(部KsM1 及ぴ88KSM2 )から大・ の枕状溶

岩やハイアc クラスタイト が採取された 〔石#li か。

1969a 〕。 さらに同年には海洋科学技術・ yターの【し

んかい204】0』によりて潜航調査が行われ,枕状溶岩や/ヽ

イアロタラ スタイトが急・ に連続的に匍出していること

が確 かめられた(宮下ほか,1989 ;徳山 岨か。19 舶)。

1989年|こは, 東海大学により6地点でのドレ。ジか行な

われ。そのうち2か所(89TB2; SgTB3 )からは大・ の

ドレライトや玄武岩順が採取された(石井ほか,1989

b )。最大のサンプルは重量が120kg にも達するドレライ

トの巨聹で, 大量のドレラ4卜が採取された。また,珪

顧質シルト岩 や硬質 シル}岩も大量に探取されている

が,こ れらから座曲した哇離化石は,7; ja&・1帯から

r oux嘩jj 帯を示しており,地賢年代はl蠹ぽ13Ma から

!7Ma に相当する(嵯峨山,1990; 嵯峨山岨か, 1S91 な

ど)。

JAMSTEC J. D・●p s●● R●・。 10 (1994)

圓 2 奥・ 海 錨 北 鄒 の海底 地 形図 及 び躪 絋jl 査 ・ ド レ ッ ジが凋

施 さ れ た地 点。 l:玄 氏岩 蔬が 捏ll さ れた ド レ ッジ . 2:

堆 謨 岩 の みが 採取 さ れ た「 レ ッ ジ.3:「し ん か い201 ×1」

及 ぴ 「し ん か い 髄 軸」 に よる 濳 航調 麦蛙 点 . 4:潭 洵 曵

航 カ メ ラの 钁痢

n S.2 Balll y●elric 譜ap ak叭窰t M IMxtllerll Okushiri

R14St The locations 01 1b s &s山1£di vls b r

‘Stin 砒a1200r and “Shlnkai 684Xy7. d redSed plas・

●ad txlck OF the d ●夘-la w camer● ge sbowxl. 1 :

drsdSe points whertb 碼slic で-oeks were mainlr

心jled.2: 鈿 騨 凾t l wl 啣 黝db - 匍

recks were obtまiaed.3:tracks of sふbynenjble

dives. 4 : (rack of deep-10w cameft

199L 年 に な さ れ た 「し,4」か い6500 」 に よ る 第50 潜 航

は , こ れ ま で の ド レ ッ ジ に よ り ド レ ラ イ ト が 大 量 に 採 取

さ れ て い る 場 所 に近 接 し た1 ●憾 で . 事 前 に 実 施 さ れ た マ

ル チ ナ ロ ー ピ ー ム に よ る 齟 底 地 形 図 に よ り て 斜 面 の 傾 斜

が も . と も 急 な 付 近 が 選 択 さ れ . ド レ ラ イ ト な い し 塊 状

玄 武 岩 の 露 頭 が 発 見 さ れ た .1992 年 の 第19? 灑 航 調 査 で

は , 同 一 露 頸 の 発 見 と そ の 詳 し い 観 察 を 目 的 と し た . こ

れ ら 2 回 の 潜 航 ● 査 の 航 跡 図 を 圀 3に 示 す .

