61
- 1 - ANNUAL REPORT OF THE ATSUGI CITY MUSEUM

ANNUAL REPORT OF THE ATSUGI CITY MUSEUM · ・建設概要 位 置 厚木市寿町3-15-26 敷 地 面 積 1,391.27㎡ 建 物 構 造 鉄骨鉄筋コンクリート造り、地上2階

  • Upload
    others

  • View
    0

  • Download
    0

Embed Size (px)

Citation preview

Page 1: ANNUAL REPORT OF THE ATSUGI CITY MUSEUM · ・建設概要 位 置 厚木市寿町3-15-26 敷 地 面 積 1,391.27㎡ 建 物 構 造 鉄骨鉄筋コンクリート造り、地上2階

- 1 -

ANNUAL REPORT OF THE ATSUGI CITY MUSEUM

Page 2: ANNUAL REPORT OF THE ATSUGI CITY MUSEUM · ・建設概要 位 置 厚木市寿町3-15-26 敷 地 面 積 1,391.27㎡ 建 物 構 造 鉄骨鉄筋コンクリート造り、地上2階

- 2 -

● 目 次 ●

資 料 館 事 業 報 告

Ⅰ 庶 務

・ 組織および職員 ……………………………………………… 2

・ 施 設 ………………………………………………………… 3

郷土資料館、古民家岸邸、郷土資料収蔵室

・ 入館者数 ……………………………………………………… 4

Ⅱ 学 芸

・常設展示 ……………………………………………………… 5

・特別展示 ……………………………………………………… 6

・収蔵資料展示 ………………………………………………… 7

・普及啓発活動 ………………………………………………… 11

・刊行物 ………………………………………………………… 15

・ 資料の収集と保管、活用 …………………………………… 17

・ 調査・研究活動 ………………………………………………… 23

・ 博物館実習 …………………………………………………… 25

Ⅲ 条例・規則 ………………………………………………………………… 26

調 査 研 究 報 告

●フェリックスベアト撮影の

古写真アルバムについて 林 華子 ……………… 32

●川欠、蛇籠、護岸-下依知地区護岸工事調査報告- ………… 40

Page 3: ANNUAL REPORT OF THE ATSUGI CITY MUSEUM · ・建設概要 位 置 厚木市寿町3-15-26 敷 地 面 積 1,391.27㎡ 建 物 構 造 鉄骨鉄筋コンクリート造り、地上2階

- 3 -

----------------------- Ⅰ 庶 務 ------------------------

■組織及び職員

(1)組 織(平成14年3月31日現在)

教 育 長 長谷川 美雪

生涯学習部 長 横山 浩久 ┌─ 郷土資料館長 伏見 光義

次 長 森 征男 │ 副主幹 嶋崎 洋子(視聴覚)

課 長 戸塚 輝久 ───┘ 主 査 増田 裕彦(歴史)

主 査 大野 一郎(民俗)

主 査 笠井 義昭(庶務)

主 任 槐 真史(動物)

主 事 長塚 愛(庶務)

臨時職員 古川 千加子

臨時職員 磯本 宏紀(~2/28)

臨時職員 髙橋 健一

臨時職員 梶村 直澄

臨時職員 神崎 知則

臨時職員 正木 聖(3/1~)

(2)郷土資料館運営協議会

<委員構成>

氏 名 所 属(分野) 氏 名 所 属(分野)

諏訪 哲夫 会長、綾瀬市史編集委員(生物) 新井 一政 県立生命の星地球博物館学芸員(生物)

落合 清春 厚木市立三田小学校教諭(民俗) 北川 吉明 愛川町立愛川東中学校教諭(考古)

渋谷 利雄 厚木市文化財保護審議会会長(歴史) 鈴木 良明 県立歴史博物館学芸員(歴史)

山崎 祐子 白百合女子大学講師(民俗) 中丸 武夫 資料館自主事業参加者代表(民俗)

岡田久美子 資料館自主事業参加者代表(歴史) 壇上 恵子 資料館自主事業参加者代表(自然)

<委員会の開催>

日 時 内 容

平成13年7月5日 平成12年度事業の報告、平成13年度事業計画について

平成13年10月31日 平成13年度事業の進捗状況

平成14年3月19日 平成13年度事業の進捗状況、平成14年度事業計画について

Page 4: ANNUAL REPORT OF THE ATSUGI CITY MUSEUM · ・建設概要 位 置 厚木市寿町3-15-26 敷 地 面 積 1,391.27㎡ 建 物 構 造 鉄骨鉄筋コンクリート造り、地上2階

- 4 -

■施 設

(1)郷土資料館

・建設概要

位 置 厚木市寿町3-15-26

敷 地 面 積 1,391.27㎡

建 物 構 造 鉄骨鉄筋コンクリート造り、地上2階

建物床面積 1,234.1㎡ 1階631.44㎡、2階 488.00㎡

中2階 60.06㎡、機械室 54.60㎡

開館年月日 平成10年11月3日

・展示面積等

常設展示室 418㎡(1階151.55㎡、2階266.45㎡)

特別展示室 84㎡(展示準備室含む)

閲覧学習室 49㎡

収 蔵 庫 270㎡(専門書庫等含む)

研究・作業室 38.5㎡

事 務 室 49㎡

(2)古民家岸邸

位 置 厚木市上荻野792-2

敷地面積 1,716㎡

建物床面積 520.13㎡(主屋1階 272.25㎡ 2階 140.24㎡

土蔵1 1階 33.12㎡ 2階 33.12㎡

土蔵2 1階 20.70㎡ 2階 20.70

㎡)

建設年月日 明治24年

(3)郷土資料収蔵室

位 置 厚木市岡田3050 厚木アクストメインタワー3階

面 積 369㎡

設置年月日 平成12年12月1日

Page 5: ANNUAL REPORT OF THE ATSUGI CITY MUSEUM · ・建設概要 位 置 厚木市寿町3-15-26 敷 地 面 積 1,391.27㎡ 建 物 構 造 鉄骨鉄筋コンクリート造り、地上2階

- 5 -

■入館者数

(1)13年度 月別、施設別入館者数

4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月 1月 2月 3月

入館者 981 703 1,039 680 1,528 1,464 1,017 2,000 574 859 750 1,106

開館日 28 29 28 29 29 22 29 28 26 26 26 29

平 均 35 24 37 23 53 67 35 71 22 33 29 38

累 計 981 1,684 2,723 3,403 4,931 2,992 7,412 9,412 9,986 10,845 11,595 12,701

329・郷土資料館 12,701 開館日数合計入館者

4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月 1月 2月 3月

入館者 300 489 1,030 295 376 430 578 450 239 238 310 553

開館日 31 29 30 31 30 29 31 30 28 28 28 31

平 均 10 17 34 10 13 15 19 15 9 9 11 18

累 計 300 789 1,819 2,114 2,490 2,920 3,498 3,948 3,887 4,425 4,735 5,288

356・古民家岸邸 合計入館者数 5,288 開館日数

4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月 1月 2月 3月

入館者 140 134 143 234 135 72 114 155 85 158 368 171

開館日 20 21 20 21 23 19 19 20 19 19 19 20

平 均 7 6 7 11 6 4 6 8 4 8 19 9

累 計 140 274 417 651 786 858 972 1,127 1,072 1,370 1,738 1,909

240・郷土資料収蔵室 合計入室者数 1,909 開室日数

(2)年度別 郷土資料館 入館者数の推移

・郷土資料館

10年度 11年度 12年度 13年度 合 計

入館者 4,233 8,685 11,887 12,701 37,506

開館日 144 331 328 329 1,132

平 均 29 26 36 39 33

*平成10年度は、11月3日~翌3月31日までの入館者数。

Page 6: ANNUAL REPORT OF THE ATSUGI CITY MUSEUM · ・建設概要 位 置 厚木市寿町3-15-26 敷 地 面 積 1,391.27㎡ 建 物 構 造 鉄骨鉄筋コンクリート造り、地上2階

- 6 -

----------------------- Ⅱ 学 芸 ------------------------

■ 常設展示

(1)郷土資料館

常設展示は、生物、考古、民俗、歴史、四つの分野で構成し、各分野でさらに項目、細項目をた

て、郷土あつぎを理解できるような展示とした。展示は、実物資料を中心として興味深い資料を実

際にみていただき、具体的なデータはパネル等で説明している。

①展示面積 418㎡

②展示資料数 1,305点(注1)

③展示資料点数内訳

歴史資料 民俗資料 自然資料 考古資料 合 計

展示テーマ 厚木の原像 厚木のひと、くらし 厚木の生きもの 厚木の大地から  

資料点数 130 178 137 860 1,305

(2)郷土資料収蔵室

郷土資料収蔵室(厚木市岡田3050、厚木アクストメインタワー3階)では、これまでに収集して

きた民具や農具などを中心に、化石などを公開、展示している。資料によって、耕起の農具、収穫

の農具、生業の道具、食生活の道具、住生活の道具、近江商人の道具、化石の世界の7つのコーナ

ーに分けて収蔵、展示を行っている。

①展示面積 369㎡

②展示資料数 2,014点(注2)

③開室時間 平日の午前9時から午後5時

土・日曜日祝祭日は休室

④展示資料点数内訳

民俗資料 自然資料 合 計

資料点数 1,973 41 2,014

(注1)ハンズオン展示コーナーの設置により、自然(剥製)、考古(土器、土器片)、民俗(石臼)の常

設展示資料総数は、1305点となった。

(注2)従来、アクスト郷土資料収蔵室に収蔵展示されている民俗資料の資料点数は、2415点となっ

ていたが、食器等の資料のカウント方法を精査したところ、その数は1973点となった。

Page 7: ANNUAL REPORT OF THE ATSUGI CITY MUSEUM · ・建設概要 位 置 厚木市寿町3-15-26 敷 地 面 積 1,391.27㎡ 建 物 構 造 鉄骨鉄筋コンクリート造り、地上2階

- 7 -

■ 特別展

特別展では、郷土資料館による地域資料の収集、調査研究の成果として、最新の学術的知見を市

民に展示を通じて紹介している。今回の特別展「東海道と矢倉沢往還」では、宿駅制度400年を

記念し、東海道の旅や風景を描いた絵画資料や文芸作品、矢倉沢往還に関する資料を展示すること

により、江戸時代の街道の様子から郷土厚木を見つめる機会として開催した。

展示構成は以下のとおり。

(1)東海道の歴史

(2)東海道の旅と風景

(3)矢倉沢往還の歴史

(4)厚木と矢倉沢往還

(5)渡辺崋山「遊相日記」

/‾/‾/‾/‾/‾/‾/‾/‾/‾/‾/‾/‾/‾

以下に、開館以降、当館で開催された4回の特別展のタイトル等を記しておく。

展示会タイトル 期 間 展示点数 入館者数

第1回特別展示 大山の生きもの 10年11月3日~12月13日 120 1,927

第2回特別展示 出開帳 11年11月3日~12月5日 88 1,383

第3回特別展示 化 石 12年7月20日~9月17日 155 2,334

第4回特別展示 東海道と矢倉沢往還 13年9月29日~11月25日 155 2,034

計 518 7,678

▲図録『化 石』 ▲図録『出開帳』 ▲図録『大山の生きもの』

Page 8: ANNUAL REPORT OF THE ATSUGI CITY MUSEUM · ・建設概要 位 置 厚木市寿町3-15-26 敷 地 面 積 1,391.27㎡ 建 物 構 造 鉄骨鉄筋コンクリート造り、地上2階

- 8 -

■収蔵資料展

収蔵資料展は、昭和63年度より博物館建設のために購入・収集を進めてきた資料を広く市民に公開

することを目的とし、開催するもの。本年度は、次のとおり5回の展示会を開催した。

① 第13回収蔵資料展 活動する青年たち

ムラの非常時に活躍するなど、なくてはならない存在であった「青年団」は、若者の年齢集団と

して、郷党教育の場であるとともに、ムラの中心的な労力としての若者組からの流れをひくもので

もあった。身近であったこの集団を、ムラとの関わり、国との関わり等さまざまな面から光を当て

ることで、その存在意義をあらためて考えなおしてみようという意図により、展示会を開催した。

② 第14回収蔵資料展 虫だらけの夏休み

厚木市の周辺に生息している昆虫について、当館の標本資料、写真パネル資料を展示、その分布

や生活などについて解説し、昆虫を通じて郷土の自然環境を理解する一助とすることを目的とした。

③ 第15回収蔵資料展 東海道と浮世絵

東海道や大山、江の島などに関連した資料を、東海道の風景、大山詣、江の島詣の内容で開催し

た。展示資料として「東海道五十三次 戸塚」「冨士三十六景 相模川」「諸国滝廻り相州大山ろう

べんの滝」「東海道図」「早道」「小田原提灯」等浮世絵や絵図、旅の小道具等約100点を展示した。

④ 第16回収蔵資料展 あつぎの民俗芸能

懐かしい芸能の道具、関係資料をみることで、当時を知る方には郷愁の世界を、若い世代には新

鮮な驚きや無形文化財の保護・育成の大切さを感じてもらうことを目的として開催した。

⑤ 第17回収蔵資料展 スミレづくし~厚木周辺のスミレ科植物~

厚木市周辺で春先に開花するスミレ科植物約30種について、当館の標本資料、写真パネル資料

を展示し、その分布や生活史などについて解説し、スミレを通じて郷土の自然環境を理解する一助

とすることを目的として開催した。

/‾/‾/‾/‾/‾/‾/‾/‾/‾/‾/‾/‾/‾

Page 9: ANNUAL REPORT OF THE ATSUGI CITY MUSEUM · ・建設概要 位 置 厚木市寿町3-15-26 敷 地 面 積 1,391.27㎡ 建 物 構 造 鉄骨鉄筋コンクリート造り、地上2階

- 9 -

以下に、開館以降、当館で開催された17回の収蔵資料展のタイトル等を記しておく。

展示会タイトル 期 間 展示点数 入館者数

第1回収蔵資料展 厚木の画家 島村亮 10年12月22日~11年3月21日 140 2,182

第2回収蔵資料展 春に咲く花 11年4月4日~5月30日 93 768

第3回収蔵資料展 The NENRYOU 11年6月5日~7月31日 79 1,203

第4回収蔵資料展 虫たちと夏休み 11年8月5日~9月30日 553 1,401

第5回収蔵資料展 映画資料展 11年10月3日~10月11日 67 67

第6回収蔵資料展 和田家の文書 12年1月7日~1月31日 97 360

第7回収蔵資料展 町場のくらしと民具 12年2月10日~3月21日 180 711

第8回収蔵資料展 川のある村 12年4月15日~5月20日 49 647

第9回収蔵資料展 職人の道具 12年6月1日~6月30日 483 324

第10回収蔵資料展 農耕具と農具 12年10月1日~11月15日 150 869

第11回収蔵資料展 鎧と刀 13年1月10日~2月25日 31 916

第12回収蔵資料展 あつぎの野鳥 13年3月17日~5月6日 90 901

第13回収蔵資料展 活動する青年たち 13年5月19日~7月8日 250 662

第14回収蔵資料展 虫だらけの夏休み 13年7月25日~9月16日 2,030 1,276

第15回収蔵資料展 東海道と浮世絵 13年9月18日~9月24日 77 944

第16回収蔵資料展 あつぎの民俗芸能 13年12月9日~14年2月 250 852

第17回収蔵資料展 スミレづくし 14年2月~14年5月 120 1,386

合 計 4,739 15,469

▲アオサギの剥製と骨格標本(“あつぎの野鳥”から)

Page 10: ANNUAL REPORT OF THE ATSUGI CITY MUSEUM · ・建設概要 位 置 厚木市寿町3-15-26 敷 地 面 積 1,391.27㎡ 建 物 構 造 鉄骨鉄筋コンクリート造り、地上2階

- 10 -

■その他の展示

(1)出前展示、講座

平成13年度より、郷土資料館に収蔵する郷土資料の市民への公開を進めるため、小中学校、公民

館での出前展示を実施した。この展示は、資料館による最新の研究成果に基づいたもので、高度な

生涯学習の情報を提供することを目的とする。

期 間 実施施設名 テーマ

10月17~30日

(講座は10月20日) 相川公民館

「再発見!相川

あつぎの農具と農耕図」

14年1月15~28日

(講座は1月28日) 森の里小学校

「むかしの道具と

あつぎのむかし」

(2)博物館収蔵資料展

旧寿図書館2階の郷土資料展示室で開催してきた「収蔵資料展」は、郷土資料館の開館までに計8

回の展示会を開催してきた。また、第4回からは市民ギャラリーに場所を移して開催してきた。こ

こでは、第1回から「博物館収蔵資料展」としては最後となった8回目までのタイトル、入場者数

等を記しておく。

展示会タイトル 期 間 展示点数 入館者数

第1回資料展“坂東彦三郎と厚木” '94年2月5日~3月13日 約120点 1,078

第2回資料展“厚木のチョウ・世界のチョウ” '94年11月3日~12月4日 約120点 1,018

第3回資料展“幕 末-相州厚木-” '95年2月25日~3月26日 約120点 948

第4回資料展“-夏の風物誌-花 火” '95年7月20日~7月26日 約80点 1,535

第5回資料展“厚木の植物-植物に魅せられた人々-” '96年2月29日~3月6日 約80点 2,001

第6回資料展“広重の冨士三十六景-厚木と富士信仰-” '96年7月6日~7月6日 約80点 2,293

第7回資料展“厚木の里山をあるく” '97年3月13日~19日 約80点 1,910

第8回資料展“旅-村、往還そして街道-” '97年12月8日~13日 約80点 1,530

合 計 12,313

Page 11: ANNUAL REPORT OF THE ATSUGI CITY MUSEUM · ・建設概要 位 置 厚木市寿町3-15-26 敷 地 面 積 1,391.27㎡ 建 物 構 造 鉄骨鉄筋コンクリート造り、地上2階

