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『建築雑誌』編集長日誌 布野修司 2002 10 みんな忙しい 座談、対談の日程がセットできない! 2002 10 1 大阪大学の小浦久子先生来室。ムンバイの調査を行うに当たっての相談。修士 の重富君を指導するために一度行ってきたいということ。実に熱心で頭が下がる。 ムンバイについては、チョール(設備共用賃貸集合住宅)について、千葉大の安 藤 研 究 室 と 一 緒 に 少 し 調 査 を し た こ と が あ り( 10 28 日参照)、棲み分けも考え て、いくつか一緒に以下のようなテーマを議論する。 1)植民都市の街区構造の変容 19Cの図面と現状(現地)の比較(形態変化など)が可能 この場合、市街地の変化や土地利用の変化、歴史的視点などから、 どの地区を選ぶかが課題か 2)地域資源のインベントリー ・建築的価値とは別に、歴史、都市構造、地域社会において 意味のある場所・空間・施設など、地域を読み解くうえで、 地域の記憶のうえでキーになる資源のインベントリー ・ガーデンハウスなど、日本の登録文化財的な建築・空間ストックのインベ ントリー 事前の文献調査とテーマ設定が課題か 3)都市課題と都市計画史-住宅問題 improvement trust ・住宅改善の歴史と現在のスクウォッターを都市計画・都市構造レベルで 情報収集、図面入手の可能性 2002 10 2 11 月号「都市の行方」のための磯崎新インタビュー。北澤先生、中島助手、片 寄さんと乃木坂のアトリエへ。久しぶりで懐かしい。アトリエは分社化というこ とで、すっかり様子が変わっていたけれど、磯崎さん自身は少しも変わった雰囲 気がない。前にもまして忙しそうで、なんだかうれしい。かえって、こちらが歳 を感じさせられた次第。 インタビューは、北澤先生にお任せだったけれど、相変わらずの説明に、つい 口を出した。「日本の都市デザイン」以降の「見えない都市論」「プロセスプラン ニング論」は基本的には揺らいではいない。しかし、「都市からの撤退」と「海市」 計画が結びつかないのである。 伊藤滋 vs 磯崎新対談を是非実現させたかったけれど、超多忙の二人のスケジュ ールを合わせることができなかった。それぞれ、話の端々に様々なヒントを得る ことが出来たことで収穫としたい。 キーワードは、 「ひ」(霊) であった 「ひ」:本来、霊力、神霊を表す和語。可視化されない魂、スピリットを意味する。 日本の都市空間には、そんな不可視の「ひ」が充満している。私には、都市のなか

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『建築雑誌』編集長日誌

布野修司

2002 年 10 月

みんな忙しい

座談、対談の日程がセットできない!

2002 年 10 月 1 日

大 阪 大 学 の 小 浦 久 子 先 生 来 室 。 ム ン バ イ の 調 査 を 行 う に 当 た っ て の 相 談 。 修 士

の 重 富 君 を 指 導 す る た め に 一 度 行 っ て き た い と い う こ と 。実 に 熱 心 で 頭 が 下 が る 。

ム ン バ イ に つ い て は 、 チ ョ ー ル ( 設 備 共 用 賃 貸 集 合 住 宅 ) に つ い て 、 千 葉 大 の 安

藤 研 究 室 と 一 緒 に 少 し 調 査 を し た こ と が あ り( 10 月 28 日 参 照 )、棲 み 分 け も 考 え

て 、 い く つ か 一 緒 に 以 下 の よ う な テ ー マ を 議 論 す る 。 1 ) 植 民 都 市 の 街 区 構 造 の 変 容 1 9 C の 図 面 と 現 状 ( 現 地 ) の 比 較 ( 形 態 変 化 な ど ) が 可 能 こ の 場 合 、 市 街 地 の 変 化 や 土 地 利 用 の 変 化 、 歴 史 的 視 点 な ど か ら 、 ど の 地 区 を 選 ぶ か が 課 題 か 2 ) 地 域 資 源 の イ ン ベ ン ト リ ー ・ 建 築 的 価 値 と は 別 に 、 歴 史 、 都 市 構 造 、 地 域 社 会 に お い て 意 味 の あ る 場 所 ・ 空 間 ・ 施 設 な ど 、 地 域 を 読 み 解 く う え で 、 地 域 の 記 憶 の う え で キ ー に な る 資 源 の イ ン ベ ン ト リ ー ・ ガ ー デ ン ハ ウ ス な ど 、 日 本 の 登 録 文 化 財 的 な 建 築 ・ 空 間 ス ト ッ ク の イ ン ベ

ン ト リ ー 事 前 の 文 献 調 査 と テ ー マ 設 定 が 課 題 か 3 ) 都 市 課 題 と 都 市 計 画 史 - 住 宅 問 題 ・ improvement t rust? ・ 住 宅 改 善 の 歴 史 と 現 在 の ス ク ウ ォ ッ タ ー を 都 市 計 画 ・ 都 市 構 造 レ ベ ル で 情 報 収 集 、 図 面 入 手 の 可 能 性

2002 年 10 月 2 日 11 月 号「 都 市 の 行 方 」の た め の 磯 崎 新 イ ン タ ビ ュ ー 。北 澤 先 生 、中 島 助 手 、片

寄 さ ん と 乃 木 坂 の ア ト リ エ へ 。 久 し ぶ り で 懐 か し い 。 ア ト リ エ は 分 社 化 と い う こ

と で 、 す っ か り 様 子 が 変 わ っ て い た け れ ど 、 磯 崎 さ ん 自 身 は 少 し も 変 わ っ た 雰 囲

気 が な い 。 前 に も ま し て 忙 し そ う で 、 な ん だ か う れ し い 。 か え っ て 、 こ ち ら が 歳

を 感 じ さ せ ら れ た 次 第 。 イ ン タ ビ ュ ー は 、 北 澤 先 生 に お 任 せ だ っ た け れ ど 、 相 変 わ ら ず の 説 明 に 、 つ い

口 を 出 し た 。「 日 本 の 都 市 デ ザ イ ン 」 以 降 の 「 見 え な い 都 市 論 」「 プ ロ セ ス プ ラ ン

ニ ン グ 論 」は 基 本 的 に は 揺 ら い で は い な い 。し か し 、「 都 市 か ら の 撤 退 」と「 海 市 」

計 画 が 結 び つ か な い の で あ る 。 伊 藤 滋 vs 磯 崎 新 対 談 を 是 非 実 現 さ せ た か っ た け れ ど 、超 多 忙 の 二 人 の ス ケ ジ ュ

ー ル を 合 わ せ る こ と が で き な か っ た 。 そ れ ぞ れ 、 話 の 端 々 に 様 々 な ヒ ン ト を 得 る

こ と が 出 来 た こ と で 収 穫 と し た い 。

キ ー ワ ー ド は 、 「ひ」(霊)であった。

「 ひ 」:本 来 、霊 力 、神 霊 を 表 す 和 語 。可 視 化 さ れ な い 魂 、ス ピ リ ッ ト を 意 味 す る 。

日 本 の 都 市 空 間 に は 、 そ ん な 不 可 視 の 「 ひ 」 が 充 満 し て い る 。 私 に は 、 都 市 の な か

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の 人 間 や 、 人 間 の 動 き 、 さ ら に は よ り 大 き な 意 味 で の 都 市 の 生 活 、 そ う い う レ ベ ル

の 問 題 を 取 り 出 す べ き で は な い か と い う 問 題 意 識 が あ る 。 そ れ は 方 法 論 と い う よ り

も イ メ ー ジ に 偏 っ て い る 部 分 で あ り 、 1960 年 代 以 降 、設 計 と パ ラ レ ル に 考 え て き た

問 題 で あ る 。( 磯 崎 新 ) 磯 崎 都 市 計 画 の 普 通 の 見 方 で は 、 ま ず コ ン セ プ ト と し て 決 定 的 な 未 来 、 理 想

的 な プ ラ ン が 目 標 と し て あ っ て 、 そ れ に 向 か っ て い く の が も と も と の 発 想 で す 。

そ の と き 、 本 当 に 目 標 は あ る の か 、 目 標 は 常 に 消 え て し ま う ん じ ゃ な い か 。 都 市 計 画 に 何 か ア ク シ ョ ン が あ る と 、全 体 の 像 が 常 に ゆ ら め い て 消 え て し ま い 、

そ の 目 標 と し て の 像 が ぼ や け て く る 。 だ か ら 、 ま た つ く り 直 さ な い と い け な く な

る 。 た え ま な い 修 正 が な さ れ て い く う ち に 、 像 は 消 え て い る わ け で す 。 し か し 、

全 体 を 仮 定 せ ず 、 全 体 を 信 じ ず 、 部 分 を 積 み 重 ね れ ば 都 市 が で き る と も 思 い ま せ

ん 。 む し ろ 、 そ の 仮 定 を こ そ つ か ま え る べ き で あ っ て 、 仮 定 自 身 そ れ が 未 来 で も

あ り 現 在 で も あ る よ う な 状 態 に 持 ち こ む 必 要 が あ る の で は な い か 。 そ う す る と 、

計 画 と は プ ロ セ ス に な る の で は な い か 、 と 考 え ら れ ま す 。 僕 が “ 都 市 デ ザ イ ナ ー ” と い っ た 理 由 の 一 つ は 、 現 実 の 都 市 に 対 し て 、 空 想 で

も 、夢 で も 、実 現 不 可 能 で も い い け れ ど 、“ 構 想 ”を 絵 に 描 く こ と が 重 要 だ と 思 っ

た か ら で す 。 絵 が あ る と 、 応 答 が 始 ま り 、 あ ら た め て 問 題 を 生 み だ し て い く 。 リ

ア ル と バ ー チ ャ ル が 重 な っ て 、 バ ー チ ャ ル が リ ア ル に 影 響 す る 。 そ の 影 響 の 仕 方

を 予 測 し て バ ー チ ャ ル を 組 み 立 て る こ と が 構 想 だ し 、 デ ザ イ ナ ー の 役 割 で は な い

か と 思 う の で す 。 1960 年 代 を 通 じ て 、さ っ き“ 都 市 の 構 想 ”と お っ し ゃ っ た 部 分 を 、僕 は 計 画 批

判 と し て や っ て き た つ も り で す 。 プ ロ セ ス プ ラ ン ニ ン グ と は 、 計 画 と い う フ ィ ッ

ク ス し た 概 念 で は な く 、 そ れ を 仮 定 と い う 概 念 に 置 き 換 え て し ま え 。 そ う い う い

い 方 で も あ っ た わ け で 、「 見 え な い 都 市 」は 計 画 批 判 と し て 見 て も ら っ た ほ う が い

い 。 計 画 な ん て も う な い 。 ま っ た く 切 り 離 れ た 空 想 的 、 あ る い は 構 想 的 と い っ て

も い い ん で す が 、 そ れ を 当 時 は 「 虚 体 」 と よ ん で い ま し た 。 し か し 当 時 の 社 会 は 、 建 築 家 は 夢 の よ う な 絵 を 描 い て 、 単 な る お 遊 び だ 。 リ ア