徇7

3。第50潜航と137潜航における観察結杲

3.1 第50潜航

第50潮航は水深3,040m から2,520m の落差約520m ,航

走距 離1,100m にわたって行われた(図 3)。水深2,800m

付近 までは,泥質な斜面ないしシルト岩や玄武岩の崖錐

に覆われた斜面 が続く。 まれにシルト岩の露頭が斜面の

底か ら顔 を出して いる のが観察 された。2.800 mから

2,740 m付近は 斜面 の傾斜は急で, シルト 岩 の見 事な

「 露岩」がかなり迎続し て観 察さ れた。 シルト 岩の層理

構造 はほとんど の場合斜面と調和的であることから,よ

り上 部か ら重力的 に滑 落して きた ものと 思 われ る。

2.740m 付近から2.570m 前後 にか けて は, 主に 玄武 岩か

らなる崖雎や斜面に平行な滑り面を介している破砕され

たシ ルト岩の露朗がしばしば観察さ れた。 なお, 水深

2,700m,2,730m 付近などで 玄武 岩の大きなブロッ クが

観察されたが,露 頭かどう かは 不明であ る。水深2,560

m 付近から2,5・10mの落差20m にわたって,塊状玄武 岩か

らなる壁か出現した。

3。 2 第137潜航

第137 榊 航は。 節50 潜 航とほぼ同じ ルート で, 水深

2.700m か ら2,280m の落差約120m, 航走距離800m にわ

たって行われ た(図 3)。以 下に 各水深ごとに 奴束 され

た要点を述べる。

塊状玄武岩が山 現するまでの水深2,570m 付近までは

第50 潜航と同様に, 主に玄武岩からなる崖唯や斜山 に平

行な滑り面を有している破砕されたシルト 岩の露頭がし

ばしば観察された。写 真1は水深2590m 付近 の小 さな

崖で,その断面がよく現われている。上部の1-2mほ

どは玄武岩から主になる乱雑な崖錐堆漬物からなり,そ

の下位にはシルト質 の層が露出している。 この シルト質

層には斜面の傾斜方向 とほぼ調 和的 な構造 がみら れる

が, この搆造は斜面の大局的な傾斜方向とほぼ調 和的で

あり,また, 礫を含むことからも。 斜面上部から滑落し

てきた崖錐性の堆積物と考えられる。水 深2,567m にお

いて,塊状玄武岩ないしドレライトの大きな露頭が出現

した。手前側は破砕さ れた シルト岩で, 玄武岩はほぼ南

北止向で西側へ急 立し た平滑な面で出現していることか

ら(写真2), シルト 岩と の境 界部は断層面(正断層)

と推定さ れる。この塊状玄武岩の露頭は。第50 潜航と同

様に約20m ほどの落差にわたって露出しており,塊状な

産状を示している(写真3)。ここで岩石試 料を採取し

た。

この塊状玄武岩のすぐ上fa の水深2,545m 付近には白

色のシルト岩 が出現する(町輿4)。 下位の塊状玄武岩

との閥は崖錐に覆 われており, 両者の直接的な関 係は観

察されな かった。写輿4に示されているように,この白

色シルト岩の上位には再び塊状玄武岩が出現する。写真

5の左上側から右下方向に両者の塊外部が走 っており。

接触部のシルト岩は灰色味を帯びている。ま た, シルト

岩には。写真では わかりづらいが,その接触部とほぼ同

方向の層理面が見られる(写真4)。 この走向はほぼ南

北であるが。 東側 へ傾斜している点で, 滑落したと見ら

れるシルト岩の構造とは異なってい る。 こうした産状か

ら, 上位の塊状玄武岩はシート状に 貫入したものと考え

られる。 上位の玄武岩は, 角状の節理が発達した塊状な

産状を示して いる(写真5)。 塊状 玄武岩の露頭は水深

2.538m 付近まで確認された。

水深2,530 m以 浅で は,創面 は崖錐に覆わ れているこ

とが多いが。2.410m 付近では シルト岩 の間に塊状玄武

岩が再び山現し た。 玄武岩は水深2,458m 付近で も篤頭

(?)が見られた。 シルト 岩の篤頭は水深2.451.2443 ,

2,409m 付近 などでそ れぞ れ観察された。 水深2,400m 以

浅は斜面の傾斜かやや緩くなり, 大さな岩石 のブロッ ク

は所々に分布して いたが, 玄武岩の露頭は允見されず,

斜面に調和的な構遭を有するシルト 岩の露朗 が局所的に

みられたのみであ る。

4。奥尻海嶺北留における海洋地殻層序

今川の2回 の潮航調 査により,奥尻海嶺北部からはじ

めての塊状玄武岩の露頭か確認され,その産状が明らか

となった。塊状玄武岩はシルト岩中ヘ シート状に貫入し

た ものと考えら れる。塊 状玄武岩とシルト 岩の互層 部

は,間に断層 が存在していないと仮定すれば,少なくと

い60m 以 上の厚さを有し, 最低で 63枚の塊状玄武岩

層が挟在している。一 方, その互層部よりも深部の水潔

関 3「し んかいG500」の卵50 潜航と137 潮航の航跡閥及び

7ルチナローピームによる瓦lj171の洵吐地形図

Flfi. 3 Submersible tracks of Dive #50 and #137 of I liesubmersible *Shinkai 6500* on the multi-narrow

beam map.

