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世界一黒いもの 黒の物語その 3 今日はいよいよ塗料の黒の話になります。昨日最後に書いた「天然界や人工物における黒 いものは、ほとんどが微細な立体構造により光を反射させないようにしているものでし た。こうした物質は塗料に使用できるのでしょうか?」ということに対する答えを先に書 きます。答えは残念ながら Noです。それは、一般の塗料では、「構造色」を発現するため の微細構造を、塗装時や乾燥時において塗膜の中に精密に配列させることが困難であるこ とに加え、塗膜形成時に樹脂が表面に配向して樹脂層を形成するため、必ず塗膜表面で光 の反射が起きてしまうことが想定されるからです。 さて「黒い塗料」にはどんなものがあるでしょうか?定量的なデータの裏付けはありませ んが、まずは、世間で評判の高い「ピアノ・ブラック」と「漆黒」についてご紹介しま す。 黒いピアノは世界的なスタンダードです。 舞台の上で照明を浴びながら燦然と黒く輝くグランドピアノの優雅さは、誰しもが認める ものであり、塗料がなしうる美の極地とも言えるのではないかと思います。一体「ピア

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世界一黒いもの 黒の物語その 3

今日はいよいよ塗料の黒の話になります。昨日最後に書いた「天然界や人工物における黒

いものは、ほとんどが微細な立体構造により光を反射させないようにしているものでし

た。こうした物質は塗料に使用できるのでしょうか?」ということに対する答えを先に書

きます。答えは残念ながら No です。それは、一般の塗料では、「構造色」を発現するため

の微細構造を、塗装時や乾燥時において塗膜の中に精密に配列させることが困難であるこ

とに加え、塗膜形成時に樹脂が表面に配向して樹脂層を形成するため、必ず塗膜表面で光

の反射が起きてしまうことが想定されるからです。

さて「黒い塗料」にはどんなものがあるでしょうか?定量的なデータの裏付けはありませ

んが、まずは、世間で評判の高い「ピアノ・ブラック」と「漆黒」についてご紹介しま

す。

黒いピアノは世界的なスタンダードです。

舞台の上で照明を浴びながら燦然と黒く輝くグランドピアノの優雅さは、誰しもが認める

ものであり、塗料がなしうる美の極地とも言えるのではないかと思います。一体「ピア

ノ・ブラック」にはどんな秘密があるのか気になるところですが、実は塗料が飛びぬけて

すごいのではなく、「ピアノ塗装」と呼ばれる独特の塗装方法にこそ大きな特徴がありま

す。

「ピアノ塗装」とは、不飽和ポリエステル樹脂とアニリンブラックという有機色材からな

る塗料を、数百ミクロンの厚さで塗装し、表面を平滑に研磨した後、バフとコンパウンド

で磨いて光沢を出す塗装方法のことであり、大変な労力と時間を要する塗装方法です。塗

って終わりではなく、削って平滑にし、さらに磨きをかけてあの美しい塗装が完成される

わけです。したがって、「ピアノ・ブラック」の優雅な仕上がりは、「ピアノ塗装」なくし

ては成立しないと言ってもよいと思います。

他方、「黒い塗料」には「漆黒」というライバルがありました。ライバルというよりは、

同じ塗装という手段で加飾されるために、どうしても漆と比較されてしまう立場にあった

という方が正しいかもしれません。それでは、「漆黒」というのはどんなものなのでしょ

うか?

「漆黒」はこのように説明されています。「黒さを表す言葉に「漆黒」とか,「カラスの濡

れ羽色」と表現される言葉がある。漆自体は、ウルシオールを主成分とする褐色の液体で

あるが、ウルシオールは金属に触れると金属と錯体を形成し黒くなる。鉄,銅,コバルト,亜

鉛,鉛,マンガン等の金属は黒く着色するし,表面の質感も金属によって異なってくる。現在,

「 漆黒 」と表現されるような黒い漆は生漆と鉄材とから製造されている。鉄材としては,

水酸化鉄を用いる方法と鉄粉を用いる方法がある。また、製漆業者によっては補助的に松

煙を加えているところもある。」(「うるしと鉄」 蜷川 彰)

https://www.jstage.jst.go.jp/article/sfj1989/51/10/51_10_983/_pdf/-char/ja )