リ テ ィ が な い で は な い か 、 と 批 判 さ れ ま し た 。 同 じ こ と を 僕 は 都 庁 舎 の コ ン ペ で

体 験 し た わ け で す が 、 依 然 と し て そ う な の で す 。 い ま 、 時 代 の サ イ ク ル が そ こ に

戻 り つ つ あ る の で は な い か 。 そ し て 、 そ の 虚 体 を も う 一 度 回 復 し よ う と い う こ と

を 、 最 近 は 「 ひ 」( 霊 ) と よ ん で い ま す 。

2002 年 10 月 3 日 第 16 回 編 集 委 員 会 。 議 題 は 以 下 の 通 り 。

1 .前 回 議 論 の 確 認 … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … …( 資 料 1 )

2 .特 集 企 画 に つ い て … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … …( 資 料 2 )

○ 進 行 状 況 の 確 認

・ 1 月 号 「 公 共 建 築 の 設 計 者 選 定 」

→ 会 長 か ら の 要 請 ( 4 学 会 共 同 編 集 ) に つ い て

・2 月 号「 ア ジ ア の な か の 日 本 建 築 」… … … … … …( 資 料 3 -1 )( 資 料 3 -2 )

・ 3 月 号 「 巨 大 地 震 を 前 に し て 」

○ 企 画 案 の 審 議

・ 4 月 号 ( 建 築 デ ザ イ ン の 新 展 開 ? )

・ 5 月 号 「 環 境 で 格 付 け さ れ る 建 築 主 と 設 計 」

○ 新 企 画 の 審 議

・「 建 築 計 画 学 の リ ・ ス ト ラ ク チ ャ リ ン グ 」

・ 「 建 築 コ ス ト と 市 場 - バ ブ ル 崩 壊 後 の 展 開 と 将 来 」

3 .連 載 に つ い て … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … …( 資 料 4 )

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・ 3 月 号 ま で の 執 筆 者 確 定

・「 建 築 博 物 館 が 欲 し い 」 に つ い て

・「 地 域 の 眼 」 に つ い て

4 . 検 討 事 項

・ 刊 行 ス ケ ジ ュ ー ル に つ い て … … … … … … … … … … … … … … … … ( 資 料 5 )

・ 投 稿 に つ い て … … … … … … … … … … … … … … … … … ( 資 料 6 -1)( 6 -2 )

1) 古 市 徹 雄 氏 ( 古 市 徹 雄 都 市 建 築 研 究 所 代 表 ) よ り 「 公 開 提 案 書 」

2) 川 端 俊 一 郎 氏 か ら の 投 稿 ( 北 海 学 園 大 学 教 授 、 62歳 、 会 員 )

「 中 国 の 木 造 建 築 を 訪 ね て 」

古 谷 幹 事 が 欠 席 で 4 月 号 の 議 論 が 出 来 な い の が 痛 か っ た 。 古 市 氏 の 「 公 開 提 案

書 」 は 、 学 会 賞 審 査 を も っ と 公 開 せ よ 、 建 築 雑 誌 は も っ と 作 品 の 評 価 を 扱 え 、 と

い う 内 容 。 学 会 賞 作 品 賞 委 員 会 に つ い て は 基 本 的 に 公 開 の ル ー ル が 設 定 さ れ て い

る 。 編 集 長 と し て 答 え た い こ と は 多 い が 、 表 彰 委 員 会 、 学 会 賞 委 員 会 の 対 応 を 待

た な い と 公 表 で き な い 。 そ の 回 答 を ま っ て 、 い ず れ 、 こ こ で も コ メ ン ト し た い 。

2002 年 10 月 4 日 後 期 授 業「 世 界 建 築 史 Ⅱ 」開 始 。教 科 書 と し て 書 い た『 ア ジ ア 都 市 建 築 史 』( 昭

和 堂 ) 間 に 合 わ ず 。 も う 少 し 作 業 が 残 っ て い る 。 プ ロ グ ラ ム は 以 下 の 通 り 。 予 定

通 り に 行 っ た た め し は な い の で あ る が 。 今 期 の 終 わ り ま で に 出 版 で き れ ば い い の

だ が 。

世界建築史Ⅱ2 0 0 2 年 度 SCHEDULE 布 野 修 司

金 曜 日 8:45~ 10:15 建 3

0 . オ リ エ ン テ ー シ ョ ン 1 0 月 4 日

Ⅰ . 東 洋 建 築 史 学 史

● レ ポ ー ト 課 題 I 出 題

Ⅱ . 伊 東 忠 太 と 東 洋 建 築 1 0 月 1 1 日

Ⅲ . 村 田 治 郎 と 東 洋 建 築 1 0 月 1 8 日

Ⅳ . 「 支 那 建 築 史 」・ ・ ・ 中 国 建 築 史 001 1 0 月 2 5 日

Ⅴ . 中 国 都 城 の 起 源 と 発 展 ・ ・ ・ 中 国 建 築 史 002 1 1 月 1 日

中 国 仏 教 建 築 の 系 譜 ・ ・ ・ 中 国 建 築 史 003

Ⅵ . 韓 国 建 築 史 1 1 月 8 日

Ⅶ . イ ン ド 建 築 史 Ⅰ 1 1 月 1 5 日

● レ ポ ー ト 課 題 Ⅰ 提 出

● レ ポ ー ト 課 題 Ⅱ 出 題

Ⅷ . イ ン ド 建 築 史 Ⅱ 1 1 月 2 2 日

Ⅸ . イ ス ラ ー ム 建 築 史 Ⅰ 1 1 月 2 9 日

Ⅹ . イ ス ラ ー ム 建 築 史 Ⅱ 1 2 月 6 日

Ⅹ Ⅰ 東 南 ア ジ ア 建 築 史 Ⅰ 1 2 月 1 3 日

Ⅹ Ⅱ 東 南 ア ジ ア 建 築 史 Ⅱ 1 2 月 2 0 日

Ⅹ Ⅲ 植 民 地 建 築 1 月 1 0 日

● レ ポ ー ト 課 題 Ⅱ 提 出

X Ⅳ 試 験 1 月 1 7 日 2002 年 10 月 6 日

S S F( サ イ ト・ ス ペ シ ャ ル ズ・フ ォ ー ラ ム )「 谷 中 五 重 塔 シ ン ポ ジ ウ ム = 職 人

技 と 都 市 文 化 の 再 生 = 」( 14: 00~ 17: 00( 13: 00開 場 ) 場 所 : 東 京 藝 術 大 学 美

術 学 部 中 央 棟 第 一 講 義 室 ) の た め に 上 京 。 久 し ぶ り の 東 京 芸 術 大 学 で あ っ た 。

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主 旨 に「 か つ て「 谷 中 五 重 塔 」は 、上 野 - 谷 中 の 歴 史 と も の づ く り の 伝 統 が 、脈 々

と 受 け 継 が れ て い る 地 域 の 風 景 的 な シ ン ボ ル と し て 存 在 し て お り ま し た 。 今 回 の

企 画 は 、「 谷 中 五 重 塔 」 復 元 の 第 一 段 階 と し て 、「 谷 中 五 重 塔 」 の 図 面 を 元 に 建 築

技 術 、 職 人 技 や 都 市 文 化 の 再 生 な ど に つ い て 幅 広 い 意 見 交 換 を し た い と 考 え て お

り ま す 。 今 回 、「 谷 中 五 重 塔 」 を 再 考 す る こ と で 、 江 戸 - 東 京 の 360年 も の 遍 歴 を

辿 り 、戦 後 、急 激 な 都 市 化 の 荒 波 の 中 で 様 々 な 職 人 技 、木 造 建 設 技 術 、伝 統 文 化 、

ま ち の 風 景 も 加 速 度 的 に 失 わ れ つ つ あ る 、 こ の 現 実 に 対 し 、 21世 紀 の 新 た な 価 値

観 の 方 向 を 探 り た い と 考 え ま し た 。」 と 唱 う 。 パ ネ リ ス ト は 以 下 の 通 り 。 司 会 : 安 藤 正 雄 ( S S F 理 事 長 )

手 嶋 尚 人 ( 谷 中 学 校 )「 五 重 塔 の 再 建 の 構 想 」 野 池 幸 三( 谷 中 さ ん 崎 坂 商 店 街 振 興 組 合 理 事 長 )「 谷 中 商 店 街・町 会 と

五 重 塔 の 再 建 」 菊 池 芳 明 ( 大 工 棟 梁 )「 五 重 塔 と 建 築 技 能 」 藤 澤 彰 ( 芝 浦 工 業 大 学 )「 五 重 塔 の 建 築 史 的 評 価 」 椎 原 晶 子 ( 東 京 藝 術 大 学 )「 谷 中 の 町 並 み の 保 存 と 再 生 」 布 野 修 司 「 職 人 と 町 造 り 」

谷 中 の 五 重 塔 は 、 幸 田 露 伴 の 『 五 重 塔 』 の モ デ ル に な っ た 塔 で あ る 。 彼 は 谷 中

に 住 ん で い た 。江 戸 で は 一 番 高 い 塔 で あ っ た 。そ の 塔 は 、1957 年 、心 中 事 件 に よ

っ て 失 わ れ た 。そ れ 以 来 、な ん と か 再 建 で き な い か と い う 思 い が 谷 中 に 暮 ら す 人 々

に あ る 。菊 池 棟 梁 な ど 、自 ら の 手 に よ っ て 再 建 す る の が 悲 願 で あ る 。ロ ビ ー に は 、

谷 中 五 重 塔 の 図 面 及 び 写 真 、 谷 中 五 重 塔 の 大 斗 及 び 宝 塔 ( 実 物 ) が 展 示 さ れ 、 谷

中 五 重 塔 の 炎 上 時 の ビ デ オ も 放 映 さ れ た 。 S S F の 企 画 は 、 五 重 塔 再 建 を テ ー マ に 地 域 と 職 人 の つ な が り を 再 度 考 え て み

よ う と い う こ と で あ る が 、 京 都 で も 似 た よ う な こ と が で き な い か 、 と い う こ と で

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研 究 室 出 身 の 森 田 一 弥 君 も 誘 っ た 。 森 田 君 は 左 官 修 行 し た 後 、 事 務 所 を 開 い た 。

彼 が 個 展 を 開 い た こ と は 、 6 月 24 日 に 触 れ た 。 実 は 、昨 年 来 、京 都 造 形 大 学 の 大 学 院 で 、『 匠 明 』を 読 ん で「 三 重 塔 」を 図 面 化