- 11 -

(3)新着収蔵資料展示

収集が進められている資料を、収蔵資料展が行われている期間外にも市民の方々により身近に見

ていただくことを目的とし、平成6年度に郷土資料展示室内(階段踊場)にコンパクトな「新着収

蔵資料コーナー」を新設した。

このコーナーでは、第2回目の収蔵資料展が行われた、'94年11月から郷土資料展示室が閉室され

る'97年3月までに、計23回の展示が行われた。

タイトル 期 間 タイトル 期 間

1. 世界のクワガタ '94.11/3~12/4 13. 厚木の義太夫語りⅠ '96.2/21~3/21

2. 日本を飛び出した

明治の厚木人 '94.12/6~25 14. 大貫松三「母子」 '96.5/8~6/9

3. 武井コレクション

(厚木の植物)展 '95.1/7~1/29

15. 脊椎動物の頭骨

いろいろ '96.6/11~7/7

4. 和田傳の作品と自筆原稿 '95.2/7~3/5 16. 坂東三十三札所関連資料 '96.7/9~8/4

5. トリ・ケモノの骨 '95.3/7~7/1 17. 厚木の昆虫 Ⅰ '96.8/6~9/8

6. 農耕図の世界Ⅰ '95.7/3~8/6 18. 日蓮「星降り」関連資料 '96.9/10~10/6

7. 厚木の身近な植物Ⅰ '95.8/8~9/10 19. 化石の不思議 '96.10/6~11/4

8. 古生代魚類の分化 '95.9/12~10/15 20. 江戸の百科事典 '96.11/6~12/8

9. 厚木の鍛冶屋 '95.10/17~11/19 21. 厚木の昆虫 Ⅱ '96.12/10 ~

'97.1/9

10.『本草図譜』とその標本 '95.11/21~12/17 22. 旭村報徳社記録 '97.1/12~2/11

11. 甲虫に関する基礎文献 '95.12/19 ~

'96.1/22 23. 動物の歯の化石 '97.2/13~3/30

12. 真土騒動関連資料 '96.1/24~2/19

Page 12: ANNUAL REPORT OF THE ATSUGI CITY MUSEUM · ・建設概要 位 置 厚木市寿町3-15-26 敷 地 面 積 1,391.27㎡ 建 物 構 造 鉄骨鉄筋コンクリート造り、地上2階

- 12 -

■ 普及啓発活動

(1)講座、調査会の開催

郷土資料館では、調査、研究の成果を活かした普及講座を行なっている。今年度は、以下の7つ

の事業を中心として、多数の市民の参加をみた。また、市内の小中学校、公民館などでの講座への

学芸員派遣も行った。

・くらしの文化財探索会(延べ参加者数 23人)

ごく普通のくらしの中に見られる「文化財」、民俗についての話、実際の伝承を通じて、民俗につい

て興味を深めるとともに、厚木の住民であることを「あたりまえ」と思っていた習俗から改めて考

えてみることをねらいとして開講した。

開催日 テ ー マ 講 師 参加者

1 6月 3日(日) 民俗学からみた青年団

(第13回収蔵資料展関連行事)

白百合女子大学講師

山崎 祐子 13

2 12月15日(土) 神楽でパントマイム

(第16回収蔵資料展関連行事)

相模里神楽垣澤杜中代表

垣澤 勉 10

3 1月19日(土) 相模人形を操ってみよう

(第16回収蔵資料展関連行事)

相模人形芝居 林座座長

葉山 操 中止

・石造物に親しむ会(延べ参加者数 136人)

身近な石造物を丹念にみて歩くことによって、そこにこめられた信仰、慰霊、顕彰など先人の心

を知り、それが文化財資料としてどのような意味を持つのか、実際に調べてみることでそれを実感

することを目的とする。

開催日 テ ー マ 講 師 参加者

1 5月26日(土) 厚木の石造物

~その種類と意味~ 厚木市郷土資料館学芸員 26

2 7月28日(土) 荻野の石造物探索1 松石寺 厚木市郷土資料館学芸員 21

3 9月22日(土) 荻野の石造物探索2 中萩野 厚木市郷土資料館学芸員 20

4 11月24日(土) 荻野の石造物探索3 中萩野 厚木市郷土資料館学芸員 30

5 1月 26日(土) 荻野の石造物探索4 上荻野 厚木 市郷土 資料 館学芸員 18

6 3月 23日(土) 荻野の石造物探索5 下荻野 厚木 市郷土 資料 館学芸員 21

Page 13: ANNUAL REPORT OF THE ATSUGI CITY MUSEUM · ・建設概要 位 置 厚木市寿町3-15-26 敷 地 面 積 1,391.27㎡ 建 物 構 造 鉄骨鉄筋コンクリート造り、地上2階

- 13 -

・民具は語る~民具にふれ、親しもう!~(延べ参加者数 64人)

民具を使ってきた人から話を聞いたり、自分でふれ、使ってみることにより、ふるさと・厚木の地で

培われてきた生活・文化をみなおすためのヒントとなるような講座とする。

開催日 テ ー マ 講 師 参加者

1 4月23日(月) 蚕に繭をつくらせよう

~まぶし折り実演、体験~ 真 板 豊 10

2 6月29日(金) たぬきの糸車を考える

~糸をつむぐ道具いろいろ~ 織物、染色作家

浜島 春菜

10

3 8月24日(金) はた織りをしてみよう 19

4 10月26日(金) 千歯扱きで脱穀体験してみよう 厚木市郷土資料館臨時職員

高橋 健一 13

5 12月21日(金) しめ縄を作ろう 大 貫 昭 次 5

6 2月 22日(金) はた織りをしてみよう 織物、染色作家

浜島 春菜 7

・古文書講座(午前・午後)(延べ参加者数 353人)

郷土資料館が収蔵している「和田家文書」を利用して、近世の古文書のくずし字の解読と当時の

農村の様子を学ぶ。近世古文書に興味のある人を対象に古文書に関する知識を深めてもらうととも

に、厚木の歴史を学ぶことをねらいとして開講した。

開催日 テ ー マ 講 師 参加者

1 5月18日(金) 厚木の古文書を読もう

(和田家文書)

古文書を読もう会主宰

伊藤 稔 40

2 6月15日(金) 厚木の古文書を読もう

(和田家文書)

古文書を読もう会主宰

伊藤 稔 42

3 7月20日(金) 厚木の古文書を読もう

(和田家文書)

古文書を読もう会主宰

伊藤 稔 34

4 8月17日(金) 厚木の古文書を読もう

(和田家文書)

古文書を読もう会主宰

伊藤 稔 34

5 9月21日(金) 厚木の古文書を読もう

(和田家文書)

古文書を読もう会主宰

伊藤 稔 中止

6 10月19日(金) 厚木の古文書を読もう

(和田家文書)

古文書を読もう会主宰

伊藤 稔 36

7 11月16日(金) 厚木の古文書を読もう

(和田家文書)

古文書を読もう会主宰

伊藤 稔 36

8 12月21日(金) 厚木の古文書を読もう

(和田家文書)

古文書を読もう会主宰

伊藤 稔 31

9 1月18日(金) 厚木の古文書を読もう

(和田家文書)

古文書を読もう会主宰

伊藤 稔 34

Page 14: ANNUAL REPORT OF THE ATSUGI CITY MUSEUM · ・建設概要 位 置 厚木市寿町3-15-26 敷 地 面 積 1,391.27㎡ 建 物 構 造 鉄骨鉄筋コンクリート造り、地上2階

- 14 -

10 2月15日(金) 厚木の古文書を読もう

(和田家文書)

古文書を読もう会主宰

伊藤 稔 30

11 3月22日(金) 厚木の古文書を読もう

(和田家文書)

古文書を読もう会主宰

伊藤 稔 36

・歴史講座(延べ参加者数 56 人)

江戸幕末の天保2年(1832)に渡辺崋山が厚木を訪れた時に記した「游相日記」を4回に分けて

解読した。「游相日記」を解読する事によって、渡辺崋山が訪れた当時の厚木や矢倉沢往還の様子

などを学ぶことをねらいとする。

開催日 テ ー マ 講 師 参加者

1 3月23日(土) 渡辺崋山と游相日記 厚木市市史編さん委員

飯田 孝

29

2 3月30日(土) 渡辺崋山と游相日記 27

・自然観察会「里山を歩く」(延べ参加者数 140人)

本市のすぐれた自然を散策しながら自然観察を行い、郷土の自然に対する理解を深める。

開 催 日 テ ー マ 講 師 場 所 参加者

1 5月20日(日) 初夏に鳴くセミや咲く花 厚木市郷土資料館学芸員 飯 山 観 音

~ 巡 礼 峠 34

2 7月 8日(日) 初夏の谷戸散策 厚木市郷土資料館学芸員 荻野運動公園周

辺 散 策 路 20

3 9月 9日(金) 初秋の日向山を歩く 厚木市郷土資料館学芸員 日向薬師~日向山

~ 七 沢 広 沢 寺 34

4 10月21日(土) 初秋の鳶尾山散策 厚木市郷土資料館学芸員 鳶尾山散策路 27

5 2月17日(日) 里山に野鳥を訪ねて 厚木市郷土資料館学芸員 高 松 山

~小町緑地 25

・親子自然観察会「あつぎ自然探検」(延べ参加者数 150人)

郷土の自然の中で、生物の食物連鎖やくらしぶりに焦点をあて、四季を通じて観察を行う。四季

折々の生き物と遊びながら、生命の不思議や大切さを感じてもらうことを目的とする。

開 催 日 テ ー マ 講 師 場 所 参加者

1 6月17日(日) はかせの動物事件簿 箱根湿生花園

奥津 由季 愛 名 緑 地 48

2 8月26日(土) かくれんぼしている

虫を探そう 厚木市郷土資料館学芸員 愛 名 緑 地 72

3 10月28日(日) バッタのオリンピック 厚木市郷土資料館学芸員 愛 名 緑 地 中止

4 3月24日(日) 虫の冬越し大作戦 厚木市郷土資料館学芸員 七沢自然教室 30

Page 15: ANNUAL REPORT OF THE ATSUGI CITY MUSEUM · ・建設概要 位 置 厚木市寿町3-15-26 敷 地 面 積 1,391.27㎡ 建 物 構 造 鉄骨鉄筋コンクリート造り、地上2階

- 15 -

・学校教育支援活動

【学校出前講座】

実施月日 学校名 テーマ

11月1日 南毛利小学校(四年生) 「南毛利 石造物めぐり」

1月28日 森の里小学校(三年全クラス) 「変わってきた人々のくらし」

・灯火の変遷(行灯、ランプ等)

・衣類管理の道具(炭火アイロン、鏝、洗

濯板等)

1月30日 厚木小学校(三年全クラス)

1月31日 三田小学校(三年全クラス)

2月1日 南毛利小学校(三年全クラス)

【資料館 展示室対応】

実施月日 学校名 テーマ

4月16日 厚木第二小学校(六年全クラス) 「歴史学習導入 厚木のむかし」

11月10日 小鮎小学校(四年全クラス) 「総合学習 厚木の道」

【郷土資料収蔵室対応】

実施月日 学校名 テーマ

1月18日 戸田小学校(三年全クラス) 「変わってきた人々のくらし」

・食生活の変遷(箱膳、チャブ台、人寄

せの道具等)

・運搬具の変遷(背負梯子、天秤棒、

人力車等)

2月6日 上荻野小学校(三年全クラス)

2月8日 厚木第二小学校(三年全クラス)

2月27日 小鮎小学校(三年全クラス)

3月7日 鳶尾小学校(三年全クラス)

Page 16: ANNUAL REPORT OF THE ATSUGI CITY MUSEUM · ・建設概要 位 置 厚木市寿町3-15-26 敷 地 面 積 1,391.27㎡ 建 物 構 造 鉄骨鉄筋コンクリート造り、地上2階

- 16 -

■刊行物の発刊

郷土資料館としては、展示の内容をより深く理解する手立てとして常設展示図録、特別展示図録、

収蔵資料展図録などを刊行している。

他にも、資料館の事業を広く周知するため『郷土資料館 News』を月一回、庁内印刷にて発

行している。

[郷土資料館 特別展示図録]

『厚木市郷土資料館 常設展示図録』 1998.11 B5版 1500部

『第1回特別展 おおやまの生きもの』1998.11 A5版 1500部

『第2回特別展示 出開帳』1999.11 B5版 1500部

『第3回特別展示 化 石』2000.7 A4変形 1500部

『第4回特別展示 東海道と矢倉沢往還』2001.10 A4版 1000部

[郷土資料館 収蔵資料展示図録]

『第1回収蔵資料展 厚木の画家 島村亮』1998.12 A4版 500部

『第7回収蔵資料展 町場のくらしと民具』2000.2 A4版 500部

『第9回収蔵資料展 職人の道具』2000.6 A4版 500部

『第11回収蔵資料展 鎧と刀』2000.12 A4版 500部

『第12回収蔵資料展 あつぎの野鳥』2001.2 A4版 500部

『第13回収蔵資料展 活動する青年たち』2001.6 A4版 500部

『第16回収蔵資料展 あつぎの民俗芸能』2001.12 A4版 500部

[郷土資料館 News]

『郷土資料館 News』(1号~25号) 1998.11~2001.3 A4版 各500部

『郷土資料館 News』(26号~37号) 2001.4~2002.3 A4版 各500部

[厚木市郷土資料館 年報]

『厚木氏郷土資料館年報』2002.3 A4版 150部

[厚木市郷土資料館資料]

『相模川の動物』1998.3 A4版 1000部

なお、市立博物館展示準備のための基礎調査報告書については、『厚木市博物館資料』という体

裁で、以下のように刊行してきた。資料目録(購入、収集、寄贈)も同じシリーズにて発刊してき

Page 17: ANNUAL REPORT OF THE ATSUGI CITY MUSEUM · ・建設概要 位 置 厚木市寿町3-15-26 敷 地 面 積 1,391.27㎡ 建 物 構 造 鉄骨鉄筋コンクリート造り、地上2階

- 17 -

た。資料館開館後の資料の調査、整理等に関する報告等は、『郷土資料館資料』というスタイルで

刊行する。

従来、季刊で文化財関連のニュースを掲載してきた『郷土資料展示室だより』については、『郷

土資料館News』という新しい名称で、資料館事業の周知を目的として月1度の刊行とした。ま

た、本年度より年度の事業報告、調査研究などの報告を行うために『郷土資料館年報』を発行する

こととした。

[厚木市博物館資料]

『厚木市荻野の動物』1995.3

『厚木市荻野の植物』1995.3

『谷戸田のムラ』1995.3

『鐘ケ嶽東方の七沢石』1995.3

『最勝寺墓石調査報告書』1996.3

『厚木市荻野の植物Ⅱ』1996.3

『収蔵資料目録 1 寄贈・購入昆虫標本目録 (1)』1997.3

『収蔵資料目録2 寄贈・寄託維管束植物目録 (1)』 1997.3

『長福寺墓石調査報告書』1997.3

[博物館収蔵資料展図録]

『第1回博物館収蔵資料展 坂東彦三郎と厚木』1994.2

『第2回博物館収蔵資料展 世界のチョウ・厚木のチョウ』1994.11

『第3回博物館収蔵資料展 幕末-相州厚木-』1995.2

『第4回博物館収蔵資料展 -夏の風物誌-花火』1995.7

『第5回博物館収蔵資料展 厚木の植物-植物に魅せられた人々-』1996.2

『第6回博物館収蔵資料展 広重の冨士三十六景-厚木と富士信仰-』1996.7

『第7回博物館収蔵資料展 厚木の里山をあるく』1997.3

『第8回博物館収蔵資料展 旅-村、往還そして街道-』1997.12

Page 18: ANNUAL REPORT OF THE ATSUGI CITY MUSEUM · ・建設概要 位 置 厚木市寿町3-15-26 敷 地 面 積 1,391.27㎡ 建 物 構 造 鉄骨鉄筋コンクリート造り、地上2階

- 18 -

■資料の収集・保管・活用(平成14年3月31日現在)

(1)資料の収集状況

郷土資料館では、郷土 厚木の歴史、民俗、自然に関する資料を購入、寄贈、寄託、採集などの

方法で収集を行ってきた。その結果、資料の合計点数は105,251点となった。収集資料は、常設展

示、特別展(年間1回)、収蔵資料展(同4回)において展示公開を行っている。

入手方法別 資料の収集状況(累計)

購入資料 寄贈資料 寄託資料 採集資料 出土資料 合  計

歴  史 7,399 3,899 4,329 - - 15,627

民  俗 27 4,845 93 - - 4,965

自  然 17,757 9,470 1,436 55,708 - 84,371

考  古 3 - - - 285 288

合  計 25,186 18,214 5,858 55,708 285 105,251

/‾/‾/‾/‾/‾/‾/‾/‾/‾/‾/‾/‾/‾

購入資料の分野別収集状況

歴史資料 民俗資料 自然資料 考古資料 合  計

件 数 869 27 1,346 3 2,245

点 数 7,399 27 17,757 3 25,186

寄贈資料の受入状況 (敬称略)

受入年月日 資 料 名 受 入 先  数量

H13.4.25 「東町資料」 厚木市水引 飯田 孝 456点

H13.6.5 玉川消防組 旗 厚木市船子 前場幸治 2点

H13.8.9 高高度用飛行服 厚木市愛甲 中辻峯男 1点

H13.8.10 英文タイプライター 厚木市上荻野 山口元義 1点

H13.9.13 ヌートリア 厚木市妻田西 小川隆造 1点

H13.10.12 鶴亀杯 伊勢原市高森 加藤泰子 1点

H13.10.14 レコード一括 厚木市東町 佐藤美佐子 9点

H13.10.19 山仕事道具 厚木市上荻野 井上 豊 9点

H13.10.19 地芝居道具一括 厚木市上荻野 松本幸夫 30箱

H13.11.7 長火鉢 厚木市三田 佐藤光麿 1点

H13.11.19 ドラード頭部乾燥標本 厚木市吾妻町 後藤敏夫 1点

Page 19: ANNUAL REPORT OF THE ATSUGI CITY MUSEUM · ・建設概要 位 置 厚木市寿町3-15-26 敷 地 面 積 1,391.27㎡ 建 物 構 造 鉄骨鉄筋コンクリート造り、地上2階

- 19 -

寄託資料の受入状況 (敬称略)

