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2 Special Features 1 ミツバチの ミツバチたるゆえんとは? 最近、「ハチミツの高い栄養価があったからこそ、 二足歩行になったヒトが、今のように脳を発達させる ことができたのだ。ヒトの進化はミツバチのおかげだ」 という論文が文化人類学の分野から出ていましたが、 ミツバチというと、まずは甘いハチミツを思い起こし、 花に飛んでいって蜜を集めるというのが一般のイメー ジだと思います。ですが、それではミツバチを正しく 理解したことになりません。 ミツバチの祖先とも言えるハナバチは、英語では Pollen Bee(花粉蜂)」と呼ばれ、蜜を貯めず単独で 生活しています。花粉と花蜜を集めて大きな団子を作 り、そこに卵を産み付け、幼虫は花粉団子を食べて成 長します。ミツバチ、「Honey Bee」も、基本はハナバ チです。ただ、ミツバチは人間に「お裾分け」ができる 高度に組織化されたミツバチの社会は社会性昆虫では最高位にあり、その形態はすでに 500 万年前に成 立していると言われている。一方「ミツバチ」は文字通り「ハチミツを集めてくる」昆虫として人間とのかか わりがもっとも古い動物とされている。しかし今もって知られていないことも多く、それゆえ魅力的で不 思議な生物なのである──。 そこが知りたい! ミツバチ不思議百科 ほどのハチミツを貯めるのでミツバチという名前がつ いているに過ぎず、決してハチミツ製造器ではないの です。ミツバチは、生命を維持して子孫を増やすため、 花蜜だけではなく花粉を集めてタンパク源を仕入れて いるのですから、ハチミツが採れる蜜源植物を増やし たところでミツバチが増えるとは思えません。 ミツバチが本領を発揮するのは、花から集めた花粉 と蜜を体内で加工して、自分達の主食であるミルクや、 栄養価の高い食品として知られる女王バチ専用のミル クであるローヤルゼリーを作ることなのです。これは おそらく、花によって違う花粉の栄養価の差を減らす ためだと考えられています。花蜜や花粉はハチにとっ ては食料ですから、余裕がない時には貯まらなくて、 あると貯まっていくという人間の貯金とは違って、常 に一定量を確保しておく必要があります。ですからハ チミツは、彼らの高度な生命活動の産物を人間が利用 させてもらっているものなのです。 高度に社会化された 生物集団 ミツバチの生態が今の形になってから、およそ 500 万年は経っていると言われています。ヒトは150 万年 前くらいに地球上に登場して、集団生活をするように なってまだ 1 万年くらいですが、実はその時から今日 に至るまで、一つも完成された社会制度を持ったこと 玉川大学学術研究所ミツバチ科学研究センター教授 中村 純 中村 純(なかむら・じゅん) 玉川大学学術研究所ミツバ チ科学研究センター教授。 専門は養蜂学。 飼料メーカーでの養蜂飼料 開発や青年海外協力隊での 養蜂普及(ネパール)などを 経て、現職。現在の研究の 主テーマは「ミツバチによ る資源利用」。 (写真:佐藤佳穂) ミツバチ大研究 構成◉ 飯塚りえ composition by Rie Iizuka イラストレーション小湊好治 illustration by Koji Kominato

Special Features 1 ミツバチ大研究 そこが知りたい! ミツバ …2 Special Features 1 ミツバチの ミツバチたるゆえんとは?最近、「ハチミツの高い栄養価があったからこそ、

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Special Features 1

ミツバチの ミツバチたるゆえんとは?

最近、「ハチミツの高い栄養価があったからこそ、二足歩行になったヒトが、今のように脳を発達させることができたのだ。ヒトの進化はミツバチのおかげだ」という論文が文化人類学の分野から出ていましたが、ミツバチというと、まずは甘いハチミツを思い起こし、花に飛んでいって蜜を集めるというのが一般のイメージだと思います。ですが、それではミツバチを正しく理解したことになりません。ミツバチの祖先とも言えるハナバチは、英語では

「Pollen Bee(花粉蜂)」と呼ばれ、蜜を貯めず単独で生活しています。花粉と花蜜を集めて大きな団子を作り、そこに卵を産み付け、幼虫は花粉団子を食べて成長します。ミツバチ、「Honey Bee」も、基本はハナバチです。ただ、ミツバチは人間に「お裾分け」ができる