激 し た 。

002 年 10 月 8 日 と 設 計 の 接 点 を 探 る 」の 巻 頭 鼎 談( 乾 正 雄 、池 田 光

談 の 前 に 、 第 4 回 ア ジ ア の 建 築 交 流 シ ン ポ ジ ウ ム の ツ ア ー の 件 で 旅 行 代 理

事 前 に 用 意 さ れ た 石 田 メ モ は 以 下 の よ う で あ っ た 。 ■ 振 り 返 っ て

照 明 、光 源 の 話 、光 と 人 間 の 心 理

科 学 と 設 計 : 照 明 設 計 と い う 仕 事 、 基 礎 研 究 は 設 計 に 生 か さ れ て い る

環 境 の 研 究 に 望 ま れ る こ と 、日 本 の 照 明 の 行 方 、国 際 貢

う よ う に 進 ま な い の が 常 だ 。 言 。 一 部 抜 粋 ( 文 責 布

井 光 の 光 害 の こ と を 話 す 前 に 、も っ と 身 近 な と こ ろ か ら 、ぜ ひ こ の 建 築 学

ア は 非 常 に 不 愉 快 だ

極 め て 具 合 の 悪 い 照 明 の 勉 強 を し て

る 作 業 を や っ て き た 。 こ の 際 、 皆 さ ん に お 見 せ し よ う と 、 C G 作 品 を C D に し

て 持 っ て き た 。 僕 の 発 表 の 時 皆 さ ん に 披 露 し て 、 み ん な で や れ ば 以 外 に 簡 単 に 再

建 で き る の で は ? と し ゃ べ っ た 。 加 納 勝 彦 君 が 試 作 品 と し て 15 枚 ほ ど 焼 い て く

れ た の を 置 い て お い た ら 8 枚 売 れ た 。 興 味 あ る 人 に は お 分 け し た い 。 と こ ろ で 、 六 角 鬼 丈 さ ん が 駆 け つ け て く れ て 挨 拶 し て く れ た の に は 感

し ぶ り で あ っ た 。 懇 親 会 で は 、 谷 中 の こ と 、 東 京 芸 大 の こ と の み な ら ず 、 北 京

の こ と 、 毛 綱 さ ん の こ と 、 随 分 話 し た 。 例 に よ っ て 時 の 経 つ の を 忘 れ 、 安 藤 先 生

の 新 宅 に 泊 め て 頂 く こ と に な っ た 。

212 月 号 特 集「 光 環 境 - 科 学

雄 、 石 井 幹 子 ) に 臨 席 。 ま さ に 、 臨 席 と い う こ と で 、 石 田 泰 一 郎 幹 事 に 全 て お

任 せ と い う つ も り で あ っ た 。 池 田 先 生 と は 久 し 振 り 、 乾 先 生 、 石 井 先 生 と は 初

対 面 で あ っ た 。

の 責 任 者 と 合 う 。 全 面 的 に 非 を 認 め て 謝 罪 す る と い う こ と な の で 、 一 件 落 着

と い う こ と に す る 。

回 顧 : 光 を 専 門 に し た 経 緯 な ど 、 こ れ ま で の 仕 事 を

■ 光 環 境 の 現 状 : 現 状 認 識 , 評 価 、 問 題 点 ■ 光 の 文 化 比 較 、日 本 の 照 明 ,ヨ ー ロ ッ パ の

生 理 ■ 光 の

か ? 、 接 点 , 融 合 . . . ■ 将 来 展 望 と 課 題 、光

献 ( ア ジ ア , CIE . . .) し か し 、 鼎 談 、 座 談 は 思

い き な り 、 こ の 部 屋 の 照 明 は な っ て い な い 、 と の 石 井 発

野 )。 な る ほ ど 、 わ れ わ れ が 光 環 境 に 鈍 感 で あ る こ と に 気 が つ か さ れ る 。『 建 築

雑 誌 』 で 光 環 境 を 取 り 上 げ る の は 1976 年 以 来 で あ る 。 石

会 誌 の 読 者 の 方 に は 考 え て い た だ き た い と 思 う こ と が い っ ぱ い あ る ん で す が 、ま

ず 今 日 、私 は こ の 部 屋 に 入 っ て き て 、非 常 に シ ョ ッ ク を 受 け た ん で す 。な ぜ 建 築

会 館 が こ う い う ひ ど い 照 明 な の か 。い ま こ う や っ て 座 っ て い て も 、非 常 に 私 は ま

ぶ し く て 、先 生 方 の お 顔 が 逆 行 気 味 に 見 え て 、大 変 恐 縮 で す が 、先 生 の お で こ の

こ の へ ん の あ た り が 光 っ て い て 、 こ れ は ま ず い 照 明 で す 。 私 ど も の よ う な 黒 い 目 に と っ て も 、こ の 裸 の 蛍 光 灯 の グ レ

と 思 っ て い ま す 。た と え ば こ こ の 空 間 だ っ て 、も っ と 気 持 ち の い い 間 接 光 が 真 ん

中 に あ っ て 、 テ ー ブ ル の 上 を 明 る く し て 、 そ し て 壁 に は 若 干 の 間 接 光 が あ っ て 、

先 生 の お 顔 が も っ と き ち ん と 見 え て 、な お か つ 空 間 と し て は い い 明 る さ が あ る と

い う こ と に な る べ き だ ろ う と 思 う ん で す 。 最 近 特 に 思 う ん で す が 、建 築 家 の 方 た ち が

き た の で は な い か と 思 え て な ら な い ん で す 。そ れ は 何 か と い う と 、建 築 空 間 を ル

ク ス で 覚 え て し ま す ん で す か 。 私 は そ の へ ん の と こ ろ は 定 か で は な い ん で す が 、

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こ の 建 物 の こ の 場 所 は 何 ル ク ス ぐ ら い あ れ ば い い と か 、事 務 空 間 だ っ た ら い く つ

ぐ ら い 、ロ ビ ー は 何 ル ク ス ぐ ら い 、ど こ は 何 ル ク ス ぐ ら い と 、す べ て ル ク ス で や

っ て い る 。そ れ は た ぶ ん 建 築 で い う 設 備 設 計 か も し れ ま せ ん が 、ル ク ス で だ い た

い の 明 る さ を 決 め て い っ て 、設 備 設 計 は 極 め て 簡 単 に 計 算 を し て 、ダ ダ ダ ッ と 蛍

光 灯 が コ ン ピ ュ ー タ で 配 置 さ れ て 、 は い 終 わ り と い う こ と に な っ て き て い る 。 で も 照 度 と い う の は 極 め て 相 対 的 な も の で も あ っ た り 、個 人 的 な も の で も あ っ

た り 、 い っ た い 照 度 と い う の は 何 か と い う こ と が 、 仕 事 を し て い け ば い く ほ ど 、

実 は わ か ら な く な っ て き ま し て 、私 の 事 務 所 の 付 属 設 備 と し て 、照 度 を 実 際 に 体

験 で き る 場 所 を つ く っ て み た わ け で す 。 そ れ で 満 月 の 明 る さ と い う の は 0 . 1 ル ク

ス だ と い う こ と は 書 い て も あ る し 、 皆 さ ん そ う お っ し ゃ る 。 そ れ で は 0 . 1 ル ク ス

の 明 る さ 、 そ れ か ら 0 . 5 ル ク ス の 明 る さ 、 1 ル ク ス の 明 る さ 、 2 ル ク ス の 明 る さ

と 、一 つ ず つ 目 盛 り を 上 げ て い っ て 、1 0 ル ク ス の 明 る さ と い う の は ど の く ら い な

の か 、ど ん な 明 る さ な の か と い う こ と を 、実 際 に 実 体 験 し て い る 建 築 家 が ど れ だ

け い る ん だ ろ う か 。 2 0 ル ク ス 、 3 0 ル ク ス 、 4 0 ル ク ス と 、 照 度 計 を 置 い て 、 刻 々 と 上 げ て い っ て 、

0

る か と い う

と 、1 0 0 ル ク ス と 2 0 0 ル ク ス の 差 と い う の は 、

こ と

代 の 名 残 だ と 思 い ま す が 、何 の 仕 事 を す る か ら 何 ル ク ス と い

ど い 状 態

先 生 の 『 夜 は 暗 く て は い け な い か 』( 朝 日 選 書 ) も ユ ニ ー ク な 問 題 提 起 の 本

布 野 の 三 人 で 少 し ビ ー ル と ワ イ ン を 頂 い た 。 同 じ 朝 日

1 万 ル ク ス ま で 上 げ ら れ る 部 屋 を つ く っ た わ け で す 。そ れ で 座 っ て み ま す と 、0 .1ル ク ス と 1 ル ク ス と い う の は す ご く 違 い ま す よ ね 。そ れ か ら 1 ル ク ス と 5 ル ク ス 、

こ れ も 違 う 。 そ し て 1 0 ル ク ス ぐ ら い に な る と 、 暗 い と こ ろ か ら ど ん ど ん 上 が っ

て い き ま す か ら 、 1 0 ル ク ス と い う の は と て も 明 る く 感 じ る ん で す 。 実 際 に 皆 さ ん は 家 の 中 で ど れ ぐ ら い の 明 る さ の と こ ろ に 住 ん で い

と 、 け っ こ う 日 本 の 家 の 中 と い う の は 明 る い か ら 、 1 0 0 ル ク ス と か 、 2 0 0 ル ク ス

ぐ ら い の と こ ろ に 、み ん な 住 ん で い る わ け で す 。そ れ で は オ フ ィ ス は ど う か と い

う と 、 1 0 0 0 と か 、 1 5 0 0 と か で す 。 と こ ろ が ど ん ど ん 上 げ て い き ま す

実 は 目 で は あ ま り わ か ら な く な る し 、 1 0 0 0 ル ク ス と 2 0 0 0 ル ク ス の 差 も わ か ら な

く な る し 、そ れ か ら も っ と 上 が っ て い っ て 、1 万 と 2 万 の 差 は わ か ら な い で す よ

ね 。そ の よ う に ど ん ど ん 人 間 の 目 は 鈍 感 に な っ て い っ て し ま う 。1 0 万 ル ク ス な ん

て 、 わ あ 明 る い と い う だ け で 、 何 の 感 動 も な い し 、 感 興 も な い わ け で す 。 何 が 言 い た い か と い う と 、本 当 に ど れ ぐ ら い の 明 る さ が 適 切 な の か と い う

に 対 し て 、数 値 だ け が 一 人 歩 き を し て い て 、感 覚 と の 呼 応 関 係 が な い ん じ ゃ な い

か と 思 う ん で す よ 。私 は 建 築 の 空 間 の 中 が 、い ま 明 る す ぎ る と 思 っ て い て 、そ れ

は 光 害 と か 、天 体 観 測 で 星 が 見 え な い と い う こ と の 前 に 、極 め て 非 人 間 的 な 明 る

さ が 建 築 空 間 の 中 に 充 満 し て い る ん じ ゃ な い か と 思 え て な ら な い ん で す 。で す か

ら 私 た ち が 美 し い と 思 う 明 る さ と は 何 な の か と い う こ と が も っ と 考 え ら れ て い

い ん じ ゃ な い か 。 こ れ は 工 業 生 産 時

う こ と ば か り や っ て 、そ れ を 教 わ っ て き た と 思 う ん で す 。と こ ろ が い ま は 仕 事 の

概 念 も 変 わ っ て き て 、モ ニ タ ー を 見 る と き に は 何 ル ク ス で 、ど う 考 え た ら い い の

か 。画 面 に 映 り 込 ま な い な ん て こ と を 言 い ま す が 、逆 に あ あ い う 仕 事 の と き は む

し ろ 少 し 暗 い ほ う が 心 地 よ い ん じ ゃ な い か と 思 え て な ら な い ん で す 。 こ と に 日 本 に お い て は 、建 築 の 空 間 の 照 明 の 質 と い う の が 、極 め て ひ

