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ISSN 1346-9029 研究レポート No.464 Dec 2018 介護サービスにおける「現場知」の創出 - 情報共有データを活用した知識創造 - 上級研究員 中島 正人

研究レポート - Fujitsu研究レポート No.464 Dec 2018 介護サービスにおける「現場知」の創出 - 情報共有データを活用した知識創造 - 上級研究員

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ISSN 1346-9029

研究レポート

No.464 Dec 2018

介護サービスにおける「現場知」の創出

- 情報共有データを活用した知識創造 -

上級研究員 中島 正人

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介護サービスにおける「現場知」の創出

― 情報共有データを活用した知識創造 ―

上級研究員 中島正人

[email protected]

要旨

わが国は超高齢社会を迎えつつある中で、介護サービスの役割は益々大きくなっている。

介護サービスでは、それを支える介護人材の不足は深刻化しており、介護サービスの質を維

持できるかという懸念が大きい。ケアやサービスの維持には、利用者の状態や状況に応じて

適切なケアを行える職員が必要とされ、熟練職員が持つ日々の業務で活用できる経験や知

識を、職員たちが身につけるための効率的かつ効果的な方法が期待されている。

本研究では、介護サービスの質の向上を目的として、介護現場の「現場知」に知識創造モ

デルを適用することを試行した。その際、現場の知識創造の素材として、介護現場の情報共

有に用いられる申し送りに着目した。申し送り内容を質的に分析し、その結果をもとに、介

護職員と「対話」することで、現場の知識(現場知)を創造するための方法を検討した。そ

して、その方法に ICT を組み込むことで現場でも大きな負担なしに知識創造を実践する仕

組みについて考察した。

内容の分析では、申し送りの内容は 3 階層でラベル付けできることがわかり、指示や注

意、情報提供などの意図や目的をもって記述された内容から「現場知」が抽出、創出できる

可能性を確認できた。対話では、現場職員に対して「現場知」候補に関するデプスインタビ

ューを行い、暗黙化した知識を表出させた。さらに複数職員によるワークショップを行い、

参加した職員の知識を連結化することで、ケアや業務改善のための「現場知」創出の事例を

作り出せた。

最後に、本研究で提案する知識創造の手順を整理し、申し送りを活用した「現場知」創出

における ICT の利用可能性を考察した。介護現場の課題の解消に向けては ICT の役割とそ

の期待は大きい。ICT を活用できない職員たちを含む包括的な業務システム(系)の構築が

必要であることは言うに及ばず、今後は、ICT がひとの仕事をサポートするだけでなく、ひ

とと共に進化していくような仕組みづくりをしていくことが必要となる。

キーワード:介護サービス、現場知、情報共有システム、SECI モデル

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目次

1. はじめに ......................................................................................................................... 1

1.1 介護現場への期待と課題:人材不足によるサービスの質の担保への懸念 ............... 1

1.2 本研究での着目点 ..................................................................................................... 2

1.2.1 知識創造モデル(SECI モデル) ...................................................................... 2

1.2.2 関連する用語の定義 ........................................................................................... 3

1.2.3 素材:申し送り .................................................................................................. 3

1.3 医療介護サービスにおける ICT を活用した現場の知識創造に関する先行研究 ....... 4

1.4 本研究の目的 ............................................................................................................ 5

2.研究の方法 ..................................................................................................................... 5

2.1 研究のフレームワーク .............................................................................................. 5

2.2 現場情報の共有と抽出 .............................................................................................. 6

2.2.1 申し送りデータ .................................................................................................. 6

2.2.2 結果 .................................................................................................................... 6

2.2.3 申し送り内容分類の小括 .................................................................................... 8

2.3 現場知の表出化:個別対話(デプスインタビュー) ............................................... 9

2.3.1 目的 .................................................................................................................... 9

2.3.2 方法 .................................................................................................................... 9

2.3.3 デプスインタビューによる「現場知」抽出事例 ................................................ 9

2.3.4 デプスインタビュー小括 .................................................................................. 12

2.4 現場知の連結化:集団対話(ワークショップ) .................................................... 13

2.4.1 目的 .................................................................................................................. 13

2.4.2 方法 .................................................................................................................. 13

2.4.3 ワークショップによる「現場知」創出事例 ..................................................... 13

2.4.4 ワークショップ小括 ......................................................................................... 17

2.4.5 介護現場で小規模WS を実践するための示唆 ................................................. 17

3.考察:現場知の創造と ICT 活用の可能性 ................................................................... 17

3.1 ICT を活用した介護サービスへの SECI モデルの実装 .......................................... 18

3.2 介護現場での知識創造の手順と ICT 活用に向けた課題 ......................................... 21

3.3 ICT機器の活用を超えた包括的な業務システム構築へ .......................................... 23

4.まとめ .......................................................................................................................... 24

謝辞 .................................................................................................................................... 26

参考文献 ............................................................................................................................. 26

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1. はじめに

1.1 介護現場への期待と課題:人材不足によるサービスの質の担保への懸念

わが国が超高齢社会を迎えつつある中で、介護サービスの役割は益々大きくなっている。

介護サービスの質の向上が望まれる一方で、それを支える介護人材の不足は深刻化してお

り、介護サービスの質を維持できるかの懸念は大きい。政府は、子育て世代の介護離職者へ

の復職を促したり、外国人介護人材の受け入れを検討するなど、人材確保の対策に追われて

いる((公財)介護労働安定センター(2013))。

一方で、介護サービスは、人員が確保されただけで現場のケアやサービスが成り立つわけ

ではない。介護職員が、ケアやサービスを適切に行うための教科書的な知識やスキルだけで

なく、現場の状況に応じた判断力や創造性を働かせることが必要になり、それを身に付けな

ければならない。しかし、介護現場は人員が充分に確保できていないことなどから、職員が

それを身に付けるための時間を割くことができないのが現状である。そのため、現場ではで

きるだけ日常の業務を妨げずに効果的に質の高い現場の業務で必要となる知識やスキルを

身に付けられるようになることが期待されている。それを実現するには、熟練者の知識やス

キルを抽出し、体系化することが肝要だと考える。

現状、熟練職員の知識やスキルを抽出するには、一般に、行動観察やデプスインタビュー

など第三者が介入する方法がしばしば用いられる。しかし、介護現場でそれらを実施するに

は、いくつかの課題がある。例えば、施設における第三者の介入は、介護施設の入所者にと

っては、普段と違う特殊な状況となり、落ち着かなくなることがある。また、調査者にとっ

ては、観察が現場業務の邪魔にならないよう多くの配慮が必要となる。職員にとっては、現

場の知識はしばしば暗黙化しているので、言葉で説明しにくく、聞く側は現場をよく知る者

でないとうまく情報を引き出せないなどの課題がある。現場の知識やスキルの抽出を介護

現場で簡便に実施するのは難しいのが現状であるが、サービスを改善したり、設計したりす

ることにつながる可能性もあるので、現場ではその効果的な方法が求められている。

近年介護現場では介護記録の作成など事務処理を中心として ICT の利用が増えてきてい

る。しかし、ICT の本格的な利用には課題が多い(中島・福原・三輪・西村(2012))。例え

ば、介護職員の ICT 利用は記録や情報共有など間接的業務の補助が主であり、用途は限定的

と言える。また、現場職員は ICT ツールの操作や導入による業務の変化に不安を感じてお

り、それらの不安を軽減し、現場に負担を掛けない、より有効な ICT の活用が検討される必

要がある。現状では、ICTツールを現場に導入にすることが、介護サービスの質向上にまで

結びついている場合は少ない。

そこで、本研究では、その現場で必要な知識や業務を改善するための課題抽出の機会を

日々現場で記録される情報共有のデータの中に見いだせないかと考えた。現場に浸透しつ

つある ICT による情報共有や記録に残された情報をこれまでと違った形で活用することで、

記録に新たな意味を付与し、上述の課題を解決するための方法を検討する。介護現場の情報

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共有である「申し送り」には被介護者の状態とその変化、職員の気づき、他の職員への指示