高度に組織化されたミツバチの社会は社会性昆虫では最高位にあり、その形態はすでに500万年前に成立していると言われている。一方「ミツバチ」は文字通り「ハチミツを集めてくる」昆虫として人間とのかかわりがもっとも古い動物とされている。しかし今もって知られていないことも多く、それゆえ魅力的で不思議な生物なのである──。

そこが知りたい!ミツバチ不思議百科

ほどのハチミツを貯めるのでミツバチという名前がついているに過ぎず、決してハチミツ製造器ではないのです。ミツバチは、生命を維持して子孫を増やすため、花蜜だけではなく花粉を集めてタンパク源を仕入れているのですから、ハチミツが採れる蜜源植物を増やしたところでミツバチが増えるとは思えません。ミツバチが本領を発揮するのは、花から集めた花粉と蜜を体内で加工して、自分達の主食であるミルクや、栄養価の高い食品として知られる女王バチ専用のミルクであるローヤルゼリーを作ることなのです。これはおそらく、花によって違う花粉の栄養価の差を減らすためだと考えられています。花蜜や花粉はハチにとっては食料ですから、余裕がない時には貯まらなくて、あると貯まっていくという人間の貯金とは違って、常に一定量を確保しておく必要があります。ですからハチミツは、彼らの高度な生命活動の産物を人間が利用させてもらっているものなのです。

高度に社会化された 生物集団

ミツバチの生態が今の形になってから、およそ500万年は経っていると言われています。ヒトは150万年前くらいに地球上に登場して、集団生活をするようになってまだ1万年くらいですが、実はその時から今日に至るまで、一つも完成された社会制度を持ったこと

玉川大学学術研究所ミツバチ科学研究センター教授

中村 純

中村 純(なかむら・じゅん)玉川大学学術研究所ミツバチ科学研究センター教授。専門は養蜂学。飼料メーカーでの養蜂飼料開発や青年海外協力隊での養蜂普及(ネパール)などを経て、現職。現在の研究の主テーマは「ミツバチによる資源利用」。 (写真:佐藤佳穂)

ミツバチ大研究

構成◉飯塚りえ composition by Rie Iizuka

イラストレーション◉小湊好治 illustration by Koji Kominato

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あって、生まれてすぐの交尾のためと1年経って分封、つまり巣分かれするときです。「女王」という言葉と、女王バチを囲んで飛ぶ様子を見ると、あたかも女王バチが中心になって群れを引き連れているかのようにも見えます。確かに、働きバチは女王バチが発するフェロモンに刺

激されて集まりますが、それは最初のきっかけに過ぎず、働きバチが出す集合フェロモンの方が強力です。例えば女王バチだけ違う場所に持ってくると、働きバチの一部は、その女王バチが出した匂いを頼りに集まってきますが、集合場所が決まってしまえば、後は働きバチが大量に集合フェロモンを放出して残りのハチを呼び寄せます。ミツバチ以外のハナバチやアシナガバチ、スズメバチなど、冬の間女王バチが1匹で越冬して春の巣作りを始めるという種では、働きバチと同じ形態を持っているのですが、ミツバチの場合、同じメスでも女王バチと働きバチとはまったく異なります。女王バチの足には花粉を集める構造もなく、蜜を貯めるための胃も痕跡的なものがある程度で、決して単独で一から巣作りを行うことのできるようなハチではありません。一方、働きバチは群れの中の仕事に応じて、生理的な機能を変化させ、1カ月ほどの寿命のうち、子育て、巣作り、ハチミツ作り、食料調達と、細かくシステム化されています。例えば、採蜜係の働きバチが集めてきた花蜜は、同時期に、皆が集めてくる蜜よりも糖度が低かったりすると貯蔵係に受け取ってもらえないことがあります。「他のハチが集めてくる蜜よりも質が悪いな」ということになるのでしょうが、そんな時は、昨日、今日、貯蔵係になったばかりで蜜の良し悪しが分からない働きバチに受け取ってもらうことができます。質の悪い蜜しか採れない花に通うことは、一見、効率が悪いのですが、万が一多くのハチが採蜜する花がなくなった場合の選択肢になります。働きバチのライフサイクルの中にも、よくできた仕組みがあります。働きバチの仕事は日齢に応じて変化

