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[主催] 同志社大学高等研究教育機構/同志社大学大学院 グローバル・スタディーズ研究科/同志社大学大学院理工学研究科 Istanbul Countdown News No.6 ※当日資料として各自プリントアウトし持参してください。 10分でわかるトルコの政治1.いま、トルコで何が起きているか? イスラーム主義の政党と市民運動が激しく 対立。こんなことは前代未聞。政党は与党の 公正・発展党(Adalet ve Kalkınma Partisi, AKP,Justice and Development Party)、市民運動の 名前はヒズメットHizmet=奉仕。公正・発展党は 2002年から与党で、レジェプ・タイイプ・エル ドアンが首相。結党以来の中心メンバーは、 エルドアン首相、ギュル大統領、アルンチ第一 副首相等。12期と軍の政治への介入を抑え込 み、民主化に成功。経済成長も達成して新興国 の仲間入り。ところが3期目から強権的な性格 が強まり市民の批判が強まる。 20135月からイスタンブルなどの主要都市 でかなりの騒乱。もとはイスタンブル、タクシ ム広場横のゲジ公園の樹木を再開発で切るの、 切らないのというもめごと。政権側が機動隊 を動員して催涙ガスやゴム弾で制圧するとい うおそろしく乱暴なことをしたため、騒乱と 反政府運動に発展。でも、大都市だけ。農村 部は政権与党支持。 この時、反政府運動に参加したのは、 ①世俗主義者(イスラーム嫌い)、②民族主 義者(AKPがクルドと和解交渉に入ったのが嫌 い)、③左翼運動(これが実態不明。もとも とそんなに居なかったはずなのに突如出現) などで、どうも実態がよくわからなかった。 とりあえず秋には警察によって制圧された が、その後、奇妙な大ゲンカが始まる。最初 は政権側が「全国の予備校を廃止」と宣言。 これは、予備校を重要な資金源とするヒズ メット運動への嫌がらせ。現在のところ2015 年で予備校全廃を決定。 ヒズメット運動側は、1217日に政権中枢 にいた閣僚の家族の汚職問題を暴露。ここ 注意がいるのだが、政権側はヒズメット運動 に近い警察・検察による陰謀と主張。しかし、 ヒズメット側は関与を否定している。客観的 にみて、他にこれだけのことができる組織は ないのでヒズメット運動によるものと

Istanbul Countdown News No - Doshisha · に見えるという悪循環をもたらす原因。 この衝突、なんとか落としどころをみつけな いと危険である。冒頭に書いたように、トルコ

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Page 1: Istanbul Countdown News No - Doshisha · に見えるという悪循環をもたらす原因。 この衝突、なんとか落としどころをみつけな いと危険である。冒頭に書いたように、トルコ

[主催] 同志社大学高等研究教育機構/同志社大学大学院 グローバル・スタディーズ研究科/同志社大学大学院理工学研究科

Istanbul

Countdown

News No.6

※当日資料として各自プリントアウトし持参してください。

≪10分でわかるトルコの政治≫

1.いま、トルコで何が起きているか?

イスラーム主義の政党と市民運動が激しく

対立。こんなことは前代未聞。政党は与党の

公正・発展党(Adalet ve Kalkınma Partisi,

AKP,Justice and Development Party)、市民運動の

名前はヒズメットHizmet=奉仕。公正・発展党は

2002年から与党で、レジェプ・タイイプ・エル

ドアンが首相。結党以来の中心メンバーは、

エルドアン首相、ギュル大統領、アルンチ第一

副首相等。1~2期と軍の政治への介入を抑え込

み、民主化に成功。経済成長も達成して新興国

の仲間入り。ところが3期目から強権的な性格

が強まり市民の批判が強まる。

2013年5月からイスタンブルなどの主要都市

でかなりの騒乱。もとはイスタンブル、タクシ

ム広場横のゲジ公園の樹木を再開発で切るの、

切らないのというもめごと。政権側が機動隊

を動員して催涙ガスやゴム弾で制圧するとい

うおそろしく乱暴なことをしたため、騒乱と

反政府運動に発展。でも、大都市だけ。農村

部は政権与党支持。

この時、反政府運動に参加したのは、

①世俗主義者(イスラーム嫌い)、②民族主

義者(AKPがクルドと和解交渉に入ったのが嫌

い)、③左翼運動(これが実態不明。もとも

とそんなに居なかったはずなのに突如出現)

