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NTT技術ジャーナル 2015.12 54 インターネット黎明期における NTTの取り組み インターネットは,その黎明期におい て,パケットによる通信システムの構 築そのものが可能かどうか,アプリケー ション(FTPによるファイル転送,Telnet による他の計算機へのログイン,電子 メールあるいは電子メール基盤を応用 したニュース伝送)が利用できるのか, ということそのものが興味の対象で あって,米国においてその研究が開始さ れた1960年代から1995年ごろの本格的な 商用展開までの長い間,大学をはじめと する研究機関だけで扱われていました. NTTにおいてもR&D部門では,1983 年に所内でイーサネットによるTCP (Trans- mis- sion- Control- Protocol)/ IP- LANを構築するなどして,早くか らインターネット技術の調査 ・ 研究を 開始しており,我が国において最初期 である1988年に米国へのネットワー ク接続を果たしています(図1 ).ま た社内に1988年ごろから研究用およ びソフトウェア開発のためのTCP/IP ネットワーク(研究所でのNTT-INET, 事業向けのCAE-NETなど) - を設備 ・ 運用することとなり,業務でのイン ターネット利用が開始されました. 国内では慶應義塾大学の村井純教授 が主導して構築されたJUNET(Japan- University-NETwork)およびそれに 続くWIDE(Widely- Integrated-Dis- trib- uted- Environment)プロジェクト によるインターネットへの取り組みな どが広く知られていますが,NTTの取 り組みもそれと軌を同一するようにし て,非常に早い段階から行われていた ということは特筆しておきます. 当時の技術としては,遠隔地を結ぶ ためにはIPパケットをX.25規格による パケット交換網で伝送することが試行 されていたほか,64- kbit/sのデジタル 専用線にHDLC(High-level-Data-Link- Control-procedure)フレーミングな どを用いてIPを直接伝送する方法で サイト間を接続していました. 黎明期のルータ ・ スイッチ このように1980年代後半に国内で も研究機関を中心に広がりをみせたイ ンターネットですが,当初は専用ルー タではなく,SUN-Microsystems社製 品に代表されるUNIX-ワークステー ションに複数の通信インタフェース カードを接続し,ルーティングデーモ ンソフトウェアを走らせるなどして, ルータノードを構成していました.し CSNET スタンフォード大学 NTT研究所 NTT- INET ルータ VENUS-P (KDD) IP over X.25 ARPANET VAX 図 1  1988年に米国のインターネットに接続 当初,国内では他者に先んじていたNTTのインターネットへの取り組みですが,その 商用化はさまざまな制約から後発となるかたちとなりました.しかしながら現在では関 係者の努力により世界有数のインターネット提供事業者へと成長することができまし た.ここでは,日本での光アクセスの提供と合わせ世界でも有数の質と量を誇るインター ネットサービスプロバイダ事業へと成長した,NTTのインターネットを技術面から概観 します. みやかわ しん NTTコミュニケーションズ インターネット TCP/IP 商用化 世界に誇れる研究開発成果 NTTにおけるインターネット技術の発展 民営化30周年記念

インターネット TCP/IP 商用化 世界に誇れる研究開発成果 · 2019. 7. 10. · インターネット黎明期における NTTの取り組み インターネットは,その黎明期におい

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Page 1: インターネット TCP/IP 商用化 世界に誇れる研究開発成果 · 2019. 7. 10. · インターネット黎明期における NTTの取り組み インターネットは,その黎明期におい

NTT技術ジャーナル 2015.1254

インターネット黎明期におけるNTTの取り組み

インターネットは,その黎明期において,パケットによる通信システムの構築そのものが可能かどうか,アプリケーション(FTPによるファイル転送,Telnetによる他の計算機へのログイン,電子メールあるいは電子メール基盤を応用したニュース伝送)が利用できるのか,ということそのものが興味の対象であって,米国においてその研究が開始された1960年代から1995年ごろの本格的な商用展開までの長い間,大学をはじめとする研究機関だけで扱われていました.NTTにおいてもR&D部門では,1983年に所内でイーサネットによるTCP(Trans­mis­sion­Control­Protocol)/IP­LANを構築するなどして,早くからインターネット技術の調査・研究を開始しており,我が国において最初期である1988年に米国へのネットワーク接続を果たしています(図 1).また社内に1988年ごろから研究用およびソフトウェア開発のためのTCP/IPネットワーク(研究所でのNTT-INET,事業向けのCAE-NETなど)­を設備 ・運用することとなり,業務でのインターネット利用が開始されました.