がありません。長くても千年単位、短ければ数百年単位で体制が壊れ、作り直しを繰り返していますが、ミツバチは500万年前から、ほぼ同じ社会体制だったと言われています。逆に言えば変える要素がないのです。つまりミツバチは、私達が考えている以上に、高度に社会化され、また高度に環境適応力のある動物であり、昆虫の進化の枝の頂点にはミツバチがいると言っても過言ではないと思います。ほ乳類の頂点にはヒトがいるとすると、ミツバチから学ぶことも少なくないでしょう。ミツバチの社会は、女王バチが君臨していて、働きバチが一切の世話をし、オスバチは生殖を担うだけというヒエラルキーをイメージするかもしれませんが、それは当たっていません。なぜ女王バチ1匹に対して、何万もの働きバチが世話をするという形になったのかを解明するのは難しいところではありますが、そもそも「女王」という表現が誤解を生んでいるという研究者もいます。ミツバチの社会は「リーダーなき秩序社会」と言われ、女王バチがリーダーシップを発揮して群れを統率しているという社会ではないのです。というのは、女王バチは、例えば脳の容積をとっても働きバチよりも小さく、目も働きバチの半分ほどの大きさです。女王バチが巣の外に出ることもほとんど

ありませんから、外を飛ぶ能力もさほど発達していません。また群れが住む場所も働きバチに決定権があります。女王バチが巣の外へ出る機会というのは2回

リンゴの花を訪れたミツバチ。足には花粉を丸めた花粉ダンゴをつけている。

タンポポの花で花粉にまみれながら、舌を伸ばして蜜を吸うミツバチ。

中央の大きい個体が女王バチ、右下にいる一回り小さい個体がオスバチ、周囲を囲む働きバチ。

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していきますが、一番危険な外での仕事を一生の最後に行うというものです。巣という安全な空間で、巣作りや子育てなど必要となるすべての仕事をやり遂げることができるようになっているのです。しかしいったん外に出れば、クモの巣に引っかかるかもしれませんし、鳥に食べられてしまうかもしれず、何日仕事ができるか分からないのです。人間社会を見てみれば、古代から、若い体力のある時期に戦争に出るなど危険な仕事をさせるというシステムができています。しかし勝敗にかかわらず、戦争に行った世代は減りますから、社会全体の構成としてはいびつなものになってしまい、本来、その世代が担うべき役割を他の世代が肩代わりしなくてはならないというようになります。基本的にミツバチの社会を支えているのは、一円玉よりも小さな働きバチの能力の高さだと思います。そして群れ全体の新陳代謝が早く、さらに働きバチといいながら、実際に働いているのは全体の 3割程度。万が一天敵に攻撃されて多くの働きバチが死んでしまっても、すぐに待機していた働きバチが動き出します。女王バチが一日に1000個と、大量の卵を産むことで、新陳代謝を早めて、すぐに変化に対処できるシステムを保持しているということなのです。このように、ミツバチ社会のシステムは完成度の高いものです。ミツバチの社会を見るとき、「個体」の定義について考えさせられます。万単位で群れを作りつつ、個々の役割が特化され、他の役割をしないというミツバチの生態を見ると、それぞれが全体を動かす器官とする見方ができるのです。そう考えると、ミツバチという生物がまた違った興味を喚起してくれます。

社会性を維持する 「遺伝子戦略」

血縁を重んじる生物界の中にあって、ミツバチは特殊な存在です。一般には、血縁選択といって、自分の血、遺伝子のつながりの濃いものを子孫として残すというのが、多くの生き物としての命題ですが、ミツバチは違います。女王バチの交尾は、一生に一度だけ、同時に15匹程度のオスバチと行われます。そのオスバチの精子を溜めて、順次産卵を続けていきます。ですから同じ世