や注意など業務に関する様々な情報が記録されている。そのため、日々の業務における改善

すべき課題や参考にすべき事項を見いだせる可能性がある。

現在では、申し送りなどの記録が ICT システムで電子化されている施設も増えてきてお

り、その場合には、申し送り情報がデータとして蓄積されることになる。そのデータを適切

に整理・分析すれば、介護職員が効率的に現場で必要な知識やサービスの改善につながるア

イデアとして活用できるようになると考えられる。

これまで、申し送りは、勤務時間帯の異なる介護職員間の業務の引継ぎとして、その日の

利用者の状態や、起こった出来事など、職員間で時間や場所を共有して体験することができ

ない情報を共有するためのツールや方法でしかなかった。また、利用者への対応や注意が必

要となる数日間程度しか活用されない、言わば消費期限のある情報でもあった。一方で、申

し送りは日々の業務において、職員がなにかに気付き、他の職員にも伝達すべきだとして判

断された情報でもある。その内容は業務に関する多岐にわたり、しばしば利用者への対応の

仕方や注意すべき点の詳細なども伝えられることもある。その場限りの一時的に有用な情

報であるわけではない。申し送り内容を深掘りすることで、現場での「気付き」や現場で有

用な知識のエッセンスを抽出できる可能性がある。そこで、本研究では、申し送りを新たな

データとして扱うことで、従来の目的や使われ方を超えた申し送りの活用として、現場職員

に有用な知識をいかに抽出し、いかに創造するかについて、その方法を検討する。

1.2 本研究での着目点

本研究を進めるに当たり以下に着目する。一つは、素材となる情報として、介護現場で

日々の業務において共有される情報である「申し送り」を活用することである。もう一つは、

知識創造モデルである。介護現場の「現場知」に知識創造モデル(野中・紺野・廣瀬(2014)。

以降 SECI モデルと呼ぶ)を適用し、介護サービスの質の向上につながる「現場知」の創出

を目指す。その上で、ICT を活用した SECI モデルの実装の可能性について考察する。

ここで「現場知」とは、現場に存在し、現場で創造され、現場に適用される知識であり、

いわゆる教科書的な知識や標準化されたやり方などの形式知だけでなく、個人が持つコツ

や工夫など、言葉で説明はしにくいが、たしかに現場で実践されているような暗黙知も含ま

れる。現場での実際の業務と業務を行う個人や集団が持つ感性と結びつくことで新たな知

識が創造されると考えられる。

1.2.1 知識創造モデル(SECI モデル)

SECI モデルは以下に示す 4 つの知識変換モードからなり、形式知と暗黙知が相互作用し

ながらこれらのプロセスがスパイラルすることで個人と組織の知識が創造される(野中・紺

野・廣瀬(2014))。

(1) 共同化(Socialization):個人が同じ時間や空間の中でリアルな体験を共有する

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ことでスキルを共有したり、他人の立場に立つことによって、その状況をその人が

どう見ているのかを共有したりするプロセス。

(2) 表出化(Externalization):お互いに共感された暗黙知を、対話や思慮によって

グループの知識として統合し、明示していくことで形式知化するプロセス。

(3) 連結化(Combination):表出化によって創り出された新しい形式知同士や、新し

い形式知と既存の形式知を連結することによって新しい知識を創り出すプロセス。

(4) 内面化(Internalization):形式知を実践することによって、新たな暗黙知を獲

得するプロセス。

また、ナレッジマネジメントには「場」というコンセプトが導入される。場は「知識が

創造・共有・活用されるコンテクスト(空間・状況・文脈)」と定義される。SECIモデル

では各モードは「創発場」「対話場」「システム場」「実践場」と呼ばれる4つに対応づ

けられる。

本研究では、後述する介護現場で使用される申し送りの情報共有ツールにおいて、現場

の職員が持つ暗黙知が表出化されると想定し、そのツールをICT化することで業務効率化

を図るとともに、表出化された現場の情報を用いて、その後対話などを通じて連結化する

ことによって新しい現場知を創出する方法を確かめることになる。

1.2.2 関連する用語の定義

知識創造では「データ」「情報」「知識」はそれぞれ独立したものとして捉えられ、混

同して扱わないよう注意する必要がある。「データ」は記号や事実であり,それ自体は意

味を持たないものである。データが受け手の意識や関心に影響を与え,受け手がデータに

意味付けしたものが「情報」となる。「知識」は特定の目的のもとに体系化され,統合さ

れた一連の情報である。

申し送りを想定した場合、「記録された内容」がデータとなり、受け手が活用する時点

で情報になると捉えられる。情報は、単にその場で活用されるだけでなく、各情報に関連

するコンテクストや意味を明確にすることで体系化し、統合することで現場の「知識」に

昇華させることに繋がる。

1.2.3 素材:申し送り

介護現場では「申し送り」によって職員が日々の業務において必要な情報を共有する。申

し送りの内容の詳細は、施設や職員によって異なり、その自由度は高く、口頭で行われる場

合もあるが、一般的にはノートやメモなど筆記でやり取りされ、記述されたものは記録とし

て残ることになる。この記録は、業務の記録としてルール上公式に残す必要があるものでは

なく、あくまで職員が業務を遂行する際に有用なものとなるのだが、実質的には現場にとっ

て絶対不可欠なものとなっている。申し送りの記録には、とくに、書くべき内容や書き方に

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決まりはなく、施設によって形式は任意である。一般には、事務連絡から、利用者や業務に

関する職員の種々の気づき、対応の指示や職員が注意すべき点、情報の提供など、日々のケ

アやサービスを遂行する上で欠かせない様々な情報が伝達され、共有される。

申し送りの主な目的は、業務上必要な情報の伝達と共有であるため、情報に有効期限があ

る。一般に伝達された用事が済めば、その役割を完了したと言える。一方で、役割が終わっ

たと思われる申し送りの情報が、新たな「現場知」の創出のために利用できるとすれば、職

員の業務遂行と効率的な知識獲得に寄与できることになる。申し送りは日常業務の一環で

行われるため、業務の負担を増加させない点においても、有効な手段だと考えられる。

1.3 医療介護サービスにおける ICT を活用した現場の知識創造に関する先行研究

介護・医療現場における知識創造に ICT を効果的に活用しようとする試みがいくつか報

告されている。本稿に関連する、現場知、知識創造、申し送り、ICT などのキーワードを絞

り込み、主要な関連研究を取り上げ、本研究がそれらを発展させる部分について述べる。

ICT を活用した「現場知」の知識流通を目指した研究が報告されている。矢口ら(2009)

は、「現場知」を現場の観察(気づき)により得られた情報として捉え、現場での観察の記

録を書式として整理し、データベース(DB)化するまでをモデル化し、それを ICT で実現す

るシステムを開発した。彼らは、介護におけるチームケアの重要性を指摘し、個人が持つ暗

黙知を従事者の主観に基づく洞察、直感、価値観、経験として形式知化し、標準化しようと

した。それを適切な知識流通のために現場の知識を収集/体系化/集約/連携して、現場知の

情報モデルを構築した。つまり、現場知獲得の手段として、現行の業務記録を記入する紙文

書の記述フォーマットを緩やかに標準化し、手書きで記述でき、効率的に電子化できる介護

業務支援カード方式を考案し、それを ICT でシステム化している。

一方で、この研究では、記録された情報が現場知として集積されたのみで、その情報を用

いて、具体的な知識を抽出したり、知識を創出したりしているわけではない。また、この研

究では現場知収集のための効率的な記録システムを開発したが、そのシステムを評価する

に留まっている。そのため、SECI モデルの知識創造スパイラルの手順との関連性がつかみ

にくいなどの課題が挙げられる。

一方で、対話を重視した現場の知識創造の過程を明らかにしようとした研究が報告され

ている。﨑山ら(2011)は、近年の電子カルテ等、病院での ICT 活用の発展によって効率的

に一方向に情報が伝達される一方で、看護師同士の直接の対話機会がなくなることで伝達

される情報の歪みが生まれつつあることを懸念した。そこで、知識創造における「対話」の

重要性に着目して、患者の個別性に対応するための看護師間の申し送りで見られる情報の

性質と申し送りにおける知識創造について考察した。具体的には、病院での看護師の口頭の

申し送りにおいて情報が伝達され、知識へと変換されていく様子を観察し、対話の内容を分

析した。看護師間の申し送りで見られるリアルタイムの情報伝達と知識創造を、SECI モデ

ル、特に「場(そのなかで知識が創造・共有・活用されるコンテクスト(空間、状況、文脈))」

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の概念を用いて考察している。そして、ICT よる一方向の情報伝達により生まれる可能性が