国内では慶應義塾大学の村井純教授が主導して構築されたJUNET(Japan­University­NETwork)およびそれに続くWIDE(Widely­ Integrated­Dis-trib­uted­Environment)プロジェクトによるインターネットへの取り組みなどが広く知られていますが,NTTの取り組みもそれと軌を同一するようにして,非常に早い段階から行われていたということは特筆しておきます.当時の技術としては,遠隔地を結ぶためにはIPパケットをX.25規格によるパケット交換網で伝送することが試行されていたほか,64­kbit/sのデジタル専用線にHDLC(High­level­Data­Link­

Control­procedure)フレーミングなどを用いてIPを直接伝送する方法でサイト間を接続していました.

黎明期のルータ ・ スイッチ

このように1980年代後半に国内でも研究機関を中心に広がりをみせたインターネットですが,当初は専用ルータではなく,SUN­Microsystems社製品に代表されるUNIX­ワークステーションに複数の通信インタフェースカードを接続し,ルーティングデーモンソフトウェアを走らせるなどして,ルータノードを構成していました.し

CSNET

スタンフォード大学NTT研究所

NTT-INET ルータ

VENUS-P(KDD)

IP over X.25

ARPANET

VAX

図 1  1988年に米国のインターネットに接続

 当初,国内では他者に先んじていたNTTのインターネットへの取り組みですが,その商用化はさまざまな制約から後発となるかたちとなりました.しかしながら現在では関係者の努力により世界有数のインターネット提供事業者へと成長することができました.ここでは,日本での光アクセスの提供と合わせ世界でも有数の質と量を誇るインターネットサービスプロバイダ事業へと成長した,NTTのインターネットを技術面から概観します.

宮みやかわ

川  晋しん

NTTコミュニケーションズ

インターネット TCP/IP 商用化

世界に誇れる研究開発成果NTTにおけるインターネット技術の発展

民営化30周年記念

Page 2: インターネット TCP/IP 商用化 世界に誇れる研究開発成果 · 2019. 7. 10. · インターネット黎明期における NTTの取り組み インターネットは,その黎明期におい

NTT技術ジャーナル 2015.12 55

世界に誇れる研究開発成果

ばらくすると,ルーティング専用の計算機としての専用ルータが製品として現れ,インターネットノードとしてのワークステーション(ホスト)から分離していくことになります(図 2).当時のイーサネットは,同軸ケーブルを用いた真に「共有メディア」の通信であり,イーサネットスイッチというものは存在していませんでしたが,10BASE-T技術が出現し,UTPケーブルを用いてハブに結線を行うかたちが確立しました.その後,ハブがバッファ付きの全二重通信機能とMACアドレスの学習機能を持つように進化し,さらにハードウェアフォワーディング機能を備えるなどしてイーサネットスイッチとして完成されていきます.またこのころからホストが専用サーバと,Windows等を動作させるクライアントホストに分化して,1995年ごろには現在のTCP/IPをベースにインターネットを構成する基本的な形式の技術に整ってきました.このようにして1990年代には確立してきたインターネットですが,NTTでは,国内でもいち早い専用ルータの導入や,新しいインターネットプロトコル規格であるIPv6の標準化に大きく貢献するインターネットプロトコルパケット伝送に関する取り組み,およびアプリケーションでもさまざまな取り組みを行ってきました.また,TCP/IP上での音声 ・映像符号化技術,独自の暗号技術によるインターネットのセキュア化,Web技術についてもブラウザの国際語対応や検索サイトポータルの実用化など,現在でも重要なマイルストーンとなるプロジェクト

を多数実施し,IETF(Internet­En-gi­neer­ing­ Task­ Force)* 1 やW3C(World­Wide­Web­Consortium)をはじめとする標準化団体での作業も積極的に推進してきました.