JAMSTECJ Deep Sea Res. 10 (1994}

図 4 具 尻海 嶺 北都 にお け る槇 式 的 な 地 質 断面 図 。日 本 海梅 洋

地 殻 の 上 留 の 地 殻 断 面 が 示 さ れ てい る も の と 考 え ら れ

る 。

Pig. 4 Schematic geologic igt lon across t he northern

Okushiri Ridge, which i s believed to be upthrust

crustal ゛ftioll of t he ocean cれ埣t of the Japln

Sea.

約2j70m 以潭にはシルト岩 が霧出しており,また,そ

の互層部よりも上都の水深2,400m 以浅では,再びシル

ト岩が主に露出している。これらのシルト岩 の露頭の大

夥分は,斜面の方向(西側傾斜)と詞和的な層理を有し

ており,また,斜面の方向に調和的な破砕された構造が

観察されている(徳山ほか, 1989) ことな どから考え

て,これらは斜面の上部から重力滑動してきたものと考

えられる。ドレヅジや潜航調査によ。て得られた堆積岩

の年代は,採取深度との聞に相 関性がなく(嵯峨山ほ

か。1991 ),系統性が認められないこ とも, これらの堆

積岩が上部から滑落してきたという考えと飼和的であ

る。一方,塊状玄武岩とタルト岩とはシャ ープに接し,

シルト岩はその境界郎に汾って灰色に変色し,境界郎の

走向はほぽ南北に近いが柬へ緩く傾斜している点で,重

力滑勦したとみられるシルト岩とは艮なった構造を示し

ている。これまでの最も深都からのドレフジで ある87

KS や88KSM3 などにおいて, 堆積岩しか採取されてい

ないのlt 堆積岩が上部から大規模に滑落しているため

と考えられる。したが・。て,その百●郵は窓状に顔を出

しているものと考えられる。

一方, 水渊印00m よりも洩所で は厚い枕 状溶岩や八

イアロクラスタイトからなる兔●が確認されており,今

回観察されたような塊状玄武岩は存在していない。これ

までのドレッジの結果も「しんかい20(X)」や『しんかい

6500』による綢査結果と調和的である。つまり, 塊状玄

武岩ないしドレライトが大・ に採 取されたドレッジは。

89TB2, 肘TB亀87KT であるが, これらはいずれも水深

2μ00m を超え る地点である。 一方, 枕状溶岩や/ イヽ ア

JAMSTECJ. DspSu Ru.,10(1994)

ロクラスタイトが主に採取されたのは86KS. 68KSM1.

