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経済研究 Vol.43, No.3, Ju1.1992 【寄 書】 明治後期の工場統計について 一松田芳郎・佐藤正広・木村健二『明治期製造業における工場生産の構造』および 松田芳郎・・有田富美子.・木村健二r明治期工場統計調査の復元集計』1・II・IIIに寄せて一 1 産業・経営・労働史など様々な視角から明治後期 の経済・産業発展について多くのことが明らかにさ れてきた.しかしそうした試みにもかかわらず,経 済活動の基本単位である企業あるいは工場について われわれが有する情報は意外と乏しく,とりわけ社 史類や財務資料が残されている可能性の低い企業や 工場の実態にいかに迫るかは今後の大きな課題であ る.そうした課題に取組む場合われわれ,がまず最初 に依拠する統計書の一つが『工場通覧』であり,近 年の復刻によってその利用が今後一層促進されるこ とと思われる. こうした中で明治期の工場統計調査制度の変遷を 概観し,その中に『工場通覧』データを位置づけ, さらに業種分類体系・工場統計個票の検討を通して 工場統計の構成を規定する産業構造の変化,「工場」 の実態を吟味した『明治期製造業における工場生産 の構造』(以下『構造』と略記)は,’工場統計の旧格, 工場統計が制度として確立される過程で直面した 様々な問題について豊富な事実を提供してくれる. 『明治期工場統計調査の復元集計』(以下『復元集計』 と略記)1では「復元集計表」の目的と意義について 述べられた後,『工場通覧』原データの項目間の整合 性を検討する手法が詳述されている.r復元集計』 II・IIIはそれぞれ原データの訂正を終えた『明治 35年工場通覧』と『明治42年工場通覧』の復元 集計表であり,(1)職工規模別表,(2)産業大分類別 表,(3)所有形態別表,(4)所有形態毎職工規模別表 (株式・合名・合資会社・類似団体・個人所有・そ. の他),(5)所有形態毎産業大分類別表(同上)が収録 されており,各表について属性値の分布が分かるよ うに最小値,最大値,平均,分散も表示されている. そこで以下ではまず『構造』と『復元集計』1の内 容を簡単に紹介し,次に『復元集計』II・IIIに収録 されたデータから読取り得る重要な事実について若 干の検討を加え,最後に他の統計データも紹介しつ つ,明治後期の工場を検討する場合のいくつかの課 題について考えてみたい. II 『構造』は3章より構成されるが,松田芳郎氏によ る第1章「日本における工場統計調査制度の形成」 は明治期における工場統計調査の変遷過程を検討し, その間の統計調査の結果精度を吟味することを目的 とする.まず最初に工場統計調査の時期区分が示さ れる.明治期の工場統計は大きく表式調査の時期と 近代的個票調査の時期に区分され,後者はさらに, 「(1)個票調査確立のための試行期.(明治27年から 31年)」,「(2)点出調査結果の独立報告書刊行期. (明治32年から36年)」,「(3)日露戦争による財政 逼迫により独立集計報告書の刊行中絶期.」,「(4)独 立した工場統計調査の確立期.(明治42年〉」(2頁) に細分される. 表式調査の捕捉率は低く,しかも表式調査では調 査者と調査対象との関係が未規定なため,調査者が 前年度の記録やおおよその記憶で記入することを排 除できず,集計作表も難しいという問題があった. また季節操業が常態になっている工場の多さに規定 されて,当初は職工数については年間延人員という フロー概念が採用されていたが,1886年の「農商務 通信規則」改正を機にストック概念に移行した. 1894年3月の「農商務統計様式」改正によって個 票(工場票)調査が導入され,また同年には途中で集 計を断念したと推定される「製造所工場職工調査」 も進められ,さらに1899年からは独立報告書(1899 年には1896・97年データが「全国工場統計」とし て)が刊行されるようになった.集計結果表は独立 報告書として公表されるだけでなく,『農商務統計 表』にも公表された.ただここで留意すべきは2系

明治後期の工場統計について - HERMES-IR · ータの方が,公表集計表より後である」(11頁)との 判断を示されている. 木村健二氏による第2章「明治中後期製造業にお

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経済研究Vol.43, No.3, Ju1.1992

【寄  書】

明治後期の工場統計について一松田芳郎・佐藤正広・木村健二『明治期製造業における工場生産の構造』および

松田芳郎・・有田富美子.・木村健二r明治期工場統計調査の復元集計』1・II・IIIに寄せて一

沢 井  実

1

 産業・経営・労働史など様々な視角から明治後期

の経済・産業発展について多くのことが明らかにさ

れてきた.しかしそうした試みにもかかわらず,経

済活動の基本単位である企業あるいは工場について

われわれが有する情報は意外と乏しく,とりわけ社

史類や財務資料が残されている可能性の低い企業や

工場の実態にいかに迫るかは今後の大きな課題であ

る.そうした課題に取組む場合われわれ,がまず最初

に依拠する統計書の一つが『工場通覧』であり,近

年の復刻によってその利用が今後一層促進されるこ

とと思われる.