代の働きバチ同士は父親違いの姉妹ということになります。働きバチが自分と血のつながりの濃い妹の世話をするといった、血縁びいきの可

能性も研究的にはほぼ否定され、ミツバチはどうやら血の濃さを守ることはあきらめてしまったようです。この戦略が何のためなのか、一つには、巣を維持するために必要だというものです。巣の温度を一定に保つというのも、ミツバチの暮らしの中で非常に大切な仕事です。換気をするには、翅を動かして風を送るのですが、その時、「暑いぞ」と感じる温度は、遺伝的に異なるのです。つまり遺伝的なつながりが強いほど、温度に対する感受性も近いのですが、父親の異なる働きバチの集団では、暑がりもいれば寒がりもいるという状態になります。同じ温度でも感受性の高いハチは早く換気を始め、その時寒がりのハチはまだ動かない、いよいよ暑くなったら全員で換気をするなど、巣の中の温度調節を緩やかに行うことができるのです。エアコンがファジーに調節できるようなものでしょうか。働きバチが日齢に伴って分担する作業の中に、実は環境調節という項目はありません。皆でやる仕事というわけですが、となると環境調節をする時には、今割り当てられている仕事を中断する必要があります。もしも皆が同じ感受性を持っていたら、ある仕事が一斉にストップしてしまい、大きなリスクがあります。成長に伴う体の生理状態で決まる仕事とは別に、遺伝的な特性による分業という 2系統をもって、柔軟に巣を運営しているのです。もう一つ、ミツバチの遺伝子戦略で興味深いのはオスの存在です。ミツバチは性決定の場面でもやはり特殊で、無精卵からオスが生まれます。受精すれば、父親と母親、それぞれから遺伝子を受け継ぎ、生存に不都合のある遺伝子があってもそれが発現する可能性が低くなりますが、一方で発現しなくても不都合な遺伝

換気のために巣内で必死に翅を動かす働きバチ。

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子は群れの中に残っていくことになります。しかし母親の遺伝子しか受け継がないということは、もし生存に不都合な遺伝子があれば、卵か、幼虫か、あるいは成虫になっても翅が発達しないなど、とにかくどこかの段階で必ず発現して淘汰され、不具合のあった遺伝子を集団の中から排除することができるのです。ミツバチ社会の進化の過程で、最初のプロトタイプはいわゆる母バチの共同体だったと考えられ、オスの役目は元々ありません。交尾してメスだけが越冬するので、群れの運営にオスは必要ありません。オスとメスの共同体がないという様式がだんだんと広がっていってできてきたのがミツバチ的な社会、昆虫の社会と考えられます。オスバチの居所はその中にはないのです。

女王バチと 働きバチの「役割分担」

女王バチと働きバチは同じ受精卵から生まれるメスで、女王バチという特別な系統があるわけではありませんが、成長の過程やその役割は大きく異なります。女王バチは、王台と呼ばれる下向きの部屋に生まれます。卵の状態で3日間、幼虫期間が5.5日間、さなぎの期間が7.5日間、トータルして16日間で成虫になります。働きバチは21日間かかりますから、女王バチのほうが大きいにもかかわらず早く成虫になることからも、女王バチがいかに「安普請」かというのが量れると思います。成虫になって5日から10日くらいすると交尾に出かけ、その3日後には産卵を始めます。ほとんど休みなく、20分産卵、40分休憩と食事というサイクルを24時間続け、1日に1000個程度(これは自分の体重と同程度)を産卵します。産卵は冬の1カ月程度と巣分かれの時を除いて繰り返し行われます。女王バチは、生涯の大部分を産卵にだけ費やすのです。一方、働きバチは六角形の巣房で生まれます。幼虫になって3日後くらいから、ミルクではなく、花蜜と花粉を混ぜた餌を与えられるようになります。成虫になってからの寿命は1カ月程度ですが、卵から成虫になるまでにも21日ほどかかります。そして仕事に応じて体の生理状態が変化していきます。羽化した働きバチは巣房の中に残ったさなぎの殻や

Special Features 1

糞などの掃除から仕事を始めます。3日目くらいから、頭部にある下咽頭腺が発達し、同時に花粉を食べてここでミルクを作り、育児に専念します。その分泌腺がいったん小さくなったころ、10日目くらいからは、腹部にあるロウ腺が発達し、ハチミツを原料に、巣作りのためのロウを分泌することができるようになります。次に貯蔵係になると、先の下咽頭腺が再度発達して、花蜜からハチミツを作るための酵素を分泌するようになり、そして外敵から巣を守る門番を経て、最後に採蜜係として、いよいよ「外勤」仕事に出るようになります。働きバチはその時の仕事にリンクして生理状態がどんどん変化していくのです。個体差はありますが、3~ 5日くらいで次の仕事に転換しますし、また蜜の貯蔵量が足りないとか、門番がやられたなど、どこかで係の数が足りなくなった場合、生理的な変化が早く起きてその作業に携わるようになることもあります。

女王バチには どうしたらなれるの?