881SM2 であるが,前者2地点は水鈿がほぽ2,000m 以洩

で. 88KSM2 地点は中閥的な屎度である(図3)。

嘔上の結果に篶づいて,奥尻海嶺北部の榎式的な地質

断面は図4のように描かれる。この複式的断面におい

て, 下郎と上部の間に断層がない と仮定すると, 約l

km爾後の地鶴の新i が所々に窓状|こ頭をだしているこ

と1ごなる。つまり。ここでの畳上部は地賢年代で少なく

とも13Ma から3.7Ma にわたる厚い堆積岩,その下位に

枕状溶岩とj・イアロクラスタイト,最下部に塊状玄武岩

と堆積岩との互爛 都からな。ていると考えられる。な

お,圜4では堆穡岩と下位の枕状滄岩・ハイアgクラス

タイトとは冐●を経て移化するとしているが。実際の潜

航躙査においては,ひとつ○とつの輒頭についてそれが

上部から大規援に潘落してきたのか,あるいは現地徃の

衂頑であるかの判定が困難であることから,墸騰岩と溶

岩嫺との・ 序闘係についてはより群細な翼査が必要であ

る。

5. 討 ● 及 ぴ 鶇 さ れ た 澗 題 点

奥 尻 海 嶺 玄 武潛 の 岩 石 学 的 性 絡 に 関 し て は言 下 ・ 土 谷

(1988 )。 宮 下 ほ か (1993 ) に よ り 。 全 岩 化 学 繼 虞 ・ 徼 ●

成 分 爺 成 ・ 単 斜 輝 石 の組 成 的 特 徴 な ど に つ い て 叙 告 さ れ

て お り , 5つ の ダ ル ー プ ヘ 分 顛 さ れ て い る。 こ れ ら の 5

グ ル ー プ に は, HFS 元 素 に 富 ん だ E- MORB と し て の

性 格 を 有 す る も の か ら, そ れ に や や 乏 し い 鳥 弧 玄 賦 岩 的

な 性 格 を 有 す る も の まで , 多 様 であ る。 上 記 の 地 蛟 層 序

と の 関 係 に つ い て み て み る と , 上 郡 の 鯰 登 溶 岩 や ハ イ ア

ロ ク ラ ス タ イ }は 魯 弧 玄 賦 岩 的 な , 下 位 の ド レ ラ イ ト は

E- M ORB 的 な特 徽 を 示 し て い る 。 一 方 , 0DP に よ ・ て

日 本 海 盆 と 大 泉|海 盆 か らえ ら れ た 岩 石 類 と 比 較 ず る と ,

0 DP の 試 料 は サ イ }ご と に 員 な 。 た 特 徴 を 有 し て い る

が , HFS 元 素 に富 ん だ ソ レ ア イ ト(E-MORB) と 鳥 弧

玄 民 岩 的 な 性 格 が 強 い4, の と の 2 つ に大 別 さ れ て お り

(χ. TamakU CPisci UQ J.AIlan,etal.,1990 ), 奥 尻 海

儂 玄 武 岩 と 類 似 し て い る (富 下 ,199S )。 こ れ ら の こ と

は , 奥 尻 洵 巍 北部 の 西 働 急 隶1面 に 日 本 海 海 津 地 般 が 大 癇

篌 に 上 昇 し て い る と の 考 え ( 宮 下 ・ 土 谷。19 腿 ;

Tokuyama et a1、 1992 な ど ) と胃 和 的 で あ る 。 し か し ,

奥 尻 海 嶺 北 部 が日 本 海 海 洋 地 般 の 断 面 を 稠 し て い る か ど

う か に つ い て| ま, 年 代 学 的 に 衂 ま だ 問 題 が 孤 さ れ て い

る 。

日 本 海 の 形 成 時 期 諡 古 地 磁 気 廖 的 研 究 か ら15Ma 前 後

の 短 期 間1 ご念 遽 に 生 じ た と す る 鬼 方 が 支 配 的 で あう た が

4∂

(Otofuji and Matsuda. I9S3,1987), OOP に よ る結 果 は

かな り 占 い 時期 か ら 拡大 が 開 始 し。 海 盆に お け る玄 武 岩

の 主 要 な 活 動 時 期 は28 -18Ma と 推 定 さ れ て い る

(Ta・aki ct al。 1992) 。 こ の根 拠は 玄武 岩類 の“ Ar-

lsAr 年 代 で. Site 794:2 ←21Ma,Silc795:17 ―24Ma,

Site 797 : 18 -19Ma と い う 結 果 が 得 ら れ た こ と に よ る

(Kancoka et al.,1992) 。 一 方, 玄 武 岩の 直 上を 覆 う堆

積岩 の 年 代 とし て はSite 794:15 ―IfiMa, Site 795:13

―15Ma. Site 797 : 17-11. 5Maと い う 結果 が 得 られ てお

り( Tamaki cl a1.。1990). Site 797 で は玄 武 岩 の年 代 と

よい 一 致を 示し て い る もの の Site 794 , Site 795 に 関

して は 数 Maの 年 代 ギ ャ ップ が存 在 し てい る。 この 理由

につ い て, Tamaki ct a1. (1992) は, Site 791 こつ い て

はハ イ ア タス か 堆 積 岩/ 玄武 岩 の 境 界 部に 存在 し て い る

こと Site 795 に つ いて も同 様の ハ イ ア タ スを想 定 し て

お り , 基 盤 の高 ま り の上 で の 掘削 な の で、 堆 積 岩が オン

ラ ップ し てお り , そ の ため 古 い堆 積 岩 が欠 如 し てい る と

説明 し て い る。

一 方 , 奥 尻海 嶺 玄 武 岩 の `゚Ar-3s Ar年 代 は約14Ma と

い う値 が 得 られ て い る( Kancoka CI al.. in press) 。 ま

た, 東北 日 本 で は16 -13Ma に 大 量 の 玄武 岩が 噴 出 し て

お り , 中 期中 新 世の これ ら の 火成 活 動 は日 本 海 形成 時 に

伴 う も の と 考 え ら れ て き た( 例 え ば , 周 藤。1986 ;