置 か れ て い る の で は な い か と 思 え て な ら な い ん で す 。そ し て 建 築 空 間 が そ う だ

か ら 、い ま 日 本 の 住 宅 と い う の は 最 悪 だ と 思 う ん で す が 、住 宅 の 照 明 も ひ ど い と

思 う ん で す よ 。そ し て そ の 延 長 線 上 に 屋 外 が あ り ま し て 、屋 外 、都 市 空 間 の 照 明

も 、 結 局 、 建 築 の 照 明 が そ う だ か ら 、 屋 外 の 照 明 も 明 る く な っ て し ま っ て い る 。 乾

あ る 。 池 田 先 生 が さ か ん に 、 計 画 系 の 先 生 方 と 一 緒 に 研 究 し た い と お っ し ゃ っ

た の も 印 象 的 で あ っ た 。 鼎 談 終 了 後 、 乾 、 石 田 、

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2002 年 10 月 9 日 中 の 日 本 建 築 」( 仮 )の 座 談 会 の 設 定 が な か な か で き な い 。こ

002 年 10 月 10 日 号 の 中 の 日 本 建 築 」( 仮 )の 日 韓 対 談( 鈴 木 成 文 :名 誉 会

後 日 本 と ア ジ ア こ ん な 場 を 設 け る こ と が で き て う れ し く 思 い ま す 。 あ り が と う ご ざ い

忠 太 み た い に 本 当 に ア ジ ア の こ と 考 え て 始 め た わ け で は あ り ま せ ん 。 何 と

生 が あ っ て 、 帰 国 し て 大 学 の 先 生

す ね 。 私 が 東 大 に 来 た の が 8 4 年 で す 。

書 を 書 い た と い う こ と で 、僕 の『 住 ま い の 夢 と 夢 の 住 ま い・・・ア ジ ア 住 居 論 』

の 話 を 持 ち 出 さ れ て 恐 縮 し て し ま っ た 。

2 月 号「 ア ジ ア の

れ だ け は ち ょ っ と 焦 る 。 座 談 会 は イ ー ジ ー だ か ら 極 力 避 け た い け れ ど 、 是 非 、 寄

稿 し て 欲 し い ひ と は 、 え て し て 忙 し い 。 忙 し い の で イ ン タ ビ ュ ー と い う こ と に な

る け れ ど 、 座 談 会 と な る と ス ケ ジ ュ ー ル 調 整 が 難 し い 。 堂 々 巡 り と い う か 、 矛 盾

と い う か ・ ・ ・ 。 編 集 委 員 の 先 生 方 も 超 忙 し い 。 た だ 、 座 談 の 議 論 に 参 加 で き る

特 権 が あ る 。 座 談 は 生 に 限 る 、 で あ る 。 そ れ を 可 能 な 限 り 伝 え た い け れ ど 、 紙 数

の 制 約 が あ る 。編 集 作 業 は 、実 に 難 し い 。し か し 、そ こ が 面 白 い と こ ろ で も あ る 。 数 本 あ る か ら ト ー タ ル 相 当 の 人 数 と 連 絡 を し つ つ あ る の で あ る が 、 皆 さ ん 忙 し

い 。 不 況 、 不 況 と い う け れ ど 、 建 築 界 の 中 の 動 き が よ く わ か る 。 2 1500 記 念 特 集「 ア ジ ア

員 、前 神 戸 芸 術 工 科 大 学 学 長 、東 京 大 学 名 誉 教 授 vs 李 光 魯 元 大 韓 建 築 学 会 長 ソ

ウ ル 国 立 大 学 名 誉 教 授 大 韓 民 国 芸 術 院 会 員 工 学 博 士 建 築 家 司 会 布 野 修 司 )

の テ ー プ 起 こ し が あ が っ て く る 。 山 田 協 太 君 の 、 彼 に し て は 珍 し く 、 特 急 の 仕 事

で あ っ た 。 早 速 手 を 入 れ て 鈴 木 先 生 に 送 る 。 以 下 、 さ わ り で あ る 。 戦

布 野 ( 司 会 ): 重 慶 で

ま す 。 日 本 の 建 築 界 は 明 治 以 降 ヨ ー ロ ッ パ を モ デ ル と し て 出 発 し ま し た 。 一 方 で 、 東 洋 建

築 史 学 な ど の よ う に ア ジ ア へ の 意 識 も な い 訳 で は な か っ た の で す が 、 戦 後 ま も な く で も 建

築 を 考 え る 時 に は ア ジ ア と い う こ と は あ ま り 意 識 さ れ な か っ た ん じ ゃ な い で し ょ う か 。 と

こ ろ が 現 在 は 、 ア ジ ア か ら 多 数 の 留 学 生 が 来 る な ど 相 当 状 況 が 違 っ て き て い ま す 。 戦 中 の

話 も あ り ま す が 、 こ こ で は ま ず 戦 後 日 本 が い つ ア ジ ア に 目 を 向 け る よ う に な っ た の か 、 と

い う と こ ろ か ら 出 発 し て 話 を 広 げ て い き た い と 思 い ま す 。 ま ず 鈴 木 先 生 に 、 戦 後 の 日 本 の

建 築 界 の 動 き を 述 べ て い た だ き た い と 思 い ま す 。 先 生 は あ る 段 階 か ら 韓 国 や 中 国 、 台 湾 の

こ と を 調 査 研 究 さ れ ま す よ ね 。 振 り 返 っ て 、 研 究 を 始 め ら れ た 理 由 を 教 え て い た だ け な い

で し ょ う か 。 鈴 木 : 僕 は 伊 東

な く 戦 後 は 欧 米 に 学 ぼ う と い う 感 じ が あ っ た 。 は じ め は 戦 後 の 日 本 の 住 宅 の モ デ ル を ど う

つ く る か と い う よ う な こ と を 研 究 し て い ま し た 。 し か し そ の 後 、 も っ と 文 化 的 な こ と に 興

味 が 移 っ て き て 、 非 常 に 近 い 文 化 と 日 本 を 比 べ て み よ う と 考 え た わ け で す 。 近 隣 文 化 と の

比 較 を 通 し て 日 本 を 考 え て み よ う と い う こ と で す 。 布 野 : そ れ は だ い た い い つ 頃 の こ と で す か 。 鈴 木 : た ま た ま 韓 国 か ら は 東 大 の 鈴 木 研 に 何 人 か の 留 学

に な っ て い る の で 、 そ の 人 た ち と 連 絡 を と っ て 一 緒 に 住 宅 研 究 を や ろ う と い う こ と を 企 て

ま し た 。 と く に 住 居 の 問 題 は 生 活 の 文 化 に 関 わ る こ と だ か ら 、 た だ 外 国 か ら ポ ッ と 行 っ て

調 査 し て も 深 い と こ ろ は 解 ら な い 。 そ の 国 の 人 が 研 究 す べ き だ と い う の が 私 た ち の 考 え で

し た 。 だ か ら 韓 国 で は 韓 国 の 方 と 共 同 調 査 を し た の で す 。 た だ 、 日 本 で は 研 究 の 考 え 方 や

調 査 の 方 法 な ど に つ い て は 大 分 蓄 積 が あ り ま す か ら 、 そ う い う 面 で は 互 い に 交 流 し て 研 究

す る 意 義 は 大 き い と 思 っ た の で す 。 そ の 後 、 韓 国 で も ず い ぶ ん 実 態 調 査 ・ 生 活 調 査 が 盛 ん

に な り ま し た ね 。 日 本 で も 多 く の 大 学 で こ の 2 0 年 ほ ど の 間 に た い へ ん 活 発 に な り ま し た 。 布 野 : 鈴 木 先 生 が 韓 国 や 台 湾 の 調 査 を や ら れ 出 し た 頃 、 李 先 生 は 東 大 に い ら っ し ゃ っ た と

思 う ん で す が 。 李 : え え 、 そ う で

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布 野 : ソ ウ ル 大 が 出 来 て そ こ に 建 築 学 科 が 出 来 た の は い つ で す か 。

学 が ど う し て 出 来 た

と で 、 日 本 と 北 朝 鮮 の 関 係 も 改 善 の 兆 し が あ る の で す が 。

本 か ア メ リ カ か 代 は ど う な ん で し ょ う 。 例 え ば 亡 く な っ た 金 壽 根 先 生 な ん か は 日 本

金 壽 根 は 私 の 三 年 後 輩 な ん で す よ 。 私 四 年 の 時 に 韓 国 戦 争 が 起

金 震 均 先 生 は ど う で す

れ も 私 が ソ ウ ル 大 学 教 授 に 連 れ て 来 た ん で す け ど ね 。 デ ザ イ ン を や る ん で す よ 。 そ

築 学 会 、 会 誌 編 集 長 ) が 東 大 で 学 位 を

取 っ て 、 ソ ウ ル 大 学 の 助 手 に し よ う と し た ん で す よ 。 し

く 派 が あ り

ね 、 日 本 に 行 か な い ん で す よ 。 み

ェ ク ト で す よ ね 。 ド ク タ ー と ら せ て 帰 し ま す よ と い う 約 束

。 農 業 、 工 業 、 医 学 と か い ろ ん な 分 野 で 5、 6 年 継 続 的 に 教 育 し た で す よ 。 先

李 : ソ ウ ル 大 が 出 来 た の と 建 築 学 科 が 出 来 た の は 同 時 で す 。 ソ ウ ル 大

か っ て 言 う と ね 、 あ の 時 は ア メ リ カ が 軍 政 な ん で す よ 。 工 業 大 学 、 農 業 大 学 み ん な 国 立 な

ん で す が 、 し か し 、 ア メ リ カ が こ れ は ダ メ だ と い い ま し た 。 ソ ウ ル 大 学 に す べ て 集 め て ユ

ニ ヴ ァ ー シ テ ィ に す る と 言 っ た ん で す よ 。 農 業 大 学 は 農 学 部 に し て ソ ウ ル 大 学 を つ く っ て

皆 そ の 中 に 入 れ た ん で す よ 。そ れ が 終 戦 後 間 も 無 く の 1 9 4 7 年 く ら い で す 。こ れ が 大 変 な 問

題 に な っ た 。 北 と つ な が っ た 学 生 達 が ね 、 大 学 統 合 は 私 達 の 個 性 を 抹 殺 す る も の だ と 言 っ

て 大 反 対 。 暴 動 す る わ け で す ね 。 あ れ は す ご か っ た 。 し か し 政 府 が 強 行 し て ソ ウ ル 大 学 に

統 合 す る 。 そ れ が 4 6 年 か な 。 ま あ 、 ソ ウ ル 大 学 は 4 7 年 く ら い に 出 発 し た ん で す よ 。 ア ン