なぜ同じ卵から生まれて、女王バチと働きバチに分化するのか、それはまず巣の中のどこに産み付けられるか、また孵化した後、幼虫に与えられる餌、いわゆるローヤルゼリーの量の違いによるものです。ちなみに女王バチの幼虫に与えられるローヤルゼ

腹を見せているハチのロウ腺には、大きなロウ鏡(ロウ片)が4枚見える。

働きバチは、日齢によって巣の中での役割が変化し、最後に採蜜係として巣の外での仕事を担い、その一生を終える。危険な外勤仕事を一生の最後に据えたミツバチの合理的な戦略と言える。

ミツバチ大研究

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Special Features 1

リーは、一日に食べられる量の何百倍という量です。逆に言えば、この量を与えられることによって、女王バ

チになり、少なければ働きバチになるのは間違いありません。例えば、ミツバチを人工的に孵化させる時も、大量のローヤルゼリーを与えることによって女王バチを作ることもできますし、また自然の状態でも、何かの理由で女王バチがいなくなった時、普通の巣房にいた幼虫に大量にローヤルゼリーを与えることで、その幼虫が女王バチになるということがあります。女王バチになるためには幼虫が育つ王台も重要なポイントです。働きバチの六角形の部屋は巣に対して横向きですが、女王バチの王台は下向きです。その重力的な違いが影響しているのではないかという研究もありました。女王バチが失われた群れでは、先述したローヤルゼリーの大量供給の他に、それまで育っていた働きバチの幼虫の部屋を下向きに改築して、そこから女王バチを作ろうとする行動が観察できます。これは育児係に対して「ここに女王バチがいる」という、ある種の合図になっているのかもしれません。逆に女王バチになろうとしていたものを働きバチにすることも論理としては可能ですが、私たちの研究センターではあまり成功例がありません。どちらも同じ受精卵から生まれているので、持っている遺伝子のセットは同じはずですが、形態も、生き方もまったく異なり、ほとんど違う生き物と言っても過言ではありません。その原因について、最近の研究では、女王バチの遺伝子ではDNAのメチル化が高頻度に起きていることが分かってきました。働きバチの設計図、つまり遺伝子では、全工程を行えという指令に対して、女王バチはこの工程を飛ばしてよいですよ、ということですから、女王バチのほうが早く成虫になるという事実からも説得力のある説です。ただ、今の時点ではまだ、ローヤルゼリーとメチル化との関係が結びついていないので、更なる研究が進められているところです。

高度に進化した 9種の「直系」

進化した生物は種が少ないと言われますが、ミツバチもその例にもれず、種の数が非常に少ない生物です。元々東南アジア生まれのミツバチの中のうち、西側に移動したものを先祖として、現在、ヨーロッパ、中近東、アフリカなどに広がっているミツバチをセイヨウミツバチと呼んでいます。ただ住んでいる地域によって、性質にはかなり違いがあります。冬の寒さが厳しい場所で、たくさんの蜜を貯め、長い冬に耐えられるような大型の群れを作るようになったものが、私達が今、世界中で養蜂のために用いているセイヨウミツバチです。アフリカ大陸にいるミツバチは、気候が比較的暖かいので、あまり蜜を貯蔵せず、天敵が多いため、攻撃性も高くなっています。当然、一カ所にとどまらせて家畜化することも簡単ではありません。東南アジアにいるトウヨウミツバチの他、オオミツバチ、ヒマラヤオオミツバチ、コミツバチ、クロコミツバチ、インドネシアのボルネオ島などに生息するサバミツバチ、ボルネオ島の山岳高地のみに生息するキナバルヤマミツバチ、スラウェシ島にいるクロオビミツバチを合わせて全9種がミツバチの直系です。ニホンミツバチは、パキスタンから黒竜江省までというかなり広い範囲にいるトウヨウミツバチの中の、日本亜種です。セイヨウミツバチとの大きな違いは、家畜化されているかどうかにあると言えます。ミツバチの繁殖は高い空中でミツバチ任せに行われ、また人間が日々餌を与える生き物でもないという状態では、そもそもミツバチを家畜と呼べるのかどうか議論を残すところですが、野生と家畜を分けるのは、人間のコントロール下にいることで生じるストレスへの