Tsuchiy a.1990) 。 東北 日 本 弧に お け る それ 以 前の 火 成

活動 は22 -25Ma 前 後に 限 ら れて お り, そ の性 格 は 岩 石

学的 検 討 か ら リ フト に伴 う火 成活 動 の 可能 性 が 考え ら れ

てい る 【山 本ほ か。1991) 。011P の結 果 か ら 日 本海 形成

時 の 火成 活 動 の 時 期 を28 -18Ma と す る と, 中 期 中 新 世

の東 北 日 本 弧の 火 吹 活動 や奥 尻海 嶺 玄 武 岩は , 日本 海 形

成後 の火 成 活 動 と い う こ とに な り。22Ma 以 前 の火 成 活

動は 日本 海 拡大 時 の も の とい う こ とに な る。 し かし , 日

本海 及 び そ の沿 岸 部 の唯 積 岩 の サ クセ シ ョ ンか ら推 定 さ

れ た 沈降 曲 線 は , 急 速 な 沈降 が15Ma 前 後 ま で継 続 し て

い た こと を 示 し てい る(Ingle. 1992) 。 ま た,10Ma 付 近

ま で は応 力 は 延 張 場 に あ り圧 縮 場 に 転 換 す る の は1OMa

以降 と考 え ら れ てい る。 こう し た こと を考 由 す る と, 日

本 海 拡大 時 の 火 成 活 動 を18Ma ま でと 限 定 す る には , ま

だ疑 問 が 多 く。 奥尻 海嶺 玄武 岩 や同 時 期 の 東北 日本 の火

成活 動 が 日 本海 拡大 時 の雌 後 の時 期の も の であ る 可能 徃

か 高 い。

今 川, 奥尻 海 嶺 北 部 に は約1km 前 後 の 地殻 断面 が窓

状 に露 出 し て い るこ と, 特 に その 下位 に は塊 状 玄 武 岩と

シル ト岩 が 瓦層 状に 露出 して い る こと を 報 告し たが, そ

の シ ルト 岩 は ま だ採 収 さ れて い な い。 こ れ らの 岩 石 が採

取され, 化石年代が決定されるならば,上記に述べた年

代学的問題か解決されると思われる。 ところで。1993 年

7月にM7.88に達する巨大地震,北海道南 西沖地震 が発生

し。 奥尻島などに大きな被害を もたらした。 この震源は

奥尻島の北西側で,こ れまで集中的に訓 査されて きた地

域の数十km ほど南側に位置している。 今回 のこの地

震により, 奥尻海嶺の急崖では巨大崩壊 が生じている可

能性があり, 新鮮な露頭が出現していることも考えら

れ, 今後のより詳細な調査・研究か強く望まれる。

謝 辞急峻で困難な場所で の潜航を,安全で かつ果敢に果た

された潜水船パイロットをはじめとする運航チームの皆

様や「よこすか」の乗組員の方々に厚くお礼申し上げま

す。 また,筆 者らに共同研究の機会を与えてくださった

海洋科学技術センターに感謝します。

なお, 若者の1 人である石井次郎先生は1992 年4月 1

日逝 去されました。ここにご只福をお折りします。

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学 的 特 徴 岩 鉱 , 芻, 匐?-521.

(原鵬受理:1994 年a月30 日)

(注) 写裏は次ページ以降1こ掲載

45j

町 貞l 水 深2.595m 付近 の破砕 され たシ ルト 岩の j露 頭.

PI尠IQ1 0 ulcrop or crushed silicone i・1 2,595m ill w 4tcr

deplh.

町 心2                 qj 輿3

7パ12.3 塊 状玄式 むの露 助( 水深2,560m) 。 町 貞?のr・前飼 に は破砕 され たシ ルトy; か琳 川し てい る。

Ph。1.s 2 and 3 SlccI , clilf conMsliriK olmassi vc 1, 。11 lu dolcrik' (2j65 -2.540 ㈲。 ドronl u 凵he dirf of doIcrit c

(lowcr rigth side of Ph 心102).shearやd sillslonesarぐぐχp(4ぐd ,

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町 貞 4

町貞4 ,5 シルト升及びその|、仙の塊状玄武岩の淬:状{ 水深2冫10m }

町 真

JAMSTEC J. Deep Sea Res.,10(199・幻