インターネット商用化初期におけるNTT

インターネット技術に関するR&Dとして,NTTは1990年代には,国内有数のプレゼンスを持つポータルサイトの設営・運用や,JPNIC(Japan­Net-work­Information­Center)設立への貢献なども含め,国内外のインターネットに主要な役割を果たしていましたが,ビジネスの核となる商用インターネットサービスプロバイダ(ISP)事業化の波には,さまざまな制約から少し出遅れることとなりました(1)〜(3).日本における最初の商用インターネットサービスは米国AT&T社が日本で始めたものであり,それに引き続いてインターネットイニシアチブ(IIJ)社が国

内でのISPサービスを開始したものの,当時のNTTでは,第1種と第2種と電気通信事業が分かれており,商用,ISPは第2種であったため,制度的にもインターネットサービスの商用化にいきなり踏み出すことはできませんでした.当時の関係者の方々へのインタビューや資料などを見ると,2つの要因があったことが分かります.① NTT伝統の音声電話およびFAXサービス以外の,映像やデータなどさまざまな通信を行う概念としての「マルチメディア」の実現について,ITU(International­Tele-communication­Union)を中心にデジュールスタンダードとして標準化されていったISDNまたはセルスイッチを基盤とするATM技術を採用するほうが良いのか,IETFを中

*1 IETF:インターネットプロトコルを標準化する機関.国際連合にその基礎をおくデジュール標準化機関であるITU とは対照的に,独自の運用がなされるデファクト標準化の形態をとります.

図 2  初期のNTTの商用インターネットを支えたルータ(写真:Cisco社提供)

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NTT技術ジャーナル 2015.1256

心にデファクトスタンダードとして標準化されていったTCP/IPを採用するほうが良いのか,ということが定まっていなかったこと② NTT分割前の国内通信事業における影響力の大きさからインターネットサービスの提供に欠かせない専用線の値段についてさまざまな議論が起こり,専用線の提供形態や価格といった条件について調整を行う必要があり,そちらの解決を先行しなければならなかったこと②については,関係者の皆様の苦労により,さまざまな条件をクリアして,初めてNTTでのISP事業提供が可能な状態になったことを特に記述しておきます.①については,今になってみれば迷うことなくTCP/IPしか考えられない,と思われるかもしれませんが,それはあくまでも「後知恵」であり,本当に社会の役に立つ「マルチメディアサービス」を実現するための技術としては,どのようなものが良いのか,さまざまな実証実験やイベントなどを行いながら,間違いのないように慎重に選択を行ってきました.まずは1995年ごろから,グループ会社のNTTPCコミュニケーションズ(InfoSphere)やNTTデータ(Intervia/ドリームネット)においてISP事業が始まり,その後,条件が整って,1996年に当時のNTTにおいて,OCNサービスが開始されることになります.当初のインターネットへのアクセスは,モデムあるいはINS64によるダイアルアップ(64­kbit/s程度まで),あるいは専用線(1.5­Mbit/s­程度まで)の常時接続が利用されており,他のISPへ

のアクセスポイントの卸売りなども行われていました.当時,NTTPCコミュニケーションズでは,早期からWebホスティング(WebARENA)などのビジネスも行われていたほか,1997年にはインターネットマルチフィード社がNTTとIIJをはじめとする各社の出資により設立され,多くのISPにコンテンツを配信するようになりました.その後,マルチフィード社は日本でも有数の商用インターネットエクスチェンジJPNAP(Japan­Network­Access­Point)サービスを開始し,現在に至っています.

テレホーダイとフレッツの展開

我が国におけるインターネットの興隆にとって,それまでの従量制課金しかなかった電話料金の部分的な定額制である「テレホーダイ」の導入(1995年)と,その後に続くフレッツによるADSLアクセス網の整備(2000年)は非常に重要でした.フレッツはその後,光ファイバによる高速化を果たしながら,世界にもまれな低価格なISPへのアクセスを提供することとなり,NTTグループのISPビジネスだけでなく,他社へも効率的なアクセス提供を実現するものとして機能しており,我が国におけるISPの健全な競争を担保し,高度なICTを実現する基盤となっています.現在のフレッツでは,NTTもR&Dが非常にその実用化に寄与したGPON(Gigabit­Passive­Op-ti­cal­Network)による1Gbit/sのベアラ速度を持つサービスとして展開しており,さらに10G-PONによるさらなる高速化を全面的に目指しています.

OCNは国内最大手のISPへ

当初OCNは,他のISPの後を追うようにして始まったNTTのインターネットサービス事業ですが,年を追うごとにその加入者を増やし,また,グループ内外でのISP事業の再編を経て,現在,国内最大手のISPとなっています.