ソ ニ ー と い う ア メ リ カ 人 が 総 長 で し た 。 そ し て 韓 国 人 に 移 っ た ん で す 。 ソ ウ ル 大 学 に 移 行

し た 時 は 軍 政 だ っ た か ら ね 。 布 野 : 今 日 、 平 壌 宣 言 と い う こ

李:終 戦 後 は ほ ん と に 大 変 だ っ た 。6 人 の う ち 3 人 は 北 へ 行 っ た ん で す 。私 も 相 当 オ ル グ さ

れ て 、 一 度 は モ ス ク ワ ま で 行 く こ と を 覚 悟 し て 平 壌 ま で 行 っ た ん で す 。

布 野 : 李 先 生 の 後 の 世

に 留 学 し て い ま す よ ね 。 李 : 彼 は 密 航 し た ん で す 。

こ る で し ょ 、 6 月 2 5 日 。 金 壽 根 は 一 年 に 入 っ た ん で す よ 。 そ れ か ら 戦 争 に な っ て 、 私 は ま

あ 釜 山 の 方 で 卒 業 し た ん で す が 、 金 壽 根 は 日 本 に 渡 っ た ん で す よ 。 布 野 : 少 し 下 の 世 代 に あ た る 方 々 、 例 え ば 今 の 大 韓 建 築 学 会 の 会 長

か 。 李 : あ

れ で M I T で 設 計 で 修 士 を と っ て 帰 っ て 来 ま し た 。 布 野 : 僕 と 同 じ 世 代 で ソ ウ ル 大 学 の 金 光 鉉 ( 大 韓 建

と っ て る は ず で す が 。 李 : 金 光 鉉 も 私 の と こ ろ で 修 士 を

か し 、 ま だ 修 士 取 り た て な の で 助 手 の 発 令 が な か な か 出 な い 。 ソ ウ ル 大 学 で 発 令 し な い か

ら 市 立 大 学 に 行 っ て 、 そ こ で 助 手 に な っ た 。 助 手 と し て 入 る と 外 国 留 学 の 試 験 の 資 格 が 出

来 る ん で す よ 。 そ し て 東 京 の 香 山 寿 夫 ( 放 送 大 学 ) さ ん の 方 に 行 っ た ん で す 。 布 野 : 日 本 に 勉 強 し に 行 く 派 と 、 そ れ か ら ア メ リ カ や ヨ ー ロ ッ パ に 勉 強 し に 行

ま す け ど 、 そ の 辺 の 事 情 は ど う な ん で す か 。 李 : そ れ は と て も 面 白 い で す よ 。 ソ ウ ル 大 学 出 身 は で す

ん な ア メ リ カ と か ヨ ー ロ ッ パ の 方 に 行 く 。 な ぜ か と い う と ソ ウ ル 大 学 を つ く っ た 後 、 ア メ

リ カ の 方 で ミ ネ ソ タ プ ロ ジ ェ ク ト と い う も の を や っ て る ん で す よ 。1 9 5 0 年 代 後 半 か ら か な 。

ソ ウ ル 大 学 つ く っ た け れ ど 、 教 授 が 資 格 が 無 く て し ょ う が な か っ た 。 そ れ で ソ ウ ル 大 学 の

専 任 講 師 以 上 の 者 と 非 常 勤 講 師 で も 学 科 の 方 で 推 薦 を 受 け た 者 を あ わ せ て 、5 0 0 人 位 が ミ ネ

ソ タ 大 学 に 行 っ た ん で す よ 。 鈴 木 : そ れ は ア メ リ カ の プ ロ ジ

で や っ た 。 李 : そ う で す

生 が あ っ ち か ら 帰 っ て く る か ら 留 学 生 も 自 然 と ア メ リ カ の 方 に 推 薦 書 を 書 く よ う に な る 。

そ れ と 、 ソ ウ ル 大 学 出 身 で ア メ リ カ に 行 く 学 生 は 学 位 取 り に 行 く ん じ ゃ な い ん で す よ 。 マ

ス タ ー の 後 は 設 計 を す る 。 建 築 の 設 計 の た め に 行 く 。 東 大 行 く の は 学 位 取 る た め で し ょ 。

ソ ウ ル 大 学 出 身 は 早 く 3 年 あ げ て 、 設 計 事 務 所 行 っ て 経 験 つ ん で 帰 っ て く る 、 そ う い う パ

タ ー ン が 多 い で す 。 だ か 、 日 本 に 行 く の は 漢 陽 大 学 と か の 私 立 大 学 が 多 い で す ね 。 日 本

に 行 っ た 留 学 生 は 、 金 光 文 、 朴 勇 換 あ る い は 金 光 鉉 が 、 私 の 記 憶 で は 初 め て で す ね 。 あ の

世 代 で 日 本 に 行 っ た 。

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こ の 作 業 は 実 は 大 変 な の で あ る が 、 建 築 雑 誌 に お け る ほ と ん ど 全 て の 作 業 は は

ん の 次 の 言 葉 が 印 象 に 残 る 。

日 の お 話 し の と お り 、 記 事 は 私 が つ く り ま す 。 が 、 こ の 作 業 に は ど う し て

002 年 10 月 15 日

。 今 年 か ら 設 置 さ れ た 委 員 会 に 、 3 回 目 に し て 初 め て 出 席 。

002 年 10 月 17 日

、京 都 C D L( コ ミ ュ ニ テ ィ ・ デ ザ イ ン ・リ ー グ ) 2002 年

チ ー ム と テ ー マ は 以 下 の 通 り 。 室 の 再 発 見 」

市 空 間 の 再 生 」

N A P R O J E C T」

展 」 i n e a r S e q u e n c e」

ち 並 み イ メ ー ジ ア ッ プ 計

野 寺 さ ん に 依 っ て い る 。 そ の 力 量 は 大 変 な も の で あ る 。 若 い 頃 、 テ ー プ 起 こ し

を 随 分 や っ た か ら そ の 苦 労 は よ く わ か る 。ま た 、テ ー プ 起 こ し は 実 に 勉 強 に な る 。

何 を ど う 話 せ ば い い の か 、 自 ら の 反 省 に も な る 。 だ か ら 、 若 い 諸 君 に は 、 テ ー プ

起 こ し は 喜 ん で や れ ! と 本 気 で 言 う 。 し か し 、 編 集 こ そ が 醍 醐 味 で あ る 。 そ れ を

編 集 す る 能 力 は 一 朝 一 夕 で は 身 に つ か な い 。 こ の 間 の や り と り を 見 て い る 中 で 、 小 野 寺 さ

も 個 人 的 な 癖 が 出 ま す 。ま た 、私 個 人 の 教 養 ・知 識 ・関 心 な ど 、大 げ さ に 言 え ば

全 人 格 が 反 映 さ れ ま す 。特 集 主 旨 を 踏 ま え た 記 事 に す べ く 努 力 す る の は も ち ろ ん

で す が 、 結 果 的 に 発 言 者 全 体 の イ メ ー ジ と 異 な る こ と も 考 え ら れ ま す 。

2

宇 治 市 景 観 審 議 会

広 原 盛 明 会 長 の 方 針 で 、 で き る だ け オ ー プ ン に 議 論 す る と い う こ と で 、 傍 聴 人 も

お 見 え に な っ て い る 。 コ ン サ ル が お 膳 立 て す る の で は な く 、 そ の 場 で 議 論 で き る

の も い い 。 し か し 、 事 務 局 は い さ さ か 大 変 で あ る 。 今 日 は 、 重 点 地 区 を 議 論 す る

と い う の で あ る が 、 重 点 地 区 と は 何 か 、 と い う こ と が は っ き り し な い 。 様 々 な 意

見 が 出 て ま と ま ら な い 。 市 民 に 開 か れ た シ ン ポ ジ ウ ム を 行 う こ と を 決 め て 、 大 半

の 議 論 は 持 ち 越 し と な っ た 。宇 治 市 は 平 等 院 と 宇 治 上 神 社 の 世 界 文 化 遺 産 を も つ 。

源 氏 物 語 ゆ か り の 様 々 な 史 跡 も 多 い 。 茶 畑 な ど 独 特 の 自 然 景 観 も あ る 。 一 方 で 、

戦 後 建 ち 並 ん だ 新 興 住 宅 街 も あ る 。 地 区 毎 の 肌 理 細 か い 指 針 が 必 要 で あ る 。 夕 方 、Traverse( 新 建 築 学 研 究 )編 集 委 員 会 。第 03 号 の 刊 行 が 遅 れ た け れ ど

刊 行 の 目 処 が 立 ち 、 来 年 度 の 04 号 の 企 画 会 議 。 編 集 委 員 全 員 、 布 野 、 古 阪 、 山

岸 、竹 山 、大 崎 、 伊 勢 、石 田 の 7 人 が そ ろ う 。途 中 か ら 3 号 の 編 集 作 業 に 大 活 躍

し た 竹 山 研 究 室 の 小 池 さ ん も 加 わ る 。 少 し ず つ 執 筆 者 の 輪 も 広 げ よ う と 、 様 々 な

候 補 者 の 名 前 が 挙 が る 。 2

京 都 の 龍 池 小 学 校 で

度 秋 季 リ ー グ 開 幕 。 今 年 は 、 3 日 間 、 展 覧 会 が 開 か れ る 。 各 チ ー ム 競 っ て 賞 を 出

す 。 リ ー グ 戦 の 趣 旨 を 強 め る と い う 。 初 日 に 早 速 覗 い て み た 。 ま ず 各 チ ー ム が 発

表 し 、 選 手 同 士 で M V P を 決 め る シ ン ポ ジ ウ ム が 開 か れ て い た 。 題 し て 「 荒 武 者

乱 戦 ? ウ リ で ゴ リ お し ? 」 各 チ ー ム の 売 り 物 を ピ ー ア ー ル し あ お う と い う 趣 旨

だ 。 参 加

池 坊 短 期 大 学 岩 崎 研 究 室 「 京 都 の 茶

京 都 大 学 高 田 研 究 室 「「 境 界 線 の 相 対 化 」 に よ る 都

京 都 大 学 竹 山 研 究 室 「 生 祥 地 区 」 京 都 大 学 布 野 研 究 室 A 「 YAM A S H I 京 都 大 学 布 野 研 究 室 B 「 京 都 市 南 区 」 京 都 大 学 生 産 + 歴 史 研 究 室 「 西 京 区 ・ 桂