 こうした中で明治期の工場統計調査制度の変遷を

概観し,その中に『工場通覧』データを位置づけ,

さらに業種分類体系・工場統計個票の検討を通して

工場統計の構成を規定する産業構造の変化,「工場」

の実態を吟味した『明治期製造業における工場生産

の構造』(以下『構造』と略記)は,’工場統計の旧格,

工場統計が制度として確立される過程で直面した

様々な問題について豊富な事実を提供してくれる.

『明治期工場統計調査の復元集計』(以下『復元集計』

と略記)1では「復元集計表」の目的と意義について

述べられた後,『工場通覧』原データの項目間の整合

性を検討する手法が詳述されている.r復元集計』

II・IIIはそれぞれ原データの訂正を終えた『明治

35年工場通覧』と『明治42年工場通覧』の復元

集計表であり,(1)職工規模別表,(2)産業大分類別

表,(3)所有形態別表,(4)所有形態毎職工規模別表

(株式・合名・合資会社・類似団体・個人所有・そ.

の他),(5)所有形態毎産業大分類別表(同上)が収録

されており,各表について属性値の分布が分かるよ

うに最小値,最大値,平均,分散も表示されている.

 そこで以下ではまず『構造』と『復元集計』1の内

容を簡単に紹介し,次に『復元集計』II・IIIに収録

されたデータから読取り得る重要な事実について若

干の検討を加え,最後に他の統計データも紹介しつ

つ,明治後期の工場を検討する場合のいくつかの課

題について考えてみたい.

II

 『構造』は3章より構成されるが,松田芳郎氏によ

る第1章「日本における工場統計調査制度の形成」

は明治期における工場統計調査の変遷過程を検討し,

その間の統計調査の結果精度を吟味することを目的

とする.まず最初に工場統計調査の時期区分が示さ

れる.明治期の工場統計は大きく表式調査の時期と

近代的個票調査の時期に区分され,後者はさらに,

「(1)個票調査確立のための試行期.(明治27年から

31年)」,「(2)点出調査結果の独立報告書刊行期.

(明治32年から36年)」,「(3)日露戦争による財政

逼迫により独立集計報告書の刊行中絶期.」,「(4)独

立した工場統計調査の確立期.(明治42年〉」(2頁)

に細分される.

 表式調査の捕捉率は低く,しかも表式調査では調

査者と調査対象との関係が未規定なため,調査者が

前年度の記録やおおよその記憶で記入することを排

除できず,集計作表も難しいという問題があった.

また季節操業が常態になっている工場の多さに規定

されて,当初は職工数については年間延人員という

フロー概念が採用されていたが,1886年の「農商務

通信規則」改正を機にストック概念に移行した.

 1894年3月の「農商務統計様式」改正によって個

票(工場票)調査が導入され,また同年には途中で集

計を断念したと推定される「製造所工場職工調査」

も進められ,さらに1899年からは独立報告書(1899

年には1896・97年データが「全国工場統計」とし

て)が刊行されるようになった.集計結果表は独立

報告書として公表されるだけでなく,『農商務統計

表』にも公表された.ただここで留意すべきは2系

Page 2: 明治後期の工場統計について - HERMES-IR · ータの方が,公表集計表より後である」(11頁)との 判断を示されている. 木村健二氏による第2章「明治中後期製造業にお

明治後期の工場統計について

列の数値が若干異なっている点であり,とくに『農

商務統計表』においては有動力工場数が1898年か

ら99年にかけて大きく減少したが,これは水車が

動力から排除された結果であった.

 こうした独立報告書とともに調査対象工場名簿の

一覧リストともいうべき『工場通覧』が刊行された.

ここで両者の関係が問題になるが,松田氏は両者の

詳細な照合を行うことによって,『工場通覧』データ

が公表集計結果表作成時には集計が間に合わなかっ

たデータをも含むものであることを明らかにし,そ

こから「データの発生時点としては『工場通覧』デ

ータの方が,公表集計表より後である」(11頁)との

判断を示されている.