ある情報の歪みを減少させ、知識創造に向けた情報交換を活発させるための ICT システム

の必要性を提案した。

しかしながら、この研究では直接対話によるコミュニケーションをとる者同士の知識創

造がどのようになされているかというプロセスを分析することに主眼があったため、申し

送りや共有情報から現場で必要となる知識を抽出したり、新たな知識を創出したり、だれも

が使える知識を体系化したりするための取り組みをしたものではなかった。

一方、本研究は同じく「申し送り」を扱うが、紙や ICT システムに記録された共有情報を

用い、そこから具体的に現場で活用できる知識となる候補の情報を抽出し、それを用いて職

員間で対話することで情報を知識へと変換し、具体的に現場でだれもがつかえる知識とす

るための方法の構築を目指すものである。

つまり、本研究では、ICT を用いて現場の情報を収集するだけでなく、その情報を分析す

ることで新しい現場知を創出する方法を検討する。そして、その方法に ICT を活用すること

で、現場職員に大きな負担をかけることなく介護サービスの質向上につなげるための仕組

みを考察する。

1.4 本研究の目的

本研究は、介護サービスの質を向上させるために、介護現場の「現場知」に知識創造モデ

ルを適用し、新しい現場知を創出するプロセスを明らかにすることを狙っている。その際、

現場で情報共有された記録をデータとして活用することが、効果的な知識創出につながる

かを検討する。最終的には、先行研究の課題を踏まえつつ研究を続けることで、SECI モデ

ルに ICT を組み込んで効率的で効果的な知識創造を実践するための仕組み作りにつなげて

いきたい。本研究では、最後にそのような仕組みづくりの可能性についても考察する。

2.研究の方法

2.1 研究のフレームワーク

本研究は石川県七尾市にある介護老人保健施設に協力いただいた。当施設では携帯端末

による申し送りシステムが導入され、日々の申し送りはこのシステムによって行われてい

る(中島・福原・西村・赤松(2013)。この申し送りシステムは、文章だけでなく、写真や

音声などマルチメディアによる記録もできる。本研究では、申し送りの文章データのみを分

析(活用)対象とし、分析結果を活用して職員と対話することで現場の知識創出を図る。本

研究のフレームワークは以下である(図表1)。

分析は、申し送りデータを分析するフェーズとなる。申し送りシステムで収集された申

し送りを読み込み、どのような内容が記述されているかを分類する。その後、次のフェーズ

である「対話」において具体的に知識の表出化、連結化を図るための申し送り候補を選出す

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る。対話フェーズでは、データ分析の結果をもとに、現場職員との対話(デプスインタビュ

ーとワークショップ)を通じて、申し送りからの「現場知」の抽出とケアや業務改善につな

がる「現場知」の表出化、連結化を図り、新たな知識の創出を図る。

図表1.本研究のフレームワーク

(出所:富士通総研作成)

2.2 現場情報の共有と抽出

ここでは、申し送りとして日々どのような内容が職員間で共有されているかを把握する。

それらの内容に応じて申し送りを分類し、ラベル付けするとともに、対話フェーズで深掘り

する内容を検討する。

2.2.1 申し送りデータ

同施設 4 部署中、入所棟 2 部署のデータ 2,935 件(2016 年 2 月 1 日から 11 月 15 日まで

の 9 か月分)を対象とした。筆者が申し送り文章をすべて読み込み、業務や意味に応じて内

容を分類した。

2.2.2 結果

(1)申し送り内容の分類

各申し送り文を 3 つの階層に分類し、各階層に意味に応じたラベルを付け、さらにその中

での下位の分類ラベルを付けた(図表2)。

第1階層は「連絡」の種別である。これは、事務連絡か介護業務に関わる連絡かの分類で

ある。ここでの「事務連絡」は介護の業務には直接かかわらない、当該施設職員としての連

絡情報に当たる。「介護業務」はさらに内容を 2 つに分けられる。

①1 つめは、業務全般に関する連絡である(分類名:「業務全般」)。特定の利用者や特定

の職員、特定の業務に関わらず、誰にも必要な情報である。例えば、利用者の入退所に関わ

る連絡、ケアカンファレンス1の予定や結果の伝達、業務備品(おむつ、薬など)の入荷な

1 医療や福祉の現場で、スタッフ等関係者が情報の共有や共通理解を図ったり、問題の解決を検討するた

めの様々な会議。

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ど、介護業務に関わる事務連絡にとどまらず、感染予防の呼びかけ、予防の対処法の伝達な

ど介護業務に直接関係する情報が含まれた。

②もう一方の介護業務の内容には、特定の利用者や特定の場面(ケア、サービス)など個

別性が高いケースに関する情報が含まれた(分類名:「業務個別」)。個々の利用者の状態の

変化や家族からの預かり物や連絡など直接の介護業務から施設でのサービス全般に関わる

多様な情報が含まれる。

第 2 階層は、申し送り伝達の「意図・目的」の種別である。この種別は、大きく 2 つのサ

ブカテゴリーに分類できる。まず、利用者の状態や現在の状況、現場で実際に起ったできご

となどを報告し、職員全体で周知、共有することが主な目的であると理解できる内容である

(「事実ベース」と名付ける)。2 つめは、申し送りの送り手が、受け手の職員に何かをして

もらうために、ある意図や意志を込めて伝える内容である(「意図ベース」と名付ける)。た

とえば、指示や依頼、注意の喚起、情報を求めるなど、意図や目的をもって申し送られてい

ると推測できる情報である。意図ベースでは、他の職員に意見を求めたり、相談したりする

内容なども含まれた。これら 2 つに加え、返事や途中経過を報告する内容などがあったた

め、それらを「その他」として分類した。

第 3 階層は、「内容」の種別である。介護業務またはサービスとして具体的な業務項目の分

類である。本種別については、三輪ら(2015)の介護業務のコード化を基礎にして分類を行

った。コードに該当項目がない場合には適宜項目を追加した。

図表2.申し送り内容分類の 3 階層

(出所:富士通総研作成)

(2)集計

様々な情報が記録される「申し送り」において、どれくらい「現場知」の抽出と創出に寄

与する情報があるか、その可能性を理解することは重要である。そこで、収集されたデータ

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の中に伝達の意図・目的が確認できるものがどれくらいあるかを調べた。

図表3は申し送り内容の集計である。縦方向に第1階層(対象の種別)の項目、横方向が

第 2 階層(意図・目的)を並べている。申し送りにおける「現場知」の候補は、主に「業務

個別」、「業務全般」の「意図(指示、情報提供、相談)」に含まれると考えられる。「意図」

に分類できた項目は、全部で 1,357 件(全体の 46%)あり、さらに、業務個別だけに絞り

込むと半数強(52%)を占めた。つまり、対話によって知識化できる可能性のある候補の情

報が半数近くあることが示唆される。

図表3.申し送り内容の集計(縦:第 1 階層(連絡種別)、横:第 2 階層(意図種別))

(出所:富士通総研作成)

2.2.3 申し送り内容分類の小括

「現場知」の観点から第 2 階層の分類が鍵になると考えられる。その理由は、他の職員に

なにをしようとしているか、なにをしてもらおうとしているかを伝達するための記述であ

るからである。業務に関する詳しい指示や注意、具体的な対処法や簡潔な理由、背景などが

記述されることがある。申し送りの記述者(以降、送り手職員と呼ぶ)から申し送りが書か

れたときの利用者の状態や場面・状況を確認することで、送り手職員の知識やスキル、視点

や気づきなどを理解することができる。また、申し送りには、目的・意図を含み、個別業務

に関連する内容が全体の 1/3 強程度あることがわかった。そこで、第 2 階層の意図の分類

に含まれる申し送りの深掘り候補を選出し、対話フェーズで具体的な内容を深掘りするこ

ととした。

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2.3 現場知の表出化:個別対話(デプスインタビュー)

2.3.1 目的

対話フェーズとして、分析フェーズで選出した申し送りをもとに、それを記述した職員

(送り手職員)にデプスインタビューを実施した。職員が記述した個々の申し送り内容を聞

き取り、深掘りして知識を表出させる。ここでは、2つの内容に関する事例を報告し、イン

タビュー調査の中で得られた「現場知」に関する示唆をまとめる。

2.3.2 方法

申し送りの記述件数が多い職員上位 10名の中から 7 名を選び出し、職員 1人ずつに本人

が記述した申し送り文章を提示しながら以下を聞き取りした。深掘りする内容は、分類の中

から第 1階層(業務全般、業務個別)×第 2階層(意図)に含まれたものを対象とし、各送

り手職員に対して 10 から 100個程度の候補を準備した。重要と思われる内容から聞き取り

し、30 分から 1 時間程度、時間が許す範囲で聞き取りを行った。聞き取りでは、申し送り

の背景(why)、申し送りで伝えようとしたこと(what)、伝える点での工夫(how)、申し送

りの中に現場で活用できる知識やスキルに関する情報はあるか、その他(関連する事項や類

似する事象など)のポイントを確認した。

2.3.3 デプスインタビューによる「現場知」抽出事例

(1)事例1

1)申し送りの背景(why)