F - OB 「 円 環 都 市 : 山 科 」 京 都 市 立 芸 術 大 学 「 カ ツ ラ

京 都 工 芸 繊 維 大 学 船 越 研 究 室 「 L京 都 嵯 峨 芸 術 大 学 大 森 研 究 室 「 嵯 峨 野 嵐 山 商 店 街 ま

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京 都 女 子 大 学 「 猪 熊 通 り 」 伏 見

る 近 代 化 と 祠 に よ る

伏 見 稲 荷 商 店 街 調 査 報 告 」

ン ス ク ー ル ( N D S) 構 想 」 。 い

ら ず に 帰 宅 。 す る と 以 下 の メ ー ル が 入 っ て い た 。 意 外 な 結 果 だ っ

>1 0 : 0 0 ~ 1 2 : 0 0 荒

尾 研 ) /米 津 孝 祐 (京 大 生 産 歴 史 研 ) /渡 辺

イ ベ ン ト で す 。 ふ る っ て ご 参 加 下 さ い 。 な お 、 当 日 、 パ ネ ラ ー

右 上 : 円 環 都 市 山 科 計 画 右 下 : 南 区 調 査

上 : 重 点 調 査 「 田 の 字 」 地 区

京 都 文 教 短 大 小 林 研 「 京 都 市 区 伏 見 ・ 向 島 ・ 淀 」 滋 賀 県 立 大 学 松 岡 研 究 室 / 山 根 研 究 室 「 都 市 空 間 に お け

ず れ 」 に 関 す る 調 査 」 龍 谷 大 学 広 原 研 究 室 「

立 命 館 大 学 平 尾 研 究 室 「 S PAC E B A N K」 立 命 館 大 学 リ ム ・ ボ ン 研 究 室 「 西 陣 デ ザ イ

そ し て 、 今 年 か ら 開 始 さ れ た 「 重 点 調 査 地 区 」 の パ ネ ル が 特 別 参 加 で あ る

ゆ る 「 田 の 字 」 地 区 の マ ン シ ョ ン 建 設 の 状 況 を 土 地 所 有 の 変 化 を 含 め て 明 ら か

に し て い る 。 投 票 結 果 は 知

ら し い 。 さ ら に 議 論 す る と い う 。 CDL 選 手 各 位 1 9 日 ( 土 ) <最 終 日

武 者 乱 戦 - 「 ゴ リ 」 お し が 「 ウ リ 」 ! パ ネ ラ ー:菊 池 浩 輔 (京 芸 ) /金 剛 正 典 (立 命 平

菊 眞 (F -OB) /井 関 武 彦 (京 大 竹 山 研 ) /上 林 功 (工 繊 ) /魚 谷 繁 礼 (重 点 調 査 ) 司 会 : 長 野 良 亮 �急 遽 企 画 さ れ た

は 9 時 4 5 分 に 会 場 に 集 合 し て く だ さ い 。 本 日 は 荒 武 者 乱 戦 - 「 ウ リ 」 で 「 ゴ

リ 」お し お 疲 れ さ ま で し た 。イ ベ ン ト の 最 後 に も 話 し ま し た が 、ま だ ま だ 、「 ウ リ

- ゴ リ 」 が 足 り な い の で は な い か 、 十 分 に 説 明 で き な か っ た と い う と こ ろ が あ っ

た の で は な い で し ょ う か 。 も し く は 、 な ぜ あ の チ ー ム に 破 れ た の だ ろ う 、 な ど な

ど 不 意 を つ い た 斬 ら れ 方 や 無 念 の 散 り 方 に い ま だ 怨 念 を 残 さ れ て い る 方 も お ら れ

る か と 思 い ま す 。 つ き ま し て は 、 テ ー マ を 絞 っ て 議 論 を 繰 り 広 げ 、 学 生 主 体 に よ

る 討 論 か ら 、 今 後 の 各 自 の 活 動 の 方 向 性 を 探 る べ く 、 リ ベ ン ジ 的 な 意 味 も 含 め て

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こ の ゲ リ ラ 企 画 を 行 う 次 第 で す 。 パ ネ ラ ー の 飛 び 入 り 参 加 も 歓 迎 で す 。 皆 さ ん ふ

る っ て ご 参 加 下 さ い 。 ま た 、 前 日 の 金 曜 日 の 展 示 終 了 後 、 最 終 日 に 備 え て 、 イ ス

並 べ を し ま す の で 、 都 合 の つ く 方 は 出 来 る だ け 参 加 し て い た だ け る よ う ご 協 力 よ

ろ し く お 願 い い た し ま す 。 げ の む 3 号 編 集 委 員 長 長 野 良 亮 2002 年 10 月 19 日

ニ テ ィ ・ デ ザ イ ン ・ リ ー グ ) 発 表 会 の 前 に 、 2 0 0 2 年 秋 季

員 規 約 に つ い て

格 、 会 費 に つ い て

っ て 正 会 員 と す る 。

2 本

都 市 下 京 区 風 早 町 569-32 ( 阪 急 大 宮 駅 7 分 四

3 学 バ ー ク レ イ 校 U C Berkel e y と の 近 隣 景 観 デ ザ イ

ィ ン グ 河 原 町 二 条 ビ ル

ョ ン

子 大 学

基 調 講 演 は 、 渡 辺 豊 和 さ ん 。

え る も の ー 提 示:鳳 凰 堂 の 世 界 原 理 に よ る 町

京 都 C D L ( コ ミ ュ

理 事 会 。 総 会 議 題 は 以 下 の 通 り 。

議 題

1 会

・ 改 正 点

・ 正 会 員 資

・ 会 費 納 入 者 ( 年 3000 円 ) を も

・ 正 会 員 に よ っ て 総 会 を 構 成 す る

拠 地 設 立 と 運 営 に つ い て

・ 京 都 C D L セ ン タ ー ( 仮 )

上 羽 ( う え ば ) 様 貸 家

〒 6 0 0 - 8 4 7 5 京

条 烏 丸 10 分 )

カ リ フ ォ ル ニ ア 大

ン 共 同 研 究 に つ い て

1 1 月 1 6 日 ~ 3 0 日 滞 在

1 1 月 1 8 日 第 一 回 ミ ー テ

1 1 月 1 9 日 フ ィ ー ル ド ・ ヴ ィ ジ ッ ト

1 1 月 2 0 日 共 同 研 究 計 画 デ ィ ス カ ッ シ

続 い て 、 審 査 会 。 短 い 時 間 で え い や と 決 定 。

京 都 CDL キ ン グ : 池 坊 短 期 大 学

京 都 CDL コ ミ ュ ニ テ ィ 賞 : 京 都 女

京 都 CDL デ ザ イ ン 賞 : 京 都 大 学 高 田 研 究 室

京 都 CDL リ ー グ 賞 : 滋 賀 県 立 大 学

「 京 都 発 信 の 可 能 性 」:町 家 を 越

家 を 越 え る 住 居 像 : 警 鐘 : 景 観 論 の 空 洞 化 が 都 市 風 景 の 退 廃 を 招 く 。

1 . 再 生 平 安 京 : 木 造 建 築 に よ る 都 市 風 景 の 再 生

2 . 新 し い 木 造 架 構 美 の 探 求

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3 . 鳳 凰 堂 の 超 現 代 性

4 . 創 意 工 夫 の 欠 如 : 不 毛 の 景 観 論 争 と イ マ ジ ネ ー シ ョ ン の 貧 困

レ ジ ュ メ は 立 派 で 面 白 そ う だ っ た の だ が 、二 日 酔 い と か で イ マ イ チ の 講 演 内 容 。

し か し 、 学 生 に は 評 判 が よ か っ た 。

各 チ ー ム 発 表 の 後 、 表 彰 式 。 懇 親 会 。

2002 年 10 月 23 日 久 し ぶ り の 研 究 室 ゼ ミ 。 こ の と こ ろ 、 研 究 室 は 大 忙 し で あ っ た 。 最 近 は メ ー ル

で も や り と り で き る け れ ど 、 や は り 集 ま っ て 議 論 す る 必 要 は あ る 。 最 近 は 専 ら 「 近 代 世 界 シ ス テ ム と 植 民 都 市 ・ ・ ・ オ ラ ン ダ 植 民 都 市 研 究 」( 仮 )

を 書 き 続 け て い る 。 ど う も フ ラ ン ス が 弱 い 、 と い う こ と で 、 フ ラ ン ス 植 民 地 帝 国

に 関 す る 本 を こ の と こ ろ 随 分 読 ん だ 。

藤 井 真 理 、 『 フ ラ ン ス ・ イ ン ド 会 社 と 黒 人 奴 隷 貿 易 』 、 九 州 大 学 出 版 会 、 2001

服 部 春 彦 、『 フ ラ ン ス 近 代 貿 易 の 生 成 と 展 開 』、 ミ ネ ル ヴ ァ 書 房 、 1992 年

平 野 千 果 子 、 『 フ ラ ン ス 植 民 地 主 義 の 歴 史 奴 隷 制 廃 止 か ら 植 民 地 帝 国 の 廃 止

ま で 』 、 人 文 書 院 、 2002 年

竹 沢 尚 一 郎 、『 表 象 の 植 民 地 帝 国 近 代 フ ラ ン ス と 人 文 諸 科 学 』、世 界 思 想 社 、

2001 年

グ ザ ヴ ィ エ ・ ヤ コ ノ 、『 フ ラ ン ス 植 民 地 帝 国 の 歴 史 』、 平 野 千 果 子 訳 、 文 庫 ク セ

ジ ュ 、 白 水 社 、 1998 年 。 Yacono, Xavier: “ Historie de la colonisation

Francaise” , Collection Que Sais-Je? No. 452,

『 カ ル チ ェ 、 テ ヴ ェ フ ラ ン ス と ア メ リ カ 大 陸 一 』 大 航 海 時 代 叢 書 第 Ⅱ 期 19、

岩 波 書 店 、 1982 年 『 レ リ ー 、 ロ ー ド ニ エ ー ル 、 ル ・ シ ャ ル ー フ ラ ン ス と ア メ リ カ 大 陸 二 』 大 航

海 時 代 叢 書 第 Ⅱ 期 20、 岩 波 書 店 、 1987 年 な ど で あ る 。

2002 年 10 月 25 日 1 0 月 号 が 届 い た 。 す ば ら し い 。 か な り リ カ バ リ ー で き た 。 1

~ 2 月 号 が 遅 々 と し て い る の が 気 に か か る 。 田 中 麻 里 さ ん か ら 2 月

号 関 連 の 依 頼 文 が 届 い た 。 忙 し い 先 生 方 の ス ケ ジ ュ ー ル を 合 わ せ る の は 至 難 の 業

で あ る 。 諸 先 生 方 に は ご 清 祥 の こ と と お 慶 び 申 し 上 げ ま す 。 こ の た び 日 本 建 築 学 会 「 建 築 雑 誌 」 は 2 0 0 3 年 2 月 に 創 刊 1 5 0 0 号 を 迎 え ま す 。

編 集 委 員 会 で は そ れ を 記 念 し て 「 ア ジ ア の 中 の 日 本 建 築 」 と い う 特 集 を 企 画 し ま

し た 。 特 集 で は 幾 つ か の テ ー マ に つ い て 座 談 会 を 開 き 、 ア ジ ア の 中 で の 日 本 の 建

築 界 の 役 割 や 将 来 を 議 論 し て 頂 く こ と に な り ま し た 。 建 築 計 画 系 の 座 談 会 は「 ア ジ ア の 住 居 集 落 研 究 の 課 題 -ア ジ ア の 居 住 空 間 と 住 環

