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33 基礎生物学研究所 要覧 2005 図3. 大脳皮質で観 察されたペリニュー ロナルネット 特定のグリア細胞の エンドフィートに発 現している特殊なC SPGが一部の神経 細胞を取り巻いてい る(緑色)。大半の 神経細胞はペリニューロナルネットフリーの状態にある。粒状に見 えるのは,シナプス部位の発現が抜けているためである。 神経生物学領域 研究活動 www.nibb.ac.jp/neurophys 神経生理学研究室 ットワークを複雑に張り巡らしているニューロンの電 気化学的な活動と,この活動を支えているグリア細胞 ネットワークの働きが,脳機能発現の基盤となっている。当 研究室では,こうしたニューロンとグリア細胞の相互作用に 着目して脳の機能に関する研究を進めている。 脳のナトリウムセンサー Naxチャンネルは電位依存性ナトリウムチャンネルと構 造的に相同性のある分子であるが,電気的不活性なグリア細 胞に主として発現していることから永らく機能不明のチャン ネル分子であった。当研究室ではNax遺伝子欠損マウスを 開発し,解析を進めたところ,①Nax遺伝子が脳のナトリ ウム受容部位であるとされる脳室周囲器官に特異的に発現し ていること(図1),②Nax遺伝子欠損マウスは過剰に塩 分を摂取すること(図2),③Nax遺伝子欠損マウス由来 の細胞は,細胞外ナトリウム濃度の上昇を検出するセンサー 機能が欠失していることを発見した。すなわち,Naxは体 液中で上昇したナトリウム濃度を脳において検出しているセ ンサーチャンネル分子であると判明したのである。細胞外ナ トリウム濃度依存性のナトリウムチャンネルの発見は,これ が世界で初めての例となった。 Nax遺伝子欠損マウスの脳室周囲器官の神経活動は,野 生型マウスと比較すると,非常に活発になっていた。すなわ ち,グリア細胞においてNaxが検出した細胞外ナトリウム 濃度の上昇は,何らかの未知の分子機構によって神経細胞の 活動に変換されていると考えられる。このようなナトリウム イオンを介したグリア細胞による神経細胞の制御機構はこれ まで例がなく,今後はこの未知のニューロン-グリア連関機 構について解析を進めていく予定である。 ペリニューロナルネットの構造と機能 コンドロイチン硫酸プロテオグリカン(CSPG)は軟骨 の主成分の一つであるが,脳においても発生期から成熟した 脳に至るまで様々なタイプのCSPGが発現している。我々 はモノクロナル抗体を作成して脳のCSPGを探索したと ころ,特定のCSPGが一部の神経細胞の周囲を取り巻くグ リア細胞の細胞内外に発現していることを発見した(図3)。 この構造はペリニューロナルネットと呼ばれており,脳の可 塑性が失われる時期(臨界期)から発現してくる構造体であ る。一般的にCSPGは神経突起の伸長を阻害することから, 脳内の特定の神経回路網を固定化する役割を担っているもの と考えられる。この固定化される特定の神経回路の役割や, どのようなアルゴリズムで特定の神経細胞が選択されるかな ど,今後の神経科学のテーマとして興味深いところである。 図1. 脳におけるNaxの発現 部位 Naxは脳室周囲器官と呼ばれ る特殊な脳器官に発現する。脳 室周囲器官には血液脳関門が欠 失しているため,血液中のナト リウム濃度を直接検出すること ができる。青色に見える部分が Naxの発現している部位で,脳室周囲器官の中でも脳弓下器官と 呼ばれる。 図2. Nax遺伝子欠損マウ スの行動解析 マウスに2つの飲水瓶を提示 し,その嗜好性を定量的に測定 する。水と食塩水の二つの飲水 瓶を使用して塩への嗜好性を解 析した結果,Naxナトリウム チャンネルは,食塩摂取という 動物の行動を制御する分子であ ることが判明した。 参考文献 1. Watanabe, E., Fujita, S.C., Murakami, F., Hayashi, M., and Matsumura, M. (1989). Neurosci. 29 , 645-657. 2. Watanabe, E., Fujikawa, A., Matsunaga, H., Yasoshima, Y., Sako, N., Yamamoto, T., Saegusa, C., and Noda, M. (2000). J Neurosci. 12 , 7743-7751. 3. Hiyama, T.Y., Watanabe, E., Ono, K., Inenaga, K., Tamkun, M.M., Yoshida, S., and Noda, M. (2002). Nature Neurosci. 5 , 511-512. 4. 渡辺英治,野田昌晴 (2003) ナトリウムチャンネルの構造と機能 . 神 経研究の進歩 , 47, 159-168. 渡辺 英治 助教授 技術支援員 竹内 和美 山田 美鈴 研究員 STAFF

神経生理学研究室 - National Institute for Basic Biology基礎生物学研究所 要覧2005 33 図3. 大脳皮質で観 察されたペリニュー ロナルネット 特定のグリア細胞の