送り手職員は、車いすで自走するある利用者に対して、多くの職員がその利用者に対する

配慮が行き届いてないのではないかと心配になった。以前から他の職員たちに対して、この

利用者に対する注意・配慮を呼びかけてきたのだが、それが適切には理解され、実施されて

いないように見えていた。

この利用者は、意識がしっかりしていて自分で動けたため、通常の生活は自分自身でこな

せた。遠慮がちの性格で自分からひとになにかを頼むことは少なかった。手を貸さなくても

自分でできてしまうこの利用者への対応は、職員にとって、ついつい疎かになることが多い。

一見、問題はなさそうな利用者だったが、その一方で実際には、見た目に反し、大病を患っ

ている利用者であり、本来は職員が他の利用者よりも多くの注意を向ける必要があった。こ

のことは、これまで何度も職員には周知されていたので、どの職員もそれを理解しているは

ずであるのだが、それにも関わらず、職員は一見して支援が必要だと思える他の利用者に対

申し送り⽂例︓

「⾞椅⼦を⾃⾛するのが本当は苦痛なのに、本⼈は我慢して⾔わずにいるみたいです。

⾃⾛しているのを⾒かけたら声をかけてあげてください。」

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する労力を割きがちになってしまい、この利用者をそのままにしてしまうことが多かった。

送り手職員は、この利用者の状態や性格などの特徴を把握しており、つねにその状態を気

に掛けながら、この利用者を見守り続けていた。一方で、他の職員はこの利用者をあまり気

に掛けずに、普段と変わらぬ業務を行っているように見えることを気に掛けていた。

2)申し送りの意図(what)

この申し送りは、送り手職員が、エリアを担当する職員たちに対して、どのように対応す

ればよいか(「自走を見かけたら声を掛ける」)を指示するとともに、その職員らに対して「要

観察者に対して、ついつい見過ごしてしまう状況があることを問題として、エリアの職員全

員に、申し送りを通じて注意を促し、改善を求める」ために投げかけたものであった。

3)申し送りでの工夫(how)

この申し送りでは「本当は苦痛なのに、本人は我慢して言わずにいるみたいです」との記

述がポイントであった。「我慢して言わない」という利用者の遠慮がちな側面を、とくに、

それを理解していないと思える職員に向けて伝えている。また、この部分が、この利用者に

積極的に声掛けしなければいけない理由だということも込めたメッセージになっている。

単に困っていそうな利用者への声掛けが必要であることを伝えるだけでなく、このような

状態や事態の重さを気づかせる理由を添えることでその重要さを伝え、さらに、どのように

対応すべきか直接的な指示にはならない形で、読み手となる職員が自分でどう対応すべき

かを考える必要があるような余地を残した伝え方になっている。

熟練職員になると、この内容の大まかな意図は詳しく伝えずとも理解できる。一方、経験

が浅い職員は、記述されることに対してできること、考えられることが少なくなり、記述さ

れた具体的な指示のみしかできないことが多い。

ここでは、とくに重要なこととして利用者の特徴や状態をしっかりと把握しておくこと、

職員がつい見落としてしまいがちな状態を見逃さないよう目配り、気配りする必要がある

こと、それに対する職員の対応や反応も把握できるようになることが必要なことがわかっ

た。また、申し送りの伝え方の工夫として、職員に対して直接内容や指示を伝えるだけでな

く、受け手となる職員が自分で考える余地を残しながら伝達するなどのポイントを理解で

きた。

4)その他

デプスインタビューでは「現場では『考える』ことが重要である」ことが、職員から繰り

返し強調された。現場では頻繁に全員で集まることができないため、こうした送り手職員の

思いや意図は、適切に共有され、理解されているわけではない。サービスの質の向上には、

表には現れないこうした思いや意図が共有される必要がある。

現場職員全員が集まれないことが多い中で、少しでも効率的に思いや意図が共有できる仕

組みや、職員の意見などを収集できる効果的なやり方や仕組みづくりについても検討が必

要である。

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(2)事例2

1)申し送りの背景(why)

この事例は、現場でしばしば起こる職員が対応の判断に迷う典型的なものである。職員は、

利用者にできる限り速やかに対応してあげたいが、その思いとは反対に、利用者の拒否や抵

抗があり、なかなか対応できないというケースである。

一般に、こうした場合、職員は速やかに対処をしてあげようとする思いを強く持つ。その

ため、対処する場合、早く済ませてあげようということに気を取られてしまい、利用者の思

いへの配慮が疎かになることがある。それにより利用者の拒否や抵抗がより激しくなって

しまい、対応が余計に進みにくくなってしまう。そのため、職員はしばしば抵抗や拒否があ

ることを仕方ないこととして、素早く処置を済ませてしまおうとしてしまうことがある。こ

の申し送りは、送り手職員がそのような場面を何度か見かけ、それを改善しようとしたため

に記録したものである。

2)申し送りの意図(what)

この申し送りでは、他の職員にやり方の注意を促すとともに、利用者の様子を見て、どの

ように対応すべきかを職員自身で考えさせようとしていた。送り手職員は「本人が嫌な思い

をしないようにしたい」という介護の基本として考えるべき志向を伝え、他にやり方がない

か受け手となる職員に問い、意見を求めた内容になっている。

3)申し送りの工夫(how)

伝え方としては問題提起型の内容であるとともに、送り手職員自身のやり方(「落ち着く

のを待つ」という意図をもって声掛けをしたり時間を変えたりするというコツや工夫)が書

き加えられている。

ここでは、特に「本人が嫌な思いをしないようにしたいと思います」の一文がポイントであ

った。これは、近年の介護業務でもっとも重要な考えである「拒否や抵抗は、利用者さんの

意思の表れ(反応)」という捉え方である。つまり、利用者は単に反射的に拒否や抵抗をし

ているのではなく、それが嫌だという「意思表示」をしていると捉える。この申し送りでは、

申し送り⽂例︓*修正・変更あり

「臥床する時やオムツ交換時にかなり激しく抵抗することがあります。不潔なままでいること

は確かによくないことですが、無理に押さえつけるようにするのも良くないです。悪循環にな

っている恐れがあります。

なので、本⼈が拒否された時は無理せずに時間を置いて再度声を掛けるか、●時が無

理なら▲時には必ず交換するとかなるべく本人が嫌な思いをしないようにしたいと思いま

す。

ただし、そのために朝から晩まで起こしてしまうのは無しです。

意⾒があれば▲▲まで。」

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この点を職員がしっかりと理解できているかを確認しており、そのように考えて取り組む

ようにすることを促している。他の職員がそれを理解できていないまま、利用者に拒否・抵

抗されることをやってしまっているのではないかということを含めて、それらを考えさせ

るために投げかけたものであった。

4)その他

利用者の拒否や抵抗はケアの効率を悪くするだけでなく、実際には、対応する職員自身も

気分が良いものではなく、嫌な思いをすることも少なくない。職員が気持ちよく業務をこな

すためにも、急いでその場の仕事を済ませることに注力してしまうのではなく、冷静に状況

を見極めて利用者を尊重した対応をすることが肝要であり、そうすることがかえって時間

を短くさせ、利用者からの感謝にもつながるのだということが送り手職員から述べられた。

さらには、このようなやりとりでは、最悪な場合、対応された利用者との関係が悪くなり、

それ以降、その利用者は対応した職員と顔を合わせただけでも拒否や抵抗が起こるような

こともしばしばある。そうなると、ケアのすべてができなくなってしまうことにもなりかね

ない。そのようにならないよう、常に冷静に状況を考えて対応しなければいけないというこ

とだった。

2.3.4 デプスインタビュー小括

申し送りには、記録する時間や量の制約があり、記述しきれないことがたくさんある。デ

プスインタビューでは、それら申し送りに記述できない、職員が気づいた利用者の状態や、

申し送りに至る背景などコンテクストに関する様々な情報や知識を引き出すことができた。

そして、申し送りを具体的な事例として取り上げたことで、送り手職員から様々な話を引き

出すことができた。送り手職員からは「(申し送りの確認をせずに)単に話を聞かれただけ

では説明しにくい。抽象的な話になってしまったり、普段よく目につく話や限定的な場面の

話ばかりになってしまう」ということを言われていた。申し送りの内容は、職員が自分で考

えた内容であり、それを聞き取りしているので、通常であれば暗黙化して説明しにくいよう

なことも、送り手職員としては説明しやすくなったようだ。

一方、この方法は、調査者にもメリットがある。まず、聞き取りのポイントを絞り込むの

に非常に有効なことである。調査者にとって、現場の調査では、事前に現場の様子や課題を

把握することが最も困難なことであり、それを知らないと深掘りに至らないことが多いた

め、綿密な準備が必要となる。そして、綿密な準備は、やはり現場を観察したり、現場全体

を見渡せるようなキーパーソンに話を聞くしかないというのが現状である。一方で、この方

法は、現場の様子や現場の生の情報を文章で理解することができるため、現場に負担を掛け

ずに、少し読んだだけでも現場の様子をかなり理解することができる。慣れていない現場だ

ったとしても調査仮説や調査計画の立案がしやすくなり、調査実施が効率的になると考え

られる。

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2.4 現場知の連結化:集団対話(ワークショップ)