「漆黒」で塗り上げたものは、確かにあくまで黒

く、そして美しいのですが、塗装や乾燥過程の管

理が難しく、また耐候性が不十分であり、工芸品

はともかく工業用塗装には向きません。つまり塗

料として一般的に使用されうる材料ではないので

す。

優美な黒漆で彩られた朱肉入れ

「水引宝尽くし」 山家漆器店のサイトより引用

https://www.prinmail.com/shop/products/detail/1198

と言いつつも、ここで珍しい写真をご紹介します。漆で塗装されたピアノです。

輪島の有名な漆器店である五島屋さんのショールームにある(下記 URL)漆塗のピアノで

す。残念ながら、厳密な色の測定はなされていないので、「ピアノ・ブラック」と比べてど

ちらが「黒い」のかは不明ですが、こちらも十分に「黒く」美しく輝いて見えます。

https://www.goshimaya.com/about-us

以上ご紹介した二つのものは世間の評判は高いのですが、工業用途として一般に使用でき

る材料にはならないものです。本項の主題は「世界一黒いもの」でしたので、ここではあ

くまで一般の塗料にこだわって「世界一黒いもの」を考えてみたいと思います。

一般の方法でも塗装できる塗料の範疇で黒い色を作ろうと思ったら、現在の技術ではカー

ボンブラックを使わざるを得ません。今でこそ、ペリレンブラックはじめ、チタン系、ク

ロムフリー系(クロムフリー系の複合金属酸化物)など様々な黒顔料が市場に出ています

が、使用実績から言えば何と言ってもカーボンブラックが黒い色の塗料を作るために使用

される顔料の代表です。このシリーズの最終章として、どうしたらカーボンブラックで

「黒い」塗料を作ことができるのかを考えていくことにします。

カーボンブラックは、炭素からできた原材料で、その名前のとおり黒い色をしており、油

などを不完全燃焼させて作ります。現在は主にファーネス法という方法で製造されてお

り、燃料と空気による燃焼熱によって原料油を連続的に熱分解させてカーボンブラックを

製造しています。

カーボンブラックの特性は、その形状や性質に基づき以下のように整理されています。

カーボンブラックにおいては、一つ一つの粒子の大きさ(1.粒子径)とその表面の性質(3.表

面性状)、粒子のつながり具合(2.ストラクチャー)とその凝集物のほぐれ具合(4.凝集体

分布)の 4 つが重要な特性のようです。

と今日はここまででずいぶんと紙面を使ってしまいました。これらの特性と黒さの関係に

ついては、明日にさせてもらいます。

本日記載のカーボンブラックの製法や特性に関しては、旭カーボン社のサイト(下記 URL)

1. 粒子径  カーボンブラック粒子の大きさ。粒子径が小さくなるほど比表面積が大きい。

2.ストラクチャーカーボンブラック粒子同士のつながり具合。吸油量の指標。この吸油量が多いほ

ど複雑な形状をしている。

3.表面性状カーボンブラックの表面に多くの官能基が結合しており、これらを変化させるこ

とで、配合した時の特性を変化させることができる。

4.凝集体分布凝集体(カーボンブラック粒子同士が融着したもの)のサイズのバラツキ具合。

この分布がシャープであれば、同じサイズの凝集体が多いことをしめす。

物理化学的特性

から引用、要約させてもらいました。感謝いたします。ほかにもいろいろとカーボンブラ

ックに関する技術的な情報が掲載されていますので、是非ご参照いただくようお勧めしま

す。https://www.asahicarbon.co.jp/product/cb/index.html

世界一黒いもの 黒の物語 その 4

さていよいよ最終日ですが、本日の主題である「カーボンブラックを使った最も黒い塗料

を作るには?」というのは、実は相当な難問であることがわかりました。なぜなら、塗料

についての光の反射率(あるいは吸収率)については、ほとんど公表されているデータが

ないのです。そんな中で、数少ない関連文献の記述から、「世界一黒い塗料」はどんなも

のであるのかを考えてみます。

一つ目の文献は、1996 年の色材協会誌に掲載されたコロンビアカーボン社の「黒色度およ

び底色に関するカーボンブラックの特性と分散効果」というタイトルの文献です。この中

に、光学適性として黒色度の記述があり、粒子径が小さいほど黒色度指数が高い(黒い)

ことを明瞭に示しています。このグラフの縦軸は黒色度指数という目視での評価数字です

が、分光光度計による反射率測定の結果ともよく整合すると述べられています。

「黒色度および底色に関するカーボンブラックの特性と分散効果」R. L. Taylor (Columbia Chemicals) 他

色材、69〔6〕、389-395(1996)