受託年月日 資 料 名 受 託 先  数量

H13.7.21 東町資料 厚木市水引 飯田 孝 58点

H13.7.21 釈迦三尊図(嶋崎旦良)他 厚木市中萩野 養徳寺 20点

H14.3.22 光善院関連資料 厚木市旭町 千葉 弘 1579点

(2)収集資料の保管状況

郷土資料館収蔵資料は、資料館内にある収蔵庫だけでなく、三田公共用地内のコンテナ三基、東

町にある旧分庁舎に収蔵・保管されている。

また、平成12年12月より厚木アクストメイン

タワー3階にある郷土資料収蔵室において昭

和40年代から収集を進めてきた民具、化石な

どの大型資料を、展示しながら収蔵している。

郷土資料館内の収蔵庫については、年に1

回くん蒸を実施し、殺虫、防カビの処理をし

ている。また庫内は、昆虫やカビ等の繁殖を

低くするため、除湿機を使用し常時40%程度

の湿度となるようにし、室温についても常時

摂氏20度の温度を保つようにしている。更に資料の内容により標本箱や文書箱を使用する等、専用

の保存収蔵庫に収納、保存している。

収蔵施設別 資料の保管状況

郷土資料館 アクスト 旧分庁舎 三田コンテナ 合  計

歴  史 15,557 70 0 0 15,627

民  俗 271 3,994 200 500 4,965

自  然 84,330 41 0 0 84,371

考  古 288 0 - - 288

合  計 100,446 4,105 200 500 105,251

*旧分庁舎、三田コンテナにある考古資料については文化財保護係の管理となる。

*旧分庁舎には岸家資料(1393点)が、三田コンテナには近江屋資料(118点)が仮収蔵されている。

収蔵施設面積

郷土資料館 アクスト 旧分庁舎 三田コンテナ 合  計

面積(㎡) 240 369 203 150 962

Page 20: ANNUAL REPORT OF THE ATSUGI CITY MUSEUM · ・建設概要 位 置 厚木市寿町3-15-26 敷 地 面 積 1,391.27㎡ 建 物 構 造 鉄骨鉄筋コンクリート造り、地上2階

- 20 -

(4) 資料の館外貸出

貸し出し

期 間 資 料 名 貸 出 先  数量

13.4.18~6.30 クマゼミ抜け殻 相模原市立博物館 3

13.7.10~9.10 武装男子全身像(登山古墳)他 平塚市博物館 10件

13.10.1~14.9.30

クルリ棒(継続) 相模原市立博物館 2

13.11.10~12.9 武装男子全身像(登山古墳)他 かながわ考古学財団 4

13.9.30~11.17 相州大山大滝之図(国久)他 川越市立博物館 4

14.2.22~4.17 人物風俗図・織 町田市立博物館 1

14.2.13~23 糸車 厚木小学校 1

特別利用

期 間 資 料 名 利 用 者 形態

H13.4.12 石臼、唐箕の写真 個人 掲載

H13.5.21 子ノ神遺跡出土土器 個人 撮影、閲覧

H13.9.13 資料館館内写真 ビックアップルインターナショナル 掲載

H13.9.27 成形図説 巻13 個人 掲載

H13.7.19 游相日記大和市つるまいの里資料館

掲載

H13.12.6 江戸図屏風 個人 掲載

Page 21: ANNUAL REPORT OF THE ATSUGI CITY MUSEUM · ・建設概要 位 置 厚木市寿町3-15-26 敷 地 面 積 1,391.27㎡ 建 物 構 造 鉄骨鉄筋コンクリート造り、地上2階

- 21 -

(5)文献寄贈機関・団体

■ 県 内

川崎市市民ミュ-ジアム 神奈川県立丹沢湖ビジターセンター

川崎市青少年科学館 江戸民具街道

神奈川県立川崎図書館 神奈川県立秦野ビジターセンター

神奈川県立図書館 秦野市立桜土手古墳展示館

横浜市歴史博物館 愛川町郷土資料館

相模原市立博物館 海老名市温古館

神奈川県立歴史博物館 横浜自然観察の森

横浜開港資料館 報徳博物館

シルク博物館 小田原市郷土文化館

馬の博物館 神奈川県立生命の星・地球博物館

かながわ考古学財団 大涌谷自然科学館

横浜市こども植物園 南足柄市郷土資料館

横浜市三殿台考古館 箱根町立郷土資料館

神奈川県立金沢文庫 箱根湿生花園

横浜市緑政局公園部金沢動物園 藤沢市教育文化センター

相模貝類同好会 藤沢市役所博物館準備担当

横須賀市人文・自然博物館 茅ヶ崎市文化資料館

観音崎自然博物館 寒川町企画部町史編さん課

しおさい博物館 平塚市博物館

神奈川県立公文書館 大磯町郷土資料館

■ 県 外

県 名 館 名

秋 田 秋田県立博物館

岩 手 岩手県立博物館

青 森 青森県立郷土館、みちのく北方漁船博物館、津軽昆虫同好会

北海道

苫小牧市博物館、穂別町立博物館、北海道環境科学研究センター、

大雪山国立公園層雲峡博物館、ひがし大雪博物館、

釧路市立博物館、根室市博物館開設準備室、

浦幌町立博物館美幌博物館・美幌農業館、

Page 22: ANNUAL REPORT OF THE ATSUGI CITY MUSEUM · ・建設概要 位 置 厚木市寿町3-15-26 敷 地 面 積 1,391.27㎡ 建 物 構 造 鉄骨鉄筋コンクリート造り、地上2階

- 22 -

東 京

国立国会図書館収集部収集課官庁納本係、明治大学博物館事務室、

財団法人地域創造、港区立港郷土資料館、葛飾区郷土と天文の博物館、

江戸東京博物館、品川区立品川歴史館、大田区立郷土博物館、

世田谷区立郷土資料館、新宿歴史博物館、中野区立歴史民俗資料館、

国立科学博物館自然史研究図書室、豊島区立郷土資料館、

板橋区立郷土資料館、調布市郷土博物館、府中市立郷土館、

日野市ふるさと博物館、東京都高尾自然科学博物館、町田市立博物館、

東京家政学院 生活文化博物館、町田市立自由民権資料館、

福生市郷土資料室、財団法人多摩市文化振興財団、

武蔵村山市立歴史民俗資料館

千 葉

千葉県自然環境調査会、千葉県立中央博物館、我孫子市鳥の博物館、

市川市立市川自然博物館、八千代市立郷土博物館、浦安市郷土博物館、

国立歴史民俗博物館、千葉県立大利根博物館、千葉県立上総博物館、

茨 城 土浦市立博物館、牛久自然観察の森、下妻市ふるさと博物館、

筑波大学 歴史・人類学系、茨城県自然博物館、玉里村立史料館

埼 玉 埼玉昆虫談話会、川越市立博物館、入間市博物館、

埼玉県立さいたま川の博物館、埼玉県立自然史博物館

群 馬 群馬県立自然史博物館

長 野 長野市立博物館、上田市立信濃国分寺資料館、松本市教育委員会、

茅野市八ヶ岳総合博物館

山 梨 甲州昆虫同好会、富士吉田市教育委員会文化振興課、

富士吉田市歴史民俗博物館

静 岡 三島市郷土博物館、静岡昆虫同好会、浜松市博物館

愛 知 鳳来寺山自然科学博物館、豊橋市自然史博物館、田原町博物館、

名古屋市博物館

岐 阜 海津町歴史民俗資料館

三 重 朝日町教育文化施設歴史博物館

滋 賀 大津市歴史博物館、京都大学生態学研究センター、

滋賀県立琵琶湖博物館

大 阪 蜻蛉研究会、大阪市立自然史博物館、大阪府営箕面公園昆虫館

Page 23: ANNUAL REPORT OF THE ATSUGI CITY MUSEUM · ・建設概要 位 置 厚木市寿町3-15-26 敷 地 面 積 1,391.27㎡ 建 物 構 造 鉄骨鉄筋コンクリート造り、地上2階

- 23 -

兵 庫 園部文化博物館、兵庫県立人と自然の博物館、姫路昆虫研究会、

姫路市自然観察の森

鳥 取 鳥取昆虫同好会倉吉支部

島 根 島根県立博物館

島 根 ホシザキ・グリーン財団

岡 山 岡山県立博物館、倉敷市立自然史博物館

広 島 比婆科学教育振興会、比和町立科学博物館、広島市森林公園昆虫館

愛 媛 愛媛県立博物館、愛媛県総合科学博物館

福 岡 北九州市自然史博物館

長 崎 東彼杵町歴史民俗資料館

鹿児島 鹿児島県立博物館

沖 縄 沖縄県立博物館、沖縄市立郷土博物館、名護博物館

福 井 福井県立博物館、福井市自然史博物館

石 川 七尾市少年科学館

富 山 富山市科学文化センター

新 潟 長岡市立科学博物館、新潟県立歴史博物館、柏崎市博物館、

十日町市博物館、新潟県立自然科学館

福 島 福島県立博物館

山 形 山形県立博物館、米沢市上杉博物館

■海 外

楊州市博物館、ニューブリテン美術館

Page 24: ANNUAL REPORT OF THE ATSUGI CITY MUSEUM · ・建設概要 位 置 厚木市寿町3-15-26 敷 地 面 積 1,391.27㎡ 建 物 構 造 鉄骨鉄筋コンクリート造り、地上2階

- 24 -

■調査・研究活動

(1)調査、研究発表、普及等

・歴史民俗生物資料調査(年間、厚木市内外)増田裕、大野一郎、槐 真史

・東名中学校3年生道徳講義(7月18日)増田裕、大野一郎、槐 真史

・東海道400年情報交換会出席(10月23日、神奈川県立歴史博物館)増田裕

・南毛利小学校4年生 総合学習「南毛利博士になろう」講義(11月1日)大野一郎

・厚木小、三田小、南毛利小学校3年生社会科講義(1月30、31日、2月1日)大野一郎

・相模川フォーラム2002講師(3月24日)増田裕、大野一郎

(2)施設・展示解説

・厚木第二小学校6年生(4月16日、112人)

・相川小学校6年生(5月24日、収蔵室41人)

・緑ヶ丘老人会(5月25日、収蔵室21人)

・金曜会(7月13日、収蔵室100人)

・厚木南公民館(7月25日、収蔵室46人)

・厚木市広報モニター研修(10月25日、収蔵室25人)

・岡田自治会見学(11月16日、収蔵室35人)

・厚木市公共施設見学会(11月30日、収蔵室44人)

・戸田小学校3年生(1月18日、収蔵室、64人)

・上荻野小学校3年生(2月6日、収蔵室、48人)

・第二小学校3年生(2月8日、収蔵室、147人)

・小鮎小学校3年生(2月27日、収蔵室、100人)

・鳶尾小学校3年生(3月7日、収蔵室、64人)

(3)執 筆

・増田裕

2001.9 『東海道と浮世絵』第15回収蔵資料展 展示解説

2001.10 『東海道』第4回特別展図録

・大野一郎

2001.4 『活動する青年たち』第13回収蔵資料展 展示解説

2001.6 「三館共同企画 職人の道具」『技能文化』11

2001.12 『あつぎの民俗芸能』第16回収蔵資料展 展示解説

Page 25: ANNUAL REPORT OF THE ATSUGI CITY MUSEUM · ・建設概要 位 置 厚木市寿町3-15-26 敷 地 面 積 1,391.27㎡ 建 物 構 造 鉄骨鉄筋コンクリート造り、地上2階

- 25 -

2001.12 「厚木市郷土資料館蔵<耕織図>について(2)」『民具マンスリー』34-9

2002.3 「守札にみる家の信仰」『足柄の文化』29

2002.3 「川欠、蛇籠、護岸-下依知地区護岸工事調査報告-」『厚木市郷土資料館年報』2002

2002.3 「「出前展示、授業」と「ハンズオン展示」~「総合的な学習の時間」をめぐって~」『愛甲教

育事務所 社会教育施設担当者会議年報 2002』

2002.3 「作品解説 <人物風俗図・織>」『養蚕機織図』町田市立博物館

・槐 真史

2002.2 『すみれづくし-厚木周辺のスミレ科植物-』第17回収蔵資料展 展示解説

Page 26: ANNUAL REPORT OF THE ATSUGI CITY MUSEUM · ・建設概要 位 置 厚木市寿町3-15-26 敷 地 面 積 1,391.27㎡ 建 物 構 造 鉄骨鉄筋コンクリート造り、地上2階

- 26 -

■博物館実習

博物館学芸員資格取得のための実習として、5大学7名の学生を受け入れた。実習期間は、8月

23日~31日の間の8日間とし、カリキュラムは下表のとおりである。当館では、原則的に歴史、民

俗、自然の分野を専攻する学生を受けいれているが、中には未履修の者もいるため、担当の学芸員

が概論の講義などを行った後、資料館の施設、業務の概要を学んだ。その後、体験学習、自然観察

会などの準備、手伝いを通じ、また市民と接してもらうことから博物館の業務の一環を体感しても

らった。実習後半の4日間は、まとめとして展示実習を行った。今年度は、七沢地区の一軒の家か

ら寄贈を受けた資料を使い、企画を立案し、収蔵室で実際に展示をし、講評までを行った。

・実習生 岡本美希、川越利奈、渡辺紀尚(東海大学)、山岡裕子(駒沢大学)、松尾浩子(日

本大学)、井上加奈子(東洋大学)、中村知代(昭和音楽大)

・実習日程

日 曜日 実 習 内 容 指導学芸員 実施場所等

23 木

午前 概要説明・館内見学

施設見学(岸邸) 館長他

資料館

閲覧学習室

岸 邸 午後

歴史系実習

・歴史資料の扱い方

・その他

増 田

24 金

午前

民俗系実習

・民俗資料の扱い方

・資料整理・調査 大 野 収蔵資料室

午後 民俗系普及活動実習

(民具は語る)

25 土 終日

生物系実習

・生物資料の扱い方

・普及活動準備

・その他

槐 閲覧学習室

26 日 終日 自然系普及活動実習

(親子自然観察会) 槐 野 外

27 月 休日 - - -

28 火 終日 民俗系実習(資料整理・調査) 大 野 収蔵資料室

29 水 終日 展示実習 大 野 収蔵資料室

30 木 終日 展示実習 大 野

各指導学芸員 収蔵資料室

31 金 午前 展示実習 各指導学芸員 収蔵資料室

午後 展示発表及び講評 全学芸員 収蔵資料室

Page 27: ANNUAL REPORT OF THE ATSUGI CITY MUSEUM · ・建設概要 位 置 厚木市寿町3-15-26 敷 地 面 積 1,391.27㎡ 建 物 構 造 鉄骨鉄筋コンクリート造り、地上2階

- 27 -

---------------------- Ⅲ 条 例・規 則 ----------------------

厚木市立郷土資料館条例

平成10年9月28日

条 例 第 20 号

(設置)

第1条 郷土の歴史、民俗、自然に関する資料を収集し、保管し、及び展示し、並びにこれらの資

料に関し調査研究を行う施設として、厚木市立郷土資料館(以下「資料館という」。)を設

置する。

(名称及び位置)

第2条 資料館の名称及び位置は、次のとおりとする。

名称 厚木市郷土資料館

位置 厚木市寿町3丁目15番26号

(資料の特別利用)

第3条 学術上の研究のため、資料館の資料の撮影、模写、模造その他の特別の利用をしようとす

る者は教育委員会の承認を受けなければならない。

(入館の制限)

第4条 教育委員会は、入館しようとする者又は入館者が次の各号のいずれかに該当する場合は、

入館を拒否し、又は退館させることができる。

(1) 他人に危害又は迷惑を及ぼすおそれがあると認められるとき。

(2) その他資料館の管理上支障があると認められるとき。

(委任)

第5条 この条例に定めるもののほか、必要な事項は、教育委員会規則で定める。

附則

この条例は、平成10年11月3日から施行する。

(厚木市ラブホテル建築規制条例の一部改正)

2 厚木市ラブホテル建築規制条例(昭和62年厚木市条例第17号)の一部を次のように改正する。

[次のよう] 略

Page 28: ANNUAL REPORT OF THE ATSUGI CITY MUSEUM · ・建設概要 位 置 厚木市寿町3-15-26 敷 地 面 積 1,391.27㎡ 建 物 構 造 鉄骨鉄筋コンクリート造り、地上2階

- 28 -

厚木市立郷土資料館条例施行規則

平成10年9月28日

教委規則 第10号

改正 平成11年1月27日 教委規則 第1号

(趣旨)

第1条 この規則は、厚木市立郷土資料館条例(平成10年厚木市条例第20号。以下「条例」という。

の施行について必要な事項を定めるものとする。

(休館日)

第2条 厚木市郷土資料館(以下「資料館」という。)の休館日は、次のとおりとする。

(1) 1月1日から同月3日まで及び12月29日から同月31日まで

(2) その他教育委員会が定める日

2 前項の規定にかかわらず、教育委員会は、必要があると認めるときは、前項に規定する休館日

を臨時に変更し、又は臨時に休館することができる。

(開館時間)

第3条 資料館の開館時間は午前9時から午後5時までとする。ただし、午後4時30分以降は、入

館することができない。

2 前項の規定にかかわらず、教育委員会は、必要があると認めるときは、前項に規定する開

館時間を臨時に変更することができる。

(資料の特別利用)

第4条 条例第3条の規定により特別利用の承認を受けようとする者は、資料特別利用申込書によ

り教育委員会に申し込まなければならない。

2 教育委員会は、前項の規定による申し込みがあった場合において、その利用を承認すると

きは資料特別利用承認書により、その利用を承認しないときはその旨を申込者に通知するもの

とする。

(資料の館外貸出し)

第5条 次に掲げるものは、資料館の資料の館外貸出しを受けることができる。

(1)国立の博物館、博物館法(昭和26年法律第285号)第2条第1項に規定する博物館及び

同法第29条の規定により博物館に相当する施設として指定されたもの

(2)社会教育法(昭和24年法律第207号)第21条に規定する公民館

(3)国立の図書館及び図書館法(昭和25年法律第118号)第2条第1項に規定する図書館

Page 29: ANNUAL REPORT OF THE ATSUGI CITY MUSEUM · ・建設概要 位 置 厚木市寿町3-15-26 敷 地 面 積 1,391.27㎡ 建 物 構 造 鉄骨鉄筋コンクリート造り、地上2階

- 29 -

(4)学校教育法(昭和22年法律第26号)第1条に規定する学校

(5)その他教育委員会が適当と認めるもの

2 前項の規定により館外貸出しを受けようとするものは、資料館外貸出申込書により教育委

員会に申し込み、その承認を受けなければならない。

3 資料館の資料の館外貸出しの期間は60日以内とする。ただし、教育委員会が特に必要があ

ると認めるときは、当該期間を延長することができる。

4 教育委員会は、必要があると認めるときは、資料館の資料の館外貸出し期間中であっても、

当該資料の返還を求めることができる。

(遵守事項)