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Page 1: 神経生理学研究室 - National Institute for Basic Biology基礎生物学研究所 要覧2005 33 図3. 大脳皮質で観 察されたペリニュー ロナルネット 特定のグリア細胞の

33基礎生物学研究所 要覧2005

図3. 大脳皮質で観察されたペリニューロナルネット特定のグリア細胞のエンドフィートに発現している特殊なCSPGが一部の神経細胞を取り巻いている(緑色)。大半の

神経細胞はペリニューロナルネットフリーの状態にある。粒状に見えるのは,シナプス部位の発現が抜けているためである。

神経生物学領域 研究活動

www.nibb.ac.jp/neurophys

神経生理学研究室

ネットワークを複雑に張り巡らしているニューロンの電気化学的な活動と,この活動を支えているグリア細胞

ネットワークの働きが,脳機能発現の基盤となっている。当研究室では,こうしたニューロンとグリア細胞の相互作用に着目して脳の機能に関する研究を進めている。

脳のナトリウムセンサー Naxチャンネルは電位依存性ナトリウムチャンネルと構造的に相同性のある分子であるが,電気的不活性なグリア細胞に主として発現していることから永らく機能不明のチャンネル分子であった。当研究室ではNax遺伝子欠損マウスを開発し,解析を進めたところ,①Nax遺伝子が脳のナトリウム受容部位であるとされる脳室周囲器官に特異的に発現していること(図1),②Nax遺伝子欠損マウスは過剰に塩分を摂取すること(図2),③Nax遺伝子欠損マウス由来の細胞は,細胞外ナトリウム濃度の上昇を検出するセンサー機能が欠失していることを発見した。すなわち,Naxは体液中で上昇したナトリウム濃度を脳において検出しているセンサーチャンネル分子であると判明したのである。細胞外ナトリウム濃度依存性のナトリウムチャンネルの発見は,これが世界で初めての例となった。

 Nax遺伝子欠損マウスの脳室周囲器官の神経活動は,野生型マウスと比較すると,非常に活発になっていた。すなわち,グリア細胞においてNaxが検出した細胞外ナトリウム濃度の上昇は,何らかの未知の分子機構によって神経細胞の活動に変換されていると考えられる。このようなナトリウムイオンを介したグリア細胞による神経細胞の制御機構はこれまで例がなく,今後はこの未知のニューロン-グリア連関機

構について解析を進めていく予定である。

ペリニューロナルネットの構造と機能 コンドロイチン硫酸プロテオグリカン(CSPG)は軟骨の主成分の一つであるが,脳においても発生期から成熟した脳に至るまで様々なタイプのCSPGが発現している。我々はモノクロナル抗体を作成して脳のCSPGを探索したところ,特定のCSPGが一部の神経細胞の周囲を取り巻くグリア細胞の細胞内外に発現していることを発見した(図3)。この構造はペリニューロナルネットと呼ばれており,脳の可塑性が失われる時期(臨界期)から発現してくる構造体である。一般的にCSPGは神経突起の伸長を阻害することから,脳内の特定の神経回路網を固定化する役割を担っているものと考えられる。この固定化される特定の神経回路の役割や,どのようなアルゴリズムで特定の神経細胞が選択されるかなど,今後の神経科学のテーマとして興味深いところである。

図1. 脳におけるNaxの発現部位Naxは脳室周囲器官と呼ばれる特殊な脳器官に発現する。脳室周囲器官には血液脳関門が欠失しているため,血液中のナトリウム濃度を直接検出することができる。青色に見える部分が

Naxの発現している部位で,脳室周囲器官の中でも脳弓下器官と呼ばれる。

図2. Nax遺伝子欠損マウスの行動解析マウスに2つの飲水瓶を提示し,その嗜好性を定量的に測定する。水と食塩水の二つの飲水瓶を使用して塩への嗜好性を解析した結果,Naxナトリウムチャンネルは,食塩摂取という動物の行動を制御する分子であることが判明した。

参考文献1. Watanabe, E., Fujita, S.C., Murakami, F., Hayashi, M., and

Matsumura, M. (1989). Neurosci. 29, 645-657.2. Watanabe, E., Fujikawa, A., Matsunaga, H., Yasoshima, Y., Sako, N.,

Yamamoto, T., Saegusa, C., and Noda, M. (2000). J Neurosci. 12, 7743-7751.

3. Hiyama, T.Y., Watanabe, E., Ono, K., Inenaga, K., Tamkun, M.M., Yoshida, S., and Noda, M. (2002). Nature Neurosci. 5, 511-512.

4. 渡辺英治,野田昌晴 (2003) ナトリウムチャンネルの構造と機能 . 神経研究の進歩 , 47, 159-168.

渡辺 英治助教授

技術支援員

竹内 和美

山田 美鈴研究員

STAFF