2.4.1 目的

デプスインタビューの結果を踏まえ、申し送り内容の分析から抽出された課題をもとに

複数の職員による小ワークショップ(WS)を行った。WS を通して、申し送りに関連して参

加職員同士の具体的な知識の連結を図り、新しい知識の創出を目指す。具体的には、ケア(サ

ービス)の改善、業務の改善、新しいケア(サービス)の提供につながる知識を創出できる

か(つながるか)を検討した。最後に、現場でワークショップによる知識の連結化における

ポイントなどを考察する。

2.4.2 方法

介護現場では、WS を手軽に行うためにたくさんの職員が一度に集まるのが難しい。そこ

で、本研究では、実際に現場でこの方法を実施することを想定して少数の職員で WSを進め

た。施設内各エリアの主任である職員 3名(以降、参加職員と呼ぶ。)が参加し、アイデア

を話し合いながら知識を創出する。実施時間は 60 分程度。「利用者の立場に立ったケア」の

観点に立ち、「利用者の満足を上げ」「職員の非効率や嫌な思いを減らす」ための取り組みに

ついて考えた。議論する素材は、これまでの調査を踏まえ予め特定した深掘り候補の申し送

り 41件の中から、参加職員が数件を選出し、以下の 2課題にまとめて議論した。

1)収集癖がある利用者への対応

2)即時対応が必要なのに、利用者の抵抗・拒否がある場合

ワークショップでは、アウトプットとして各課題について以下の点で整理した。

1)現状の対応や考えのまとめ(as is)

2)解決のために:

・理想や目標となる対応や考えのまとめ(to be)

・実現方法、克服すべき課題(個人、組織、業務、ルールなど)のまとめ(to do)

2.4.3 ワークショップによる「現場知」創出事例

(1)WS 事例1

申し送り⽂例︓以下複数の⽂例を記載する。記述者、記述⽇時はそれぞれ異なる。

・居室の棚にありました。(中略)。本⼈にも説明しました。収集癖もあり、トイレからパッドを大

量に持っていきます。⾞椅⼦にも隠しています。(中略)。⾏動観察お願いします。

・他の入所者の居室に入ったり、箪笥を触ったりなどの⾏動。PC ⼊⼒必ずお願いします。(⾏

動観察対象者になったため)

・⾞椅⼦のポケットに「処置⽤」のハサミ⼊っていました。(以下、略)

・おしぼりなど、持って帰ったり、⾞椅⼦にかけてありますので、注意してください。ほか数件。

*申し送り文章は都合上、若干修正や変更を加えた。

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1)背景

収集癖のある利用者は、自分の所有物でない他者の持ち物を自分の所有物と思い込み、自

分の居室に持っていってしまう。

収集癖がある利用者は認知症があるケースが多い。持っていったものを自分のものだと

強く信じ込んでしまうため、だれかが注意したとしてもそれを理解したり、改めたりするの

が難しい。また、気分が変わりやすく、反応が変わりやすいことがあるため、あるときは職

員が説明することで状況を理解できることもあるが、次の機会にはまったく正反対の態度

に急変してしまうこともしばしばある。

そして、ものに対する強い執着を持つ場合があり、職員が注意すると激しく抵抗してしま

う利用者もいる。特に、大勢の前で注意された場合には、自尊心を傷つけられたという気持

ちになり、より激しい抵抗になることがしばしばある。衆前での激しい抵抗は、周りにいる

他の利用者を萎縮させてしまい、ときに不穏(そわそわ落ち着かない状態になること)にな

る利用者が出てくるなど、他の利用者に良くない影響を与えてしまうため、職員はそうなら

ないよう慎重に対応する必要がある。

また、ハサミや薬などの施設の備品が持ち出される場合は、とくに警戒する必要があり、

ときに、自傷行為や器物破損など危険行為につながることがあるため、現場職員にとっては

絶対に回避したい、何らかの解決策が必要な課題の一つである。

2)現状の対応[as is]

職員は利用者が自分の持ちもの以外のものを持ち出したことを発見した場合、多くの職

員は発見したその場で、その利用者を注意して、持ち出したものをすぐに取り上げてしまう。

そのため、上述したような激しい抵抗を引き起こしてしまうことがよくあり、問題が大きく

なるという事態がしばしば起こっている。

3)目指すべき対応[to be]

参加職員である熟練職員の対応の仕方が参考にされた。熟練職員たちは、収集癖がある利

用者が抵抗や拒否を起こしやすいことを予め想定して、対応をとっている。その対応で一番

重要かつ望ましいことは、収集した利用者を興奮させないことであり、利用者が興奮してし

まっている場合には、とにかく落ち着くのを待ってから対応することであった。そして、落

ち着いた頃を見計らい、あとで利用者が持ち出したものを回収することが有効ということ

であった。その理由としては、収集癖のある利用者は自分の居室までものを持っていき、そ

れを手放し、どこかに置いてしまうと、持ってきたことを意識しなくなり、持ってきたこと

自体を覚えていないことが多い。この特性を利用して、事態を発見したときに、その場です

ぐに利用者に声掛けをしたり、注意したりはせずに、その利用者が自室に戻るなど落ち着い

た頃を見計らい、声を掛けずに回収するのである。その場では注意しないことで、利用者の

自尊心を傷つけず、周囲へのトラブルの波及を食い止めている。利用者の激しい抵抗を引き

起こさせないで済ませ、他の利用者に迷惑をかけることもない。一方で、その場でどうして

も回収する必要がある場合には、相手を尊重し、受容する話し方で声掛けをして、利用者を

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興奮させないように注意して対応する。

また、他にも収集の常習者に対しては、定期的に本人の持ち物をチェックしておき、持ち

出し物がないかをすぐに把握できるようにするなど工夫がなされている。

4)まとめ[to do]

収集癖がある利用者に対して、現場でもっとも気をつけなければいけないのは、本人を傷

つけないこと、興奮させないことである。そうすることで、周りにいる他の利用者に不穏な

どを起こさせず、落ち着いて生活してもらえるようにする。そのためには、収集癖のある利

用者が持ち出し行為を行ったことに気づいた場合、その場では注意しない。自室に戻ってか

ら持ち出したものをそっと回収する。注意をする場合には、落ち着き具合を見計らいながら、

相手を尊重した(受容する)話し方で対応する。常習者の場合には、定期的に持ち物をチェ

ックしておくことで、持ち出し物をスムーズに発見できるようにしておく。

(2)WS 事例2

1)背景

事例 2は「利用者の抵抗・拒否が起こった場合の対応」である。これはデプスインタビュ

ーで送り手職員に聞き取りし、複数の職員を交えて考えるべき課題とされたものであった。

この課題では、まず「利用者を中心に置く」をどう捉えるかが話題に上がった。一般に、

排泄を処理しないままにするのは不衛生であり、利用者にも不快感があるだろうと職員は

考える。そのため、早めに対処してあげることこそが利用者を中心に置いた対応だと考えて

対処するのが通常であると言える。しかしながら、ことはそう単純ではない。実際のところ、

そうした場合に早く対処しようと職員が一生懸命になってしまうと、かえって利用者は抵

抗や拒否を起こしやすくなってしまう。そのため、どのような対応が実際に利用者の立場を

中心に置いたものなのかを判断するのはとても難しい課題であった。

2)現状の対応[as is]

排泄対応でおむつを交換するケースでは、一般に職員 2 人で対応するのが基本的なやり

方である。職員 2人の対応の役割が分けられているとスムーズに対応が進むケースが多い。

例えば、1人が声掛けなどで注意をひき、1人が交換するなどして対応する。しかし、忙し

申し送り⽂例

「臥床する時やオムツ交換時にかなり激しく抵抗することがあります。不潔なままでいること

は確かによくないことですが、無理に押さえつけるようにするのも良くないです。悪循環にな

っている恐れがあります。

なので、本⼈が拒否された時は無理せずに時間を置いて再度声を掛けるか、●時が無

理なら▲時には必ず交換するとかなるべく本人が嫌な思いをしないようにしたいと思いま

す。(以下略)