などで、どうも実態がよくわからなかった。

とりあえず秋には警察によって制圧された

が、その後、奇妙な大ゲンカが始まる。最初

は政権側が「全国の予備校を廃止」と宣言。

これは、予備校を重要な資金源とするヒズ

メット運動への嫌がらせ。現在のところ2015

年で予備校全廃を決定。

ヒズメット運動側は、12月17日に政権中枢

にいた閣僚の家族の汚職問題を暴露。←ここ

注意がいるのだが、政権側はヒズメット運動

に近い警察・検察による陰謀と主張。しかし、

ヒズメット側は関与を否定している。客観的

にみて、他にこれだけのことができる組織は

ないのでヒズメット運動によるものと

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[主催] 同志社大学高等研究教育機構/同志社大学大学院 グローバル・スタディーズ研究科/同志社大学大学院理工学研究科

※当日資料として各自プリントアウトし持参してください。

考えられる。

12月25日の二度目の捜査でエルドアン首相

の息子も逮捕予定だったが、首相側が警察・

検察の一斉人事異動を強行したうえ、検察官に

「上級庁の許可なく捜査も摘発もするな」と

命令。一挙にこの汚職捜査をつぶしにかかる。

それ以来、(たぶん)ヒズメット運動側は次

から次へと重要政治家の電話盗聴録音を暴露、

政権側はインターネット規制法から、検察と

裁判所に対する法務大臣の監督強化で応戦とい

うひどいドロ試合。ついに2月末、エルドアン

首相と家族のやり取りまで暴露。「もうじき

ガサが入るから、おまえ、あのカネ、さっさと

隠せ」「どのカネさ?」みたいなやり取り。

ちょうど在イスタンブール日本総領事館発行

のIstanbul Weeklyにその部分の翻訳があったの

で以下にコピー。

(1)12 月 17 日午前 8 時 2 分:

首相「息子よ、おまえの家には何が置いてあ

る?それらを片付けろ、わかったな?」

ビラル氏「うちには父さんの金が金庫にある

よ」

(2)同日午前 11 時 17 分:

首相「(金庫の金を)ゼロにしろ」として、

親族を全員集めて金を分散保管するよう指示。

「金をゼロにしなくてはならない」と繰り返す。

(3)同日 15 時 39 分:

首相「指示した仕事は終わったか?」

ビラル氏「一部は解決済みだが、残りもすぐに

解決する。

一日中警察がつきまとっているので外出できな

い。暗くなったら解決できる。」

(

4)同日 23 時 15 分:

ビラル氏「大部分は対応済み」

首相は「大部分ということは金はゼロになった

ということか?」

ビラル氏「あと少し、3000 万ユーロ程度残っ

ている」

ところで、ヒズメット運動というのは、在米

のイスラーム思想家フェトゥフッラー・ギュレ

ンの思想に共鳴する人たちの市民運動。ギュレ

ンは1999年にアメリカに渡ったまま帰国して

いないが、事実上の亡命。当時、97年の密室

のクーデタ後の時代で、彼のイスラーム思想は、

非常に広範な支持を得ていて、軍や世俗主義の

メディアなどは彼を「危険な人物」とみなして

いた。「過激か?」「アル・カーイダのような

武装闘争をそそのかすか?」というならNO。

そんなことはしない。ただひたすら、弱者のた

めに尽くそう、それで心が安らかになる、子ど

もたちのために尽くそう、子どもたちの未来を

明るくするために…というふつうの道徳を説く

のだが、それらがすべてイスラーム的な善行に

結びつくようにできている。イスラーム学の玄

人受けする教えではなく、非ムスリムにも分か

りやすく、行動することによって善行を積みま

しょうという方向に導いている。

しかし、そういう慈善運動+NGO活動(と

くにキムセヨクムという財団が担当)だけなら

問題ないのだが、政権側が激怒したように、

警察、検察、裁判所、行政官などのなかにも広

い支持があるため、結果として政権側からみる

とまるで「闇の組織が並行して政府をつくって

いる」ように見えてしまう。

だが、エルドアン政権の2期目まで、軍や

世俗主義勢力を抑え込むときにも、同じ、警察、

検察、裁判所のなかの親ギュレン派がかなり

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※当日資料として各自プリントアウトし持参してください。

結束して動き、特に、軍部に対しては二度

と政治介入ができないまでに打ちのめしてし

まったことも事実。したがって、数年前までは

エルドアン政権をヒズメット運動(ギュレン

派)が支えていた。現在も、前参謀総長から陸

海空軍の元幹部が軒並み逮捕され収監中。だが、

検察の言うクーデタ未遂計画(エルゲネコンと

バリョズというコードネームで呼ばれる)には

解明されていない部分も多い。

12月17日の摘発で重要閣僚の家族が汚職容

疑で捕まり、閣僚たちを辞任させざるを得なく

なったとき、エルドアン政権は、ギュレン派

(ヒズメット運動)が汚職摘発に動いたと確信

した。首相はこれに激怒して、彼らを断固排除

すると主張しているが、ヒズメット運動に共鳴

する人があまりに多いため、成功するかどうか

は3月の地方選挙の結果をみないとわからない。

なお、このヒズメット運動、外からみると確

かによくわからないのは、メンバーシップが

ないため。誰が会員か、という証明がないため、

会話にも気を使ってしまう。さらに、政党をも

たないため、どこでなにをしているのか、共鳴

者以外にはわからない。当人たちは「市民運

動」と言うのだが、反対派からは「闇の組織」

に見えるという悪循環をもたらす原因。

この衝突、なんとか落としどころをみつけな

いと危険である。冒頭に書いたように、トルコ

では「世俗主義者vs.イスラーム主義者」の戦い

はこれまでいくらでもあったが、「イスラーム

主義政党vs.イスラーム主義市民運動」の戦いは

初めて。こういう争いが起きること自体、ムス

リムの社会が相当に深い問題をかかえているこ

との証拠である。

2.21世紀になって、激変したトルコ

トルコの建国は1923年。第一次大戦でドイ

ツ側について負けたオスマン帝国は、列強に

よって国土を切り刻まれてしまう。そこに抵抗

を率いて外国勢力を追い出していったのが、

ムスタファ・ケマル(後にトルコ共和国初代大

統領となり国会からアタテュルクAtatürk=

父なるトルコ人の贈り名を受けた)

前身のオスマン帝国はイスラーム帝国でスル

タンが統治し、カリフも存在した。最後のカリ

フ制国家。これがトルコ共和国に変わったこと

の意味とは、イスラーム世界を統率する立場が

失われ、単に一つの国民国家に生まれ変わった

こと。しかも、この地域にはトルコ、クルド、

アルメニア、アラブなど様々な民族が存在する

のに、そこに一つの民族から国家をつくるとい

う国民国家の理念を持ち込んでしまったので、

すんなり国ができるはずがない。トルコの場合、

「トルコ民族の国」と決めてしまったため、ク

ルドやアルメニア人は居場所を失う結果に。

アルメニアは追放・殺害。クルドは残ったもの

の「山のトルコ人」などという屈辱的な名前で

呼ばれ存在を否定されてしまった。

もう一つの大きな変革は、イスラームを公的

な領域から完全に追いだしたこと。アタテュル

クは余程イスラーム指導者による統治が嫌い

だったとみえて、次々に、西洋化=近代化とい

う路線での改革を進めた。服装を西洋服に、ア

ラビア文字を廃止してラテン・アルファベット

に、イスラームを追放して世俗主義(laiklik)