境 整 備 -」と 題 し て 、ア ジ ア の 住 居・集 落・都 市 研 究 を 行 っ て お ら れ る 先 生 方 を 中

心 に 、 先 生 方 が 関 わ っ て お ら れ ま す ア ジ ア の 研 究 対 象 地 域 で の 居 住 空 間 の 特 徴 と

そ れ ら を 踏 ま え た 住 環 境 整 備 の あ り 方 、 日 本 が 取 り 組 む べ き 研 究 や 実 践 面 で の 課

題 、 ま た 、 日 本 が ア ジ ア か ら 学 ぶ べ き こ と な ど に つ い て 議 論 し て 頂 き た い と 考 え

ま し た 。 ご 多 忙 の と こ ろ 誠 に 恐 れ 入 り ま す 、 ど う ぞ 趣 旨 を ご 理 解 い た だ き 、 座 談 会 へ の

出 席 を ご 了 承 い た だ き ま す よ う お 願 い 申 し 上 げ ま す 。 お 手 数 で す が 、 ご 出 席 の 承 否 を 田 中 ま で ご 連 絡 下 さ い 。 座 談 会 は 11 月 も し く は

1 2 月 中 に 建 築 会 館 で の 実 施 を 予 定 し て い ま す 。日 時 の 詳 細 は 改 め て 調 整 さ せ て い

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た だ き ま す が 、 候 補 日 設 定 の た め 、 当 該 期 間 中 で す で に 確 定 し て い る 参 加 不 可 の

日 も し く は 希 望 さ れ ま す 日 が あ り ま し た ら 、 合 わ せ て お 知 ら せ い た だ け ま す と 幸

い で す 。 よ ろ し く お 願 い 申 し 上 げ ま す 。 2002 年 10 月 26 日

10:00 か ら 京 都 の 駅 前 の キ ャ ン パ ス プ ラ ザ 京 都 で I .ウ ォ ー ラ ー ス テ イ ン の 講 演

会 。 京 都 大 学 東 南 ア ジ ア 研 究 セ ン タ ー 主 催 の 国 際 会 議 Region in Globa l i zat io nの 基 調 講 演 で あ る 。 本 棚 に は 、 I .ウ ォ ー ラ ー ス テ イ ン の 著 作 が ず ら っ と 並 ん で い

る 。邦 訳 さ れ た も の は ほ と ん ど 持 っ て い る の で は な い か 。最 近 、「 近 代 世 界 シ ス テ

ム と 植 民 都 市 - - -オ ラ ン ダ 植 民 都 市 研 究 」( 仮 ) の た め に 、 原 稿 を 書 い て い て 、 I .ウ ォ ー ラ ー ス テ イ ン を 読 み 直 し て い た タ イ ミ ン グ で も あ り 、 い さ さ か ミ ー ハ ー 心

も 手 伝 っ て 、 覗 い て み た 。 そ ん な に 大 き な 会 場 で は な か っ た け れ ど 、さ す が に 世 界 を 代 表 す る「 知 の 巨 人 」

の 講 演 会 で あ る 。 数 多 く の 聴 衆 を 集 め て 熱 気 む ん む ん で あ っ た 。 会 場 に は 、 中 部

大 学 に 移 ら れ た 立 本 成 文 先 生 を は じ め 顔 見 知 り の 先 生 方 も 大 勢 参 加 さ れ て お り 、

実 に な つ か し か っ た 。「 イ ス ラ ー ム の 都 市 性 」 以 来 、「 地 域 研 究 」 を め ぐ る シ ン ポ

ジ ウ ム に は 随 分 参 加 さ せ て 頂 い た の で あ る が 、 最 近 、 知 的 な 議 論 の 場 に 顔 を 出 す

機 会 が な か っ た こ と を 痛 感 し た 次 第 。 "Reg ions in Global izat ion in the 21st Century"と い う の が 予 告 で あ っ た け れ

ど 、 タ イ ト ル は 、‘ Geopo l i t i ca l Cleavages o f the 21 s t Century : What Future for the Wor ld?’で あ っ た 。21 世 紀 の 地 政 学 的 分 裂 ? に つ い て 、3 つ の 局 面 に 分 け て

の 分 析 が 繰 り 広 げ ら れ た 。 一 つ は 、 西 ヨ ー ロ ッ パ 、 日 本 、 合 衆 国 の 三 角 構 造 、 二

つ は 南 北 の 分 裂 、 三 つ は 南 北 の 分 裂 を 含 む 、 各 地 に お け る よ り 一 般 的 な 衝 突 、 分

裂 で あ る 。 1970 年 代 は 西 欧 、1980 年 代 は 日 本 、そ し て 1990 年 代 は 再 び ア メ リ カ 、世 界 経

済 の ヘ ゲ モ ニ ー の 推 移 に つ い て 分 析 し た 上 で 、 21 世 紀 を 展 望 す る 内 容 で あ っ た 。

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近 代 世 界 シ ス テ ム の 最 初 の ヘ ゲ モ ニ ー を 握 っ た の は オ ラ ン ダ で あ っ た 。イ ギ リ ス 、

そ し て ア メ リ カ 合 衆 国 が 中 枢 と な っ た 。 冷 戦 構 造 の 崩 壊 以 降 、 再 び 世 界 経 済 の ヘ

ゲ モ ニ ー は ア メ リ カ の 掌 中 の も の と な っ た 。Pax Amer icana Part 2 の 実 現 で あ る 。

そ れ を 支 え て い る の は 圧 倒 的 な 軍 事 力 で あ る 。 イ ラ ク の 問 題 、 北 朝 鮮 の 問 題 、 モ ス ク ワ の 劇 場 占 拠 の 問 題 も 織 り 込 ん だ ホ ッ ト

わ ず に や り と し た け

中 心 テ ー マ も グ

後 の セ ッ シ ョ ン は ス キ ッ プ し て 新 大 阪 へ 。『 日 韓 建 設 工 業 新 聞 』の 企 画 で 、類

は 進 ま な か っ た 。 冒

か ら の 言 い 種 で あ る 。

プ ン な 会 議

講 演 で あ っ た 。 そ れ だ け 、 世 界 シ ス テ ム の 運 動 の 速 度 が 速 く な っ て い る と い う

こ と で あ ろ う 。 最 後 に 将 来 に 向 け て の 8 つ の ポ イ ン ト が 提 示 さ れ た 。 シ ョ ッ キ ン

グ だ っ た の は 、 イ ラ ク が 核 を 使 う 可 能 性 が あ る と い う 点 で あ る 。 ア メ リ カ に お け

る イ ラ ク 問 題 の 温 度 は 相 当 高 い こ と が わ か る 。 ユ ー ロ 、 中 国 と ロ シ ア 、 南 北 朝 鮮

半 島 の 統 一 、サ ウ ジ ア ラ ビ ア・パ キ ス タ ン・・・・・国 際 政 治 予 測 の 趣 も あ っ た 。

も っ と も そ の 程 度 の 理 解 の 英 語 力 し か な か っ た と い う こ と だ ろ う け れ ど 、 質 疑 応

答 も 面 白 か っ た 。 ア フ リ カ に つ い て 触 れ ら れ な か っ た こ と 、 地 球 環 境 問 題 に つ い

て 触 れ ら れ な か っ た こ と は 僕 に も ち ょ っ と 意 外 で あ っ た 。 様 々 な 問 題 は わ か る け れ ど 、 解 決 は ? と い う 質 問 に は 、 思

ど 、 世 界 を 読 み 通 す 巨 人 だ か ら と い っ て や は り 無 い も の ね だ り で あ ろ う 。 I do not contro l agenda(o f the wor ld ) !と い う 返 答 が 笑 い を 誘 っ た 。

し か し 、 い ず れ に し て も 快 い 知 的 刺 激 を 受 け た 。 重 慶 の 会 議 の

ー バ リ ゼ ー シ ョ ン と 地 域 で あ っ た 。 様 々 な 局 面 で グ ロ ー バ ル な 問 題 を 考 え る ヒ

ン ト を 得 た よ う に 思 う 。 午

計 室 の 土 山 さ ん と の 対 談 で あ る 。 前 に も 書 い た け れ ど 、 僕 の 最 初 の 著 作 『 戦 後

建 築 論 ノ ー ト 』 の 編 集 者 神 子 久 忠 さ ん か ら の 依 頼 だ か ら 断 る わ け に は 行 か な い 。

ま た 、神 子 さ ん の 企 画 は い つ も 刺 激 的 で あ る 。類 設 計 室 30 周 年 特 集 号 と い う こ と

で 、 予 め テ ー マ ~ 設 計 事 務 所 の 役 割 と そ の 存 在 核 ~ が 送 ら れ て き て い た 。 聞 く

と こ ろ に よ る と 、 類 設 計 室 は 最 近 好 調 で 、 コ ン ペ な ど も か な り の 確 率 で 獲 る と い

う 。 そ の 元 気 の 秘 密 を 探 っ て 欲 し い と い う こ と で あ っ た 。

以 下 が 事 前 に 頂 い た メ モ で あ っ た が 、 案 の 定 、 そ の 通 り に

の 建 築 家 批 判 ( ゼ ネ ラ リ ス ト 幻 想 ) に ひ っ か か っ て し ま っ た 。 僕 の 言 う 「 裸 の

建 築 家 」と い う の は 建 築 家 批 判 で あ る け れ ど 、「 建 築 家 」で あ っ て 欲 し い と い う 批

判 で も あ る 。 自 己 主 張 の 強 い 建 築 家 は 要 ら な い 、 と い う の は そ れ な り に わ か る の

で あ る が 、「 建 築 家 」 に は し っ か り し て 欲 し い の で あ る 。

組 織 に 対 し て は 、個 人 の 顔 が 見 た い と い う の が 僕 の か ね て

妙 に 力 点 が ず れ て い て 、 本 題 に な か な か 入 れ な か っ た の で あ る 。

し か し 、 な か な か ユ ニ ー ク な 組 織 で あ る 。 新 入 社 員 も 徹 底 し た オ ー

参 加 す る の が 基 本 だ と い う 。 塾 、 農 園 な ど 他 事 業 展 開 も 面 白 い 。 N P O 的 に 地

域 活 動 に 取 り 組 む 、都 市 よ り 農 村 の 需 要 を 考 え る と い う の も か な り 変 わ っ て い る 。

イ ン ト ラ ネ ッ ト で 一 般 社 会 と 結 び つ く と い う の は 今 日 的 で あ る が 、 自 給 自 足 的 な

地 域 モ デ ル を 一 方 で 本 気 で 考 え る と い う の だ か ら 相 当 の 信 念 と パ ワ ー で あ る 。

と て も 組 織 の 全 貌 を 把 握 す る に は 至 ら な か っ た の で あ る が 、 も し か す る と 新 し

設 計 事 務 所 の あ り 方 を 差 し 示 し て い る の か も し れ な い と 思 っ た 。

Ⅰ .建 築 家 を 取 り 巻 く 状 況 = 建 築 に 限 定 さ れ な い 、 人 々 が 求 め て い る も の

● 建 築 家 批 判 ( ゼ ネ ラ リ ス ト 幻 想 ) 元 々 の 集 団 統 合 か ら 建 築 の み が 切 り 離 さ れ た → 建 築 家 の 登 場

● ● 建 築 家 に 求 め ら れ て い る も の 否 応 で も 組 織 課 題・経 営 課 題 に 応 え る 必 要 / 状 況 を 読 む 力 = 企 画

力 ・ 統 合 力 ⇒ 建 築 家 に 限 ら ず 、 コ ン サ ル ・ 意 識 生 産 業 で は 必 須 課 題

Ⅱ .組 織 と し て の ゼ ネ ラ リ ス ト を 目 指 す → 専 任 分 化

① そ の 全 て を そ ろ え る 為 に は 組 織 し か な い

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・ 組 織 事 務 所 の 役 割 → 建 築 に 限 定 さ れ な い 組 織 づ く り … 技 術 と 企 画( 人 材 )の シ ン ク タ ン ク / 新 事

り で は ダ メ → 組 織 化 の 重 要 性 → 専 門 分 化 体 制 )

テ リ ア ・ 造 園 ・ 土 木 を 含 む

・ エ ン ジ ニ ア … 商 品 開 発 力 ( 部 位 別 分 化 )・ 素 材 や 工 法 、 デ ィ テ ー ル の 生 き 字 引

・ ③ 人 材 育 成 フ ロ ー ( ※ 会 社 案 内 P. 1 5 参 照 )

ロ ー テ ー シ ョ ン / デ ザ イ ナ ー 登 用 試 験 e t c .