表現方法は違いますが、粒子径が小さいほど、黒度指数が高いという記述は、もう一つの

文献、1981 年の色材協会誌に掲載された三菱化成(現在の三菱化学)の方が書かれた「カ

ーボンブラック顔料」というタイトルの

報文でも書かれています。少し複雑な図

ですが、図の中央にある粒子径が小さく

なるにつれ、上に書かれた黒度指数が上

昇するのが見て取れます。

この文献では、さらに黒色度を決める

因子として、粒子径の他にストラクチャ

ーと表面性状をあげ、ストラクチャーが

小さくなるほど(粒子のつながり具合が

少ないほど)黒さが増すことを指摘して

います。つまり粒子径が小さく、つなが

り具合が少ないほど黒い塗料が作れると

言っているのです。

「カーボンブラック顔料」 石橋他(三菱化成)、色材、54〔11〕690-696,1981

このことを、カーボンブラックの商品カタログに記載された特性値で確かめてみました。

二つのメーカーの製品データを調べてみましたが、幸い特性値は共通でした。「黒さ」を

表わす特性として PVC 黒度指数というのがありましたので、この数値を粒子径の関係を

図にしてみました。PVC 黒度指数とは、PVC 樹脂と混ぜ合わせた時の基準物質に対する

相対的な黒さで、値が大きいほど「黒い」ことを示しています(ただ会社によって基準物

質も相対値も異なります)。

両社の PVC 黒度は基準も相対値も異なっているので、これらを横並びで比較することは

できませんが、両社のカーボンブラックとも粒子径が小さいほど黒色度が高くなることは

確認できました。

ちなみに、この粒子径と黒色度の関係曲線は、反比例の関係にあるように見えます。これ

は、比表面積が粒子径と(理論的にも実際にも)反比例の関係にあることに起因していると

考えられます。以下にメーカーB のカタログ値における粒子径と比表面積、比表面積と黒

度指数の関係を示します。

究極の黒塗料とは、粒子径が極めて細かい(比表面積の大きい)カーボンブラックを使用

した塗料だということがわかりました。しかし、この結果手放しで喜ぶわけにはいきませ

ん。なぜなら、実際に粒子径の小さなカーボンブラックを、きちんと分散するのは容易で

はないからです。カーボンブラックは、基本的は連続したグラファイト構造の集積であ

り、化学的にみれば非常に不活性で取り付くシマもない構造です。そこで、塗料用途では

酸化処理によって表面に残された官能基を手掛かりにして、なんとか樹脂や分散剤がとり

051015202530354045

0 20 40 60 80

粒子径とPVC黒度指数

平均粒子径(nm)

黒度

指数

メーカーA

60708090100110120130140150160

0 20 40 60 80 100

粒子径とPVC黒度指数

平均粒子径(nm)

黒度

指数

メーカーB

つきようやく安定化させているのです。粒子径の小さなカーボンブラック使ったとして

も、きちんと分散できていなければ、狙い通りの黒さは得られないのです。

先ほどのコロンビアカーボン社の文献に、分散の良い例と悪い例の透過型電子顕微鏡写真

が載っていましたので、引用させてもらいます。悪い例では、大きな凝集物が存在してい

ることがわかると思います。さきほども書きましたが、カーボンブラックの分散は決して

容易ではありません。

「黒色度および底色に関するカーボンブラックの特性と分散効果」R. L. Taylor (Columbia Chemicals) 他

色材、69〔6〕、389-395(1996)

さてここまでで、カーボンブラックを使って一般の方法で塗装できる塗料で最も黒いもの

は、「できるだけ粒子径が小さく、ストラクチャー小さいカーボンブラックを使い、最適

に分散されたもの」であることがわかりました。それでは果たしてそれは、昨日ご紹介し

た「ピアノ・ブラック」や「漆黒」に比べてどのレベルにあるのか?が気になることだろ

うと思います。公開されている情報の範囲では、この問いに対する答えは見つからないの

ですが、ある塗料会社の社内報では、比較したデータがあり、ほぼ同等のレベルまでに到

達していたとの情報がありました。あくまで最適分散という条件は付きますが、塗料でも

工芸品に並ぶところまで到達しうるというのは勇気づけられる情報だと思います。

さらに、もう一つ是非注意して見てもらいたいところがあります。それは先ほどの図-3 の

下の部分です。実は比着色力のピークは、最小粒子径にはありません。比着色力には、最

適な粒子径(16~20μm)が存在するよ

うです。通常、有機顔料の場合は、粒子

が小さいほど着色力が大きくなります

が、カーボンブラックは極めて小粒径で

あり、必ずしも最小粒子径が最大着色力

ではなく、ある程度粒径が小さくなると

飽和する傾向にあります。これは、やは

り分散が難しくなるためと考えられてい

ます。

このため、カーボンブラックを使用する

ときは、何が何でも「黒さ」をもとめて

粒子径の小さなものを使うのではなく、

用途やコストパフォーマンス、取り扱い

やすさとのバランスを考慮して選択する

必要があるのです。

最終日のカーボンブラックを使用した黒い塗料については、説明が着色の側面のみに偏っ

てしまいました。カーボンブラックには、着色以外にも、導電性付与や、物性補強、紫外

線吸収などいくつかの魅力ある機能が期待できます。それと同時にいろいろ使用上の問題

や制約があるのも確かであり、とても奥の深い顔料なのです。これを機会に少しでも、黒

という色のこと、それを具現しているメカニズムや、黒い塗料の主要原料であるカーボン

ブラックに興味を持っていただいたのであれば幸いです。

本日記載部分も含め全般にわたり、元関西ペイント株式会社の中畑顕雅氏より、文献の紹

介や写真等の資料提供とアドバイスをいただきました。深く感謝申し上げます。