*申し送り文章は都合上、若干修正や変更を加えた。

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い場合や時間がない場合に、これが徹底されないことがあり、1人でおむつ交換を済ませて

しまおうとする職員がいたり、2人であったとしてもその役割が明確になってないまま対応

してしまっているなどの場合が生じてしまうのである。

一般に、こうした難しい対応については、しばしば経験が浅い職員がしやすい失敗として

考えられることが多い。話し合いの当初、参加職員たちもそれを前提として考えていた。し

かしながら、話が進む中で異なる側面を見いだした。それは、経験が浅い職員が難しい対応

をする場合、ミスを犯す恐れがあるので、自分だけでこなそうとすることはあまりないので

はないかという意見であった。また、経験が浅い職員は、対応のバリエーションが多いわけ

ではないので、基本を忠実にこなそうとする。そのため、1人ではやろうとしないだろうと

いうことであった。一方、熟練職員も同様に無理のない対応を心がけるため、忠実に業務を

こなそうとする。そのため、これらの職員では、このようなケースで大きな問題は引き起こ

されないのではないかという考えに至った。

そこで、こうしたケースで真に注意すべき対象はどのような職員かを絞り込むことにな

った。その中で、ある程度どのような仕事もこなせるようになった中堅の職員がしばしば起

こしやすい問題なのではないかとの仮説が出された。参加職員は自身の経験を話し合う中

で、ある程度経験を積んでくると、自分でなんでもこなせる気になってしまうことがあり、

そうなると、自分なりのやり方で対応しようとしてしまうことがよくあるという意見が出

された。それについては、どの参加職員も同意した。そこで、そのような職員を対象として、

どのように対応すべきかを検討していくことになった。

3)目指すべき対応[to be]

こうしたケースでは、抵抗や拒否を起こさせないのが望ましいということが参加職員の

共通認識であり、なによりも利用者に嫌な思いをさせないようにすることを優先して考え

て対応することが重要であることが確認された。

即座に対応してあげたい場合には、利用者に嫌な思いをさせないよう、まず利用者を尊重

して、相手を受容するような声掛けをして利用者を落ち着かせ、対応するようにする。それ

でもだめな場合には、無理に対応を済ませようとするのではなく、どうしても緊急に対応し

なければいけないときを除き、利用者の状態を見計らい、落ち着くのを待って、時間が経っ

てからあらためて対応するようにする。対応は必ず 2人で行い、1人が利用者の注意を引き、

受容する声掛けをしながら利用者を落ち着かせ、もう 1 人が実際に対応するという 2 人の

役割を明確に分担して対応するようにする。

4)まとめ[to do]

ある程度経験がある職員たちに対しては、自分で何でもできてしまうという思い込みが

生じる恐れがあるので、パートナーといっしょに対応すること、2人の役割を明確に分担し

ながら対応するということを職員全体で理解し、きちんと対応できるよう注意を払うとい

うことでまとめられた。

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2.4.4 ワークショップ小括

申し送り内容を具体的な素材として、小規模なワークショップによって、業務の改善につ

ながる知識の創出ができることが確認された。ワークショップの主な効果は、議論の中で当

該素材のテーマに関連する事例について、現状をしっかりと振り返りながら、問題点とその

重要性を確認し合えること、とくに参加者の認識の粒度を揃えることができることが挙げ

られる。また、各職員は自分が経験したり、聞いたことがある他者が経験した類似事象を想

起したり、各職員の現場でのアイデアやケア(対応)のポイントを自由に出し合いながら、

様々な角度で分析できることが挙げられた。これは意見の多様性が見られたものと考えら

れる。さらに、自分たちでできる改善方策の案を出しながら進められること、すなわち、現

場に適した対策であり、実施できない対策にはならないなどの効果があることも考えられ

た。つまり、職員が共通にもつ認識は再認識され、異なる見解(対応、経験、視点、意見な

ど)の場合には、それが共有されるようになる。それらの意見や知識が一つの場で融合する

ことで新しい知識の創出が図られることになる。互いを触発する関係において、ひと同士の

対話は知識創造に欠かせない要素である。集団での WS は、個人の気づきが他者を触発し、

新たな気づきを生み出しながら知識を創出することにつながる。事例 2 の対象者の絞り込

みに至ったケースはその好例と考えられる。

2.4.5 介護現場で小規模 WS を実践するための示唆

参加した職員からは「様々な経験の職員や様々な職種の職員が一堂に会して、全体でこう

いう話し合いができるともっと良い」という意見が出された。一方で、現実的には介護現場

では、一時に大勢の職員が集まって何かを実施することは難しい。多くの職員が参加し、

様々な意見を出し合い、課題の解決を図りたいとしても実施できないのが現状である。

また、現場では、話し合う課題を絞り込むことも難しい。個人の関心に片寄ってしまった

り、目に見える大きな問題に注意が向きがちになってしまったり、普段気づかない課題や一

見重要ではないと思える課題は見過ごされてしまうことも多い。申し送りには、大事には至

らないが頻発する課題があったり、事故を事前回避させてくれるような情報が様々な形で

残されていることが今回の調査でわかった。また、たとえ少ない人数だとしても、複数で意

見を出し合うと、解決に向かう事案があることも理解できた。

3.考察:現場知の創造と ICT活用の可能性

本研究の目的は、介護現場で SECI モデルを回す中で、効率的な知識創造の仕組み作りを

目指し、その事例を創出することであった。具体的には、介護現場の情報共有ツールである

申し送りを素材として、分析と対話の 2つのフェーズを通して「現場知」の抽出と創出を検

討した。

分析フェーズでは、申し送りを読み込むことで記述された申し送り内容を把握し、業務や

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意味に応じて分類した。各申し送りは 3 つの階層でラベル付けでき、ここではとくに第 2階

層として送り手職員が何を伝えようとしているかの意図(「指示」や「注意」「依頼」など)

が読み取れる申し送りが、「現場知」を抽出したり、「現場知」を創出したりする上で重要に

なることが示唆された。申し送りの約半数がそうした意図を含む可能性があることがわか

った。

対話フェーズでは、上記の分析をもとに現場知の候補を選出し、まずデプスインタビュー

を通して、送り手職員が申し送りに至るコンテクスト、伝え方の工夫など様々な情報が得ら

れることを確認できた。さらに、ワークショップでは、申し送りを具体的な素材として、業

務改善につながる現場の知識創出の事例を作ることができた。ワークショップでは、職員同

士で現場の問題点を共有し、各職員が独自に持つ知識や経験などを出し合いながら、現場で

のアイデアやケア(対応)のポイントを自由に話し合い、様々な角度で分析をしつつ、改善

方策につながる知識が創出されることを確認できた。この一連の手順は、今後より現場にあ

った形で調整、洗練させていく必要はあるものの、介護現場にある日常業務の一環で共有さ

れる情報(申し送り)から「現場知」を抽出、創出できる可能性が示されたことで、介護現

場のサービスの質の向上という課題解消に向けて貢献できるのではないかと考えられる。

現場職員だけで無理なく実施できる手法へと発展させることで、現場にとって有用かつ効

率的なツールになると期待できる。しかし、本研究では、情報の内容の整理・分析(ラベル

付け)やその意味付け、関連付けなどはほとんど手作業で行った。もし ICT を活用してこれ

らの作業をツール化できれば、最終的な目的である現場職員の負担の少ない効率的・効果的

な知識創造モデルを実装できる可能性がある。

この章では、本研究のまとめとして、ICT を活用した介護サービスへの SECI モデルの実

装について考察し、知識創造のための具体的な方法を整理する。最後に、知識創造を中心と

した現場での ICT の包括的な利用の仕組み作りについて提案する。

3.1 ICT を活用した介護サービスへの SECI モデルの実装

SECI モデルの 4 つの知識変換モードと「場」のコンセプトに本研究での各調査フェーズ

を対応させて考察する(図表4)。

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図表4.介護サービス共有情報を用いた SECI モデル

(出所:野中ら(2014)に基づいて富士通総研作成)

