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Press Release 1 ウイルス様粒子が中空糸膜に捉えられる瞬間の 「動的」画像化に世界で初めて成功 学習院大学理 西坂崇之 教授・旭化成メディカル株式会社の研究グループ 英科学誌「Scientific Reports」にて掲載 2021 1 13 報道関係各位 学校法人学習院 総合企画部広報課 ■概要■ 抗体医薬を代表とする生物学的製剤は、現代の医療にパラダイムシフトをもたらしました。 しかしその安全性を担保するためには、製造の過程において混入の可能性が否定できないウ イルスを、完全に近い形で取り除く必要があります。そして精製の最終段階において、最も 威力を発揮する根幹技術が「膜ろ過法によるウイルス除去」です。旭化成メディカル株式会 社の Planova™(以下、「プラノバ」)は、1989 年に世界初の中空糸膜から成るウイルス除去 フィルターとして上市され、血漿分画製剤の精製など、今日まで世界の医薬品メーカーにお いて広く使われ続けています。 しかしながら、生物学的製剤のようなタンパク質がろ過膜を透過しながらも、ウイルスだ けが膜によって巧みに除去される仕組みは未だ完全に理解されていません。電子顕微鏡によ る膜構造の解析や、ウイルスを模した金属粒子の分布が調べられてきましたが、いずれも「静 的」な観察に限られており、膜の中での本当のウイルスの動きを見た人はいませんでした。 学習院大学 自然科学研究科に所属する綾野未来さん(修士2年)は、西坂崇之 教授の指 導のもと、旭化成メディカル株式会社の澤村佳之氏・本郷智子博士と学部 4 年生から3年間 にわたって共同研究を進めました。そしてプラノバフィルターを構成するろ過膜内の生体分 子の運動ダイナミクスを、ライブ映像として、すなわちありありと「動的」に画像化するこ とに成功したのです。蛍光標識したタンパク質やウイルス様粒子(感染性を持たないウイル スの外殻)を自身で調整し、研究室で独自開発した光学顕微鏡システムで観察しました。ウ イルスより小さいタンパク質は、よどみなく膜を通過したのですが、驚いたことに、ウイル スは流れによって膜の中をわずか数百分の 1 ミリメートルだけ動き、構造の密な箇所に着実 に捕捉されたのです。この動きは定量的に解析され、膜構造と溶液の流れに起因するウイル ス捕捉を定式化することに成功しました。 本研究により、ウイルスろ過膜の動作原理の解明に向けた新たな地平が開かれました。最 適な精製条件探索や新しい原理のろ過膜開発にも直結する重要な成果であり、今後の生物学 的製剤の開発に大きく貢献します。 【報道関係者からの問い合せ先】 学校法人学習院 総合企画部広報課 TEL: 03-5992-1008 FAX: 03-5992-9246 担当:湯元 Email: [email protected]

Press Release · 2021. 1. 13. · Press Release 2 . 背景 . 現代の医療を支えるウイルスろ過. 一般の人が『くすり』と言われてイメージするのは、カプセルに入ったきれいな粉末かも知

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Press Release

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ウイルス様粒子が中空糸膜に捉えられる瞬間の

「動的」画像化に世界で初めて成功

学習院大学理 西坂崇之 教授・旭化成メディカル株式会社の研究グループ

英科学誌「Scientific Reports」にて掲載

2021年 1月 13日

報道関係各位

学校法人学習院 総合企画部広報課

■概要■抗体医薬を代表とする生物学的製剤は、現代の医療にパラダイムシフトをもたらしました。しかしその安全性を担保するためには、製造の過程において混入の可能性が否定できないウイルスを、完全に近い形で取り除く必要があります。そして精製の最終段階において、最も威力を発揮する根幹技術が「膜ろ過法によるウイルス除去」です。旭化成メディカル株式会社の Planova™(以下、「プラノバ」)は、1989 年に世界初の中空糸膜から成るウイルス除去フィルターとして上市され、血漿分画製剤の精製など、今日まで世界の医薬品メーカーにおいて広く使われ続けています。しかしながら、生物学的製剤のようなタンパク質がろ過膜を透過しながらも、ウイルスだ

けが膜によって巧みに除去される仕組みは未だ完全に理解されていません。電子顕微鏡による膜構造の解析や、ウイルスを模した金属粒子の分布が調べられてきましたが、いずれも「静的」な観察に限られており、膜の中での本当のウイルスの動きを見た人はいませんでした。 学習院大学 自然科学研究科に所属する綾野未来さん(修士2年)は、西坂崇之 教授の指

導のもと、旭化成メディカル株式会社の澤村佳之氏・本郷智子博士と学部 4 年生から3年間にわたって共同研究を進めました。そしてプラノバフィルターを構成するろ過膜内の生体分子の運動ダイナミクスを、ライブ映像として、すなわちありありと「動的」に画像化することに成功したのです。蛍光標識したタンパク質やウイルス様粒子(感染性を持たないウイルスの外殻)を自身で調整し、研究室で独自開発した光学顕微鏡システムで観察しました。ウイルスより小さいタンパク質は、よどみなく膜を通過したのですが、驚いたことに、ウイルスは流れによって膜の中をわずか数百分の 1 ミリメートルだけ動き、構造の密な箇所に着実に捕捉されたのです。この動きは定量的に解析され、膜構造と溶液の流れに起因するウイルス捕捉を定式化することに成功しました。本研究により、ウイルスろ過膜の動作原理の解明に向けた新たな地平が開かれました。最