第6条 入館者は、次に掲げる事項を守らなければならない。

(1) 定められた場所以外の場所で飲食又は喫煙をしないこと。

(2) 許可なく火気を使用しないこと。

(3) 危険又は不潔な物品を持ち込まないこと

(4) 騒音、怒声等を発し、又は暴力を用いる等他人に迷惑を及ぼす行為をしないこと。

(5) 関係職員の指示に従うこと。

(損傷等の届出)

第7条 利用者又は入館者は、施設等を損傷し、又は滅失したときは、直ちにその旨及び理由を教

育委員会に届け出て、その指示を受けなければならない。

(委任)

第8条 この規則に定めるもののほか、必要な事項は、教育長が別に定める。

附則

この規則は、平成10年11月3日から施行する。

附則(平成11年教委規則第1号)

この規則は、平成11年4月1日から施行する。

Page 30: ANNUAL REPORT OF THE ATSUGI CITY MUSEUM · ・建設概要 位 置 厚木市寿町3-15-26 敷 地 面 積 1,391.27㎡ 建 物 構 造 鉄骨鉄筋コンクリート造り、地上2階

- 30 -

厚木市郷土資料館運営協議会要綱

(設置)

第1条 厚木市郷土資料館(以下「資料館」という。)の適正な運営を図るため、厚木市郷土資料

館運営協議会(以下「協議会」という。)を設置する。

(所掌事務)

第2条 協議会の所掌事務は、次のとおりとする。

(1) 資料館の運営の調査研究に関すること。

(2) 資料館の事業計画に対する指導助言に関すること。

(3) その他資料館に関すること

(組織)

第3条 協議会は、委員10人以内をもって組織する。

2 委員は、資料館施設の運営、活動に関して専門知識を有する者のうちから教育委員会が委

嘱する。

(任期)

第4条 委員の任期は、2年とする。ただし、補欠の委員の任期は、前任者の残任期間とする。

2 委員は、再任されることができる。

(会長等)

第5条 協議会に会長を置き、委員の互選により定める。

2 会長は、会務を総理し、協議会を代表する。

3 会長に事故があるときは、会長があらかじめ指名した委員がその職務を代理する。

(会議)

第6条 協議会の会議は、会長が招集し、会長がその議長となる。

2 協議会の会議は、委員の半数以上が出席しなければ開くことができない。

(庶務)

第7条 協議会の庶務は、文化財保護課において処理する。

(委任)

第8条 この要綱に定めるもののほか、協議会に関して必要な事項は、会長が協議会に諮って定

める。

附則

この要綱は、平成10年11月3日から施行する。

この要綱は、平成11年4月1日から施行する。

Page 31: ANNUAL REPORT OF THE ATSUGI CITY MUSEUM · ・建設概要 位 置 厚木市寿町3-15-26 敷 地 面 積 1,391.27㎡ 建 物 構 造 鉄骨鉄筋コンクリート造り、地上2階

- 31 -

厚木市郷土資料館資料の寄託、寄贈受入れに関する要綱

(目的)

第1条 この要綱は、厚木市郷土資料館(以下「資料館」という。)において厚木市の文化、歴史、

自然等について調査研究等のため必要とする物品を、所有者から資料館資料として寄託及び

寄贈を受ける場合の取扱いについて定めるものとする。

(申出)

第2条 資料館に資料館資料を寄贈しようとする者は、厚木市郷土資料館資料寄贈申出書により、

厚木市教育委員会教育長(以下「教育長」という。)に申し出なければならない。

2 資料館に資料館資料を寄託しようとする者は、厚木市郷土資料館資料寄託申出書により、

教育長に申し出なければならない。

(受領等の通知)

第3条 教育長は、前条第1項の規定による申し出により、寄贈品を受領したときは、寄贈品受領

書を、寄贈者に交付しなければならない。

2 教育長は、前条第2項の規定による申し出により、寄託品を受領したときは、寄託品預

り書を、寄託者に交付しなければならない。

(寄託の期間)

第4条 寄託を受ける期間は、2年以内とする。

2 前項の規定にかかわらず、寄託者が寄託期間満了前に寄託品の返還をうけようとすると

きは、返還を受けようとする日の1箇月前までに、教育長に申し出なければならない。

(寄託者の変更)

第5条 寄託者は、その氏名もしくは住所の変更または寄託品の所有者の変更が生じたときは、そ

の事実を証する書類と当該寄託品預り書により、教育長に届出なければなない。

(管理)

第6条 寄贈及び寄託者を受けた資料館資料の管理については、資料館所蔵の資料に準ずるものと

する。

(受託品の修理)

第7条 教育長は、受託品の修理の必要を認めたときは、修理の方法、費用の負担等について、寄

託者と協議しなければならない。

(模写、模型、写真撮影等)

第8条 教育長は、受託品について、模写、模型、実測、拓本もしくは写真撮影を行おうとすると

きまたはこれらの結果を公刊しようとするときは、寄託者の承諾を得なければならない。

Page 32: ANNUAL REPORT OF THE ATSUGI CITY MUSEUM · ・建設概要 位 置 厚木市寿町3-15-26 敷 地 面 積 1,391.27㎡ 建 物 構 造 鉄骨鉄筋コンクリート造り、地上2階

- 32 -

(条件付き受託、寄贈の受入れ禁止)

第9条 教育長は、対価とみなされる条件付きの受託、寄贈は受入れることができない。

(搬入及び返還費用)

第10条 教育長は、寄贈品、受託品の搬入及び返還に要する経費を負担することができる。

(損害賠償の責任)

第11条 教育長は、寄託された資料館資料が盗難、火災その他の不可抗力によって破損し、又は

亡失したときは、損害賠償の責めを負わない。

附 則

1 この要綱は、平成11年4月1日から施行する。

2 厚木市寄贈文化財の管理等に関する要綱(昭和60年11月1日施行)は、廃止する。

Page 33: ANNUAL REPORT OF THE ATSUGI CITY MUSEUM · ・建設概要 位 置 厚木市寿町3-15-26 敷 地 面 積 1,391.27㎡ 建 物 構 造 鉄骨鉄筋コンクリート造り、地上2階

- 33 -

フェリックスベアト撮影の古写真アルバムについて

川崎市市民ミュージアム写真部門

林 華子

/‾/‾/‾/‾/‾/‾/‾/‾/‾/‾/‾/‾/‾/‾/‾/‾/‾/‾/‾/‾

ベアト以前の日本の「写真」状況◆

幕末から明治にかけて、開国直後の日本の風俗や諸物を記録撮影し、本国や日本にいる外国人に

伝えていた外国人写真家達がいる。この厚木市教育委員会収蔵のアルバムの写真の作者であるフェ

リックス・ベアト(Felix Beato 1825~?)もその一人で、文久3年(1863)春頃に来日したとさ

れる。ベアトは日本を撮影した外国人写真家達の中でも来日時期は早く、日本に来る以前から報道

写真家として活躍していた有名写真家で、作品の質も高い。

写真の発明が一般に公表されたのは1839年である。フランスのダゲール(Louis Jacques Mande'

Daguerre 1787~1851)が銀板に沃素(後に臭素も加える)の蒸気を当て感光性を与えたものを原

板として、撮影後これに水銀蒸気をかけて現像する写真術であり、ダゲールはダゲレオタイプと名

付けて公表した。日本では銀板写真と言われる方法である。

日本に写真が渡来したのは嘉永元年(1848)で、オランダ船によりダゲレオタイプ一式が長崎に

渡来し、御用商人で貿易商でもある上野俊之丞が輸入したのが始まりである。この時に輸入したダ

ゲレオタイプ一式を入手したのは、後に薩摩藩主となった島津斉彬で、斉彬は藩の科学者達を自ら

主導して写真術の研究を進めた。薩摩藩では川本幸民や、科学者である市来四郎らの研究が実を結

び、安政4年(1857)に撮影された島津斉彬の肖像は、日本人が日本人を撮影した最初の、そして

唯一の現存する銀板写真となったのである。

「写された日本人」の現存する最古の写真とされているのは、嘉永7年(1854)、アメリカのペ

リー艦隊の従軍写真家であるE.ブラウンJr. (Eliphalet Brown Junior 1816~1886)で浦賀奉行

所与力 田中光儀や松前藩家老 松前勘解由、ほか数点を撮影した銀板写真がある。

フェリックス・ベアトが撮影した写真は湿板写真で、日本では銀板写真の次に受け入れられた写

真術である。湿板写真はイギリスのアーチャー(Scott Archer)が1851年に発表した。ダゲレオタ

イプより安価で、撮影時間も短くてすむため世界中に広く実用化された写真術である。この技術が

日本に伝わり、安政5年(1858)頃には日本に現存する最古の湿板写真が撮影された。そして文久

2年(1862)には長崎で「上野彦馬」<天保9年(1838)~明治37年(1904)>が、横浜で下岡蓮

Page 34: ANNUAL REPORT OF THE ATSUGI CITY MUSEUM · ・建設概要 位 置 厚木市寿町3-15-26 敷 地 面 積 1,391.27㎡ 建 物 構 造 鉄骨鉄筋コンクリート造り、地上2階

- 34 -

杖<文政6年(1823)~大正3年(1914)>が日本で最初の営業写真館を開業したのだが、ベアト

が来日したのはその翌年であった。

横浜写真について◆

黎明期の写真は長崎、横浜、箱館(函館)といった開港地から発展していったが、その横浜を中

心として外国人に日本を紹介するための写真、横浜写真と呼ばれるアルバムが多く制作、販売され

た。いわばお土産用の写真で、現在の絵葉書の原型に相当するものである。

横浜写真は流行となったのが明治10年代で、最盛期は明治20年代である。そして私製絵葉書の使

用が明治33年(1900)10月に認められ、それ以降急激に横浜写真は廃れ、その役割は絵葉書が取っ

て代わるようになった。

横浜写真の被写体となったのはいわば観光地である名所風景、着物姿の女性や人力車、行商とい

った風俗である。風景としては横浜の海岸通りをはじめ本牧、江ノ島、鎌倉、箱根などが神奈川県

内ではあげられる。その他の土地では皇居周辺、富士山、京都の社寺、神戸港、長崎港などが撮影

されている。風俗写真の場合、当時は室内で撮影することは感光材料の性能上無理であったので、

野外に室内仕立てのセットを組んで撮影が行われた。ベアトが撮影した医者、床屋、魚屋といった

風俗写真も野外の写場で撮影されたものである。

横浜写真を制作、販売した写真家は、日本人では下岡蓮杖、清水東谷<天保12年(1841)~明治

40(1907)>、玉村康三郎<安政3年(1856)~?>、日下部金兵衛<天保12年(1841)~昭和7

年(1932)>などが知られている。

外国人ではベアトの他、ベアトの写真館を譲り受けたスティルフリード(Raimund Stillfried)、

スティルフリードの日本写真社を継承したA . ファサリ(A . Farsari)があげられる。

ベアト以前の外国人写真家としてはイギリス人写真家ソンダース(William Saunders ?~1893)

があげられる。文久2年(1862)から3ヶ月あまりしか日本に滞在しなかったが、横浜、江戸、鎌

倉、金沢などの名所を訪ね撮影している。ソンダースはこれらの写真の販売も行っており、横浜写

真の原型の一つとも言えるだろう。

フェリックス・ベアト◆

フェリックス・ベアトについては横浜開港資料館編『フェリックス・ベアト写真集 幕末日本の

風景と人びと』(1987年 明石書店)が詳しく、ここでは概略を述べるにとどめたい。

フェリックス・ベアトは文政8年(1825)イタリアに生まれた。クリミア戦争、インドのセポイ

の乱、中国のアロー号戦争を撮影した報道写真家で、文久3年(1863)春頃に来日し、下関戦争に

も従軍している。

Page 35: ANNUAL REPORT OF THE ATSUGI CITY MUSEUM · ・建設概要 位 置 厚木市寿町3-15-26 敷 地 面 積 1,391.27㎡ 建 物 構 造 鉄骨鉄筋コンクリート造り、地上2階

- 35 -

画家であるワーグマンと共同のスタジオを構えた時期もあり、日本人および外国人の肖像写真、

日本の各地の風景、野外スタジオで撮影し、行商、大道芸人といった日本の風俗の撮影を行った。

明治4年(1871)にアメリカの朝鮮遠征隊に従軍した後は、不動産業や貿易・洋銀相場などに興

味が移り、明治10年に写真関係のものは一切スティルフリード・アンド・アンデルセンに譲渡して

しまう。

明治17年に米相場に失敗。日本を離れ、イギリスのスーダン遠征隊に従軍写真家として活躍、等

が伝えられているが晩年の足取りは不明な点が多い。

厚木市教育委員会収蔵のアルバム◆

<印画紙>

当時の古写真は現存数が多いわけではなく、厚木市教育委員会収蔵のアルバムは、貴重な資料で

ある。

横浜写真の場合、大半が四つ切(25.4 ×30.48cm)の焼き付け印画紙で制作されている。市場に

出回った多くの横浜写真が、日本画の絵の具や水彩絵の具で着色されている。水色、緑、赤、黄と

数色しか使われていないが、現在見るとカラー写真かと思うばかりの美麗な着色である。

収蔵作品であるベアトのアルバムに添付されている写真は23.4×29.3cmとほぼ四つ切で、すべて

着色は施されていない。印画紙に焼き付られけたままの色である。ベアトは日本で風景だけではな

く風俗も撮影したが、風景写真は着色せず風俗写真だけに着色をしたようで(註1)、そのため収

蔵作品のアルバムにも着色は、あえてしていない。写真に着色を施してしまうと、見る者に記録性

よりも先に情感を与えてしまうとベアトは考えていたのではないだろうか。収蔵作品であるアルバ

ムは、風景の細部まで忠実に記録されており、当時の過程で鶏卵乳剤を紙に十分に塗布し、丁寧に

制作していたことがわかる。

<装 丁>

アルバムの装丁については、一般的に知られている横浜写真のアルバムは、表紙が黒、または赤

の漆塗りで花鳥風月、人物などをモチーフとした蒔絵仕立てのものである。時には裏表紙も漆塗り

の蒔絵仕立てで制作されている場合も多い。写真を貼付している台紙は厚手の紙の場合が大半で、

時には台紙と台紙の間に薄手の間紙をはさんでいることもある。

一方収集作品であるベアトのアルバムは、クロス張りの薄手の表紙・裏表紙である。この形態は

横浜開港資料館が収蔵しているベアトのアルバム(註2)、川崎市市民ミュージアムが収蔵してい

るベアトのアルバムと同型である(現存する同型のアルバムはこれらの館以外にもあると思われる)。

台紙も薄手のもので、間紙ははさまれていない。

横浜写真に蒔絵の表紙を付けて販売する手法は、日下部金兵衛からである。金兵衛は明治10年

(1877)から14年の間に写真館を開業し、明治10年から30年までの横浜写真の最盛期に最も活躍し

Page 36: ANNUAL REPORT OF THE ATSUGI CITY MUSEUM · ・建設概要 位 置 厚木市寿町3-15-26 敷 地 面 積 1,391.27㎡ 建 物 構 造 鉄骨鉄筋コンクリート造り、地上2階

- 36 -

た人物であり、甲府から横浜に出てベアトの助手となって写真を習得した。

<被写体>

前述のように厚木市教育委員会収蔵のア

ルバムは、風景写真のみで構成されている。

添付されている写真の種類は、横浜開港資

料館のものや川崎市市民ミュージアムのも

のとは、それぞれに少しずつ異なっている。

外国人に横浜写真を販売する場合、購入

者がサンプルを見て自分が希望する写真を

選び、それをアルバムに仕立ててもらうと

いう形が多かった。枚数や装丁によって値

段がかわるため、同じ撮影者が販売したア

ルバムでも写真の種類、枚数が異なるので

ある。

<制作年代>

厚木市教育委員会収蔵のアルバムには、写真のほかに解説文が添付されている。これはジェイム

ズ・ウィリアム・マレーによって明治元年(1867)から明治2年(1868)頃に書かれたもので(註

3)、したがってこのアルバムの制作年代も明治元年以降ということになる。ベアトが横浜で写真

を制作、販売していたのはこのアルバムを販売していた明治元年から、ネガと顧客まで全てスティ

ルフリード・アンド・アンデルセンに譲渡する明治10年1月までである。

さいごに◆

以上述べたように、今回の収蔵アルバムは稀少でかつ貴重な資料であるので、厚木市教育委員会

は今後充分に留意して保存されることを期待したい。

【註】

1 横浜開港資料館編 『明治の日本<横浜写真の世界>』1990年 有隣堂 p. 225

2 同上 及び横浜開港資料館編『フェリックス・ベアト写真集 幕末日本の風景と人びと』(1987

年 明石書店)参照

3 前掲書 横浜開港資料館編 『明治の日本<横浜写真の世界>』 p. 225

Page 37: ANNUAL REPORT OF THE ATSUGI CITY MUSEUM · ・建設概要 位 置 厚木市寿町3-15-26 敷 地 面 積 1,391.27㎡ 建 物 構 造 鉄骨鉄筋コンクリート造り、地上2階

- 37 -

ベアト撮影 古写真アルバム目次

頁 タイトル 撮影場所 掲載頁 技 法 法 量 フリガナ

1 ([VIEW ON THE TOKAIDO]) 東海道 写真62 アルビューメントプリント 234mm×293mm トウカイドウノイチフウケイ

3 [VIEW ON THE TOKAIDO] 東海道 写真未

掲載 アルビューメントプリント 234mm×293mm トウカイドウノイチフウケイ

4 解説文 解説64 印刷 234mm×293mm

5 [THE TOKAIDO] 東海道 写真70 アルビューメントプリント 234mm×293mm トウカイドウ(70.ヨコハマ-

フジサワカン)

6 解説文 解説68 印刷 234mm×293mm

7 [VALLEY OF MAYONASHI] 宮ケ瀬 写真29 アルビューメントプリント 234mm×293mm ミヤガセノケイコク

8 解説文 解説37 印刷 234mm×293mm

9 [MAYONASHI] 宮ケ瀬 写真30 アルビューメントプリント 234mm×293mm ミヤガセ

10 解説文 解説36 印刷 234mm×293mm

11 [VIEW OF HAKONI VILLAGE] 箱根 写真87 アルビューメントプリント 234mm×293mm ハコネシュクノフウケイ

12 解説文 解説83 印刷 234mm×293mm

13 [ FUSI-YAMA FROM

MOORI-YAMA] 富士山

写真未

掲載 アルビューメントプリント 234mm×293mm

ムラヤマカラノフジサンノナ

ガメ

14 解説文 解説90 印刷 234mm×293mm

15 ([MIYANOSHITA]) 宮の下 写真79 アルビューメントプリント 234mm×293mm (ミヤノシタ)