 木村健二氏による第2章「明治中後期製造業にお

ける業種分類項目の再編成」は1896-1909年の各種

工場統計資料に見られる産業分類体系の特徴を検討

し,その上で各年次における分類項目の統一化を図

る試みである.まず明治中後期の坤理学,商品学,

工業経済論における産業分類が概観された後,1896

-98年の工業統計データにおける「製品別分類」が

一層の列挙式分類であるのに対し,1899年以降は

大・中・小・細分類の四層からなる階層型分類体系

であり,さらにその際の分類基準には「原材料」,

「工程」,「用途」などが錯綜して使用されていること

が明らかにされる.

 分類項目数は1896-98年には各部門において増加

するのに対し,1899-1907年にはほとんど変化がな

く,1909年には調査対象範囲の拡大(職工数10人以

上工場から5人以上工場へ),それに伴う在来的手

工業製品の表掲の必要性に規定されて著増した.次

に産業分類項目の年次間移動およびその移動の理由

が大分類を越える移動と同一大分類内における移動

について追跡され,所属分類の移動も統一的な分類

基準によって行われたというよりもむしろ諸産業の

実態的な変化に対応した結果であったことが示され

る.以上の検討を踏まえて最後に1909年の分類項

目を基準に1896・1900・1904年の諸工場統計の分

類項目が再編成され,また実際に数値をくみ入れる

際の留意点の検討が行われる.なお巻末にはこうし

た作業の成果である別表1「明治・42年基準・製造業

分類項目の再編成」が掲げられている.

 佐藤正広氏による第3章「工場生産の実態と明治

42年工場統計個票の検討」ではまず最初に1909年

の『工場通覧』で特定の産業分類項目に格付けされ

た工場において,それ以外の項目に属すべき品目が

269

同時に生産されている事例(「同時生産物」)の代表的

なものが,生産工程を異にする複数生産物と同一工

程から生産される複数生産物の双方のケースについ

て検討され,産業分類表と工場生産の実態の乖離に

留意すべきであることが示される(別表2「『工場通

覧』本誌にみる同時生産物生産の事例数」参照).

 次に明治後期の愛知県における工業生産の特徴が

概観された後,1909年の「工場統計報告規則」に従

って作成記入された愛知県下の個票(工場表)の具体

的分析に移り,集計表や『工場通覧』ではうかがい

知ることのできない当時の「工場」の実態が照射さ

れる.まず最初に「工場」の経営形態が検討され,

「工場」の中には問屋(putter・out)が「自分の支配下

にある生産者を一括して,自らを工場主とする一工

場という形で個票記入」(50頁)するケースや,逆に

「他から『問屋制』的な支配をうけており,自律した

経営体でないと推定されるもの」(51頁)が存在する

ことが指摘される.また「工場」の内部組織につい

て見ても,「工場主」と「工場監督者」あるいは「職

工」と「労働人夫」の区別があいまいなケースがあ

り,これらも当時の「工場」の実態を反映するもの

であった.次に「徒弟」および無給の家族労働の存

在が指摘され,公表された賃金データが集計に際し

て「徒弟」をどう処理したのかについての厳密な検

討は今後の課題であるとされる.就業・休憩時間に

関する個票記入も概念的に統一されたものではなく,

就業時間を「日出ヨリ日没迄」と記し,非就業時間

あるいは非拘束時間を休憩時間と観念するような事

例が紹介される.

 『復元集計』1の第1章「明治中後期の工場統計の

復元」(松田芳郎氏)では,復元集計表作威の第1目

的が分析目的に適合した多重集計表の作成にあり,

同時に異時点間のデータを縦断的データに再編成す

ることによって産業構造の変化が検討でき,またこ

うした作業を通してデータ精度の吟味が可能になる

ことが指摘される.次に1902年の「復元集計表」と

『農商務統計表』の工場数が照合され,さらに1902

年と1909年の工場を1対1対応させることによっ

て,この間の工場の継続・消滅・新設などが追跡さ

れる(表1.3参照).これによると当該期間に12,540

工場(1909年時点で職工規模5人以上,一部規模不

明含む)の新設をみたものの,1902年に存在した職

工規模10人以上の7,818工場のうち5,165工場は

1909年には消滅していたと推定され,またその存在

が推定されながら1902年の『工場通覧』に記載され

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270 経  済  研  究

ていない工場が15,590工場(1909年時点で職工規模

5人以上,一部規模不明含む)に及ぶことが判明す

る.