適な精製条件探索や新しい原理のろ過膜開発にも直結する重要な成果であり、今後の生物学的製剤の開発に大きく貢献します。

【報道関係者からの問い合せ先】 学校法人学習院 総合企画部広報課 TEL: 03-5992-1008 FAX: 03-5992-9246 担当:湯元 Email: [email protected]

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■背景■

現代の医療を支えるウイルスろ過 一般の人が『くすり』と言われてイメージするのは、カプセルに入ったきれいな粉末かも知れません。これは有機合成によって作られる「低分子医薬品」です。しかし現代の最先端医療において、医薬には大きなパラダイムシフトが進んでいます。抗体医薬品に代表される「生物学的製剤」が登場し、難病の治療などに急速に用いられるようになっているのです。

ところで生物学的製剤を作るためには、製造の過程で細胞を用いたり、輸血から血漿分画を取り出したりする工程があります。そのため、実際の治療における安全性を保障するには、これまでとは異なる細心の注意を払う必要が出てきました。ここで役に立つのが「膜ろ過法によるウイルス除去」という重要な技術です。世界初のウイルス除去フィルターであるPlanova™(プラノバ)は、1989 年、旭化成メディカル株式会社から上市されました。混入の可能性が否定できないウイルスを、生物学的製剤から取り除くことができ、言わば製薬の現場における『最後の砦』として大活躍しています。

ウイルス除去フィルターを用いたろ過法は、アメリカの規制当局である FDA からも認められており、プラノバの堅牢さは多くの専門家によって確かめられてきました。しかしウイルス除去フィルターの『物理的な仕組み』については、実は完全に理解されているわけではありません。生物学的製剤のようなタンパク質が、ろ過膜を透過しながらも、どうしてウイルスだけが巧みに取り除かれるのでしょう? サイズによって分子を濾し取る『ふるいモデル』が提案されていますが、この考え方だけではウイルスによって膜がすぐに詰まってしまいそうで、数倍小さいだけのタンパク質が隙間をくぐりぬけることを十分に説明できないからです。ウイルスの動きを実際に見ることができれば、様々な謎の手がかりが得られるかも知れない・・・ こうして、学習院大学と旭化成メディカル株式会社の共同研究が始まりました。

■研究の成果■

中空糸膜の中で生体分子を観察 学習院大学 理学部 西坂崇之教授(物理学科)の研究室では、独自に開発した光学顕微鏡によって、タンパク質やバクテリアの動きを可視化する研究を進めてきました。その成果はネイチャーの姉妹紙に幾つも発表され、国際的に高い評価を得ています。綾野未来さん(現・修士2年)は、研究室に配属されてすぐに、旭化成メディカル株式会社の澤村佳之氏・本郷智子博士と共同研究を始めました。まずウイルス様粒子(感

図1.ウイルス除去フィルターを構成する中空糸状の膜の中において、生体分子を観察するための実験系の概略図.

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染性を持たないウイルスの外殻)を、蛍光性物質と反応させ、光るように標識します。この生体分子を含んだ溶液を、ウイルス除去フィルターを構成する中空糸状の膜一本に流し込みました。中空糸の片方の端を塞いでしまえば、溶液は側面から染み出ます(図1左、黄色の矢印が液体の流れ)。この膜の断面を、「共焦点光学系」という断層画像を撮ることのできる顕微鏡(図1右)で画像化したところ、膜が光る様子が観察されました。ウイルス様粒子が膜に捉えられた様子が、光学顕微鏡でダイレクトに確認できたのです。プラノバの中空糸膜は再生セルロースという素材で作られており、完全な透明では無いのですが、その中の微弱な信号を定量的に捉えることができたというのは、予想し得ない画期的な成果でした。

タンパク質は淀みなく膜を通過する研究グループが次に取り組んだのは、タンパク質の可視化です。タンパク質はウイルスに比べ、直径では4~5倍、体積であれば 100 倍近く小さいのですが、蛍光標識によってウイルスと同じように検出できると考えました。綾野さんは様々な条件を試し、まさに『生体分子が膜に到達する決定的瞬間』の撮影に成功しました(図2)。膜の内側に表れたタンパク質は、淀みなく膜を通過し、膜の外側に移動します。液体に押し流されることで、最終的には観察している視野から消えました。ウイルス除去フィルターは、生物学的製剤と同等のサイズのタンパク質を見事に透過させるのです。この様子が世界で初めて、微小空間のライブ映像として捉えられました。