① SECI モデルの実装は、まず左上の Socialization(共同化)から始まる。介護の現場

では、職員同士が同じ現場で仕事をする中で、共通の体験を得ることで現場での知識を

得たり、知識を伝えあったりしている。しかし、この段階では、知識はまだ暗黙知であ

り、誰もが実践できるような知識とはなりえてはいない。介護の現場では、その場その

時の状況に合わせた業務が求められることが多いが、ルーティンな業務も多く、ときに

熟練度が低い職員は、他職員の指示のまま対応してしまっていることも少なくはない。

共通の体験をすることだけでなく、一歩進めて、熟練職員のアイデアや経験を形式知と

して、すべての職員で共有し、より高質なサービスを提供できるようにしていく作業が

必要となる。

② 今回の試みでは、申し送りの記述が、共有された暗黙知を形式知化するための

Externalization(表出化)の第一歩となると考えられる。さらに、対話フェーズにお

けるデプスインタビューでは、表出化された情報(申し送り内容)について具体事例を

深掘りして聞き取ることで、知識や申し送りをした背景や個人が持つコツなども抽出

することができ、職員が持つ暗黙知を具体的な形式知にしていくことを確認できた。そ

の際、重要になるのは形式知化すべき情報の候補を申し送りの中から選出する作業で

ある。申し送りは日々更新され、数も多くなり、内容は多岐にわたる。現場の忙しい業

務の中では、その内容を効率的、効果的に分類することが必要となる。本研究では、分

類を人手で行なったが、ここを今後 ICTに任せ、効率化していく必要がある。それによ

って、共同化から表出化の橋渡しが、負担なく、スムーズに行えるようになると考える。

③ Combination(連結化)については、複数の職員が参加する小ワークショップを行うこ

とで、新たな知識の創出を行ったことが当たる。申し送り内容が議論の素材となり、各

自が持つ知識や経験を互いに表出し合うことで、それらの知識やアイデアが連結され、

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課題解決のための方策へとまとめられていった。

④ Internalization(内面化)では、ここで創出された知識を、職員たちが実践で活用し

ていくことになる。実践がさらなる新しい気づきを生み、職員個々の暗黙知を作り出す。

新しい知識を得た職員は、その視点から新たな気づきを得ることになり、申し送りとし

て情報が共有される。上記と同様のプロセスを経ることで、さらに、このループがスパ

イラルアップを産み出していくことになると考えられる。

この知識創造のプロセスには、ひとの関与は欠かせない。その一方で、介護現場でひとだ

けでこのプロセスを回すとすれば、現場にとっては大きな負担となる。介護現場では、先述

の通り、ひとや時間の制約上、このプロセスを回すことは容易ではない。

そこで、その課題を克服するには、ICT を投入することが不可欠だと考える。介護現場

の共有情報は、ICT 化が進みつつあり、それをうまく活用すべきと考える。本研究で行った

人手による分類は、今後 AI の技術を取り込むことで自動化できるようになるだろう。その

際には、今回の分類が機械学習の教師データとして活用できる。

また、本研究では詳しく検討していないが、聞き取りのプロトコルも合わせて検討してい

くことで、形式知化するための質問を作り出すことも可能になると考えている。プロトコル

化ができれば、ICT による課題の絞り込みと、質問も可能になる可能性がある。

聞き取りでは、一般に、その手順の中で、その場に応じて質問事項を作り出していく必要

があるように思われるかもしれない。しかしながら、実際の質問では、よほど特殊な事情が

ない限り、特別で深く切り込んだ質問が繰り出せるわけではない。質問事項は、ある程度定

型的で、典型的なものとならざるを得ないというのが実感である。

また、今回聞き取りした職員の方々は、調査者の端的な質問に対して適切かつより深掘り

した回答を自らの考えでされていた。適度な質問ができれば、十分に深掘りできるもと考え

られる。そのため、ICT による質問も不可能ではないように思われる。ICT だけでは十分に

深掘りできない場合には、その項目について、さらにひとが深掘りをするという対応ができ

るようになると良いだろう。図表上半分の表出化のプロセスまで、ICT が活用できるように

なると、この手順の効率化が進み、業務効率化および業務の質を高める知識の抽出や知識の

創出をより円滑に進めることができるようになることが期待できる。

一方で、連結化では、ひとがその創造性や感性(判断力)を存分に発揮させる必要がある。

ICT に申し送り内容の分析や整理を担当させ、ひとが考えるための高質な素材の提案ができ

るようになることで、現場の職員がその創造性や感性を発揮し、良いサービス(ケア)を創

出できることにつなげられる。介護職員には、この活動が、新たな仕事に対するやりがいを

生むことにつながる。つまり、仕事の負担を改善、サービスの高質化と同時に、職員たちに

とって、これまでの業務とは異なる新しい能力を発揮し、新たなやり甲斐につながる仕組み

になっていくと期待できる。また、将来的には、同じ場所に一堂に会することが難しい現場

の職員にとっては、アイデアを収集し、共有するためのコミュニケーションツールとして

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ICTを有効に活用できるようになると良いと考える。

3.2 介護現場での知識創造の手順と ICT 活用に向けた課題

現場において、本研究で行った知識創造のプロセスを効率的に進めるために、どのような

情報を職員に聞き取りし、どのように内容を現場知として整理すればよいか手順をまとめ、

ICTの活用に向けた可能性を検討する。

図表5は、本研究で実践した現場知創出のプロセスを概念化したものである。データ分析

のフェーズは、まず職員が申し送りシステムに、申し送り事項を入力することでデータが蓄

積されることから始まる。そのデータを分析する段階が、①の読み込みであり、②の分類へ

と進む。分類された情報を形式知へと変換するための対話フェーズを設定し、個別職員の知

識を抽出するためのデプスインタビューを行う。そして、複数の職員が集まり互いの知識や

経験を表出し、連携することで、効率的に新たな知識を創出するためにワークショップを行

う。

図表5.介護サービスにおける「現場知」創出プロセス概念図

(出所:富士通総研作成)

現場知抽出と創出のために必要な具体的な手順を簡略化して、以下のポイントとしてま

とめる。

① 申し送りの記述者(送り手職員)を同定し、どのようなケースの申し送りかを明確にす

る。ひと、とき、場などコンテクスト、条件を明らかにする。

② 多くの職員が現状において、当該の申し送り事項に対してどのように対応しているかを

明らかにし、現状の対応の良いところ、悪いところを挙げる。

③ 申し送りの内容は、だれが、なにに、なぜ困るのか?を明確にする。

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利用者や家族に対する問題か、職員に対する問題か、その理由を含めて考える。

④ 問題に対する理想的な対応はなにかを考える。

既存のルールや方法で対応できないか、新たな方法をするには何が必要かを考える。

⑤ 最後に、理想の対応を実現する方策には何が必要か(条件、方法、道具、環境、ひとな

ど)を考える。可能であれば、持続的にそれらが実施されるようになるための方法を考

える。

この方法を現場で自立的に回せるようにするためには、現場職員にとって、図表5の①デ

ータの読み込みと②データの分類が難しいため負担となる。この点については、先述の通り

システムが人工知能を介して知識化されるところまで進むと、その負担が大幅に軽減され

ることになる。しかし、現状すぐにはそれらを活用することはできない。そこで、当面の「現

場知」創出に関わる分析や分類を ICT で行うとすれば、テキストマイニングの活用を考えた

い。介護を対象としたものではないが、ICT と知識創造については松井ら(2006)が、ICT

を活用した分析手法の提案知識創造のためのテキストマイニングを用いて分析している。

内容は、マーケティングにつながるクチコミなどの分析ではあるが、SECI モデルを回した

テキストマイニング手法として参考にすべき点がある。

そこで、ここでは業務個別×意図の申し送り 1,081 件のデータを用いてテキストマイニ

ングの共起語分析を用いて確かめてみた。しかし、鍵となると考えられる第 2 階層の分類

は、特定することが難しかった。通常のテキストマイニングでは、ある意図を示す言葉の判

定がうまくいかないことが多い。文章全体の理解となると、まだ技術的な課題も多いためと

考えられる。有効なやり方を検討する必要がある。一方、第 3 階層の業務内容の種別につい

ては、上位数項目に当てはまる、まとまりにできる可能性があることが示唆された(図表6)。

ICT を使った分析において、細かな情報が抽出されるようになるには、様々角度からの分析

をいくつか組み合わせることが必要になると思われるが、データの件数が増えることでそ

の精度が上がることも期待できる。分類の精度向上については、機械学習などを用い、指針

となる教師データを作成し、検討していきたい。これをすばやく発展させていくには、この

技術分野に高い専門性を持つ技術者などとのコラボレーションが必要となる。

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図表6.申し送り内容のテキストマイニング(共起語分析)

(出所:富士通総研作成)