16 [TEMPLE STREET、NATIVE

TOWN, NAGASAKI] 長崎

写 真

175 アルビューメントプリント 234mm×293mm テラマチ(ナガサキ)

17 解説文 解 説

136 印刷 234mm×293mm

18 [PAPPENBERG] 長崎 写 真

160 アルビューメントプリント 234mm×293mm

タカホコジマ(パッペンベ

ルクトウ,ナガサキ)

19 解説文 解 説

125 印刷 234mm×293mm

20 [GARDEN AT HARRA] 原宿 帯笑

園 写真74 アルビューメントプリント 234mm×293mm ハラシュクノタイショウエン

21 解説文 解説72 印刷 234mm×293mm

22

[GARDEN AND HOUSE OF

THE HIGH PRIEST OF

FUSI-YAMA AT OMIA]

富 士 山 表

口登山道 写真94 アルビューメントプリント 234mm×293mm

フジノミヤノグウジノジュウ

キョトニワ

23 解説文 解説88 印刷 234mm×293mm

24 [BRONZE STATUE OF JESO

SAMA …HAKONI LAKE]

地蔵 様の

銅像 写真88 アルビューメントプリント 234mm×293mm

ジゾウサマノドウゾウ(ア

シノコ)

25 解説文 解説84 印刷 234mm×293mm

26 [VIEW AT EIYAMA] 厚木 飯山 写真26 アルビューメントプリント 234mm×293mm イイヤマノフウケイ

27 解説文 解説34 印刷 234mm×293mm

28 [HARA…MATCHIDA] 原町田 写真24 アルビューメントプリント 234mm×293mm ハラマチタ ゙

29 解説文 解説32 印刷 234mm×293mm

30 [THE BRONZE STATUE OF

DAI-BOUTS]

長谷 の 大

写真未

掲載 アルビューメントプリント 293mm×234mm セイドウノダイブツ

31 解説文 解説54 印刷 234mm×293mm

Page 38: ANNUAL REPORT OF THE ATSUGI CITY MUSEUM · ・建設概要 位 置 厚木市寿町3-15-26 敷 地 面 積 1,391.27㎡ 建 物 構 造 鉄骨鉄筋コンクリート造り、地上2階

- 38 -

32 ([PAGODA OR TEMPLE AT

KAMAKURA]) 鎌倉

写真未

掲載 アルビューメントプリント 234mm×293mm

(ツルガオカハチマングウダ

イトウ)

33 解説文 解説46 印刷 234mm×293mm

34 [KAMAKURA…TEMPLE OF

HACHIMAN] 鎌倉 写真44 アルビューメントプリント 234mm×293mm

ツルガオカハチマングウホ

ンデンノキンケイ

35 解説文 解説47 印刷 234mm×293mm

36 [ MAIN STREET OF

KANAGAWA] 横浜 写真60 アルビューメントプリント 234mm×293mm カナガワダイマチノカンモン

37 解説文 解説62 印刷 234mm×293mm

38 [VIEW ON THE NEW ROAD…

MISSISSIPPI] 横浜 写真19 アルビューメントプリント 234mm×293mm

ユウホドウシンドウノフドウ

サカヨリネギシワンヲノゾム

39 解説文 解説24 印刷 234mm×293mm

40

( [ THE SPOT WHERE

MR.RICHARDSON WAS

MURDERED])

横浜 写真59 アルビューメントプリント 234mm×293mm (ナマムギジケンノゲン

ハ )゙

41 解説文 解説19 印刷 234mm×293mm

42

[ GREAT BELL AT THE

TEMPLE OF KOBO-DAISHI

NEAR KAWASAKI]

川崎 写真57 アルビューメントプリント 234mm×293mm カワサキダイシノショウロウ

43 解説文 解説59 印刷 234mm×293mm

44 [YEDO BAY] 江戸 写真未

掲載 アルビューメントプリント 234mm×293mm エドワン

45 解説文 解説未

掲載 印刷 234mm×293mm

46 [TIME BELL AT YEDO] 江戸 写 真

141 アルビューメントプリント 234mm×293mm アタゴヤマノウラテ

47 解説文 解説48 印刷 234mm×293mm

48 [ SATSUMA'S

PALACE-YEDO] 江戸

写 真

112 アルビューメントプリント 234mm×293mm

シバタカナワノサツマハンノ

シモヤシキ

49 解説文 解 説

100 印刷 234mm×293mm

50 [TEA HOUSE AT OGEE…

YEDO] 江戸

写 真

145 アルビューメントプリント 234mm×293mm オオジノチャヤ

51 解説文 解 説

115 印刷 234mm×293mm

52 [ BURIAL GRAND OF THE

TAIKUNS] 江戸

写 真

124 アルビューメントプリント 234mm×293mm タイクンノボチ

53 解説文 解 説

103 印刷 234mm×293mm

54 [ BURIAL GRAND OF THE

TAIKUNS] 江戸

写 真

127 アルビューメントプリント 234mm×293mm タイクンノボチ

55 解説文 解 説

127 印刷 234mm×293mm

56 [ BURIAL GRAND OF THE

TAIKUNS] 江戸

写 真

121 アルビューメントプリント 234mm×293mm タイクンノボチ

57 解説文 解 説

103 印刷 234mm×293mm

Page 39: ANNUAL REPORT OF THE ATSUGI CITY MUSEUM · ・建設概要 位 置 厚木市寿町3-15-26 敷 地 面 積 1,391.27㎡ 建 物 構 造 鉄骨鉄筋コンクリート造り、地上2階

- 39 -

58 [ BURIAL GRAND OF THE

TAIKUNS] 江戸

写 真

120 アルビューメントプリント 234mm×293mm タイクンノボチ

59 解説文 解 説

103 印刷 234mm×293mm

60 [ BURIAL GRAND OF THE

TAIKUNS] 江戸

写 真

125 アルビューメントプリント 234mm×293mm タイクンノボチ

61 解説文 解 説

103 印刷 234mm×293mm

62 [ BURIAL GRAND OF THE

TAIKUNS] 江戸

写 真

118 アルビューメントプリント 234mm×293mm タイクンノボチ

63 解説文 解 説

103 印刷 234mm×293mm

64 [ GATEWAY OF THE

TAIKUN'SPALACE YEDO] 江戸

写 真

100 アルビューメントプリント 234mm×293mm ソトサクラダモン

65 解説文 解説92 印刷 234mm×293mm

66 [CASTLE OF YEDO,-INNER

MOAT] 江戸

写 真

103 アルビューメントプリント 234mm×293mm エドジョウ-ウチボリ

67 解説文 解説94 印刷 234mm×293mm

68

[ MOATS ROUND THE

TYCOON'S PALACE …

YEDO]

江戸 写 真

108 アルビューメントプリント 234mm×293mm エドジョウノオホリバタ

69 解説文 解説96 印刷 234mm×293mm

70 [CASCADE AT JIU-NI-SO] 江戸 写 真

147 アルビューメントプリント 234mm×293mm ジュウニソウノタキ

71 解説文 解 説

117 印刷 234mm×293mm

72

[ CEMETERY OF THE

TEMPLE OF

SHUN-TO-KUJI 、

NAGASAKI]

長崎 写 真

177 アルビューメントプリント 234mm×293mm シュントクジノボチ

73 解説文 解 説

138 印刷 234mm×293mm

74 [TEMPLE OF ASAXA,EYDO] 江戸 写 真

144 アルビューメントプリント 234mm×293mm センソウシ ゙

75 解説文 解 説

114 印刷 234mm×293mm

76 [ THE TYCOON'S SAMMER

GARDENS AT YEDO] 江戸

写 真

111 アルビューメントプリント 234mm×293mm

タイクンノナツノベッソウ(ハ

マゴテン?)

77 解説文 解説98 印刷 234mm×293mm

78 [ NATIVE TOWN OF

YOKOHAMA] 横浜 写真21 アルビューメントプリント 234mm×293mm

ヨコハマ(オオタヤシンデン

フキン?)

79 解説文 解説12 印刷 234mm×293mm

80 [VIEW FROM THE FRENCH

BLUFF] 横浜 写真7 アルビューメントプリント 234mm×293mm フランスヤマカラノナガメ

81 解説文 解説17 印刷 234mm×293mm

82 ( [ VIEW OF YOKOHAMA

FROM TOBEI]) 横浜 写真2 アルビューメントプリント 234mm×293mm (ノゲヤマカラミタヨコハマ)

Page 40: ANNUAL REPORT OF THE ATSUGI CITY MUSEUM · ・建設概要 位 置 厚木市寿町3-15-26 敷 地 面 積 1,391.27㎡ 建 物 構 造 鉄骨鉄筋コンクリート造り、地上2階

- 40 -

83 解説文 解説12 印刷 234mm×293mm

84 [VILLEGE OF DIABOUTS] 鎌倉 写 真

539 アルビューメントプリント 234mm×293mm

ダイブツノムラ(ハセカンノ

ンノサンドウ)

85 解説文 解説55 印刷 234mm×293mm

86 [VIEW ON THE HARBOUR,

NAGASAKI] 長崎

写 真

163 アルビューメントプリント 234mm×293mm

ミナトノジョウケイ(ナガサ

キ)

87 解説文 解 説

126 印刷 234mm×293mm

88 [ VIEW IN THE NATIVE

TOWN…NAGASAKI] 長崎

写 真

169 アルビューメントプリント 234mm×293mm

ニホンジンマチノコウケイ

(ナガサキ)

89 解説文 解 説

132 印刷 234mm×293mm

90 [TEMPLE OF DAI-ON-JI…

NAGASAKI] 長崎

写 真

176 アルビューメントプリント 234mm×293mm ダイオンジ(ナガサキ)

91 解説文 解 説

137 印刷 234mm×293mm

92 [ JUNKS OR COASTING

VESSELS] 長崎

写 真

185 アルビューメントプリント 234mm×293mm ニホンノフネ

94 ([HAKONI LAKE]) 箱根 写真91 アルビューメントプリント 234mm×293mm (アシノコ)

95 解説文 解説85 印刷 234mm×293mm

96 ATZUGHI. 厚木町

berwee

n

YOKOH

AMA&T

OKIO.

アルビューメントプリント 223mm×282mm アツギ?

▲ 96.ATZUGHI.

* は『幕末日本の風景と人々』(横浜開港資料館編 『明治の日本<横浜写真の世界>』1990

年 有隣堂)の掲載頁

● ベアト撮影の古写真は、厚木市ホームページ(以下のアドレスにアクセスし、「webフォト アンド ブ

ックス」で「歴史の本」をクリック)で閲覧が可能となっている。

http://www.city.atsugi.kanagawa.jp/

Page 41: ANNUAL REPORT OF THE ATSUGI CITY MUSEUM · ・建設概要 位 置 厚木市寿町3-15-26 敷 地 面 積 1,391.27㎡ 建 物 構 造 鉄骨鉄筋コンクリート造り、地上2階

- 41 -

川欠け、蛇籠、護岸

-厚木市下依知・護岸工事聞き書き-

厚木市郷土資料館

大野 一郎

/‾/‾/‾/‾/‾/‾/‾/‾/‾/‾/‾/‾/‾/‾/‾/‾/‾/‾/‾/‾

はじめに

昭和30年以前には、厚木市域のほとんどの川において、ちんしょう

沈 床、ウシワク(ベンケイワク)、じゃかご

蛇 籠

などを川に施設し、護岸することが行われていた。蛇籠とは「亀甲状に粗く編んだ円筒形の籠。中

に栗石や割石を詰め、河川の護岸工事で土砂止めや水流制御のため古くから広く用いられてきた。

蛇籠という名称は、その形が大蛇の伏した姿に似ているからという」(日本民具学会編「蛇籠」『日

本民具辞典』1997年)もので、昭和初期にはごくふつうにみられ、河原の景色の一部をなしていた。

しかし、蛇籠が使用されなくなって久しく、近年ではその技術を引き継ぐ人も少なくなっている。

本稿では、その技術を伝承する方々が比較的多く在住する依知地区において、それらの製法、施

工場所等について聞き取り調査を行なった報告を行う。また、資料館で所蔵する川入村の川普請文

書についての調査を並行して行なったが、ここでは川普請の絵図をみながら大正から昭和初期にか

けての状況を語っていただいた内容をほぼそのまま掲載した。

まず、本調査を実施した依知地区について簡単にふれておくこととする(1)。

調査地区は、下依知、中依知の2集落で、相模川、中津川にはさまれた台地上にある。『皇国地

誌残稿』(明治9年)の調査によれば、下依知は畑地53町、林地3町余、水田記載なしで、戸数が

26の小集落。また、中依知は畑地37町、林地9町余、水田は記載なし、戸数が37、中津川沿いの集

落をウエムラ、台地東端の集落をシタムラと総称している。

1 蛇籠づくりについて

依知地区は中津、相模の両河川にはさまれた集落であることから、常に水害の備えを怠ることな

く行っていた。中依知在住で若い頃には蛇籠作りを副業にしていた中島英寿氏、藤野竹友氏、そし

て下依知在住の井上利雄氏に、蛇籠の作り方、その周辺の事柄について、'94年12月に行なった聞き

Page 42: ANNUAL REPORT OF THE ATSUGI CITY MUSEUM · ・建設概要 位 置 厚木市寿町3-15-26 敷 地 面 積 1,391.27㎡ 建 物 構 造 鉄骨鉄筋コンクリート造り、地上2階

- 42 -

取り調査についてまとめた。話者については、それぞれ文末に記した。

なお、インタビューの後、若い頃からコンビを組んで急破工事とよばれる護岸工事に従事してい

た中島英寿氏、藤野竹友氏に蛇籠作りの実演をしていただいき、出来上がった蛇籠を資料館に寄贈

していただいたが、作成時の写真を併せて掲載した。

■蛇籠はいつ頃まで作っていたのか

最後の籠作り 蛇籠には径が1.5尺のものと2尺のものがあった。長さは、現場の地形にあわせて

作るものだった。作ってればどんどん長くなるもんだけど、私らが作ったものでは、約12mのもの

が一番長いものだった。それは、堤防のタテカゴ(縦籠)だった。堤防のノリ(法)、テンバ(天

場)、それから足に3mくらいノタリでやるとこの長さになった。通常は、堤防でも8mが多かっ

たけれどもね。現場、現場で変るものだからね。

蛇籠を止して何年経つのか。30年以上経っちまうべよ。あの厚木の下宿、相模川の桜土手の工事。

角んとこへ大川(相模川)がブッッイテ大分欠けちゃって、その急破でやったのが、(直径)2尺

の大きな籠でやった。2尺籠はあまりやらなかったけれども、その時は使った。道路の縁に台を作

ってね。これは大洪水でね、船頭さんが川へ落っこちゃって死んじゃったんでね、頭に残ってる。

イッチャンが大勢連れてってやったの急破が最後の現場の仕事だったべよ。あれが最後だったな、

堤防は。鉄線籠ができる前は全て竹の蛇籠だったけど、終戦後鉄のなかった時代の護岸工事にも蛇

籠は復活したんだ、一時的にね。だから、桜土手の工事は昭和26、7年じゃないかね。蛇籠作りは、

もう止めてから30年以上は経っている。

その後も急破工事以外では、横須賀から5mの蛇籠を数十個分請け負ったことがあった。このと

きは、金田の水道道に5mくらいの籠をいくつも作って、それがたまると電話して、取りにきてい

た。通常、蛇籠は現場で作るもので、こうした請負はしたことがなかった。おそらく向こうでは作

れる人がいなくなってしまったんだなと思った。それっきり、後は全然やらなかった。(中島英寿)

■蛇籠の依頼はどの集落から、どの程度きていたのか

籠作りの依頼 中依知は、相模川、中津川に挟まれドウマン(道満)、コガネハラなどに3つの

堤防をもっているので、基本的には村ウチの工事が多かった。ただ、籠屋と呼ばれる蛇籠作りの出

来る人がいない地域には頼まれて出かけていった。結構いきましたよ。依知のシミズとかね仲間が

いるからそこへ応援にいったりね、役場の土木の係の人に話があっても行ったね。請負のような形

でいくことが多かったですよ。後で「何本」という具合で工事に使う籠(の数)がでると、mいく

らというような単位で請け負うわけです。とにかく、籠を作る人がいなければね、そこへ行くんだ

よ。急破は一日いくらの常用が多かったけど、籠の場合は請負が多かったね。(中島英寿)

Page 43: ANNUAL REPORT OF THE ATSUGI CITY MUSEUM · ・建設概要 位 置 厚木市寿町3-15-26 敷 地 面 積 1,391.27㎡ 建 物 構 造 鉄骨鉄筋コンクリート造り、地上2階

- 43 -

村外での籠作り 一番通ってたんとやったのは、昭和16年の小野の災害。あの時は大分通ったな。

小野でも急破をやったよ。小野橋の附近だよ、向こうの川は小さい川だけどな、氾濫しちゃってど

うしょうもなかった。あんな小さい川でも、籠使わなきゃ駄目だったんだからな。あの辺りは籠作

る人間がいなかったんだろうな、川が小さいから。

一番遠いところでは、中郡の向こうの方、花水川、金目の方にも行ったことがある。自転車じゃ

いけるもんじゃない、あんなところ。竹友さんのバイクで通ったよ。

蛇籠を決められた位置におくと、今度は“カガミハリ”と呼ばれる石ハリを専門にしている人が

詰め始める。これも技術で、私たちには、上手なカガミハリは出来ない。籠の目から漏らないよう

にうまく詰めるんだ。金田の島崎清さんな、あの人が上手にやられてたよ。川入にも3人くらいい

たんだけどな、トモさんの親戚でよ。川入の者が専門でな、そこらじゅうどこへでも行ったんだな。

村請け工事には、監督がいて最終点検にきていたが、若くいばった監督もいましたよ。(中島英寿)

籠屋と急破工事 私らは、こんな仕事を農閑期利用の役所仕事として出ましたんでね、籠作りも

ずいぶんやったんですよ。籠をまだ習わないうちからね。それで、蛇籠なんかに興味をもったんで

すね。中依知は、籠屋が必要なところだよ、三方に堤防をもっているところだから、どこかしらが

傷んでしまうんですよ。どうしても、急な時にはね。それで二人がコンビでね、結構ねやったんで

すよ、籠屋さんといわれるようになったよ、しまいには。鉄線がでるまでには、どんどん蛇籠に代

っていったんですよ。材料が入らなければ仕方ない、急破の一時しのぎなんだからね。一時的なも

んなんだよ、まぁ一年だ。でもやらなきゃならないもんだからね。籠自体は腐っても、石の上へ土

がたまって草が生えたり、柳などがはえて根がはって、そこが固まってしまえば、竹籠はもう要ら

ない。そこへ大水がでれば、また流れてしまいますけどね。(中島英寿)

専業の籠屋 急破工事はいつもあるわけではないので、籠屋を専業にするというわけにはいかな

い。あくまで農業の副業として行っていた。本当の商売として注文をとってという商売じゃないね。

あるかどうかわからない仕事だからね。

急破工事における籠は一年程度しか持たないので、仕事は毎年ありました。工事自体は沈床でも

ウシワクでも5、6年、あるいはそれ以上持ちます。竹だって、ずっと水に入っていれば強いもので

す。今だって、沈床の跡だと思われるところは分りますから。

急破でなくとも春仕事での護岸にならべる工事の雇いもあったな。それでも大きくいえば急破の

一種だな。(中島英寿)

専業の籠屋 中依知に限らず、相模川、中津川の流域には竹が多かったから藤野さんのように専

門で細工をする人がいたのだろう。専門に蛇籠を作る人は他にも何人かいた。(井上利雄)

Page 44: ANNUAL REPORT OF THE ATSUGI CITY MUSEUM · ・建設概要 位 置 厚木市寿町3-15-26 敷 地 面 積 1,391.27㎡ 建 物 構 造 鉄骨鉄筋コンクリート造り、地上2階

- 44 -

■何故、中依知に蛇籠の作製者が多いのか? 材料の竹はどこで調達したのか?