一万分の一ミリの精度を目指す 研究グループが最後に取り組んだのは、膜の網目構造に捕捉される瞬間のウイルスの動きを検出しようという、究極の難題です。西坂研究室では何年も前から、数秒から1分という短い時間であれば、バクテリアやタンパク質のわずかな動きを捉える画像解析の技術を確立してきました。しかしフィルターがウイルスをろ過する過程を見るには、何時間もの長い観察時間が必要であり、その間に観察の土台が動いてしまってはウイルスの動きが評価できません。とはいえ太さ 0.5 ミリメートルしかない柔らかい糸を、しっかりと、しかしそれでいて壊れないように顕微鏡の上で固定するのは至難の業です。綾野さんは試行錯誤を繰り返し、工夫に工夫を重ね、複数の金属プレートによって中空糸を潰さないように支持する方法を編み出しました。最終的には、中空糸膜の中の生体分子の分布を一万分の一ミリの精度で観察できる、究極の容器を作り上げたのです。学習院大学

外側 中空糸 外側

300 µm

図2.中空糸をタンパク質が通過する様子を捉えた映像.1分おきに撮影した画像を、横方向に長い短冊状に切り出して縦に並べている.初めの矢印でタンパク質(粒子の直径約 5 ナノメートル)が視野に到着し、次の矢印で信号が最大となる.タンパク質は左右の膜を通過し外に流れ出た.

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理学部の目指している「ものづくり」の姿勢が結実した成果だと言えます。

ウイルス様粒子の動的観察に成功大学の研究棟の建物の地下に、熱や振動を最小限に抑えた空間を用意し、そこに研究室で開発した光学顕微鏡を設置しました。その上に置かれた究極の容器に、丁寧に中空糸を固定し、わずかな量のウイルス様粒子を流し込みます。安定した速度でさらに溶液を流し続けることにより、ウイルス様粒子が膜に捉えられる瞬間が、世界で初めて動的に可視化されました(図3)。

研究グループの誰もが予想しなかったことですが、ウイルスの位置を示す分布のピークが、少しずつ膜の中で移動していったのです(図3右)。移動の速度は時間と共に急激に減少し、最後には停止しました。膜構造の密な場所に、ウイルス様粒子は完全に捉えられ、プラノバのろ過膜としての堅牢な性質が確認できたのです。動きの様子から、膜構造と溶液の流れに起因するウイルス捕捉の過程を定式化する事にも成功しました。

■研究の意義と展望■物理の考え方では、物体に対する外界からの作用をエネルギーで捉えますが、その作用の仕方を「ポテンシャル」という言葉で表します。ウイルスは流れによる力を中空糸膜の中で受けていますが、ウイルスに作用するポテンシャルが本研究によって定式化することができました。簡単な流体のモデルに基づいているために、これからは様々な条件下における検証が必要ですが、ろ過膜の基本原理を理解するための大きな一歩が踏み出されたと言って良いでしょう。この知見を元に、最適なろ過条件の決定や、生物学的製剤の精製の効率化が期待されます。

研究グループは今後、装置をさらに先鋭化することにより、たった一個のウイルスを観察するという野心的な目標を掲げています。人工的な材質において、その中や表面でのウイルスを『究極の精度』で可視化しようとするアプローチは、ウイルス検出の新しい基盤技術や新規デバイス設計へと発展していくかも知れません。社会や医療への大きな貢献が期待されます。

膜の外側 膜 内側

10 µm

図3.膜に捕捉された蛍光ウイルス様粒子(直径約 20ナノメートル)を高感度カメラで捉えた映像.(左)疑似カラー表示による断面図.中空糸膜の径は約 0.5 mm であり、左右の断面が鋭い線として可視化されている.(右)左図の拡大図.時間と共にウイルスが膜内を移動する様子が、世界で初めて可視化された.

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■研究体制■本研究は、学習院大学と旭化成メディカル株式会社の共同研究です。

旭化成メディカル株式会社について 旭化成メディカル株式会社は、ダイアライザー(人工腎臓)及び関連商品、血液浄化(アフェレシス)商品、輸血用白血球除去フィルター及びウイルス除去フィルターを開発・製造・販売する医療機器メーカーです。

https://www.asahi-kasei.co.jp/medical/

ウイルス除去フィルターPlanova™(プラノバ)の情報についてURL: www.ak-bio.com

■論文情報■著者名:綾野未来、澤村佳之、本郷智子、西坂崇之

論文名:Direct Visualization of Virus Removal Process in Hollow Fiber Membrane Using an Optical Microscope

雑誌名:Scientific Reports

掲載日:2021 年 1 月 13 日 日本時間 19:00(イギリス時間 同日 10:00AM)

doi 番号:10.1038/s41598-020-78637-z

論文 URL:www.nature.com/articles/s41598-020-78637-z

■お問い合わせ先■

【研究に関すること】

学習院大学 理学部 物理学科 教授 西坂 崇之(にしざか たかゆき) E-mail: [email protected]

【取材に関すること】

学校法人学習院 総合企画部広報課(担当:湯元) 東京都豊島区目白 1-5-1 Tel: 03-5992-1008 E-mail: [email protected]

以 上