耐性が一つの軸になると思われます。セイヨウミツバチとニホンミツバチを比較した時、セイヨウミツバチは、人間から受ける

左がニホンミツバチ、右がセイヨウミツバチ。その違いは歴然としている。

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刺激への感受性が低いので、いったん巣を作れば簡単には逃げませんし、巣を破壊しないでハチミツを採る技術が普及している現在、良いシーズンであれば3日に1回程の採蜜は、セイヨウミツバチにとっては問題ではありません。対して、ニホンミツバチは、人間が巣を用意しても、人間から受ける刺激が大きかったり、巣の周辺環境が悪くなったりすればすぐに逃げてしまいます。また、基本的には巣を破壊して採蜜を行うので、年に1、2回が限度です。回数を増やせばやはり巣を捨てて逃げ出します。ニホンミツバチは気難しい性格なのです。

「8の字ダンス」 実は「いいものがあるよ!」

ミツバチが、花のありかを仲間に教えるために8の字型にダンスを踊るというのは、広く知られていることでしょう。「発見」したオーストリアのカール・フォン・フリッシュ博士は、この功績によってノーベル賞を受賞しています。しかし、最近になってミツバチのダンスは、必ずしも花のありかを教えるために発達したものではない、と言われるようになりました。確かに花を見つけて帰ってきた時にもダンスを踊るのですが、考えてみればミツバチが本来暮らしていた自然環境なら、花が、高度な位置情報システムを使わなければ発見できないほどどこかに集中して咲くということはほとんどなく、どこでも簡単に見つかったはずです。ダンスは、巣からの方角と距離を高精度に伝えるコミュニケーション手段として発達していますが、果たして花の季節にそんなピンポイントの情報をやり取りする必要があるのか、というのです。それよりも、正確に場所を伝える必要のある場面がミツバチにはあります。新たに巣を作る時です。ミツバチは、分封したり巣を引っ越したりするときに、働きバチの投票によって多数決で巣を作る場所を決めるのです。巣を作るのに適した場所を探索してきたハチが、それぞれ自分の探した場所をアピールします。このときにダンスを使います。ダンス情報を読み取った他の働きバチは、実際に候補地となった巣の容積や入り口の大きさなどを見てきます。「良いじゃないか」となれば、帰ってきてから自分もその場所を示すダンス

を踊って一票を投じます。次第に、ある候補地への投票数が増えていき、最終的に投票数の多かった候補地へ群れごと移動して、巣を作り始めることになります。言語とも称されるこのダンスは、ミツバチが日々、花を探す上で必須、かつ有効な手段としていると考えられてきました。それが、花の場所を伝えるのが本来の目的ではないと考えられるようになった背景には、実は、それほど役立てていないという観察結果が得られるようになったからです。フリッシュ博士の頃は、ある餌場に行っているハチのダンスについて、太陽と自分の角度、回る速度をそれぞれ、ある計算式に当てはめれば、確かにこの地点に行っているというところまでしか分かっていませんでした。実際、そのダンスを踊り始めると、新しいハチが何匹かそこに行けるようになるので、ダンスはハチの言語だと評価されるようになりました。本当に他のハチがそのダンス情報にある、方角と距離の情報だけで飛ぶことができるのかは、2005年になって、ハチにセンサーをつけてレーダーで読み取る技術によって証明されました。ある場所でダンスの情報を読み取ったハチをすぐに別の場所に移して飛ばすと、その情報通りの方角に、伝えられた距離だけ飛ぶことが示されたのです。つまりハチのダンスは、周りの景色や花の匂いなど全く無関係に、巣を出たらどっちの方向へ何メートル進みなさいというだけの情報だったということが、実験で初めて分かったのです。ところがその結果を受けて改めてダンスを観察してみると、確かにダンスで情報をもらっているのに全く別の方向に飛んでいくなど、必ずしもダンス通りの動きをしていません。これを確かめる実験も行われました。AとB、2カ所の餌場を作っておいて、通った場所に従って区別がつくようにハチにマークをつけます。ある時点で、Aに、それまでよりも質の良い餌を置くと、Aに通っていた