中依知の籠屋 中依知に竹が多いから籠屋がいるのではなくて、急破工事の必要な箇所を抱えて

いる村では、昔から竹の蛇籠をつくる籠屋は必ずいたんですよ。でも、被害を受けるのは中津川の

方でしょう、急流だったから。相模川の方がちょっとは緩やかだから。中依知でも、ドウマン、コ

ガネハラともに中津川だからね。

中依知にも、先輩にトキワヤス(トキワ屋)さんなんか2人ばかりいられたんですよ。鉄線籠が

できる前は竹でやってたからね。堤防が切れたとなると応急に竹でやらなくちゃならない。だから、

必ずどこの地区にも2人や3人はいられたんじゃないかと思うんだが。近隣では、関口にはツナ、

サダ、金田には飛鳥田イサム、下依知に片倉タケ、中依知にもトキワヤスがいた。(中島英寿氏)

籠屋の技術を習得する 蛇籠の技術をもっているのは、生きているのじゃ私ら2人でおしまいだ

ね。少し若い金田の角田ミキオさんが少し知ってるかな。この人は仕事師なんかをやってられたん

だが、蛇籠は作り方だけは知ってるくらいだ。しまいになってやられたからな。

一番先に覚えたのが、中依知のドウマン(道満)地区の現場だったね。やり手が無いからどうだ

ってんでね。関口からツナさんにサダさん、金田からカタのエッチャン、飛鳥田イサムさんもきて

いた。私ら2人は、以前にもチンショウ(沈床)をやったりしてはいたが、蛇籠はできなかった。

興味があったので、急破が村内のドウマン地区で行われるときに、そこへ行って覚えた。といって

も、皆は蛇籠の尺単位で金を取っているわけだから、手を休めて、コウダアアダといって教えてく

れるわけではない。見て覚える。だから、最初の1、2日はじっと見るだけでした。それから竹を割

り始め、編み方を覚えました。

このようにして覚えたので、一番難しい最後のトメのところが中仝上覚え切らずに2人で聞きあ

ってやったりしたものです。さんざん見ているんだけど、散々編んできて止める段になって、フイ

ット分かんなくなっちゃうんですよ。止めが難しいんだ。ちょっとのとこなんだけど、最初と最後

が同じ状態になるんですよ、目が。さんざんやっても、どうだったっけなんてことで、技術がいる

んだよ、やっぱり。

でもね、月謝を払って教えて貰うわけじゃないから、こうやったら早くできるとか、そういった

本当の急所は教えてくれないんだよ。こっちは、大汗かいてやるわけだ、でも先輩はいくらやって

も涼しい顔してやってる。急所があるんだよな。早くやっているようでもかなわないんだよ。

急破の蛇籠作りは、メートルいくらで請け負うもので、頑張れば一日で55mくらいできた。それ

が私の憶えているんでは最長だったね。そうすると当時の日当75~80銭の倍ぐらい貰えた。不景気

だったから、そんなことが魅力でね、汗をかいてやりましたよ。県の常用が75銭だった期間が長く

戦前~戦後もこのくらいだったと思う。蛇籠作りは、長さでの請負いなので、つい頑張ってしまう。

Page 45: ANNUAL REPORT OF THE ATSUGI CITY MUSEUM · ・建設概要 位 置 厚木市寿町3-15-26 敷 地 面 積 1,391.27㎡ 建 物 構 造 鉄骨鉄筋コンクリート造り、地上2階

- 45 -

普通にブランコンブランコンやっているのだったら、通常の日当程度だと思う。(中島英寿氏)

■ 蛇籠はどのように作るのか。また、その材料はどのようなものか。

蛇籠作りの手順 1 まず、現場で竹を割ります。竹は割りっ放しなんですよ。一番先に竹を2つ

に割るでしょ。またそれを2つに割る。それで4つになる。それでヘゴの一つが、まぁ見当でやる

んだけど、それをまた割っていく。つまり、細いものは4分し、太いものはその太さ、特性を見極

めて8分又は16分にしたりする。中の半

端なのは全部等分に割らないで、少しず

らすんだね。厚いところは幅を細く、薄

いところは強度を持たせるために幅を

広くする。

マワシというのがあるんだよ、横竹だ

な。籠だからね、台の上をグルグル回し

ながら編んでいくんだけど、だから細っ

かくいうとね、割るときに大小中とわけ

て、いいのがでたらマワシにとっておくんだ。こうしたことは、割っちゃってからじゃ遅いんだ。

割りながら、どんどん分けていく。巧い人は、竹割りから上手なんだ。それで組み立ても楽にでき

るんだよ。(中島英寿氏)

蛇籠作りの手順 2 それから蛇籠を編むための台を作ります。これも全て現場で竹を使ってこし

らえます。この台はなくてもできないことはないが、ひどく効率が悪い。これがないと、地にブッ

ツワリ込んで作業をするようなんですよ。それじゃまたできないよ。先がからまっちまうからな。

その場で見当でこしらえてしまうんだ

よ、パッパツと。だけど、高さなんか

はその人に合せたものができるよ。

籠は竹を3本づつ長さ、太さを揃え

ずに編んでいきます。継ぎ足すときに

長さが揃っているとだめなんですよ。

竹は、根の方へいくと肉が厚くなり、

裏の方へいくと薄くなる。だから裏の

方へいくと、同じ3本あっても根の方

が強いんですよ、強いから。丁寧にやるには、竹の部分と、竹の種類をよくみて組合せるんです。

頭を使いながらね。籠は大工さんと違って、釘で止めるわけじゃなく、組合せで止めてあるんだか

Page 46: ANNUAL REPORT OF THE ATSUGI CITY MUSEUM · ・建設概要 位 置 厚木市寿町3-15-26 敷 地 面 積 1,391.27㎡ 建 物 構 造 鉄骨鉄筋コンクリート造り、地上2階

- 46 -

ら。“自然持ち”なんですよ。竹というのは、勝ち負けがねぇようにやると本当にうまくいくんで

すよ。勝ち負けがあると、弱い方へ波打っちゃうでしょ、強い方はピュッと張っちゃうから格好が

悪いんです。チグハグに継いで行かないとどうしてもうまくいかない。そして、一所で継ぎ足した

ら壊れちゃうんですよ。竹も、籠の場合は“ガラ”といって、3、4寸のものが込みになって一ワに

なっているものの方が蛇籠には具合がいいんですよ。竹に大小があってね。まぁ、実際にやってみ

ればよくわかるよ。そんで、3本ずつにするから蛇籠は結構重いんだよ。(中島英寿氏)

蛇籠の材料 このように蛇籠は現場で作るものだから、竹も現場のものを使う。急破に使われる

竹は“ガラ”とよばれる不揃いな商

品にならないものばかり。それでも、

七沢の石山の竹は使いやすい。これ

は、肉が薄くて、強くってね、サラ

サラサラサラしてね。それで根元も

厚くないんです案外と。割りいいし

ね。それで作るとバランスのいいノ

ッペリしたいい籠が出来る。

このあたりの竹はだめだ。太くな

りすぎて青仝上としてはいるが、肉

が厚くて軟らかいんです。だから、コゴッタリ(絡まったり)する。思うに、地味の悪いところほ

ど籠向きの竹がとれるのではないかね。蛇籠を作るとなると、竹屋は山掃除なんだよ、山掃除。普

段は使えない虫食いの竹なんかをだしてくるんだ。これを“ガラ”といったんだ。ただ、何寸竹な

んていうと、全部長さ、太さが同じだからいい籠はできないんだ。山はね、“ドカリ”といって、

木を根こそぎ切ってしまうことがあります。そんなときに竹のガラがでますが、それは急破に使わ

れます。(中島英寿氏)

■蛇籠と縦籠の違いは単に大きさだけか、構造上の違いがあるのか?

蛇籠の種類 蛇籠には径が1.5尺のものと2尺のものがあった。長さは、現場の地形にあわせて作

るものだった。私らが作ったものでは、約12mのものが一番長いものだった。

籠屋同志、または急破工事の仕事仲間のうちでは、蛇籠などということばは使わない。傾斜のあ

る堤防にタテに置いていくものを“タテカゴ”、または“タテコミ”といった。また川の中におく

ものを“ノタリ”とよんだ。注文も「どこどこの土手にタテカゴ10本頼むよ」などというように依

頼した。

正確には、タテカゴも傾斜の部分だけで、土手上の部分は“テンバ”、川の中の平坦なところは

Page 47: ANNUAL REPORT OF THE ATSUGI CITY MUSEUM · ・建設概要 位 置 厚木市寿町3-15-26 敷 地 面 積 1,391.27㎡ 建 物 構 造 鉄骨鉄筋コンクリート造り、地上2階

- 47 -

“ノタリ”といった。(中島英寿氏)

蛇籠と縦籠は大きさの違いのみ。蛇籠にも5m籠、10m籠等があり、工事の種類によって使い分

けられた。鉄線籠になってからも、工事によって太さの違いがあった。何を使うのかは、工事の書

類によって県の土木課から指定があった。(井上利雄氏)

蛇籠、鉄線籠 蛇籠は、昭和13、4年頃の工事にも使用されていたが、それ以前から徐々に鉄線籠

に変ってきていた。鉄線籠と同様な編み方で、苗運び、草刈の籠なども作った。竹では錆びてしま

って、一年一年作り替えねばならなかったが、鉄線では数年はもった。そのため、荻野へ養子にで

た弟が籠を作ってくれとねだったものが残っています。これは、苗を入れて田まで運ぶもので、2

つを天秤で運んだ。鉄線籠はこれよりも直径が15cm程度大きかった。

父は鉄線籠をよく作っていたが、蛇籠は作らなかった。蛇籠はもみじ園の中島さんのように専門

に作る人がいたが、鉄線籠は普通の家で使用した。鉄線はガサがはり重かったので、キュウハ(急

破)工事の現場で編むものだったが、蛇籠は軽いものなので自分の家でも作った。

最後に水害があったのは、昭和16年7月、このときは急だったので俵に砂を入れ土俵に積んだ。

また、普段堤防につんでおいた石も使った。こうした石は、普段から用意しておいたものだった。

また、急破工事のときには、工事小屋を村の共有で作り、持っていた。(井上利雄氏)

■中依知の場合、蛇籠はどこに、どのように置いたのか?

他の河川護岸関係技術である、チンショウ(沈床)、シガラミ、牛枠(ベンケイワク)等につい

ては技術を知っているか?使い分け等あったのか?

護岸技術の使い分け チンショウ(沈床)、シガラミ、牛枠(ベンケイワク)等についてはすべ

て知っています。ただ、沈床の中にもソダ沈床、モッコ(木工)沈床とがあり、用途によって使い

分けられていた。堤防の前後の川床が掘れて削れてしまうようなところに施工された。

これらは用途だけでなく、工事の手順なども違った。モッコ沈床の場合、カグラサンを使って大

除簾で底を掘ってから行った。それに対して、ソダコ沈床の場合、底掘りなどをしなくても、もっ

と手軽にできた。

結果、ソダ沈床があくまで急破なのに対し、モッコ沈床は永久にのこるもの。モッコは、金田の

モリヤのような専門の仕事師でなければできない。

チンショウ(沈床)だって、先に立っている人、請負者が段取を知らなければできないよ。チン

ショウだってよ、籠を使うものと使わないものがあるんだよ、木ばっかりでよ、シガラってものを

かいて、杭を打ってよ、そのマスの中に石を入れて詰めちまうんだ。それで籠を使わないでやれる

んだよ。ソダ沈床って、ソダばっかり使ってやるものだ。杭を打って、ヤグラをかいて、杭の上へ

藤を2つに割って丸くしたものに竹のタガをこさえたものを丸太へぶら下げておいてよ、水の上へ

Page 48: ANNUAL REPORT OF THE ATSUGI CITY MUSEUM · ・建設概要 位 置 厚木市寿町3-15-26 敷 地 面 積 1,391.27㎡ 建 物 構 造 鉄骨鉄筋コンクリート造り、地上2階

- 48 -

吊っておくわけですよ。これが出来上がると、皆して「イチ、ニノ、サン」で鉈で切るんです。ザ

ザッザッと石が乗っかってるからよ、沈むわけです。

こういう方法は、竹籠を使わないもの。でもその上にまた竹籠が乗っているものもあり、一通り

ではなかった。いろいろなんですよ。(中島英寿氏)

うしわく

牛 枠 木を三又に組んでその上、下に竹籠が乗っているものもあります。その籠に石をいっぺ

ー詰めて重しにしてね、そういうのを牛枠といった。牛枠というのは強いよ、三本でやっているか

らね。角が出てんでしょ、前から見ると牛が角をだしているようだから、牛枠ってんだな。これ(枠

を支える木)が一本長いんですよ、それが向こうから水が流れていると、水に向かって置くわけで

す。この部分に籠をやって石を詰め、重しにするわけです。そうすると大水でどんどんあおってき

て欠けてきても、足の部分の砂が掘られるけど、流れない。まごまごしていると、「北へ北へ行く」

ってんだよな。つまり、水上へとね、流れないで。馬は泳ぐんだけんど、牛は泳ぐの知らねえから、

下へ潜っちまうなんて昔からいうんだけどね。それで牛枠という名前がついた。これは、強いんで

すよ。流れないんですよ。がんばっているんだから。牛枠はほとんど籠がいるんだよね。重しを置

かなければならないからね。尻の方、頭の方へ置くんだよ、方法があるんだ。

ウシワクは、流れの向きを変えたりするような時に使います。ウシワクをおくときも、籠は必要

になります。(中島英寿氏)

護岸工事のいろいろ ちんしょう

沈 床、シガラミ、牛枠(ベンケイワク)等もすべてやったことがある。

沈床とは、杭を打って、そこにソダを束にしたものを巻いた中に石をおく。水の中ではソダも案外

と腐りにくいもの。

ベンケイワクは、このあたりでは牛枠といい、構造などはチンショウと同様。ただし、チンショ

ウが護岸のために行う技術であるのに対し、牛枠は川の流れをかえたりするような大掛かりな工事

に使われる技術。これは、このあたりの人はほとんど憶えていないと思う。ただし、上依知の吉田

組の年配の人なら今でもできるかも知れない。(井上利雄氏)

中依知の鮎籠 私らは若い頃から鮎をいっぱい釣りましたね。私らのは営業まではいきませんで

したけどね。だから鮎の捕り方も一通りは分ってます。私の父親も雨が降ると農作業をやすんで釣

にでかけていった。その際、道具を入れたり、場合によっては川へ沈めて、イケス代りに使ったり

する籠を背負って行くがこれを“鮎籠”といった。これは、径が35~40cm、高さ45~50cm程度のも

のだった。親父が好きだったんで、作ってあげましたよ。

平塚市博物館の本にでている籠は、これは厚木の魚屋さんがもってくるものです。これは、こち

らでは鮎籠とはいわなかった。(中島英寿氏)

Page 49: ANNUAL REPORT OF THE ATSUGI CITY MUSEUM · ・建設概要 位 置 厚木市寿町3-15-26 敷 地 面 積 1,391.27㎡ 建 物 構 造 鉄骨鉄筋コンクリート造り、地上2階

- 49 -

中依知の鮎籠 鮎籠など作れる人は、ここらにはもういないと思う。猿ケ島には、アユカゴを作

れる人がまだ若干残っているかもしれない。(井上利雄氏)

■急破工事 その他の技術

石の運搬と石ハリ 中依知の村で請け負う工事は、あくまで村救済のものだから、村以外の工事

は在り得ない。このような仕事だったから村請けの仕事でも、入札に参加し工事をとった。工事費

から材料費などを引いた残金を、工事にでた人の日当となった。地元とはいっても、相模川の工事

では対岸の座間の四ツ谷と競合することもあった。四ツ谷には、足立原前市長の伯父にあたる本田

シゲジという人がいた。

石は、昭和橋よりもっと上流の津久井の方でとってきたらしい。というのは、石を積むにはムラ

フネよりも大きなものが必要で、依知では猿ケ島などに頼んでいたから正確には分らない。彼等は、

舟に積んで石を持ってきた。猿ケ島には、今は亡くなったが船頭師が多かった。

ジャカゴに石を詰める作業を“石ハリ”というが、これも結構難しかった。村請けの工事となっ

てからは、監督が検査にきていたが、金田の島崎清という亡くなった人は、石ハリの名人と云われ

検査もフリーパスだった。島崎氏がいうには「素人には分らないが、石には表と裏がある」といっ

ていた。といっても島崎氏も普段は農家の仕事をしていた。(井上利雄氏)

■沈障、ソダコなどを収納していた「ムラフネ」はいつ頃まであったのか?