3.3 ICT 機器の活用を超えた包括的な業務システム構築へ

本研究では、デプスインタビューを進める中で、介護現場での ICT利用の期待と課題など

も深掘りできた。調査した施設では、ICTの申し送りシステムが導入されたことで、場所や

時間を選ばずに情報を確認できるようになったことや、これまでの手書きと比べて、書きム

ラがなくなったことで申し送りが見やすくなったことなどの効果が見られ、それによって

情報伝達が円滑になった、また、職種間の連携も促されたなどより大きな効果につながって

いることがわかった。

しかしながら、当施設では職員の多くが ICT 機器の導入・利用には大きな抵抗がない一

方、課題としてシステム導入から数年経った現在でもシステムを利用できない職員が依然

としていることがわかった。機器の使用が苦手な職員にとっては、いかにシステムの操作性

を上げたとしても、それを利用するモチベーションを上げることは難しい。一般の介護施設

でも、この傾向はあまり変わらないと推測できる。この課題は、現場においては大きな問題

となる可能性がある。職員が持つ情報にばらつきが出る恐れがあるためである。情報共有は、

どの職員も同じ情報を持ち、サービス(ケア)の均質性を担保するために行われる業務であ

る。システムを用いた情報共有では、システムが使えないひとがいれば、そのひとは情報を

伝えることも、情報を取得することもできなくなってしまう。そのため、システムを利用で

きる職員のみが情報や知識を持つという偏りが生じ、サービスの質を担保したり、向上させ

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たりするよりも、むしろ悪化させてしまうことにつながりかねない。システムの開発や導入

においては、開発者側がシステム(インタフェース)の開発や改善に注力してしまいがちに

なることがしばしばある。しかし、介護の現場では、ひとを含んだ全体のシステム(系)と

して仕組みづくりを進める必要があることを強く主張したい。

一方で、この問題の解決の一つの手がかりをデプスインタビューの中で見いだすことが

できた。申し送りでは、伝達すべき情報に遭遇したとしても、遭遇した職員(特に経験が浅

い職員の場合)が、申し送りすべきかどうか判断に迷うことがしばしばある。そうした場合、

熟練職員に一度相談を持ちかけることが多い。熟練職員が一度その状況を確認してから、本

人または確認した熟練職員が申し送りとして記録を残す。つまり、送り手(記録者)は必ず

しも状況の発見者でなくても良いのである。現場にとっては、だれかが気づいた重要な情報

が、伝達されないことの方が、重大な損失につながる可能性がある問題だと言える。

このことから、システムが利用できない職員に対しては、システムを操作できるように促

していくことも必要だが、その他に別の手段として情報を残すことができるような仕組み

を作ることが肝要であると考える。例えば、熟練者への相談の例のように、システムが使え

なければ、システムを使える職員に、自分が気づいた情報を伝え、システムに記録してもら

ったり、また、情報を入手する際もシステムを使える人が申し送り内容を確認するときに一

緒に確認したりする。システムそのものだけでなく、情報共有のやり方そのものを検討する

必要がある。

介護現場の SECI モデルに当てはめると、ある職員が ICT システムを使えないとしても、

その職員はシステム場で貢献することが可能である。上記の申し送り時に相談するという

事例は、その可能性を示唆する有用な知見と言える。現場で行われていることの中に有効に

活用できる方法はたくさんある。そうしたものを参考にしながら、現場に負担のかからない

やり方として、全体のシステム(系)を構築していく必要があるだろう。

4.まとめ

本研究では、申し送りを活用することで、「現場知」を抽出・創出できることを確認した。

申し送りには、ケアや業務の改善に寄与する知識につながる情報が多数含まれていること

が示唆された。「現場知」を抽出、創出するには、まず具体的な申し送り内容を分類し、そ

の中から指示や注意、情報提供などの「意図や目的」を含む申し送りを同定すること、それ

が現場知候補となり、その申し送りをもとに職員と対話するといった手順が必要となる。具

体的には、個別のデプスインタビューや少数でのワークショップを行うことで「現場知」を

抽出したり、創出したりすることができた。

介護サービスでは記録を残すために ICT の導入が進みつつある。その一方で、記録された

情報を整理・分析するためには ICT はほとんど活用されていない。今回の整理・分析もほと

んど手作業で行った。しかし、今回の分析結果を活用した ICTツールを開発することができ

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れば、介護業務の知的側面を支援することが期待される。介護業務は現場で考えることが必

要とされる知的作業であり、利用者の満足や職員の満足や効率性を生み出すための創造性

が必要な業務である。ICT の活用により、ひとがそれらを発揮できるようになることが期待

できる。本研究を通じて、介護サービスにおける ICT の活用の可能性を広げていくととも

に、介護サービス自体の可能性を広げていくことにつなげていきたいと考えている。

本研究の今後の課題としては、分析を効率化するため、ICT を活用して自動化できるよ

うな取り組みにつなげる必要がある。本研究では、現場知活用ループ(SECI モデルの一周)

において、実際に、この手法を用いて創出された現場知を現場に適用し、その効果を調べる

までには至っていない。実践での検証が必要であり、その有効性を示したい。さらに、施設

内の課題にとどまらない、より大きな枠組みの課題(たとえば、介護人材の増加を実現する

こと、地域包括ケアの中でシステムを有効に活用することを検討する、など)に対して、こ

の方法を実践的に活用し、介護サービスにおける大きな課題解消にどのように寄与してい

くについても今後検討、検証していきたい。

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謝辞

本研究にご協力いただきました社会医療法人財団董仙会ならびに介護老人保健施設和光

苑のみなさまに御礼申し上げます。また、産業技術総合研究所人工知能研究センター西村拓

一氏、福田賢一郎氏には、調査同行や議論など種々ご協力いただきました。併せて、御礼申

し上げます。

参考文献

(公財)介護労働安定センター編(2013)「平成 23年度介護労働実態調査結果について」

松井くにお・渡部勇・内野寛治(2006)「ナレッジマネジメントにおけるテキストマイニン

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三輪洋靖・渡辺健太郎・福原知宏・中島正人・西村拓一(2015)「介護プロセスの計測と記述」

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中島正人・福原知宏・三輪洋靖・西村拓一(2012)「介護サービスにおける申し送り支援シス

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中島正人・福原知宏・西村拓一・赤松幹之(2013)「モバイル端末を用いた介護施設における

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矢口隆明・岩田彰・白石善明・伊藤孝行・横山淳一(2009)「チームケアの知識流通支援シ

ステムの開発と評価—在宅ケアサービス記録の電子的共有に基づく情報連携—」『医

療情報学』29(2),pp.63-73

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研究レポート一覧

No.464 介護サービスにおける「現場知」の創出 -情報共有データを活用した知識創造-

中島 正人(2018年12月)

No.463 構造改革の一環としての口座維持手数料導入の可能性 岡 宏(2018年10月)

No.462 ネットは社会を分断するのか -パネルデータからの考察-

田中 辰雄浜屋 敏

(2018年8月)

No.461 デジタル社会に適応困難な貧困者の問題 -貧困者のITリテラシー問題と世代別対策-

大平 剛史 (2018年7月)

No.460 価値創造のための企業価値評価のあり方 -ESG対応から戦略的活用へ-

生田 孝史 (2018年6月)

No.459 共生ケアの効果と新たな価値 -変化する自立支援の意味と介護サービス-

森田麻記子 (2018年6月)

No.458 地域社会に創発されるレジリエントな組織と知恵 上田 遼 (2018年5月)

No.457 パリ協定離脱を決めた米国の排出削減の行方 -新たな原動力となるビジネス機会の追求-

加藤 望 (2018年5月)

No.456 温室効果ガス削減80%時代の再生可能エネルギーおよび 系統蓄電の役割:系統を考慮したエネルギー技術モデルでの分析

濱崎 博 (2018年4月)

No.455 IoT時代で活発化する中国のベンチャー活動は持続可能か 金 堅敏 (2018年4月)

No.454 地域密着型金融の課題とキャッシュフローレンディングの可能性

岡 宏 (2018年4月)

No.453 サステナブルでレジリエントな企業経営と情報開示 生田 孝史藤本 健

(2018年1月)

No.452 シビックテックに関する研究 -ITで強化された市民と行政との関係性について-

榎並 利博 (2018年1月)

No.451 移住者呼び込みの方策 -自治体による人材の選抜- 米山 秀隆 (2018年1月)

No.450 木質バイオマスエネルギーの地産地消における 課題と展望 -遠野地域の取り組みを通じて-

渡邉 優子(2017年12月)

No.449 観光を活用した地域産業活性化 :成功要因と将来の可能性

大平 剛史(2017年12月)

No.448 結びつくことの予期せざる罠 -ネットは世論を分断するのか?-

田中 辰雄浜屋 敏

(2017年10月)

No.447 地域における消費、投資活性化の方策 -地域通貨と新たなファンディング手法の活用-

米山 秀隆 (2017年8月)

http://www.fujitsu.com/jp/group/fri/report/research/

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