※ 人 材 募 集 が 最 重 要 課 題 → 建 築 以 外 の 採 用 が 5 割 ~ シ ン ク タ ン ク と の 関 連

ッ ト

た ミ ー テ ィ ン グ

業 展 開 ( 建 築 以 外 の 領 域 含 む ) / コ ン サ ル

類 の 設 計 体 制 の 説 明

( バ ラ バ ラ の 専 門 家 の 集 ま

・ デ ィ レ ク タ ー

・ プ ロ デ ュ ー サ -

・ デ ザ イ ナ ー … イ ン

④ 日 常 業 務 の 進 め 方 の 特 性

コ ラ ボ レ ー シ ョ ン

e x .) イ ン ト ラ ネ

デ ィ レ ク タ ー を 中 心 と し

設 室 全 体 の 会 議 重 視

Ⅲ り 組 み ~ コ ン セ プ ト の 土 台 固 め ~ ( 具 体 例 )

※ 創 立 時 理 の 蓄 積 ( 経 営 管 理 シ ス テ ム / 実 績 シ ス テ ム ) が そ の 母 体

.設 計 の 高 度 化 へ の 実 践 的 取

① N P O ・ 地 域 サ ー ク ル へ の 参 画

か ら の 計 数 管

Ⅳ .( 設 計 事 務 所 の ) 現 在 的 課 題 と 今 後 の 点 領 域

① 情 報 シ ス テ ム ・ SE

② 財 務 コ ン サ ル ・ 経 営 コ ン サ ル

・ 情 報 戦

期 待 に 応 え る ) へ

⇒ 調 査 ・ 企 画 業 務 の 拡 大

プ ロ ポ ・ コ ン ペ 対 策

→ 徹 底 し た ニ ー ズ 分 析

② = 自 己 主 張 か ら 応 望 ( 相 手 の

= 時 代 の 潮 流 ( 大 衆 の 意 識 ) を 読 む

Ⅴ .そ の 他 ( 何 に で も チ ャ レ ン ジ で き る 自 由 な 企 業 風 土 )

に 経 済 界 で 名 が 知 ら れ る な が

… 市 民 圧 力 を 発 注 者 に 伝 え る

… 市 民 と 発 注 者 を 一 緒 に ⇒ 「 当 事 者 」 と し て の 集 合 体 を つ く る

② 建 築 様 式 の 考 察

… 前 史 ( 有 史 以 前 ) … 自 前 の デ ザ イ ン 論 = コ ン セ プ ト ・ 立 案 の た め の 構 造 認 識

③ 市 場 論 ・ 都 市 論

④ サ ー ベ イ の 重 視

e x .) 震 災 調 査 / 調 査 部 門 の 充 実

⑤ デ ー タ 重 視

e x .) コ ス ト デ ー タ / 金 融 市 場 デ ー タ / マ ク ロ

経 済 デ ー タ

● 類 の 組 織 体 制 ( 共 同 体 、 ホ ロ ン 経 営 ) ⇒ 建 築 界 よ り も 先

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2002 年 10 月 27 日 京 都 に は 、 ゼ ロ ・ コ ー ポ レ

い う ニ ー ク な デ

ィ ベ ロ ッ パ ー が あ る 。 そ の 一

端 は 、 3 月 号 で 紹 介 さ れ て い

る( 金 城 一 守「 地 域 デ ィ ベ ロ

ッ パ ー の イ ン タ ー ネ ッ ト 活

用 」、 特 集 『 建 築 の 情 報 技 術

革 命 』、2002 年 3 月 号 )。都 市

居 住 研 究 ど 組 織 す る な

ど 京 都 の ま ち づ く り に つ い て

も 積 極 的 な 提 言 を 行 っ て き た 。

そ の ゼ ロ ・ コ ー ポ レ ー シ ョ ン

が 、 8 人 の 建 築 家 に 建 売 住 宅

の 設 計 を 委 託 す る と い う 。 何

回 か の 打 ち 合 わ せ を 経 て 、 作

「 北 大 路 ま ち な か 住 宅 コ ラ ボ レ ー シ ョ

ン ’ 02 」 作 品 説 明 会 ( 午 後

1 : 0 0 ~ 4 : 0 0 頃 会

場:京 都 ホ テ ル オ ー ク ラ ))。

コ ー デ ィ ネ ー タ ー を 務 め る

の が 広 原 盛 明 先 生 で 、 松 岡

拓 公 男( 滋 賀 県 立 大 学 )、葉

山 勉 ( 京 都 精 華 大 学 ) の 両

先 生 が 京 都 CDL(コ ミ ュ ニ

テ ィ ・ デ ザ イ ン ・ リ ー グ )を 代 表 し て ア イ ザ ー

と し て 参 加 し た と い う 経 緯

が あ る の で あ る 。会 場 に は 、

購 入 予 定 者 の 家 族 の 参 加 も

あ り 、 僕 の よ う な オ ブ ザ ー

バ ー の 参 加 も あ り 、 面 白 い

セ ッ テ ィ ン グ で あ っ た 。 大 谷 孝 彦 、 石 本 幸 良 、 西

巻 優 、 吉 村 篤 一 、 若 林 広 幸 の 八 氏 。 コ ン ペ を し て 、 ひ と り の 建 築 家 に 設 計 を 委 ね る 手 も も ち ろ ん あ る 。 し か し 、 そ

れ だ と デ ィ ベ ロ ッ パ ー と し て は リ ス も あ る 。 町 並 み を 統 一 し な が ら 、 デ ザ イ ナ

ー の 個 性 を 売 り た い 、 と い う と こ ろ が 本 音 ら し い 。 参 加 す る 建 築 家 は 、 や り に く

そ う に も 思 え た 。 一 戸 一 戸 建 て る 時 の 作 法 が 問 わ れ て い る か ら で あ る 。 買 い 手 も

つ く 必 要 が あ る 。 実 験 台 に ま ず 乗 っ て い る の は 建 築 家 の 方 な の で あ る 。 中 央 の テ ー ブ ル に 8 戸 の 模 型 が 並 べ ら れ て い た 。屋 根 の 形 を 見 る 限 り 、バ ラ バ

ラ の よ う に 見 え る 。 無 難 に フ ァ ミ リ ー タ イ プ を 用 意 す る も の 、 意 欲 的 に 新 た な 空

間 を 提 起 し よ う と す る も の 、 が あ る 。 が 、 総 じ て あ る 枠 に 収 ま っ て い る 。 敷 地 割

り が そ れ 以 前 に 決 定 さ れ て い る か ら で あ る 。 折 角 の 実 験 な の に 、 残 念 な 気 が し な

い で も な い 。 し か し 、 敷 地 の 境 界 を 自 由 に 調 整 す る 建 売 住 宅 と い う の は あ り え な

い の で あ ろ う 。 コ ー デ ィ ネ ー タ ー に よ っ て 、 ま と め ら れ た 設 計 条 件 は 、 配 置 、 建 築 、 色 調 ・ 素

材 、 外 構 、 そ の 他 に つ い て 1 9 項 目 に な る 。 形 態 規 制 、 ビ ル デ ィ ン グ ・ コ ー ド の

品 発 表 会 を す る と い う の で 、 出 か け た (

ー シ ョ ン と ユ

会 な を

ド ヴ ァ

指 名 さ れ た の は 、 天 宅 毅 、 矢 代 恵 、 林 史 朗 、 満 野 久 ・

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い る 。

第 55 回 ア ジ ア 都 市 建 築 研 究 会 。 今 回 は 「 ム ン バ イ 、 ブ ラ ッ ク タ ウ ン の 空 間 構

り 方 を 考 え さ せ る 。 さ ら に 、 高 さ 関 係 、 部 品 、 ハ ー ド ウ エ ア な ど も 共 有 で き る

の で は な い か 、 と い う の が 直 感 で あ る 。 ど こ ま で ル ー ル を 共 有 で き る か 、 ど こ ま で 住 み 手 の 個 性 に 答 え る の か 、 そ れ で

も 、 実 験 は 興 味 深 い テ ー マ を 充 分 に 含 ん で

2002 年 10 月 28 日

成 と チ ョ ー ル 」 し て 、 千 葉 大 学 の 池 尻 隆 史 さ ん が 発 表 し た 。 植 民 都 市 研 究 仲

り 上 が っ た 。 特 に 、 京 都 大 学 の ア ジ ア ア フ リ カ 地

と 題

間 で 、チ ェ ン ナ イ( マ ド ラ ス )、ム ン バ イ( ボ ン ベ イ )の 調 査 を 一 緒 に 行 っ た 。今

回 は 、 ム ン バ イ の チ ョ ー ル に つ い て 発 表 す る と い う こ と だ 。 チ ョ ー ル と は 、 設 備

共 用 の 賃 貸 住 宅 の こ と で あ り 、 ボ ン ベ イ が 爆 発 的 に 膨 張 す る と と も に 供 給 さ れ た

都 市 型 住 宅 の 一 類 型 で あ る 。 膨 大 な 作 業 を こ な し 、 パ ワ ー ポ イ ン ト を 用 い た 見 事 な 発 表 で あ っ た 。 質 疑 応 答

は 、 そ の 作 業 に 見 合 う よ う に 盛

研 究 研 究 科 の 田 辺 昭 生 先 生 ら の グ ル ー プ か ら 鋭 い 質 問 が 飛 ん だ 。 イ ン タ ー ジ ャ

ン ル の 討 議 は い つ も 刺 激 に 富 ん で い る 。 は 、 こ れ に 先 立 ち 地 区 の 街 区 ・ 街 路 お よ び チ ョ ー ル