Tier1 プロバイダの買収に始まる世界有数の容量を誇る国際バックボーンへ

1999年にNTTが再編され国際通信市場にも進出できるようになったころ,いよいよ世界のISPの中でも最高位のグループであるTier1プロバイダ*2

のVerio社(当時)を買収することで,NTTは世界でも有数の国際インターネットバックボーンプロバイダとしてさらに発展していくことになります.現在NTTは世界第 3位の容量を誇るプロバイダであり,世界でも注目されるバックボーンからアクセス網までのすべてを網羅する総合的なISP事業者へと成長を続けています.

バックボーンを支える技術

OCNは,国内最大級かつ高品質なネットワークですが,その設立当初から,順次回線容量を増大させ,需要にこたえてきました.使用しているルー

*2 Tier1プロバイダ:他のISPから経路を購入することなく全インターネットの経路情報を対等な立場で入手することができ,他のISPあるいはコンテンツプロバイダなどを顧客としてインターネットへの接続サービスを展開するISPのこと.

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NTT技術ジャーナル 2015.12 57

世界に誇れる研究開発成果

グローバルネットワーク基盤(メトロ,ファイバ,海底ケーブル)

PW(Pseudo Wire):疑似回線

現在-インターネットのネットワークと-VPN用のネットワークと-専用線は,別のネットワークである(DC間ネットワークは専用線で実現されている)

近い将来:-1つの統合ネットワークへ-すべてが同じネットワークに乗る-新しいサービスもここに追加される

IPネットワーク

DC間ネットワーク

専用線

VPN

IPネットワーク

DCネットワーク

VPN ??

MPLS/PWによる統合網

図 3  Oneネットワークへ

タ・スイッチ等もその折々で最適なものを十分な検証を踏んで採用しており,マルチベンダポリシーを貫いてある特定のベンダの製品に過度に依存しないように配慮しています.伝統的にはOCNは光ファイバの伝送路上に直接的なフレーミングでIPパケットを載せる方式を採用して,低コストかつ高品位なネットワークとして発展してきていますが,これからはMPLS­(Multi-Protocol­Label­Switching)*3による柔軟な構成をとるグローバルバックボーンとの相互接続性を高め,また,別のサービスとの統合も目指すために全面的なMPLSベースのバックボーンへとさらに改良する計画が検討されています(図 3).

お わ り に

「民営化30周年にあたり,現在,日本国内はもとより,世界でも有数のISP事業を持つNTTのインターネット技術について記事を作成せよ」ということで,本稿の執筆を拝命しましたが,NTTに入社以来,研究開発だけを担当し,本格的な意味での運用あるいはサービス事業部の担当として表舞台に立ったことのない私が,数多くの諸先輩また現場の皆様を差し置いてそのような文書をまとめる資格は本来あるわけもないことは十分承知しています.しかしながら,何人かの諸先輩また関係者の皆様にお伺いをしたところ「まあ,やってみなさい」というお言葉をいただくことができたため,浅学非才かつ経験も偏っているという自覚を持ちつつ本稿を執筆させていただきました.最後に,本稿をまとめるにあたりお話

をお伺いした,現在JPNIC理事長も務められている早稲田大学後藤滋樹教授

(元NTTソフトウェア研究所広域コンピューティング研究部長),NTTコミュニケーションズ岡田雅也氏,小林洋子氏,福田健平氏をはじめとするご協力をいただいた皆様に心より感謝申し上げます.

■参考文献(1)­ http://www.hct.ecl.ntt.co.jp/(2)­ NTT­OCN事業部:“OCNサービスへの道 マ

ルチメディア通信の共同利用実験とその後の展開,” ­1997.­ 9 .

(3)­ JPNIC:“JPNIC20年の歩み 日本のインターネットとともに,” ­2013.­ 9 .

(4)­ http://research.dyn.com/2015/02/bakers-dozen-2014-edition/

宮川  晋

NTTはインターネットビジネスにおいても世界的にも有数の規模と品質を誇るサービスを展開しており,それを裏付けるさまざまな研究開発に,これからもどうぞご期待ください.

◆問い合わせ先 NTTコミュニケーションズ 技術開発部 TEL 03-6733-8620 E-mail shin.miyakawa ntt.com

*3 MPLS:IPパケットをはじめとする伝送を行いたいプロトコルのパケットに“ラベル”と呼ばれる識別子を付与し,それを用いて当該プロトコルを高速に転送するスイッチング方法のこと.イーサネットやIPなどを自在に混在して運ぶことも可能.