を徹底、法体系からイスラーム法を排除し、民

法はスイス、刑法はイタリアから骨格を輸入。

最初、アタテュルク自身が創始した共和人民

党CHPの一党制。第二次大戦後に複数政党制に

移行すると、じわっ、じわっとイスラームが政

治的な舞台にでてくる。潰したって潰れる

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わけがないのである。

イスラーム政党が第一党になるのは1995年

の総選挙。いまの首相エルドアンの師匠にあた

るネジメッティン・エルバカンが党首で首相に

なった福祉党の政権。連立相手は正道党で党首

は女性初の首相も務めたタンス・チルレル。

しかし、前に書いたように、あまりに堅いイス

ラーム主義者とみなされ、軍がキレてしまい

97年の密室のクーデタでアウト。

そこでエルバカン先生の弟子だった、エルド

アン、ギュル、アルンチたちが、「イスラーム

とは一言も言わないイスラーム主義政党」をつ

くった。それが今の公正・発展党。党のシンボ

ルはなんと「輝く電球」。AKは白いとか明る

いの意味。イスラーム

政党が使いやすい

三日月とか緑色でない

ところに注目。

2001年9・11の時は、左派を中心とする連立政

権だったが、ブッシュ政権が恫喝した「テロと

の戦い」に対してどういう態度を取るか、意思

統一に手間取っているうちに外資が引き上げ、

トルコ経済はパニックに。そのため、2002年

の総選挙で、今までになかった新しいイスラー

ム保守政党の公正・発展党が一躍第一党に躍進。

ただ、その時、エルドアンは前職のイスタン

ブル市長時代にイスラームを賛美する言葉を演

説のなかに盛り込んだことで「国家と国民を分

断しようとした罪」「世俗主義違反の罪」に問

われ収監され公民権停止の状態。躍進した

公正・発展党は盟友アブドゥッラー・ギュルが

首相となり法改正でエルドアンを救った。

エルドアンは補選で当選して復権。首相になり

ギュルは外相として支えた。

トルコはNATOのメンバーとして、アフガニ

スタンにISAF軍には参加したが、米軍主体の軍

事作戦である「不朽の自由Enduring Freedom」

には参加せず。治安維持活動のみ。2003年の

イラク戦争では、トルコは国会(1院制の大国

民議会)で議論の末、参戦を見送り。世論は、

フセイン政権はろくでもないと見つつ、戦争に

は反対が多数。

イラク戦争の結果、北イラクのクルド自治区

が対米協力の見返りに投資対象となり発展した。

クルド自治区の近くには、キルクークの油田地

帯がある。

このことが、トルコ東南部の貧しいクルド人

たちが国境貿易で上昇するきっかけになった。

その一方で、イラク戦争によって大量に出回っ

た武器がトルコ国内でクルドの分離独立を主張

してきたPKK(クルディスタン労働者党)に渡り、

2006-07年に大規模なテロや衝突が再燃。ト

ルコ軍がついにイラク国境を越えて爆撃したが、

大きな成果はなかった。

2007年、大統領選挙でギュルが選出される。

その選挙はもめにもめた。世俗主義+トルコ民

族主義の野党、共和人民党CHPが抵抗したが、

エルドアン首相は国会を解散して総選挙を実施

し、一気に勢力を伸ばした。この後、軍、野党

幹部などに対するイスラーム主義勢力(この時

はギュレン支持派とエルドアン政権が協力し

て)逆襲が始まった。

公正・発展党は、イスラームを政治に持ち込

むとか、憲法に持ち込むとか、言わなかった。

政治的な問題としてイスラームが可視化される

例として、女性のスカーフ着用問題があった。

トルコは、ムスリム諸国のなかで、スカーフや

ヴェールを禁止するという無謀なことをして

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※当日資料として各自プリントアウトし持参してください。

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News No.6

きた。特に、大学での女子学生の着用禁止が

何度も政治問題に発展した。しかし、これには

実は禁止の根拠がなかった。高校までは制服規

定があるが大学に制服などない。

にもかかわらず、どうやって長いこと大学の

キャンパスや講義で、女性にスカーフ着用を禁

止できたのか。そこには建国の父アタテュルク

の威光を振りかざす非常に大きな力があった。

物理的な力だけでなく、「スカーフなんか被っ

ているのは遅れた女性だ。無知蒙昧だ。啓蒙さ

れていない・・・」など、ありとあらゆる罵詈

雑言が浴びせられてきたのである。

国立大学では校門のところで女性たちはス

カーフを脱がないとキャンパスに入れない時代

が続いた。このような馬鹿げた差別を続けてき

たことが、イスラーム世界で最も厳格な世俗主

義国家であったトルコをあっけなく変えてし

まった。反動があまりにも大きかったのである。

2009年、国立大学構内でのスカーフは実質自

由化された。いまでは、何の規制もない。

ここで、いまある政党について整理

与党:公正・発展党(AKP)

イスラーム主義だが表にはあまり出さなかった。

野党:共和人民党(CHP)世俗主義、アタテュ

ルク主義、トルコ国家主義

民族主義者行動党(MHP)トルコ民族主義、

イスラームとは親和性はあり、クルド嫌い

平和・民主党(BDP)クルド政党。分離独立を

掲げてトルコ軍と戦ってきたPKK(クルディスタ

ン労働者党)の合法政党。目下、AKPと蜜月状態。

90年代まで政権をもつほど力があった中道右

派や左派は退潮著しい。

祖国党(ANAP)、正道党(DYP)⇒中東右派

民主左派(DSP)⇒左派

MEMO