また、蛇籠に入れる石はどこで取ってきたのか?

中依知のウマブネ 中依知では、ムラフネとはいわず“ウマブネ”といっていた。やはり部落の

共有のもので、船頭さんはいたけんども自分の船は持たずにそういう工事の時には、それを出して、

みんなして大勢でとっかかってやったんですよ。ウマブネは、普通の船より大きくて幅が広くて長

いんだよ。長さ五間、幅七尺くらいのものだった。

工事の時には、ウマブネにのった船頭さんが大きな顔をしてね、俺は船頭だってことでね。渡し

にはでっかすぎてよ、だめだった。ウマブネは、石を積んだりといった工事専用だった。馬を乗せ

るためのものではないけど、馬でも乗せられるというものだったんじゃないかな。大正頃までは工

事に使われていたと思う。子供の頃にはみましたよ。(中島英寿氏)

中依知の船頭さん 船頭さんは、中依知にはたくさんいたんだよ、カワガリ師が多かったからね。

今だってあるよ中依知には。でも船は、漁に使うというよりは、相模川沿線ならどこでも、石を乗

せて運んだんだね。それで船をもっているんだ。これは、営業権をもっている人がやったことだね。

上流までいって石を拾って、現場へ運ぶんだ、賃取りだね一隻いくらでね。帰りは帆掛け船でね、

Page 50: ANNUAL REPORT OF THE ATSUGI CITY MUSEUM · ・建設概要 位 置 厚木市寿町3-15-26 敷 地 面 積 1,391.27㎡ 建 物 構 造 鉄骨鉄筋コンクリート造り、地上2階

- 50 -

風が吹いていないときは、仲間で組になって船を繋ぎ、長いロープで引っ張るんだ。一人がハナを

ね、船頭になって梶取りをして、よく見ました。船頭は、風がでるまで待てないから。こうした人

は、依知では中依知だけだね、猿ケ島にも商売で船をもっていた人がいたが、中依知ほどまとまっ

てはいなかった、中依知が一番多かったね。それと、川の向こうで磯部ここにもこういう人がいっ

ぱいいたんだよ、商売人が。昔は、百姓、百姓っていってたけど、百姓をやらない人がこういうこ

とをやっていたんだな。(中島英寿氏)

ムラフネと舟番 ムラフネは、常に相模川に浮かべて保管していた。中依知共有のものだったが、

“舟番”といって順に申し送りをして舟の管理をしていた。水がたまるとアカカイで水を出したり、

川の水が減ると位置を移動したりといった具合で大変だった。

昭和初年の農村不況の際、農家に仕事が無くて農家の2、3男がブラブラしている状態だったので、

農村救済の村請工事が行われた。このムラフネは、その工事に使用するためのものだった。これ以

前にもあったかも知れないが、私は知らない。最後のムラフネが作られたのが昭和3、4年の頃だっ

たと思う。愛川町の方から舟大工が来て組み立てていった。構造は、漁船とほぼ同じ、大きさがひ

とまわり大きいのみだった。

ムラフネの浸水式には、長老をのせて行ったことを覚えている。私は小学校2、3年生だったが、

このような儀式は普通の漁舟では行わなかったので覚えている。

終戦後、ポンプを入れて対岸の火事の消火にあたったこともあるが、村請工事が少なくなったこ

とにより、ムラフネは必要無くなり、自然と腐るにまかせ、なくなってしまったのだと思う。戦後

も多少は村請け工事があったとは思うが、すでにトラックが使われムラフネは必要なくなった。(井

上利雄氏)

中依知の渡船道 中依知には、渡船道と呼ばれる道があり渡船場があったが、下依知にはなかっ

た。前にはあったという話だけど、下依知では対岸との交通にムラフネを使うことはなかった。渡

るときには、船を持っているだれかに声をかけて渡してもらった。ムラフネは大きく、また共有だ

ったので、自由に使うことはできなかった。中依知なんかにはあったかも知れないし、金田にもあ

ったんだね。厚木へ行くのにね橋がなかったときには。橋があっても、川のところだけだから、河

原をずっと歩いて行ったし、大水がでるとじきに橋も流されたからね。

また、「ソダコなどを収納していたムラフネ」(3)という記述は違うのではないか。ソダコや鉄

線は、八幡神社の横手にあった“非常小屋”の中に保管していた。鉄線などはまだ多少は残ってい

る。(井上利雄氏)

■カワガリ師について

Page 51: ANNUAL REPORT OF THE ATSUGI CITY MUSEUM · ・建設概要 位 置 厚木市寿町3-15-26 敷 地 面 積 1,391.27㎡ 建 物 構 造 鉄骨鉄筋コンクリート造り、地上2階

- 51 -

カワガリ師 中依知にはカワガリ師は7人いた。全てが茂戸藤姓。だいたい、商売でやっていた

のは茂戸藤さん系統だな。トラさん(トラキチ)、マサノリ、フクタロウ、竜助(竜さん)、竜助

さんは若いし、あんまりやってないよ。本当にやったのは、清さんとか仙太郎(清の分家)さん。

この人達5人は本当に商売でやりましたよ。竜助さんの方は川の漁業組合の関係で本当によく仕事

をしていましたけど、竜助さんはあとから養子でこられたから、子供の時分からやっていない。あ

んまり、そういうのはやっていない。船頭は得手じゃねぇなぁ。漁業組合の券なんかを配っていた

けど本当の地元の人じゃねぇなぁ。石原さんというのは下依知の人だ。これらの人は、現在すべて

故人となっている。ただやり方を知っているというのは清の息子のタケシ(健)さんだけだ。この

人は船も漕げるし、何でもできる。ただ、商売ではやっていないね。でも一応全部知っているね。

私も、漁業組合を何十年もやっているけど健さんの方がよく知っているよ。

この人達は、漁師だけど、川が閉ると、船を使った商売、石を運んだり、材木なんかを運んだり

もしたらしいですね。ずいぶん石はやったんだね、石はただなのかね。かってにやってもよかった

んだよ。当時は、頭取工の堰なんかないからどこまでも、城山までも上流へ上っていった。でも、

上へ上るほどいい石がでるならいいけど、そんな上へ行かなくとも近いならよりいいわけだ。ただ、

石の大きさで、一尺のものを集めろとか、尺五のものを集めろとか、工事によって石の注文が違う

わけだ。だから小さくても良ければ近くでやるし、大きくなけりゃ駄目だというのであれば、うん

と上流へ行かなけりゃ、ありゃしない。そういう場合にはどこまでも上へいかれた、というような

話をよくセン(仙太郎)ちゃんから聞いたよ。センちゃんというのは茂戸藤 清さんの分家ですよ。

この人は船頭では一番達者だったな。力はあるしな、何やらしたって凄かったよ。(中島英寿氏)

漁業組合とカワガリ師 漁業組合のもとになったといわれる水神講は、カワガリ師だけの参加で

はなく、私(中島)も参加していた。この水神講も、茂戸藤 清さんが親方でやられました。昔、

安藤(覚)国会議員がいたね。あの人に水神講のことを書いてもらって、「講でもって水神さまを

祀った」と石搭に書いてもらいました。堤防道路ができちゃったのでこちらに移転しましたが、そ

れは中依知の者だけで祀っていました。(中島英寿氏)

カワガリ師について 下依知には、漁業組合の人が5、6人いる。その中には最近、漁舟を作った

人もいるが、ほとんどは観光漁業となっている。カワガリ師と呼ばれた人は下依知では3、4人だっ

たが、その人達もほとんど組合に入っている。組合の人は、漁業権の関係で金を貰ったこともある

が、高い入会料を払ってまで会員になる人はいない。現在は、入漁場券の販売などを中心に行って

いる。

私が憶えている頃には、カワガリ師と呼ばれる人にも2種類あった。I.Rさんのように漁をし

た魚を料理して出す水商売的なものと、魚をとるだけの純粋な漁師とがあった。後者は、自分で漁

をするというよりも人に使われるといった感じだった。

Page 52: ANNUAL REPORT OF THE ATSUGI CITY MUSEUM · ・建設概要 位 置 厚木市寿町3-15-26 敷 地 面 積 1,391.27㎡ 建 物 構 造 鉄骨鉄筋コンクリート造り、地上2階

- 52 -

I.Rさんは、厚木の大和屋、若松屋などの料亭と同様に遊覧船を出したり、料亭の下請をした

りしていた。下請をすると「何日に何人」というように(漁に)出る人を募集した。下請をしたと

きの手順は次の通り。料亭の客が厚木の料亭に到着し、舟に乗込むと、それを依知のあたりまで引

いていく。そこで、漁をしたり、させたりしてとれた魚を料理し、舟の上で宴会をする。そのとき

にビールや酒をくすねて川の中に隠す者もいたが、酒が入っているので、いい客は祝儀をはずんだ

りもした。帰りは下りだから、人が引かず船頭が操作して帰っていった。

I.Rさんの募集に集った人は、カワガリ師だけでなく、普通の農家の人もいた。中には、畑に

草を生やかしてもこちらに出てくる人もいた。それだけ実入りがいいとともに、それは楽しかった

ものだという。依知には、I.Rさん以前にはこうした人はいなかったが、 I.Rさんの才覚でこ

のような商売が行われた。 I.Rさんは、鉄砲打ちで、狩猟もしており周りの人は“テッポウチ”

とか“リョウシ”と呼んでいた。 (井上利雄氏)

2 川欠け、急破工事について

収蔵資料に「川入村普請文書」がある。1831年(天保2)8月からのもので、87点の文書がある。

川入村は、依知村と隣接した地区で中津川上流にあたるが、ここでは蛇籠作りについて話を伺っ

た中依知在住の中島英寿氏、藤野竹友氏に同資料の中から「従来水害取調書(享保以来、付絵図)」

をみてもらった。

二人は若い頃からコンビを組んで急破工事とよばれる護岸工事に従事していたため、隣村の水害

個所については熟知している。ここでは、急破工事、周辺の事柄について'95年1月に行った聞き取

り調査を、テープおこししたものを記した。

≪急破が必要なところ≫

中 島 中依知の部落があるね、その下はキッタテ(崖)になってね、その下はドブだね、昔で云

う。池みたいにね、それで深いんですよ。よく鮒釣に行ったけどね。そういう所はもとね、やっぱ

り川、大川が流れていたらしいんですよ。だから、こっちはきれいにとられちゃって、今いう砂利

ばっかりが沈んでいくところなんですよ。どこ掘ったってね、中依知の耕地は砂利ばっかりで、“日

本一の砂利だ”なんていばっていたけれどもね。砂利ばっかり、泥っけがあまりないんだよ。だか

ら、カッカと流れたあとだね。緩やかに流れてちゃつてれば濁り水も沈殿するけれど、カッカと流

れちまうとそれこそ綺麗な砂なんですね。随分、業者が採っていきましたよ。その後に、穴を掘っ

たところへ他のもので埋めたけどね。その前は、どこを掘ったっていい砂利だ。川を超えて座間ま

でほとんどいい砂利なんだ。あっちを流され、こっちを流され、広い範囲でね。

河川敷もやっと自分たちのものに戻ってね、耕作なんかも今してるけどね。

藤 野 中津川も相模川も、堤防の内側の田圃を皆砂利を業者が掘ったんでしょ。どこを掘っても

いい砂利がでるんだから。もとはそういう場所が、やっぱり川が流れていたという証明ができるわ

Page 53: ANNUAL REPORT OF THE ATSUGI CITY MUSEUM · ・建設概要 位 置 厚木市寿町3-15-26 敷 地 面 積 1,391.27㎡ 建 物 構 造 鉄骨鉄筋コンクリート造り、地上2階

- 53 -

けですよ。

中 島 それで、昔は(護岸工事を)官費で中々やってくれないわけだね。それで各々部落でね、

みんな護岸したから、なるべく金のかからないようにということで、蛇籠を使ったりしてやったわ

けです。

だけど、川入は凄かったからね。昔からそうした文書があるんでしょう。それは、ごく古いもの

は分らないけどね。この(中依知の)南の端だ。ここにぶっつけちゃうから、苦しいからね、護岸

が必要になってくるんだね。これも蛇籠かなんかじゃないのかね。まっつぐになってるから。

藤 野 いゃー、これは長いから、長いなー。

中 島 小宮仁平さんか、仁平さんはどこの家というのはちょっと分らないな。笹生という家もあ

りますよ。どこの家かは分らないけどね。

藤 野 川入はとにかく下に人家があるから。

中 島 この堤防との間、空いた地区にね、もとは川が流れていたけどだんだん流れなくなって人

が住むようになったから、うちの方の地区には人家はないんですけどね。あそこは、広く欠けたり

なんかして、これはもとうちの方の地所なんだとかいってだから、そのうちに人家がね。神社があ

りますよ多度名神社ちゅうね、そのくらいですから。大分ながく、もとから人家があったんでしょ

うね。人家があれば大変だ、護岸をしなけりゃ。田圃だけだったらなかなかおろそかにするけど、

人家があればそれこそ大変だから。もう一生懸命、それでこの地区は一番ね、その役員もあったり

いろいろ大変だったでしょうよ。

藤 野 今でも同じでしょうけど、人命救助、人命が一番大事でしょうから、一番重点的に予算が

いくわけですよ。人家のあった川入に。

中 島 だから、長坂というところ、依知だけど、ここには人家があったけどな。何軒でもなかっ

たけどな。

藤 野 でも、何軒でもあれば、川入の続きであったんですよ。

中 島 中依知の北のはずれですけど十軒くらいあったな。うちの方の部落の上っ方です。

高さがなにしろよ、田圃の高さと同じところに家があるから、水がくるとゴーっと床上浸水まで

いっちゃうんだよな。そういう所が欠けると、村総出になるし、護岸の方も急破ですぐにやんなき

ゃしようがないということで、依知の方よりもなお一層力をいれなければと思いましたね。中依知

で危ないところというと、道満と長坂に寄ったところね。

道満地区というのは、この山を降りたところから向こう、南側がそうなんだ。人家は、今はない

ね。昔は、水車が一軒あったきりで、住んでいる人家は昔からないんですよ。

藤 野 長坂は、われわれが覚えてからだけであったよ、今はなくなっちゃったけどよ。覚えてか

らも7、8軒あったからな。

中 島 それで、あそこは、永住というか、商売で水車をやっていた人があったからね。だから、

ずっと昔からあったんじゃないでしょうかね。今は水車はないけれどもね。

Page 54: ANNUAL REPORT OF THE ATSUGI CITY MUSEUM · ・建設概要 位 置 厚木市寿町3-15-26 敷 地 面 積 1,391.27㎡ 建 物 構 造 鉄骨鉄筋コンクリート造り、地上2階

- 54 -

どこでもみな子供の頃川に遊びにいけばね、沈床、牛枠が各地にみえましたよ。今テトラポット

が置いてあるようなところへ牛枠なんかが入ったんだな。

藤 野 堤防が水がきて、下をえぐって決壊する恐れがあるようなところへテトラポットが置いて

あるんだけど、そこが沈床だったわけだ。昔はね。

中 島 だから、道満地区もね、市の方で援助してもらってね、あっこへ運動場のようなものを作

りましたけど、その外っ側はやっぱりテトラポットで護岸してますよね。

これは沈床だよな。そういう名目は見出しに書いてないか?

“カブダシ”“カゴダシ”わかんねぇなあ。曲りを直線にしちまおうってことかね。これは何?