Special Features 1ミツバチ大研究

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Special Features 1

ハチたちは「良い蜜が手に入ったよ」と一生懸命ダンスで教えたがるのです。もしミツバチがダンスの情報を重視しているのなら、昨日までBに通っていたハチもダンス情報でAに行くはずです。ですがBに通っていたハチは、ダンスの情報を拾いつつも、やはりBに通って餌を集めていました。ハチは自分が通ったことのある餌場を数日間記憶することができます。昨日、花があったのなら、今日もその場所に花があるでしょうから、通い慣れ、また花の種類も分かっている方が、初めての場所に行くよりも合理的です。いざ、自分が記憶している餌場がだめになってしまったら、他のハチの情報を役立てることは可能です。研究者は今、採蜜におけるダンスの意味を「今日は、出かけたら、それなりにいいものが手に入るよ」と、外出を促す刺激としての意味の方が大きいと考えています。もちろん、探索の効率を上げていることは間違いありませんから、その点での評価がなくなったわけではないのですが。ところで、花から戻ったミツバチは皆ダンスを踊るのでしょうか? 採蜜係が集めた花蜜を巣に帰って貯蔵係に渡す時、貯蔵係はそれまで経験したものよりも薄い蜜だと受け取らないという行動が観察されています。貯蔵係に受け取りを拒否された採蜜係は、巣の周りをうろうろしながら、どうにかして誰かに渡そうとします。しかし、普通なら貯蔵係に受け取ってもらうまでに1分とかからないのに、拒否された場合は15分以上も巣の中を歩き回る羽目になり、ダンスを踊るどころではありません。逆に採集した蜜を皆が競うようにもらってくれる時は「good!」の評価ですから、そういうハチはよく踊ります。科学的ではないかもしれませんが、それはどうしてもミツバチが喜んでいるように見えてくるのです。実際、フリッシュ博士以前にミツバチのダンスを観察した先人たちは、ミツバチの歓喜の表れと記述していたりします。

「ハチの一刺し」では 済まさない!

ハチといえば、「刺す」というイメージがありますが、ハチの中でもミツバチの働きバチには特徴があって、敵を刺したら自分も死んでしまうのです。生物の基本

的な行動原則からすれば、自分が死んでしまうというのは説明が難しい行為ではあります。他に同じような行動を取るのはハチの中でもミツバチしか分かっていません。針を刺す時の構造的な部分は、非常によく設計されています。昆虫は脳以外に神経球といって、神経細胞が密に集まっている部分があります。脳の役割を体のあちこちに分散させているようなものです。針のすぐ近くにもいくつかの神経球があり、針が刺さると、その上の神経球との間が切断されます。針の近くの神経球にはその針を動かすプログラムが書き込んであるのですが、切断されることで初めてそのプログラムが動き出すようになっています。針は、長い針とその両側にギザギザとしたかぎ針がついている構造です。かぎ針は、長い針と逆向きに出ているため、長い針を抜くような動きがあると、このかぎが皮膚に引っかかる、そしてどんどん奥に入っていってしまうという構造になっています。切り離された神経球には、この2つの針の部分を交互に動かすプログラムと、針の周辺にある毒液の入った袋の筋肉を収縮させて毒を注入するという、プログラムしか入っていないようですが、頭がついた状態でもお腹だけの状態でもそのプログラムは始動せず、それを見る限り、針が切り離され、自分が持っている毒を効果的に使うことが生存の上で重要だったと見ることができます。仮説ですが、ミツバチの巣はそれなりに大きく、小さな生物はあまり敵にはなりません。だとすれば、天敵を完全に殺してしまうのではなく、ミツバチや巣を襲うのは危険だと、その仲間に伝わるほうが効果的です。たとえばクマの場合、母親が好んでミツバチを襲うようだと、その子も自立した時に当然同じようにミツバチを襲うようになりますが、母親がそれに懲りている場合は子が巣を襲ったりハチミツを食べたりする