 第2章「『工場通覧』マスター・ファイルの作成と

統計表」(有田富美子氏)ではr工場通覧』原データの

項目間の整合性を検討する手法が詳述され,その成

果が第3章「明治35年と明治42年の『工場通覧』

刊本の誤り」として示されている.この正誤表に掲

げられた項目は,府県名,工場名称,工場型名,住

所,創業年などである.

III

 こうした膨大な作業をへて作成されたr復元集

計』II・IIIからは数多くの興味深い事実が読取り得

るが,以下では『復元集計』II・IIIの中で設定され

た新分類基準によって初めてその把握が可能になっ

た経営体における複数工場化および所有形態別工場

数の動きについて考えてみたい.『復元集計』II・

IIIから作成した表1によると,複数工場(複数の工

場を所有する個人または企業に属する工場)が工場

総数に占める割合は1902年遅11.5%から1909年

には13.6%に上昇している.経営に新たな経営。

工場管理,それに対応した経営組織の構築を要請す

ることになる複数工場化の進展によって,1909年に

は絶対数ではなお少ないものの,職工規模500人以

上工場の7割強,株式会社が所有する工場の約4割

が複数工場であった.産業大分類別に複数工場化の

動きをみると,絶対数で複数工場のもっとも多いの

は染織部門であったが,特別工場を別にすると醸造

業などの動きに規定されたためか,当該期に複数工

場化が急進展したのは飲食物部門であった.

 工場総数に占める個人所有工場の割合は1902年

で70.0%,1909年で74.4%と圧倒的であり,この間

に増加した工場の8割弱が個人所有工場であった.

職工規模100-499人工場においても個人所有工場の

ほうが株式会社所有工場よりも多いという事態は

1909年に至っても変化がなく,株式会社所有工場が’

圧倒的割合を占めるのは500人以上の工場において

であった.1902・09年の両年とも個人所有工場に

続くのが類似団体(~館,~社などの各種会社類似

団体)所有工場,次に株式・合資・合名会社の順で

あり,工場総数に占める構成比を高めたのは個人1所

有工場と合名会社所有工場の2グループであった.

なお当該期には工場総数に占める職工規模10-29人

の小零細工場の割合が1902年の59.3%から1909

年には7α1%に上昇するが,こうした小零細工場の

比重上昇が株式会社所有工場においても生じていた

点に留意する必要がある.

 いずれの産業大分類においても個人所有工場の占

める割合は圧倒的であったが,その中で個人所有工

場の構成比が相対的に低い部門は化学(1902年60.7

1%,1909年66.9%)と雑工場部門(1902年59.8%,

1909年62.0%)であった.また所有形態別に工場数

の産業大分類別構成比をみると,いずれの所有形態

においても染織工場の割合がもっとも高い状態には

変化はないものの,第2位に位置するのが株式会社

所有工場では化学,合名会社と個人所有では飲食物,

合資会社では化学(1902年置と飲食物(1909年),類

似団体では雑工場とそれぞれの特徴を有していた.

 以上のような論点以外にも『復元集計』II・IIIか

らは,たとえば所有形態・職工規模・産業大分類別

に原動機の内訳を追跡することによって工場動力化

の軌跡を検討することもできる.その他にも様々な

分析視角に対応して,原データには明示されていな

い分類基準を設定しあるいは交錯させ,それに基づ

いて多元的な集計を行い,そこから明治後期の工場

表1複数工場の工場総数に占める割合 (%)

職工規模 1902年 1909年 産業分類別 1902年 1909年 所有形態別 1902年 1909年

10-29人 7.8 11.1 染織 11.5 11.6 株式 25.3 39.8

30-49 13.0 14.6 機械器具 9.2 8.9 合名 24.3 31.8

50-99 13.9 15.7 化学 11.5 10.8 合資 16.9 12.7

100-499 27.0 26.9 飲食物 12.2 27.3 類似 33.6 31.0

500-999 39.3 63.8 雑 8.2 8.0 個人 4.6 79

1000人以上 41.2 81.4 特別 36.1 45.1 その他 31.3 28.2

不明 75.0 25.0

合計 11.5 13.6 合計 11.5 13.6 合計 11.5 13.6

(注) 複数工場:複数の工場を所有する個人または企業に属する工場.

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明治後期の工場統計について

の実態に迫ることが『工場通覧』デーダのデータ・

ベース化によって可能になったのである.