古堤?だから結局、これが昔の堤防で欠けたってことだな。堤防で欠けて、ここはまた河原がこっ

ちへきちゃつて雑草地になっちゃってるから、これを復帰させようって計画じゃないかな。もとは

ここまであったんだよ。だって古堤だもん、なっ。だから、古堤を図面へ引いて、ここへやろうじ

ゃないかっていう工事の予定のようなもんだな。

≪カスミ堤とは?≫

藤 野 これが古い堤防なんだから、それでこれが“カスミ堤”だろ。

中 島 昔は、カスミ堤っていって、欠けてもいいから水避けに仮にやるわけですよ。それでこっ

ち、先はねぇんですよ。うちの方でも先のないやつをカスミ堤っていったんです。

藤 野 こういうのは、あれでやんの。あの、籠ばっかりでよ、泥を使わないで、こういうでっぱ

りはね。そうすると、水がきてこれへ仮にあたっちゃって超えてもこれは残るわけですよ。それで、

低く作るわけです、堤防より。それで、土が残るわけです。

中 島 結局ね、泥を溜めるもんですよ。土がたまったところへ雑草がでる、そんで耕作する土地

になるから……。そういう意味だね。だんだんにカスミ堤がもとになってね。こっちの方にもカス

ミ堤があったな、この下に。長坂地区から中依知地区に移って、その先がなくなっちゃつてね。こ

れをカスミ堤といったのよ。間違いないな。

だから、今の60頃の人は知ってないね、見た者はないよ。私らは見たからいえるけどね。カブダ

シのところ、何も書いてないところは、何もやんないんでしょ。やんないで、何かやんじゃないの。

この線のことだよ。水を避けるために牛枠か何かを置くんだけど、その内っ方を流しちゃつちゃ何

もなりゃしないから、それを守るためにカブダシってのか、邪魔ものを置くんじゃないか?株でも

おくのかね。杭でも打つのかもしれない。

こちら側には、何か延長のものができたわね。だから、この間。

藤 野 何か置いてあんなぁ。

中 島 このカブダシが、邪魔ものでも置いて内っ側へ泥を溜めるというように感じるけどね。カ

スミ堤はみたことあるんだけど、カブダシってのは見たことねえなぁ。

カスミ堤を置く場所はね。ここはね「よどみ

澱」ってよくいったんだけど昔はね。澱になるんですよ、

そこにね泥が、流れが緩やかになるから泥水が溜まって沈む、沈殿する、そして増えるわけですよ。

Page 55: ANNUAL REPORT OF THE ATSUGI CITY MUSEUM · ・建設概要 位 置 厚木市寿町3-15-26 敷 地 面 積 1,391.27㎡ 建 物 構 造 鉄骨鉄筋コンクリート造り、地上2階

- 55 -

ここにこんなのをやってあるということは、欠けちゃ困るっていうことだ。それでこの地区に、邪

魔物を置いてあるわけだ沈床なり、牛枠にしてもね。ということは、こちらにはもうすでに土がい

くらかあるわけだ。欠けちまうともったいないからということで、ところどころに邪魔物を置いて

いるんじゃないんですか。人家はないけど、ある程度、土が溜まっているから、放置しておけばま

た流されちまう。カスミ堤はやんなくてもある程度土が溜まっているから、こういうもんで欠ける

のを防ごうという意味にとれるね。こちらの方は地盤がないから、正確にはいえないけどね。

藤 野 それで、ちっと曲ってらね。曲ってるから、そこが欠けないようにもっと川をこっちへも

ってこうと、水をはねさすためにやっているもんです。

中 島 だから、ここなんか大分欠けたところだ。

藤 野 そうだ、そこはもうそれ以上絶対そこで食い止めないというんでずっと長くやってあるん

だ。

中 島 この延長が、うちの方へきてこのままぶつかるとこっちへ放り出されるんですよ。ドーッ

といくとこうくるでしょ、そうすると三田の地区の方へぶっつかって欠くんですよ。そうすると向

こうは苦しいから護岸をやる。するとぶつかったのがうちの方へくる……。

川っていうのはどこまでいってもS形だね。かまわずにいった放しじゃないと思う。こう行った

ら必ず返ってくるね、対岸の地区へ。皆が防ごう防ごうとしているとしているんだね。そんなこと

ばっかしやってたんだ。昔は、堤防がじきに崩れちまうんですよ。今のようにね、テトラポット、

鉄筋で繋いであるよね。蛇籠じゃ一年もたちゃボロボロになっちゃうんです。長年、欠けないでい

ると、澱んで、あるいは泥水がくる、そこへ沈殿する、石の間に土が溜まる、雑草が生え、柳がで

ると護岸になっちゃうんです。現在、あそこなんてちゃんとした護岸になってる。こうなるとちょ

っとした水じゃ欠けない。

ただ、堤防をじき越しちまうんだな、低いから。今ならきちんと計算して、ここまでもりなさい

ってやんけど、自普請だから「このくらいでよかんべぇ」ってことになるんですよ。「そんな高い

んじゃ容易じゃないよ」ってことになるんですよね。で、「ある程度このくらいなら」ということ

で、竹籠なんかをやって防いでいるわけでしょ。だから、ガラガラ、ズルズル堤防が落ちるのを見

てるんだ。仕様がないから。松の枝なんかをアオリってのを入れて護岸しているんですよ。だけど

ホンコにね、水がましてくると、堤防を越してザーッと裏水がはいっちゃうと欠けちゃうんです。

≪沈床の種類≫

藤 野 これはノタリじゃないな。それはまた違うんだよ。ノタリの意味じゃないよ。長い沈床が

あったろ。あれだよ、あんまり幅がないやつ。

中 島 普通、沈床というと、高い所からちょっと四角にでたんですよ。ゲタの歯のようにね。

藤 野 こいつが、それだよ。これが普通の沈床だ。これも沈床だけど何ていうんだろ、これは。

中 島 川沿いに掘削して、隙間なしに細長く、ずっとやってくんだよ。でもこれも沈床だな。間

違いない。その上に蛇籠を重しに使うかどうかは、その時の工事によるけど。この下は、ソダコや

Page 56: ANNUAL REPORT OF THE ATSUGI CITY MUSEUM · ・建設概要 位 置 厚木市寿町3-15-26 敷 地 面 積 1,391.27㎡ 建 物 構 造 鉄骨鉄筋コンクリート造り、地上2階

- 56 -

なにかがいっぱい詰めて下へ沈んで、その重みで蛇籠をやるとかなんとかという沈床だよ。

藤 野 杭を2カワか3カワ、2~3mだよ。狭いんだよ、ただずっーと長いんですよ。

中 島 これは、案外と抵抗がないんですよ。こうやっちまうから、サーッと流れちまうから。う

まくぶつからないで流れてくんですよ。牛枠は結構、抵抗があるんで傾いたり、南を向いたりして

ね。だけど、こいつはこれよりも危険箇所にやるものだ。だからやってんだ。これ以上は絶対だめ

だっていうんだってね、金をかけてんだ。

藤 野 そこへ杭をずーっと打っちまうんだよ。2カワ、そんでそれを松で縛りつけてよ、繋げち

まうんだよ。

中 島 金はかかるけど、内っ側に人家があれば、おっかないからね、「(護岸を)やってくれ、

やってくれ」っていうから、昔は土木員なってもんがあってね、そういう人に頼みにいって、金を

かけてもやらなくちゃならないんだよ。

下河原?川入の下の端だよ。長坂のところ。喧嘩じゃないけどさんざんやってるんですよ。文句

は言えないんだけどやー、「三田が欠けりゃいいんだけど」なんてよくいったもですよ。そのうち、

大分向こうへぶっつけてるから、今少し我慢だ、辛抱だなんていったもんですよ。アオリをやった

ね、松の木を切って。そのため堤防に松の木を植えといたの。沈床なんてやっている暇はありゃし

ないんだから。それに針金か、竹のカキョウがあってね、そいつを縛ってね川へずーっといれるの、

そうすると水が、(そこへぶっつかって、土手が)欠けないでしょ。それも護岸の一つですよ。そ

れこそ急破の急破だ。バシャカンバシャカンいってるところへ(アオリを)やると止るんですよ。

そのうちに引きゃいいなって盛んにやっているわけです。そのうち水がサーっと引いちまうと、

三田の方が欠けちゃって、そっちの方へ流れちまうわけよ。だから、堤防の内へカッカッカって流

れちまうわけですよ。反田から南へずーっと、ちょうど小鮎川が流れてんでしょ、あれへと抜けて

行くわけよ。だから、水が向こうへ引けちまうんで、こっちは楽になるわけですよ。雨が降ってる

のに水が引けるわけないもんな。「うまいよ、三田が欠けたよ」ってことでね。その反対に、向こ

うがちっとも欠けないでこっちへ来ちまうこともある。だから相撲じゃねえけんど、勝ったり負け

たりよ。大概、一年おきぐらいにやられちまうな。一回欠けたところは、急破にはあれだけど、今

度は大丈夫なようにしっかりやろうなってわけで、こっちの蛇籠はボロになっていくの。直しよう

がないじゃない、水がボチャボチャ来ちまって、するとガラガラってことでこっちが負けちまうの。

川入なんて人家があるからね、こりゃ盛んにやったもんだよ。

藤 野 川入はとにかく長いからよ、それで人家があるんだから、始終、そして完全にやってなき

ゃ駄目だもんよ。田圃が流れちまうくらいじゃ用が足んないもの、人間がやられちまうんだからよ。

≪中依知、関口の河原開拓≫

中 島 それから、坂本がよ、あれだけ横へ行っちまってるじゃないか、田圃ができるくらいね。

それが欠けた昔からの言い伝えっていうかなんていうか、川には非常に神経を尖らしているわけよ、

川入地区は。クックって本線来られちまったら家が流されちまうもん。だから、毎年早目早目に、

Page 57: ANNUAL REPORT OF THE ATSUGI CITY MUSEUM · ・建設概要 位 置 厚木市寿町3-15-26 敷 地 面 積 1,391.27㎡ 建 物 構 造 鉄骨鉄筋コンクリート造り、地上2階

- 57 -

田圃だけのところと違うからね。欠けたところは、自分の土地でしょ、川入の。だから、ああやっ

てカスミ堤やって泥を溜めて土地を元に戻そうって目論見なんだ。カスミ堤で土地を増やそうって

ことなんだ。もとへ復帰するってこと、元はオラ方あったんだからといってそういう計画を立て、

堤防を立てることもあります。その計画もあるんでしょう。

(地図の牛枠は)、そうですよ。うしろっ側はうっすら泥が溜まったけんど、また避けをしとか

ないとまた流されてしまうので困る、ここなんかは、堤防ができると耕作できるというところは、

欠けちゃ困るというので、その防ぎだね。あくまでも、自分の土地を守ろう、そして増やしていこ

うということなんだね。

藤 野 これは、坂本のあれかな?まだ川入か?そうすると、これは坂本の用水だよ。これが中津

村だから、もうここは川入の分じゃないよ、坂本の分だよ。今でもこれはあるんですよ。このセギ

は完全なセギができていてよ、頭首口ができてんの。そいで、この水は今でもあんの。そいで、こ

れがもっと前へ出ちまっていて、才戸橋の上にもっと上流にあるの。棚沢の飛び地だなこれは。

中 島 (図面を見せながら)これが、川入の図面の下流になっているわけね。これが関口、ここ

が中依知になって、結局この青いところが欠けちゃったばかりか減っちまっているんですよ。現在

みんな地番があって所有地なんです。わずかばかりですが税金も収めてます。もとは、このように

堤防をしていたのが減っちゃって、こういうのがカスミ堤っていうんです。途中で終わりになっち

ゃってるでしょ。ほんで、ここへ泥が溜まると堤防の延長ができるようになるんです。現在は、こ

れで諦めちゃっているけどね。

それで、ここが道満地区になるわけです。これがね、うちの方は広いんですよ。共有地がたくさ

んになっちまうので、個人割りにして耕作したもんです。株主(持主)がみんな開墾してね、共有

地をみんなしてわけてね。三田地区はこっちなんですよ。もとは、この辺まで当然有ったわけです。

ところが、こっちが不利だね。向こうは三田、才戸から南はもう低いところに全部家があるんだか

らね、妻田の方まで。こっちは人家がないために、結局あまり熱心にやらなかったんだね。だから、

欠け、欠け、欠け。例えば、ここも共有地だから河原だからね、早く云えば泥が溜まったところで

すね、川が広いから。だからここまでいっぱいに堤防を作ったっていいんだけど、現在これっきり

なくなっちゃっているわけ。こっちの方は、なお、ぶっついちゃ欠け、ぶっついちゃ欠けして、こ

のへんまであったのがね。狭くなり、しまいにゃ無くなっちゃった。これは、現在本堤防があって、

放棄してしまい、耕作はしていない。だから、よく私がいうのは、ここが欠け、そしてここが欠け。

もとはね、カスミ堤で(泥が)溜まったもんだけど、欠いちゃって諦め、手をつけないということ

です。

現在、青いところは耕作してませんわ。でも上古河の貸してるべ、前田に。ちゃんと個人所有に

なってるんだよ。まあ、うちにも古文書があったんだけど、火事で焼けちまったんですよ。これな

んか、いくらか古いけれどね。これなんか砂利採掘のときね、これを持出して、皆してじゃここん

とこの砂利を掘らすべ、なんて検討したものだけどね。この編まであったのが皆欠けちまったんだ。

Page 58: ANNUAL REPORT OF THE ATSUGI CITY MUSEUM · ・建設概要 位 置 厚木市寿町3-15-26 敷 地 面 積 1,391.27㎡ 建 物 構 造 鉄骨鉄筋コンクリート造り、地上2階

- 58 -

昭和の始めか、大正のものだ。

現在はかなり真っ直ぐになっているけど、諦めてどうせそんなにやっても、じき欠けちまうんだ

からっていうことでね。下依知をみるとこれがずーっとあったんですからね。これがなくなっちゃ

ってる。

藤 野 それは、大正だよ、大正6年。いや、昭和12年。昭和12、3年ころだ。

中 島 だからね、こいつが線がね、これが長いでしょ、これもだいたい同じになっていたわけよ。

だって川で、どうにも人力でやるったって、おれが今まで作っていたんだからって、石河原を耕作

するわけにはいかないでしょ。土が溜まってはじめて作れる。

これは、だから一番代表的なもんだな。石がでちゃってどうしょうもない。だから、草がでちゃ

つて、税金も払えないような、原野芝地で、所有だけは残っているんですよ。

だから、こういうふうに、耕作した昔のことを辿れば、ここまでは依知の地区の、中依知の権利

ってものはでてくるわな。こういうもの残しておこうということだな。

昔のように、百姓でなきゃ食えないということになりゃね、土地を増やすしかない。今は、どん

なことをしても食えるから無関心になっちゃってるけどね。この辺も、資材置き場に貸してくれっ

てきてるんだけど、本堤がないと何もできない。ここは何も建物ができない。

中 島 さっきいうのは、川入のあったでしょ、現在こうあると、だけど今はこうなっちゃってる

でしょ。もとあったように復帰するためには、カスミ堤を出して、泥を溜めて耕作するようにした

い。泥を溜めなけりゃ、どこからかもってこなければならない。泥を溜めるには、やっぱし、上か

ら流れてくる土砂を溜めるには、カスミ堤で流れを緩やかにして溜める。そうすりゃ、ここへなん

かを作れる。みな金はないけど、知恵と労力でやっもんだ。

学校のところは、こうなってるべ。曲ったまま、通っちゃってるんだ。増水しても、これにはの

らない程度になっちゃってんな。

中津川の水はそんなに変らないね、ダムができても。ダムのため、大雨が降っても溜めてからじ

ょじょに流すので被害はなくなった。昔は、河原が上がって堤防が低くなると、その場所の砂利を

砂利業者に売って、低くしたわけです。で、あんまり低くなり過ぎて、今度は井戸水が出なくなっ

ちまった。そうすると、関係の無い人から「井戸が干上がっちゃった」「河原を掘るからだ」とい

う文句がでるわけだ。それで砂利採取が禁止されちゃった。そんなふうだから決壊はないですね。

≪道満の桑園≫

中 島 そうだな、こういうところは、ほとんど無税に近いな。そんでなければもちこたえられな

いからな。今はやらないけど、こういうところは原野で茅がたくさんでるんですよ。昔はみな茅が

必要だから、今日はやんべえでなと皆に号令をかけるんだな。これを刈るわけだな、それで皆でわ

けてとっておいてこの茅を屋根替えに使うわけです。そういうのが、原野のほんの僅かな収入でし

ょ。

耕作をやりたいためにカスミ堤をつくるわけです。だから、いい土がくりゃね、この上の原のよ

Page 59: ANNUAL REPORT OF THE ATSUGI CITY MUSEUM · ・建設概要 位 置 厚木市寿町3-15-26 敷 地 面 積 1,391.27㎡ 建 物 構 造 鉄骨鉄筋コンクリート造り、地上2階

- 59 -

うにいい豆ができる。道満地区を例にとれば、大正の大震災のときだ、大正12年の大洪水でこれが

3尺も泥で埋っちゃったんです。もとここは田圃だったんですよ。土砂がきて、堤防が欠けるどこ

ろか、その上数mくらいって川がきちゃったから、土砂が1mくらい溜まっちゃったわけ。それで、

泥を運びだして田圃っていうわけにはなかなかいかないから、じゃ他のもんにしょうっていうわけ

で、もとの地所をだいたいわりだして桑園にした。養蚕をやるのに桑を植えた。それが養蚕をやる

のに助かったわけです。だから、その時は大分収入が増えたけどね。まぁ、たちまち養蚕はだめに

なったけどね。自然の力にはかなわねぇから、それに応じてやっていくということです。だから、

場合によりゃ川の大水で助かる場合もあるけど、まぁ損することがあらましだけどな。

こっちは台地だからね、落差が2、30mあるわけ。だから昔の人も、川入の図面じゃないけど皆研

究してやったんでしょうね。

上古河、だからさっき言った話は、このへんからきてるのでしょう。(中津川が)台地へ、ここ

へぶっついたことがあるんですよ。子供の時分に知ってるけど、これへドーっときてよ、ここの山

が落っこちるほど、それでこれがまたこういうふうに流れてこっちへね。これがこうきて、ちょう

どうちの下、林添、そこへぶっついた、大川が。そうするとまた反田の方をいじめるわけよ、その

反動が。さっき(地図が)青くなってたでしょ、ここです。ここは河原だから耕作も何もできやし

ないから放棄しちまってね。税金は、共有地でまとめて払っている。

中 島 こんなとこまでぶつかるんだ。今の大林組の資材置き場もカスミ堤で河原を開いていった

もの。もとは田を作っていたけど才戸用水の最下流の田圃だったから、毎年、毎年水が不足しちゃ

って、さんざん水の苦労をしたですよ。

それで、終戦後とてもやる気がなくなっちゃって。土地を農地転用して、賃貸利用しようってい

うんで、土地を貸して収入を得ているんですよ。

藤 野 関口の田圃もそうですよ、カスミ堤で作っていたものですよ。

中 島 今はそれがだめならこれっていうように、収入の源をいろいろと考えられるけど、何しろ

昔は百姓をやるっきり能がねえじゃないか。だから、土地を増やしていかないと、食えないんです

よ。

おわりにかえて

ちんしょう

沈 床、ウシワク(ベンケイワク)、じゃかご

蛇 籠など護岸の技術を引き継いでいる人が年々少なくな

っていることから、今のうちに聞き取りを行っておこうという簡単な気持ちで始めたのが本調査で

ある。だが、伝承者の方々から話を伺っているうちにいろいろな方向に拡散してしまい収拾がつか

なくなってしまった感じだ。特に、カワガリ師とよばれた人達と厚木の料亭などとの関連、観光漁

業のようなものが興味深いものと感じられた。町場の文化が、周辺の地域にどのような影響を具体

的に追うことができるからだ。この問題については、いずれ稿を改めて考えていきたい。

Page 60: ANNUAL REPORT OF THE ATSUGI CITY MUSEUM · ・建設概要 位 置 厚木市寿町3-15-26 敷 地 面 積 1,391.27㎡ 建 物 構 造 鉄骨鉄筋コンクリート造り、地上2階

- 60 -

【 参考文献 】

北村 敏 「蛇 籠」『多摩民具事典』1997年

北村 敏 「蛇 籠」『江戸東京の諸職』上 1991年

日本民具学会 「蛇 籠」『日本民具辞典』1997年

Page 61: ANNUAL REPORT OF THE ATSUGI CITY MUSEUM · ・建設概要 位 置 厚木市寿町3-15-26 敷 地 面 積 1,391.27㎡ 建 物 構 造 鉄骨鉄筋コンクリート造り、地上2階

- 61 -

厚木市郷土資料館年報 1

発行日 平成14年3月31日

編 集 厚木市郷土資料館

〒243 厚木市寿町3-15-26

TEL 046-225-2515

発 行 厚木市教育委員会

印 刷 厚木市総務部行政管理課印刷室

部 数 150部