ミツバチの針には、一度刺すと抜けないように、かぎ針がついており、刺したことが感知されると、針が前後にスライドして相手の皮膚の奥深くまで進むと同時に毒液が放出される。

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経験がないので恐らく、巣を襲うという行動も起きないようです。もう一つ、刺したハチの行動について、興味深い論文があります。ミツバチの針からは危険を知らせる警報フェロモンが出ていて、それを感知すると他のハチも一斉に攻撃を始めるというのは教科書にも書かれていることですが、刺した後に、いつまでも追いかけるハチがいるのです。実際、私も刺された時に必死で逃げたのですが、羽音が追ってくるので、また刺されると恐怖感を覚えたのです。ですが、実は、追ってきたのは刺したハチだけでした。刺したハチもすぐに死んでしまうわけではなく、攻撃した対象をいつまでも追いかけ、巣から敵を遠ざけるとともに、その羽音と痛みを学習させるのではないかと考えられます。他のハチ達は、警報フェロモンが出ているうちは攻撃を止めませんが、距離が離れると巣に戻っていきます。ミツバチが刺すのは攻撃された時と、それからもう一つは女王バチを決める時です。一つの巣で、女王バチになるべくして育てられる卵はふつう複数あるのですが、最終的な女王バチは一匹ですから、女王同士が鉢合わせすれば闘いになります。女王バチの針は、働きバチのものとは形状が全く違い、働きバチの針は深く刺さるように真っすぐですが、女王バチはお腹が曲がった状態で相手を刺せるように、針もカーブしています。ただ、先に羽化したほうが有利なのは当然で、自分も傷つく可能性があるこの女王バチの決め方は、ミツバチの他のシステムに比べると、ずいぶん泥臭いという印象があります。

ミツバチが絶滅する? という「噂の真相」

この3年ほど、ミツバチが減少しているという報道が多くあります。その理由は環境が悪化しているからと訴える声も多く耳にします。ですがミツバチは南極大陸以外、人間の手を借りつつ世界中を制覇してきた生物です。どこでもやっていけるということは、つまり環境適応能力も非常に高いということです。東南アジアにいるトウヨウミツバチは、最近、群れごと船に乗ってオーストラリアに“密入国”しています。オーストラリアではセイヨウミツバチによる養蜂が盛んで、

トウヨウミツバチが持ち込む疫病などに神経を尖らせていますが、人間の手を借りなくても新天地開拓をしようという生き物でもあります。自分たちで勝手に海を渡ってしまうような生物が果たして絶滅するでしょうか? 確かに北半球では家畜化されているミツバチが減少しているのですが、FAO(国際連合食糧農業機関)の統計を見ると、世界中で飼われているミツバチの数は逆に増えているのです。理由は簡単です。南半球で増えているからです。では、北半球で減少しているのはなぜかと言えば、最大の原因は人間がハチを飼うのを止めたからでしょう。日本では1980年代と比較すると、ミツバチの数が半減していますが、同時に養蜂家の数もちょうど半分ほどになっています。この2つを照らし合わせれば、ミツバチを飼わなくなったからという答えが導き出されます。ただ、ではなぜ飼わなくなったのかといえば、単に輸入ハチミツの方が安価だという経済原則だけではなく、やはりハチミツを生産するための環境条件の悪化を筆頭にあげる必要はあるでしょう。全世界的に花が減っているなど、ハチを飼いにくい状況はありますが、特定の病気や農薬が原因とするのはやや一元的な見方だと思います。ミツバチは、ヒトなどいない500万年前から今のスタイルで地球上に存在し、想像を絶する環境変化を克服してきたタフな生き物です。私たちがそれ以上の環境変化を生み出してしまっているのでしょうか? ハチを飼うのが難しい状況は、野生のハチにとっても生きにくい環境には違いないでしょう。なかなかそこに思いいたることはできませんが、タフなはずのミツバチが減っているのであれば、少し考え直してもよいかもしれません。

Special Features 1ミツバチ大研究

(写真提供:中村 純)