IV

 最後に明治後期の工場を検討する場合のいくつか

の課題について考えてみたい.『工場通覧』は工場

名称,製品種類,所在地,工場主名,創業年月,職

工数,および原動力に関する情報を提供してくれる.

表2はr警視庁統計書』と『日本工業要鑑』に基づ

いて1909年の東京府所在の主要機械器具工場を一

271

覧したものである.表2にもその一部が示されてい

るように,『警視庁統計書』には職工規模50人以上

工場についてのみであるが労働時間(最多・最少・

平均)と賃金(男女別最多・最少・平均),『日本工業

要鑑』には設備機械内訳(工作機械とその他の設備

機械の機種別構成,一部の機械についてはメーカー

名,内外製別構成)と技術者名など『工場通覧』には

見られない重要な項目に関する記載がある.両資料

ともデータの捕捉に関して大きな限界があるものの,

工場の実態を知る上で貴重なものといえよう.

表2 主要機械器具工場一覧(1909年・東京府)

1講魏

1     11    1  1  3     21    1  1  161  111

械轍㈲設

90

R9

モ  441125 31 71 m   248 32    316  292933

翻髭

004258345789443006310982694242180704555676556664776578657866556397576656                           、                              ’

鵜醐

10

P2

X1012101110101110111010109101111910101112121010101210111010111010

別類

両機機.船械工機車械器引時庫両器機械械機機械船船械械械工子工械鎗車械工械両三電電造機鉄電転機笠雲時金車衡電機機電電機工造機機機鉄螺鉄機  転機鉄機車    諸   自諸量量     量  諸諸   諸   諸諸諸     諸  自門  諸         度度     度

名場工

                      所                 所       作               所  作       製  所所            店  電  製       田 場造船            所支  配  械  所場場  三        所㈱羅緬難場騰撚欝戦国蜥麟 細道工商京貝浦機転場吉工  庫造二二工原  島島汽船械会場場子場京工作工川場場鉄沖二三池芝二二二二分二丁二王電鉄市舎月月湾造機商工工乙甲東鉄製分深工工翻㈹窩㈱睡蓮雛納穰瀬瀬㈲鯨鯨糊鯨詞鶏鶴㈲舗駕甥

(注) (1) 『警視庁統計書』に示された職工数50人以上工場を表掲.

    『日本工業要鑑』による.

  (2) 空欄は不明.

ただし設備機械・技術者は

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272 経  済  研  究

 まず工場の経営・運営を支える人的要素である経

営者,技術者,労働者に関する考察が進められなけ

ればならない.技術者の産業別・企業別分布などに

ついては内田星美氏の一連ρ研究が存在するが,全

体的な技術者の移動,技術形成プロセスの特徴,技

術の継承関係等についてはなお未知な部分が多い.

経営者の独立・開業に至るまでの経緯あるいは工場

を畳んだ後の動きなど従来から「大量創出・大量没

落」と呼ばれてきた事態の具体的内容,さらに経営

者・技術老相互の人的ネットワークの実態に関する

研究領域はほとんど未開拓なままである.技術者や

経営老の系譜関係を詳細に明らかにした,J. W, Roe,

Eη9傭乃αη4/1〃z6露6蝿捕01 Bππ4θ駕(Yale Univ.

Press,1916)のような作品をわれわれ,はなお日本に

ついて有していない.そうした研究を進めることに

よって初めて産地形成,工場地帯成立の歴史的意義

が具体的に明らかになると思われるが,そのために

も工場の成立・展開過程における地理的要因に留意

しつつ,技術の形成・普及に果たした学校制度の役

割を考察する教育史研究,個人伝記資料等の記述資

料に基づいた研究,『工場通覧』,『日本工業要鑑』等

の統計データの大量処理に立脚した数量史的研究な

どの間で一層の協力を進める必要がある.

 賃金動向についても資料的制約が大きいものの,

たとえば各企業の業績や様々な系列の賃金データと

関連させつつ,『警視庁統計書』などを素材として企

業別賃金分布の長期的動向を検討することは重要な

テーマといえよう.また従来その意義が正面から論

じられることの少なかった設備機械について,『日

本工業要鑑』は限定的であれ重要な情報を与えてく

れる.陸海軍関係資料,設備機械を取扱う商社関係

の資料とともにこうした資料を活用することによっ

て,設備機械国産化の進展状況,国産機械の普及範

囲,機械メーカーとユーザーの関係などに関するよ

り具体的な分析の展望が開けるものと思われ,る.

            (大阪大学経済学部)

農業経済研究第64巻第1号 (発売中)

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